エピローグを求めて-魔法生徒えマ!-   作:望月凪

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苦労した記憶しかない鶴子の祇園言葉。
正直まだ直したいけどこれが今の私の実力です。
戦闘力たったの5もないゴミです。
ちなみに、ジュリアの喋り方や性格等は原作に無かったので100%捏造でした。



15時間目.手痛いしっぺ返し

 

───救いたい。

 

 

なんて思ってはみたものの、どうすればいいのかわからない。

私の前世含めた経歴を暴露するにしても、到底信じられるような内容ではないし。

まして、自分達が漫画の世界の住人だなんて、ここが漫画の世界だなんて話は信じられないだろうし、信じたいと思える話でもないし、今ここに生きている私ですら感覚レベルでは信じられるものではない。

 

身辺に気を付けて?

病気に気を付けろ?

 

これらを伝えるタイミングにしたって、精々が別れ際の世辞レベルくらいのもの。

その内容にしたって、6歳の子供に言われたところでどれ程の信憑性をもって伝わるかという話で。

 

だけど、私たちはこれからすぐウエストバージニアへと離れるのだから、伝えるチャンスはあと僅か。

こういうとき、自分がただの子供でしかないことがもどかしい。

 

でも、ここでジュリアを救えなければ、歴史を変えることが出来なければ、私は一体何のためにここにいる。

なぜ私が『真枝絵馬』なんてものになることになった。

 

ここまでなあなあに6年過ごしてきて、生きていくことの意味など見出だせてもいないけど。

であるなら私は私に対して、そこにこそ意味と価値を見出だしたいと思ったんだ。

私が、真枝絵馬ではない私の意志で、初めて心から願ったことがこれなんだ。

 

ジュリアと出会い、直接話をしてその心に触れたことで。

考古学というものに対して同じ想いを抱いていた人との出逢いは私の心を大きく揺り動かし、一周回ってそこまで考えるようになっていた。

 

・・・私の愛する『ラブひな』の歴史を、世界を変えてしまうことになることは承知の上だ。

 

忌避していた『原作崩壊』。

その原因となるかもしれないこの選択。

 

それを分かっていて尚、それでもと願ってしまう程に、ジュリアという存在の心の一端に触れたことは、私にとって大きな出来事となっていた。

 

ならば、せめてこの選択が悪い方向には向かわないことを願う。

この選択が、より良い世界を作ることを。

『原作崩壊』ではなく『原作改変』程度に収められることを願う。

 

 

「気ぃが乱れてますえ」

「・・・あ、はい。すみません」

 

 

っと、いけない。

今は変えた後のことについて考えたって仕方がない。

それを伝える手段をどうするかで悩んでいたのに思考が飛んでいた。

今の段階では取らぬ狸の皮算用、というやつだ。

 

 

それに今、私はそれどころですらないのだ・・・。

 

 

鶴子に声を掛けられて思考回路が現世に戻った私は現在、当の鶴子から借り受けた木刀(何で持ってるの?)を手に『気』の修行をさせられている。

具体的には、いつぞやに語った『ぽわぽわした何か』の知覚。そのための瞑想。木刀持ったまま。・・・なんで?

 

 

───必要ないって言ったじゃん!

 

 

という皆々様からのツッコミは大いに受け止めようじゃないか。

なんせ私ですら今まさにそう思っているんだから!

 

 

「───絵馬はん。あんたはんの言う『ぽわぽわした何か』言うんが正に『気』そのものや」

「は・・・はい?」

 

う、うそ。

これ、ここから練り上げたりとかするものじゃないの?

だって、これがあったところで別に何か恩恵を感じたことなんてなかったし。

 

唐突に語られた信じがたい事実を知って唖然とする私は、そのまま鶴子の説明を聞く。

 

「『気』ぃ言うんは人間誰でも無意識に持っとるもんや。

 日常生活で勝手にちびっと作られて、その殆どが使われることなく自然に霧散していく。

 難しいんはそれを己で知覚することと、維持すること、行使することどす。

 あんたはんが恩恵を得られへんちゅうんは、慣れてへんからや」

 

またこのパターンかい!

それ魔力の時もやった気がする!

