◇
私立
それは勉学や部活動関連だけでなく、娯楽や飲食についても充実していた。たとえば昼食をどうするか考えたとき、細かいメニューを抜きにしても生徒には二十を超える選択肢があった。
一般的な学食や購買はもちろんのこと、懐石料理やフレンチのフルコース、さらには満漢全席まであるという。
(生徒のニーズに応えるにしても、限度ってもんがあるだろ……)
腹に入れば何でもいいし、レストランより賭場が欲しい。
そんな性分であるがゆえに、跋虎が学園にある回らない寿司屋を訪れたのは今日が初めてのことだった。
「『牡丹』を二人前ですね。かしこまりました」
オーダーを取った店員が一礼して出て行く。
跋虎がテーブルの向こうに目を向けると、ウサギの着ぐるみパーカーが楽しそうに揺れている。そのファンシーな格好は意外にも、格式高い和の内装に違和感なく溶け込んでいた。
(ハルマロと二人だったら昼に十貫一万円の寿司なんか絶対に食わねえんだが)
昼食を賭けた数字当てゲーム『ルーレット・スナイプ』に敗北した跋虎は、勝者の
入店するやいなや黄泉月が個室を指定したのは、他人に聞かれたくない話をするためか、させるためか。
(どちらにせよめんどくせえ)
浮かない気分で暫く待つと、注文した品が運ばれてきた。
高級感あふれる黒塗りの寿司下駄に、にぎり寿司と軍艦巻きが色鮮やかに並んでいる。
見ているだけでよだれの溢れる光景に、黄泉月が目を輝かせて箸を手に取る。
「いっただっきまーす! むぐむぐ……にゃはー!」
無邪気な笑みで食事を楽しむ黄泉月るな。
その姿を前にすると彼女には裏の目的などなく、ただ他人の金で高級な寿司を食べたかっただけなのではと思えてくる。
考えるのが馬鹿らしくなってきたので、跋虎も寿司を味わうとする。
箸を使うか一瞬迷い、手で食べることにした。作法としてはどちらでもよかったはずだ。
右手に一番近かったハマチを掴み、小皿の醤油にさっと触れさせて口の中へ。
(味はよく分からんが、きっと旨いんだろう。高いし)
一貫千円のブルジョワなランチだというのに、跋虎の感想はなんともいい加減なものだった。
跋虎はその後も淡々と、黙々と腹を満たす。
対面の黄泉月は対照的に、一口ごとに「うまいうまい」と顔を綻ばせながら頬張っていた。
(背低いし着ぐるみだし、小学生みたいだな、こいつ)
そんな失礼なことを考えたとき、跋虎は完全に気が緩んでいた。
黄泉月が話を始めたのはその瞬間だった。
油断を刺すようなタイミングで、それは唐突に。
「
「……は?」
「
「あー……は?」
跋虎は困惑する。
これが図星であればむしろ上手く取り繕えただろうが、あまりにも心当たりがなさすぎて逆に動揺が隠せない。
黄泉月は何の話をしてるんだ。
まさか恋バナがしたいわけでもないだろうに。
跋虎は困惑しつつもひとまず正直に答える。
「別に、好きも嫌いもないけど……」
「ふーん?」
黄泉月はにやりと口元を歪め、さらに問うた。
「じゃあなんで昨日、わざと振り込んだの?」
「ん? なんのことだ?」
咄嗟に
昨日、漫先輩、わざと、振り込み。
(まさか――見られていた?)
黄泉月の口がさらに歪む。
「
「さて、どうだったかな」
「逃がさないよ?」
くっきりと開かれた黄泉月の両目が跋虎を捉える。漆黒の瞳孔は奥にブラックホールでも飼っているかのようだ。
先程までの無邪気な空気は霧散して、その残り香も感じられない。
「……こーわっ」
跋虎は昨日の自分を呪った。
勝ちを捨てたあの場面を、よりにもよって生徒会役員に見られていたとは。
こんな目立つ格好の女が近くにいて、それに気付かないとは。
目の前の点数調整に集中し過ぎたか。
そういえば、と思い出す。
(最近はそういうイベントが無かったから忘れてたけど、こいつ選管の委員長だったっけ)
選挙管理員会といえば選挙はもちろんのこと、学校全体で行う大きな行事を取り仕切ることもある生徒会直属の機関だ。
ギャンブルが支配する学園における彼らの役割は
そんな選挙管理員会の長ならば、相当優れた『目』を持っていることだろう。
(あの放銃が意図的だったことは完全に見抜かれているらしい)
跋虎は重たい息を吐く。
どうやら認めるしかないようだ。
「……まあ、そうだな。確かにわざと振り込んだな」
「だよねー? なんでそんなことしたの?」
追加の質問に跋虎は逡巡し、正直に答えることにした。
実力の一端がバレている以上、嘘を吐いても大した効果は期待できない。
「勝ちすぎて目を付けられたら麻雀部に行きづらくなるだろ? あと、変に恨まれても嫌だしな」
「にゃーるほどねえ?」
見る者の心をざわつかせる不気味な笑みを浮かべながら、黄泉月は赤色の艶やかな中トロを頬張る。
