テクスチャの少女   作:明神阿良也のオタク

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まさかまともにお気に入りが付くとは思わず……びっくりしているというのが本音でございます。ありがたいことです……


やがて手折らるるとも

 

 父が蒸発した。

 私は母と二人きりで取り残された。

 ドアを蹴る音と怒鳴り声が恐怖の象徴だった。

 父は借金を残していったんだそうだ。

 当時の私には借金なんてよく分かっていなかったけど、父のせいで私がこんな目に遭っているのだということは分かった。

 取立ての男に怒鳴りつけられる日も、珍しくなかった。

 

 唯一残った肉親の母は、私に優しさを見せなかった。

 まともに食事も与えられず、励ましも慰めの言葉も投げかけられることはない。

 ヒステリックな叫びと八つ当たりの暴言。それと取立ての男に媚びる声が、私の知り得る母の声だった。

 

 そんな身でも、何故か学校へは通わされた。

 身なりも良くなくて、ボロっちくて。

 まともな愛情も受け取ってこなかった私は、やっぱり学校にも馴染めなかった。

 後ろ盾も立場もない私は、さぞ虐めやすい対象だっただろう。

 

 何度も死にたいと思った。

 でも何故か死ねなかった。

 

 あんなのでも母のことは好きだった。

 自分の身は可愛かった。

 

 死にたくて、死にたくて、逃げて、逃げて。それでも逃げきれなかった。

 

 

「大丈夫? 馬鹿だね、イジメなんて」

 

 たまたま差し伸べられた手のひら。声の主を見上げれば、逆光が目を焼いた。

 

「ほら、立って。私が護ってあげる」

 

 その日、彼女は私のカミサマになった。

 

 


 

 

 いつも通りの朝を迎えていつも通りに学校へ来る。少し前に陽菜と放課後に出掛けた以外は、ほとんど毎日同じような生活を送っていた。

 趣味と言えるものもほとんどなく、本を読んだり早寝したりと気ままに過ごしている。

 自堕落だねぇ、なんて陽菜に言われたりもするが、ある意味では最も賢い生き方をしてるんじゃないかと思う。たまに同好会にも顔を出しているし、気が向けば走ったりもしているから運動不足ということもない。

 

 休み時間には陽菜と話したり、話に混ざってくるクラスメイトと親睦を深めたりもして、つまらない授業を受ける。習うのは目新しさのない内容ばかりで、写し取るノートも無駄手間に思えてしまう。

 大して時間のない昼休みも、大概は教室で話している陽菜の一団にまじって端っこでぼうっとしていた。

 

 しかし、今日は陽菜が弁当を忘れて購買に買いに行くらしいのでそれに付き合うことにした。教室から少し離れたところにある購買は、既に昼食を買いに来た生徒でごった返していた。

 

「……少し離れたところで待ってるね」

「う、うん。うわー、これやだなぁ……」

「自業自得でしょ」

 

 流石に人混みに呑まれるのは嫌だったので、人が少ない辺りで待っていることにする。嫌そうな表情で人混みの中に陽菜が消えていくのを見送って、暇つぶしにとスマホの画面に目を落とした。

 

 

「あ、紅里ちゃん!」

 

 

 騒がしい雑踏を切り裂いて、私を呼ぶ声が聞こえた。知らない人間の声ではない。むしろ、馴染み深い声だった。

 

「瑞乃。ちょっと久しぶりかな。クラス同じにならなかったもんね」

「うぅ……残念です……紅里ちゃんと一緒が良かったのに」

 

 彼女の名前は朝丘瑞乃(あさおか みずの)。陽菜ともう一人、高校以前からの付き合いでよく話す相手がいると言ったが、それが彼女だ。とある一件から私によく懐いてくれているので、陽菜に次いで仲良くしている。

 

「一緒になれなかったのは残念だけど。どう? クラスで馴染めてる?」

「はい! 友達もできましたよ!」

「なら良かった。ちょっと心配だったから」

 