 

「『気』は生命エネルギー。人間の活力そのものや。

 『気が漲る』『気が高ぶる』『気を入れ換える』『気落ちする』なんて色々言いはるけど、そんな言葉ができるくらいにはヒトの活動に関わって来るもんどす」

 

・・・曰く、『気』とはすべての人が持つ力である。

これの動きが活発であれば、その存在を知らない普通の人は維持や能動的な行使こそできないものの、それでも日常生活においてほんの微量ながら行使され、活気をもたらすという。

 

基本、その全てが行使しきれるものではなく、殆どが自然に霧散するが、微量でも行使されるその恩恵は凄まじい。

例えば仕事の会議のプレゼンで強弁を張れたり、学業に意欲が湧いたり、プロスポーツの場における活躍など、その恩恵は多岐にわたる。

 

無論それは武芸百般においても同じだ。

『気』を十全に行使した者の能力の凄まじさは、『ラブひな』『ネギま!』両原作を見れば一目瞭然であろう。

 

なるほど、慣れてないというのはそういうことで。

長い修行なり、練習なり、勉強なり、経験なり、そうやって脳味噌を含めた身体の使い方を理解しながら成長していくうちに、少しずつその者の方向性に合わせて行使しやすい身体になっていく。

その者が持つ『気』もまた、身体が行使しやすいように変質し、量を増していく。

 

成長に伴い増していく力。

成長したいと思えば思うほど、そのために行動すれば行動するほど、時と共に増す力であると。

 

「ヒト以外のイキモノもまたその恩恵こそあるが、知覚まではしとらん。

 それを知覚して『使おう』『応用しよう』ちう頭脳を持っとるヒトこそがより『気』を活用できる」

 

当然のことで、魔力と同じく人間以外の生命もまた『気』の恩恵はある。

だが、その多くは生命活動・・・逃げること、逃げる対象を狩ることなど『本能』というものに対して行使される。

それも知覚していないので、生み出された『気』全てを行使することは叶わないし、それを鍛えようとすることもない。

 

活用法を多方面に向ける発想ができ、『気』の総量を増やしたり瞬時に練り上げられるように鍛え、その全てを活用しようと考えることができる頭脳を持つ人間だからこそ、その恩恵の最大効果を得ることが出来るのだと鶴子は語る。

 

「『気』ぃ言うんはな・・・ヒトの可能性や」

 

人間の可能性。

それは魔力と対比する。

自然に溢れる魔力とは、云わば『世界の可能性』だ。

その力をほんの少し間借りして、可能性(魔力)から現象を生み出すのが魔法。

 

だとするなら、『咸卦法』というのは人間の可能性と世界の可能性の合一。

なるほど、そう言い換えれば流石究極技法(アルテマ・アート)と言われるだけはある。

とんでもない技法だわ。難しいわけだ。うん・・・うん。

 

 

「それで、その・・・何でそれを私に?あとこの木刀は一体」

 

 

『気』について理解が深まったのはいいとして。

それをなぜ私が習得する流れになっているのか、そこがわからない!

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「───ちょいと外いきまひょか」

「へ?は、はあ」

 

ジュリアと瀬田との話が終わってリビングに戻ってみたら、今度は鶴子に声をかけられた。

何故に外?なんて思って思わず間抜けな声が出てしまう。

そんな私に代わって瀬田が答えた。

 

「おや、お眼鏡にかなったということかな?」

「我慢ならへんかった、そんだけどす」

「そうかい」

 

紫煙を燻らせて苦笑いする瀬田には何のことか分かっているみたいなんだけど・・・。

そんな会話がありつつ、さっさと外に出てしまった鶴子を追って外に出た私たち。

 

勝手口のような扉から外に出てみればそこは、コの字型の建物で囲まれた庭であり、この別荘の意外な大きさに驚くも・・・まあ所謂アメリカンサイズとでも言うべきか。

 

そんな庭で待っていた鶴子に近づくと、そのままひょいと木刀を持たされる。

 

・・・あれ、今この木刀どっから出したんですかね?

 

庭に出るときは手ぶらに見えた鶴子は、そんな私の疑問を無視するかのように言葉を紡ぎだした。

 

「今からアンタに『気』ぃ教えたる。構えや」

「・・・はい?」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

・・・ということで、別に私から「教えてクレメンス」とか言ったわけではないんだよ。

ほとんど強制ともいえる程に自然な流れで断る暇もなかったんだ。

 

「絵馬はん。あんたはもうオノレの『気』を知覚しとる。

 本来その知覚する所まで辿り着くのんが一番難しいんや」

「はぁ」

 

鶴子の言葉に生返事を返す。

なんせあれが『気』なら魔法を使う前から知覚できていたしなぁ。

難しいことと言われたところで、そう大した実感もない。

 