咀嚼、咀嚼。
跋虎にとっては心地の悪い時間が流れる。
嚥下。
底を見透かそうとする黄泉月の視線が跋虎の視神経を刺激する。
「だから、
「……ん?」
「ルーレット・スナイプ、
「いやいや。あれは運任せのゲームだろ?」
「けっ! 白々しいねえ」
そう言うと黄泉月は箸を置き、ウサギパーカーの内側から先程の小型ルーレットを取り出した。白い針は5を指している。
顔に出しはしないが、跋虎の脳裏に嫌な予感が押し寄せる。
「色々調べたよー。君のこと」
「え、なにお前、俺のファンなの? サインなり握手なりしてやろうか?」
「教室じゃ冴えない普通の生徒みたいな顔してるけど、結構面白いバックグラウンド持ってるじゃん」
「おおっと、華麗にスルーされちまったぜ」
テーブルに置かれたルーレットを、黄泉月の指が回した。
シャーッ。
チッチッチッ。
針が4を示したところで回転が止まる。
「お祖父さんが偉大なギャンブラーだそうで」
「賭博師、な」
会話の主導権は完全に握られているが、そこだけは無視できず跋虎はやや食い気味に訂正した。
黄泉月から不思議そうな目を向けられるが、それを無視して訂正を重ねる。
「あと、凄い人ではあると思うが、別に偉大ってわけじゃない」
「にゃはは! ギャンブルだけで半世紀も食っていける人間は間違いなく偉大でしょ!」
「……まあ、簡単なことじゃないのは確かだな。あと、ギャンブルじゃなくて賭博な」
賭博とギャンブル。
賭博師とギャンブラー。
言語が違うだけで意味は同じだ。
しかし跋虎の祖父は二つの間に辞書的な解釈を越えた差異を見ていたし、その定見は跋虎も継いでいる。
傍から見ればそれは実にくだらない
「なんだよ細かいなぁ」
黄泉月は唇を尖らせつつ、再びルーレットに手を伸ばす。
数秒の回転。
白いプラスチックの針が数字の3に影を落とす。
5、4、3。
黄泉月が何を意図してルーレットを回しているのか、跋虎には分かってしまった。
(なるほど、
この後の展開を考えて辟易とする跋虎に対し、黄泉月は変わらず話を続ける。
「お父さんのことも調べたよ」
「ストーカーなのかな?」
「肩書きには拘らない人みたいだね。マジシャン、手品師、イリュージョニスト、魔術師、奇術師、魔法使い。それから超能力者にパフォーマー。調べれば調べるだけ出てきたよ」
「いや、調べ過ぎだろ。生徒会役員って意外と暇なのな」
黄泉月が言った通り跋虎の父はマジシャンだ。世界各国のショーに出演しており、一年の八割以上を海外で過ごしている。
跋虎が最後に会ったのは二週間も前のことだ。気紛れにしか連絡を寄越さない人間なので、今どこで何をしているのかは分からない。
(きっとどこかマジックを披露してるんだろう。あるいは……)
跋虎の父はマジシャンであるが、稼ぎのメインとなっているのは舞台上でのパフォーマンスではない。それは身内か同じ業界の人間しか知り得ないはずなのだが――
「手品作家としても評価が高いらしいね」
「なんで知ってんだよ」
跋虎の父は観客を相手にマジックを披露するだけでなく、新しいマジックを発明してそれを同業者やトイメーカーに売ることも生業としていた。
「ちなみに今はUAEで新作マジックの営業をしてるとか」
「それは息子の俺ですら知らないぞ?」
「にゃはは! すごいっしょ」
得意げな笑みを浮かべながら、黄泉月はまたルーレットを回した。
その回転が終わる前から跋虎は次に2が出ると分かっていたし、事実その通りになった。
1ずつ減っていく数字。
カウントダウン。
そこいらの一般生徒であれば浮かび上がるその数列を不気味に感じ、何かに追い詰められているようなプレッシャーを錯覚するかもしれない。
「でもでも、
「なんでバレてんだ……」
跋虎は何度目かもわからない深い溜息を吐く。
個人情報も何もあったもんじゃねえな、と生徒会の権力に引いていた。
「てか、そんな奴この学園にはたくさんいるし、どうせお前もそうだろ?」
「にゃはは! まあね!」
黄泉月は朗らかに肯定を見せ、「けどさぁ」と続けた。
「権力も暴力も財力も使わずにギャンブルの――賭博の腕だけでそれだけ稼ぐって、相当なもんだよ」
「そりゃどーも」
「そんな狢辺クンの実力を見込んで一つ提案があるんだけど」
「嫌だ」
内容を聞く前から峻拒の意を示した跋虎だが、黄泉月は気にすることなくルーレットを回して1を出す。
(本題に入るまでのカウントダウン、ね。くだらん演出だな)
跋虎は冷ややかな目を向ける。
黄泉月はそれを意に介さず、八重歯を覗かせたキメ顔でこう言った。
「選管に来ない?」
「嫌だ」
即座に断るも、黄泉月は諦めない。
「じゃあギャンブルで決めよう!」
「嫌だっつってんだろ」
「あっ、賭博で決めよう!」