 高校新生活となって少しだけ瑞乃のことは心配していたが、どうやら普通に馴染めているらしい。少し親心というか、姉心というか、庇護欲をくすぐられるタイプの人間だから、何となく気にかけてしまう。

 特に私は彼女の境遇を知っているということもあって、余計にその傾向が強いらしい。そういうことになっている。

 

「今のところは大丈夫みたいです。本当に、紅里ちゃんには感謝しても──」

「ああ、そういうのはもう大丈夫だって。十分感謝は伝わってるし、私はそんな大したことしてないから」

 

 私が瑞乃を助けたのは、自分の楽しみの為でもある。だから感謝するような事でもないと言うのだが、彼女はそうは思わないようで、会う度にお礼を言ってくる。今ではもうそちらの方が都合がいいかと流してしまうことにした。

 

「それより、買ってこなくていいの? ここに来たってことは昼食買いに来たんでしょ?」

「あ、そうでした。それじゃあ、またお話しましょう」

「うん。今度遊びにでも行こうか」

「はい、是非」

 

 話もそこそこに、瑞乃は陽菜と同じように人混みに呑み込まれていった。特になんとも思っていなさそうだったのを鑑みるに、普段からこの購買で昼食を買っているのだろう。彼女の事情からして、自炊できる環境にいるとは思えない。

 

「誰と話してたのー?」

「お、買えたんだ」

「うん。ちょっと時間かかったけどね。それで、誰と話してたの? 同じクラスじゃないよね?」

「友達、かな。多分。陽菜も仲良くしてあげて欲しい」

「……本当に珍しいね、紅里がそんなこと言うの」

 

 私は滅多に他人との仲を取り持つようなことはしない。そういう立ち位置にいないからだ。だから珍しいと言われるのにはまあ納得だが、どうして陽菜が少し寂しそうな表情でいるのか分からなかった。

 

「そろそろ戻ろう。私もまだ食べてないし」

「……うん」

 

 

 

 

 5年前のあの日、市村紅里は狂ってしまった。ああ、そうだ。元からの異常者に、狂うという言葉は使わない。なればこそ、市村紅里を表するのに「狂者」という言葉は最も相応しいに違いなかった。

 

 他人の不幸を、絶望をこそ愉しみとする人間を、健常者とは言えないだろう。

 

 私は紛れもない狂人である。

 

 では、サイコパスかと考える。だが、それもまた否。多少当てはまる要素があっても、私は彼らほどズレてはいない。ただ歪んでいるだけだ。少なくとも私はそう思っている。私にも良心はあるし、共感性もある。他者を顧みる心を持ち合わせているつもりだ。ただ楽しみにするものが人とは違うだけで。

 

 

 離れた学区の中学校に入学して、退屈極まりない生活を送っていた三年前のことだ。他人の不幸を啜る私は、お誂え向きの獲物を見つけた。

 

 たまたま、イジメというモノを目にしただけだった。標的になっていたのは、さっき話していた瑞乃。どうやらクラスぐるみのイジメらしく、この分だと部活動なんかにも波及していそうな程の規模だった。主ないじめ役は四人ほど。瑞乃がまともに抵抗できるはずもなく、絶望に塗れた生活を送っているらしかった。

 

 そして、ふと思いついた。これは私の愉しみに使えるんじゃないかと。自身の風評をさほど落とすことなく、大義を得て人を痛めつけられる絶好のチャンス。

 

 しかし、どちらに与するべきか。安全なのは、虐める側に加担することだ。もしバレたとしても教師の説教が入るくらいで、相手が自殺でもしない限りはこちらに被害は及ばない。だが──

 

 それじゃあつまらない。大勢の一部となってイジメに加担したところで、それは私の渇きを満たすに足るのか。

 

 

「大丈夫? 馬鹿だね、イジメなんて」

 

 結局、私は虐められた側、つまり瑞乃の味方をしてみることにした。()()()()()()()()()()