「その歳で、しかも自力で知覚したちうのは、ウチでさえ正直羨ましなるくらいの天賦の才言うてもええ。

 そんで、『気』を扱うには『気』を常に感じて慣れ親しまなアカン。

 やけど・・・あんたはんは魔法使いや。そんで、『気』と『魔力』は反発する」

「・・・はい」

「アンタ、魔法のために『気』ぃ棄てとるやろ」

「・・・・・はい」

 

私は正鵠を射た鶴子の指摘に、首肯して返した。

 

・・・今の私の状態について、流石にこの『気』のエキスパートともいうべき鶴子にはお見通しだったらしい。

 

そう、今の私は『気』を棄てている。

 

御守に『気』の事を指摘され、そして初めて魔法が使えるようになったあと。

体内の『ぽわぽわした何か』と魔力が決して交わろうとしない性質を体感して、私は原作『ネギま!』のとあるいちシーンを思い出したのだ。

ネギがエヴァンジェリンに指南を受けている際に、仮契約した桜咲刹那に魔力供給をする時に掛けられるエヴァンジェリンの台詞。

 

「相応の修行がなければ魔力と気は反発する」

 

という内容を。

 

私は当時、魔法の練習をする度に気絶を繰り返していた。

これは私自身の魔力使用可能領域を広げる目的ではあったんだけど・・・いや、いちいち気絶するのってそれなりに辛いんだ。

 

そんなこんなで私は、少しでもそんな状況を改善すべく試行錯誤し、そうして上記の言葉に思い当たる。

 

『気』の元と思われるぽわぽわした何か(今となってはそれこそが『気』そのものだと判明したわけだが)を排除すれば、魔法の魔力効率が少しでも上がって気絶する回数が少なくなるんじゃなかろうか?と。

 

結果的にその試みは成功した。

 

それをすることによって、体内の魔力の巡りが良くなり、確かに魔力効率は上がったのだ。

それもそのはず、抵抗となる『気』が体内に存在しないのだから。

 

そんな効果を感じてしまったから、調子に乗った私は「ああ、なるほど。これでいいんだ」なんて思っていたわけで。

 

そうして、極力すぐに魔法を発動できるようになんて考えた結果、常に身体から『気』を排除し続けるようにしていて。

 

 

「絵馬はん、アンタ、そのままやと死にますえ」

「・・・ふぁ!?」

 

 

だけどそれがどうしたんだろう?なんて思っていた私に、鶴子はまさに衝撃的といえる一言を告げるのだった。

 

 

「じょ、冗談・・・ですよね?」

「冗談もクソもあらへん。人っちゅうんは『気』ありきで成長するんどす。

 『気』は生命エネルギー且つ活力や。

 『気』ナシで成長した身体には必ずどっかしらにガタが来る。

 まして魔法使いや。アンタ、『魔素中毒』て言葉聞いたこと・・・いや、その歳じゃよう知らへんか」

 

───魔素中毒。

それは、原作『ネギま!』後半にて突如登場した単語だ。

原理こそ詳しい説明が無かったので分からないが、身体が魔素に侵され不調を来すという描写があった。

 

でもあれは『闇の魔法(マギア・エレベア)』を会得したことで起こった不調のはず・・・いや、『闇の魔法(マギア・エレベア)』とは全てを受け入れ飲み込む力。

私が御守から学んだ、身体に取り込まれる魔力とは、器が自身に合う形に変換したモノ。

・・・ということはつまり。

 

「『気』は器がオノレに入れる魔力とは別の、体に合わんままの外の魔力の侵食から身体を守る役割もあるんや」

「・・・・・!!」

 

導き出された予想を肯定するような鶴子の言葉に思わず絶句する。

 

つまり原作ネギは『気』が守っているはずの身体に、未変換のままの自分に適合しない魔力までもを無理矢理受け入れる『闇の魔法』によって取り込んだ結果、魔素中毒に陥ったということ。

 

「絵馬はん。アンタは今、下手に『気』を知覚出来るせいで、自分に必要な最低限の『気』すら排除してもうてる。

 ホンマは、自分に必要な動きをしとる『気』もちゃんと感じた上で、排除するんやなく『抑える』んや。

 『気』についての知識が未熟やさけ、そないな発想したんやろ」

 

つまり、『気』で守られていない今の私は、さながら常時放射能に曝され続けているような状態であって。

 

 

───要するにとってもヤバい☆

 

 

「はわわわわわ!」

「そない慌てんでもまだ平気や」

「で、で、でもっ・・・!」

 

初めて魔法が使えてから、『気』を棄てるようになって凡そ半年。

半年でどのくらい魔素中毒が進行するのか知らないが、そう短い期間でないことは確かだ。

もしかして実はもう、結構進行してしまっているんじゃ・・・!?