「そういう問題じゃねーよ」
これまで通りの平穏な日常をどうにか守りたい跋虎だが、この抵抗は虚しい結果に終わるだろうと予感していた。
黄泉月が悪人というわけではない。彼女は彼女として存在しているだけだ。
では誰を恨むべきかと言えば、昨日の間抜けな自分を
◇
4を出そうと思えば4が出るし、3が欲しければ3が来る。先程の5から刻んだカウントダウンがその証左と言えるだろう。
何故そんなことが出来るのか。
ルーレットに細工がしてある――わけではない。望んだ数字に針が止まるような機構を仕込むにはこのルーレットは小さすぎる。
回転運動の全てを計算している――わけでもない。指から加わる力、エネルギー、摩擦、針と突起の衝突、それらすべてを計算し尽くすことなど人間の脳には不可能だ。
神に愛されている――いやいや、まさか。
それでは、るなは一体どのようにして思い通りの数字を出すのか。
答えは単純で、八通りの回し方を覚えているのだ。
5を指している状態から4を出したい時は『マイナス1される回し方』で回す。
4を指している状態から6を出したい時は『プラス2される回し方』で回す。
6を指している状態から再び6を出したい時は『プラスマイナス0の回し方』で回す。
そこにあるのは計算ではなく経験だ。
難しい数式を立てずとも『こう回せばいくつ変化する』という知識さえあれば、
もちろん簡単なことではない。手先が器用というだけでは到底為し得ない芸当であり、るなも訓練を積むことでようやく身に付けた技術だ。
今日初めてこのルーレットに触った人間には絶対に――
(不可能なはず、なんだけどねぇ)
るなは
先攻後攻を決める際、彼はルーレットを回して数字を1から6に変えた。そしてその直後、一回目のスナイプでは6から3を出した。
一見すると分かりにくいが、これは全く同じ数字の動き方だ。
それだけなら偶然ということもあり得るが、その後の展開を見て、るなはこれが意図的なものであると確信した。
+5(1→6)、+5(6→3)、
+4(1→5)、+4(8→4)、
+5(2→7)、+7(1→8)、
+4(2→6)、+7(4→3)、
+5(8→5)。
絶対わざとじゃん、とるなでなくとも思うだろう。こうして並べてみれば、跋虎が三通りの回し方を習得したことは明らかだった。
分かることは他にもある。
最後のターン、4でも7でも勝てたのに跋虎はあえて5を選択した。これはつまり、自ら負けを選んだということだ。
(生徒会役員相手に勝つのが嫌だったのかな。目立つの嫌いそうだし)
るなは跋虎の考えを正しく推測していた。
が、しかし。
それを汲み取ってあげようとは思わなかった。
(こんな面白そうな生徒、放っておけないっしょ!)
そう思って自身が長を務める選挙管理委員会に誘ってみたのだが、にべもなく断られてしまった。それなら賭博で決めようと言ったのだが、これも断られた。
「昼メシ奢ってやるんだから、それで満足しろよ」
「何言ってんのさ。逃がすわけないでしょ?」
「えぇー……」
その後も跋虎はなんとか話を流そうと足掻いていたが、結局は折れた。
平穏に過ごしたい一般生徒と、それを壊そうとする生徒会役員。どちらが優位かは火を見るよりも明らかだ。
るながちょっと権力をちらつかせてみれば、跋虎は酷く顔を歪めながらも「一回だけだぞ」と諦めた。
るなは店員を呼び、品書きの一番端にあるメニューを注文する。
「『
「かしこまりました」
跋虎が不思議そうな目を向けてきた。
諦めがついて吹っ切れたのか、その顔にあった苦い色はどこかへ消えている。
「まだ食い足りないのか?」
「ギャンブルに使うんだよ!」
「ああ……だよな」
「今なにか失礼なこと考えなかった?」
「いやいや。『このちんちくりんが昼に寿司15貫も食うわけないよな……』、なんて思ってないぞ」
「こんにゃろー! 言いやがったな!」
意地の悪い笑みでるなを見下す跋虎。
どうやら好き勝手に話を進められたことに対する意趣返しのつもりらしい。
(生徒会役員を相手にその態度が取れるのは見事な胆力だね)
るなはそう冷静に分析しつつ、それはそれとして自分のコンプレックスを茶化されたことに素直に憤る。
「許さん! 絶対に許さん!」
「お前は怒っても怖くねーな。ちっこいから」
「こいつ! 一度ならず二度までも!」
るなを
それがまた、るなの神経を逆撫でする。
「うがー!」
「はははっ」
格式高い高級寿司屋には似合わない言い争い、もとい、るなの一方的な激昂は、注文した皿が運ばれて来るまで続いた。
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ストックが出来たらまた更新します。