 イジメをしている人間は、自分が逆襲されることなんて考えてもいないに違いない。そういう人間はえてして脆いもので、きっと面白い反応をしてくれるはずだと、そう思った。

 

「ほら、立って。私が護ってあげる」

 

 私が声をかけた瑞乃は、救われたような、疑うような、泣きそうで嬉しそうな表情をした。哀れで憐れで……少しだけ唆られる。

 差し伸べた手をおずおずと握った彼女を引っ張り上げてやれば、堰を切ったように彼女の蒼い瞳から涙が零れた。

 

「あれ……? なんで、辛くなんてなかったのに……」

「気が抜けたんでしょ。今日はもう帰っちゃおう」

 

 どうせ部活前の時間だ。彼女も部活動とかをやっているのかもしれないが、すっぽかしていいだろうとカバンを持った瑞乃の手を引いて学校の外に連れ出したのを覚えている。

 

「話、聞いても大丈夫?」

 

 こくりと頷きが返ってくる。場所をどうしたものかと考えて、いっその事家に呼んでしまう事にした。祖母に連絡を入れておいて、瑞乃の手を引いたまま家の方へ連れていく。

 

「家に来なよ。外で話すよりはいいでしょ」

「あ、でも……」

「何かあった?」

「迷惑は……かけたくないんです」

「……今日はそういうの気にしないでいいから」

 

 少しだけ渋った彼女の手を離すことなく再び歩き出した。握られたままの手のひらは落ち着かない様子で私の手を握り返したり力を緩めたりを繰り返していたが、やがてしっかりと握り返したままちゃんと着いてくるようになった。

 歩いている最中、自己紹介もしていなかったことに思い至って名前を交わしあった。ぽつりぽつりとぎこちなくはあったけど少し会話をして、相手の緊張が解れてきたのを感じる。

 

「ここですか?」

「うん。ちょっと旧いけど、まあ気にしないで」

 

 ウチの様相は古民家のようになっているからそこそこ旧い家なのだろうが、内装はリフォームされているからか和風ながらそこそこ新しい。彼女も見かけとの差に驚いたようで、意外そうな声を上げていた。案外図太いのかもしれないと思ったのだが、今思えば必死に気を紛らわそうとしていたのだろう。緊張とかも。

 

 気を使ってくれたのか、祖母と鉢合わせることなく私の自室に着いた。それから飲み物を取りにキッチンへ一度出て、やっと腰を落ち着ける。お茶を出されたあとも彼女は緊張した様子でこちらを見つめていた。

 

「それで、私は別の学区から来たからイマイチ分かんないんだけどさ」

「はい」

「その、イジメってのは何が原因なのか分かってるの? あ、言いたくないなら言わなくていいよ。そんなことで意見が変わったりはしないから」

 

 いきなり核心を突くように踏み込む。私がじっと眼を見つめると、彼女の蒼眼が揺らいだ。

 彼女が言いたくないというのなら、仕方ないから自分で調べるしかない。都合がいいことに、小学校の人間関係がそのまま繰り上がる中学校において別の学区から来た私は転校生のような扱いだから、情報には事欠かないだろう。簡単に教えて貰えるはずだ。

 

「えっと……その…………」

「無理はしないでいいんだよ?」

「いえ、言います。だけど、ちょっと、言葉に纏められなくて……」

「うん。それなら、私が少し話をしようか。説法みたいになっちゃうかもしれないけれど」

「はい?」

 

 話す気はあるらしい。時間がかかるというのなら、一旦彼女が話す内容を自分の中で整理する時間を置く為にも、すこし別の話をしてみるのもいいだろう。

 

「虐められない方法って、実はとても単純なんだよ。でも、それは幸せな人には簡単なことだけど、不幸な人には難しいことだ」

 

 貴方は、不幸せでしょう? 

 

 

 彼女の表情が、またくしゃりと歪んだ。泣きそうな笑み。

 


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