 

どこぞのはわわ軍師の如く慌てまくる私に、鶴子はため息混じりで窘めた。

 

「・・・落ち着き。見たトコまだそれほど魔素に侵されてへん。アンタ、どんな修行してはったん?」

「え?えと・・・両親曰く、私は魔力の器が大きいみたいで。

 まだ使えない魔力を動かせるように、枯渇まで魔力を使いきって、気絶して回復して・・・半年程それの繰り返し、です」

 

鶴子曰く、魔素中毒はあまり進行していないという。

修行内容について答えると、鶴子は「成程」とひとつ呟いて微笑を浮かべた。

 

「両親に感謝し。常に魔力を消費した状態にされとって、アンタの周囲の魔力を身体が侵される前に器が急速に変換しとったんやろ。

 そのおかげで今はまだそこまで深刻な状態やない。不幸中の幸いやな」

「・・・そう、ですか」

 

危うかった。・・・いや、まだ現在進行形で危ういんだ。

分析を聞いて少しだけ安心はできたものの、そこまで深刻ではないという発言を鑑みれば、魔素による侵食は微量でも確実に受けてはいるようだし。

 

ジュリアの生死を考えるどころか、原作到達前に真枝絵馬がポックリ逝くとかシャレにならん。

しかもその原因が私の未熟さの都合による過失となれば・・・バカらしいにも程がある。

何が原作崩壊をさせたくないだ。

んなコト語ってられるような状態じゃなかったじゃん。

 

といっても現在の私の身体は特に不調を訴えることもなく元気そのもので、そんな状態で今の現状を把握するのは難しかったと言えば難しかっただろうけど。

正直なところこうして説明されて大いに慌てたけど、今でも実感はわかないからなぁ。

 

「まず、魔力を行使するときは『気』を棄てへんようにすることやな。

 多少やりにくいかもしらんが、気張って慣れ。

 ほんで、『気』を少しでも使うようにして、ちぃとずつ『気』を扱いやすい身体にしていく事どす。木刀はそん為や」

 

『気』を棄てずに魔法を使うことに慣れること。

先の話の逆で、身体に『気』がある状態では、当然魔力効率が下がる。

だが、いってみればその状態こそが『気』を知覚できていない普通の魔法使いの本来のあり方で。

その状態で成長する魔法使いの持つ無自覚の『気』は、おそらく極力魔法を行使する邪魔にならないような変質をしていくのだろう。

 

それを排除してしまっている状態では、当然『気』は変質などしようもない。

今の私の状態を例えるなら、ズルをして手痛いしっぺ返しをもらっているようなものだ。

そのズルを止めて、真っ当に魔法を使うようにしたらいいということ。

 

既に『気』を知覚してしまっている私は、どうやっても魔法を行使する上で無意識に『気』を排除してしまうだろうと。

ゆえに、いっそのこと『気』もまた使えるように鍛練してしまえばいい、というのが鶴子の言である。

 

「はい・・・わかりました」

 

『気』も扱えるように。

真枝絵馬の強化をあまり望んでいなかった私としては、あまり喜ばしい流れじゃない。

それをしなければ命に関わるというのなら是非もないんだけど。

 

けど、なんだか私が考えていた『ラブひな』の『真枝絵馬』とはどんどん乖離していっている気がして、それが私が何の気なしに選んだ選択肢の結果でもあるから、意図してもいないのに私が『真枝絵馬』を好き勝手しているような気がしてきてしまう。

 

「あの、どうしてそんなことを、私にここまで?」

 

そんな風に聞いてしまうのはごく自然な疑問で。

鶴子とは会ってまだ1日。

命に関わる案件だったとはいえ、さも当然のように教わってしまっているわけだけど・・・原作を見る限り屈指のエキスパートである鶴子直々に、このような初対面の人間に教えるには少々突っ込んだ内容を教わることができているのは何故なんだろうか。

 

そんな私の言葉に、鶴子は再度溜め息を交えて語る。

 

「・・・西洋じゃどうか知らんがな、元々日本ちう国は昔から『気』『魔力』どっちも馴染み深いモンなんや」

 

曰く、体術・呪術における『気』の活用から、陰陽道や妖術における『魔力』の活用。

日本では昔からそれらの技術が独自に発展していて、所謂裏側に属する者たちにとってはどちらにも馴染みが深いという。

 

『気』と『魔力』の両者ともを磨いてきたその歴史においては今の私の状態も既知のもので、当然私のようなパターンの者を育成するためのノウハウも存在するのだと。

 

言われてみればという話で、『ネギま!』の修学旅行編においてのボス的位置付けであった「リョウメンスクナノカミ」を呼び出す媒体は近衛木乃香の膨大な潜在魔力を引き出したものだったし、少なくとも日本においては『気』も『魔力』もどちらも扱えるだけの技術があることは描写からも見てとれる。

 

「ウチかて未熟とはいえ師範代。ヒトにモノ教える立場おす。

 対処法が分かっとんのに、こんだけの天稟持った子供がむざむざ自分から身ぃ滅ぼすんを見てられんかった、そんだけの話や」

「は、はあ」

 

天秤がどうかはわからないけど、あるとするなら『真枝絵馬』の身体そのものか。

・・・こんなとき、当の『真枝絵馬』ならどうしてたんだろう。

 

「・・・力を求めてへんのはアンタの顔見たらなんとなくわかる。

 けどな、何度も言うがこんだけの魔力持っとって、その歳で師もナシに『気』にも目覚めたんは破格や。

 そんだけの天秤を眠らせたままにしとくんは・・・勿体無い」

「勿体無い、ですか」

「それに、その破格の才能を求めて変なモンが寄ってこんとも限らん。

 イザというときの自衛手段は多いに越したことはあらへん」

「・・・それは、確かにそうですけど」

 

・・・そんな危険が、この先起こるのだろうか。

何もなければ、魔法学校を卒業した後はおそらく日本の普通の中学校に通い、高校に入り、そしてひなた荘に入寮するだろう。

 

だけど。

 

この世界は『ラブひな』だけでなく、『ネギま!』の要素がある。

かの物語は正しく危険に溢れたファンタジーだ。

例え物語に介入しなくとも、その枠外で何らかの危機に瀕することもあるのかもしれない。

そうしていざ危機に直面してから力を求めるのではあまりに遅い。

その時に取れる選択肢が多い方が良いのは自明、なのだけど。

 

「貰えるモンは貰っとけばええんどす。

 見たとこアンタ、なんぞ思い悩んどるな」

「・・・はい」

「その悩みが何かは知らんがな。

 これから何かしよ思た時、力の有る無しで説得力が違う。選択肢の数が違う。見える世界が違う」

 

言っていることはわかる。

それは、武道や魔法だけに限った話じゃない。

学問だって、仕事における個人の技能や知識だって同じこと。

その人間が持つ力や知識は一定以上の説得力を持ち、その説得力からの信用が、新たな選択肢を提示する。

それは人間生活を送る上での摂理のようなもので。

 

「アンタがもしその先の世界の景色を求めるなら・・・ウチの弟子になり」

「弟子に・・・」

「悩みの元を斬る力を、未来を斬り開く力を───神鳴流をアンタに授けたるわ」

 

鶴子はそう言うと、私の前に手を差し出した。

 

「・・・・・!」

 

 

───安易なのかもしれない。

 

 

そうして力を求めて、行き着く先はどこになるのか。

私が目指す目標にたどり着くための道筋はこれで正しいのか。

 

けれど、未来を斬り開く力と言われたとき。

 

父が言ったことを思い出した。

「やりたいと思ったことをやり通せ」って。

 

 

───初めてやりたいことができたんだ。

 

 

そのための手段を手に入れられるなら。

 

選択肢が広がるなら。

 

世界が広がるなら。

 

 

───やり通してやる!

 

 

私は差し出された鶴子の手をしっかりと掴んで。

 

 

 

「───よろしくお願いします」

 

 

 

そうして私は、このアメリカの地で神鳴流に入門することとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




今のところ槍が浮いていた本作絵馬でしたが、これで槍が活きるメドが立った・・・のかな?
このお話には鶴子サイドの裏話もありますので、その内に投稿はしようかと思っています。


次回「16時間目.ドキリとすることをサパっと」

作者は大いにドキリとしたという。
ラブひなのパララケルス島編での時差云々を大幅にアレンジした、時間作りのための渾身のネタが既にバレていたということに。
そんな戦闘力5の作者はともかく、カリフォルニア編はもうすぐ終わり。
・・・だと思うジャーン?


それではまた次週。

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