深い海に棲む艦~Prequel to Kantai Collection~   作:ダブル・コンコルド

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22.不協和音

「コロンボに敵陸上部隊出現」の報告は、その日のうちにアメリカ合衆国本土に届けられた。事態を重く見た大統領ウィルフレド・ワーナーは緊急の招集をかけ、ホワイトハウスの大統領執務室に政府首脳部を終結させていた。

 

「思いがけない場所を衝いてこられたものだ」

 

 開口一番ワーナーは言った。

 全員の目が、壁に貼り付けられた世界地図に向いた。

 

「コロンボに来襲した敵の戦力は、どの程度なのです?」

「詳細は明らかになっていませんが、それほど多くはないと考えます」

 

 とある閣僚の問いに、国防総省から派遣された若い武官が答えた。

 

「現在コロンボ沖合には戦艦2隻、空母1隻を中核とした艦隊が展開しています。敵は空襲で制空権を握ったのち、艦砲射撃によって沿岸部に終結したスリランカ陸軍を掃討。陸上部隊を送り込み、市街地を制圧したとのことです」

「空襲で制空権を奪ったのちに艦砲射撃で上陸部隊を支援する。まさに第二次世界大戦の上陸戦のセオリー通りと言えますな。敵は基本に忠実なようだ」

「敵は我々の戦法をよく学び熟知しているとも言えます。油断は禁物かと」

 

 皮肉ったランズダウン将軍に、若い武官が警告するように言葉を返した。

 確かに敵が人間ではないと仮定しても、人間が生み出した戦術を存分に生かしているということは十分な脅威だ。戦術を知っているということは、逆にその弱点も知り尽くしていることになる。

 

「しかし、いくら数で劣っているとはいえ、現代の軍隊がこうも容易く敗れるものでしょうか?これではスリランカ並みの軍備しか持たぬ国は、80年前の軍隊にすら勝てぬということになりますが」

「スリランカ軍では、どうしようもなかっただろう」

 

 大統領特別補佐官アルダートの言葉を聞きながら、ワーナーはぽつりと言った。

 

 スリランカの軍備ははっきり言って貧弱の一言に尽きる。

 空軍は戦闘機を15機しか持たず、整備不足で飛べないものや訓練用に武装を外したものを除けばまともに戦えるのはたったの6機だ。

 海軍に至っては洋上監視や密輸阻止の任務が大半であるため、対空ミサイルを搭載した艦船がそもそも存在しない。

 唯一まともなのは陸軍だが、ほとんどの装備が冷戦期の旧式兵器であり稼働状態も低い。コロンボに展開したまではよかったが、その後の空襲と艦砲射撃で大半が吹き飛ばされてしまったという。

 

「陸上部隊についてはどうだ。現地から情報は届いていないか?」

「こちらも詳細が明らかになっていません。在スリランカ大使館から敵が複数の戦車を擁するという情報だけは伝わりましたが、その後大使館員はすべてインドに退避しました。ゆえに続報に関しましてはスリランカ政府の発表を待つしかないかと」

「一つだけ確かなことがあります」

 

 国防長官のオルグレンがワーナーに説明するように言った。

 

「コロンボは数年前までスリランカの首都だった大都市であり、我が国のニューヨークやフィラデルフィアに当たります。そのような場所を攻略した以上、敵の兵力は半端な数では済まされないでしょう」

「国務省でスリランカ政府とコンタクトを取りました。同国はコロンボ奪還作戦を実行するつもりのようですが」

 

 オルグレンの言葉をリレーするように、国務長官のマーヴィンが続いた。

 そして彼は説明を求めるように統合作戦本部議長のランズダウン将軍に視線を向ける。

 どうせ軍では彼我の戦力差を把握しているのだろう、早く説明してくれ。と言いたげな表情だった。スリランカ軍のコロンボ奪還作戦が成功するか否かで今後のアメリカの外交も変わってくる。外交全般を担う国務省のトップにとって、何よりも回答が欲しい問いのはずだ。

 その意図を理解したのだろう。ランズダウン将軍の背後に控えていた連絡武官は、将軍に短く耳打ちする。二、三度頷いた将軍は短く息を吐き、はっきりと言い切った。

 

「コロンボは既に敵の手に落ちたものと考えるべきです。奪還は不可能でしょう」

 

 執務室に誰のものともいえないため息が漏れた。

 アメリカから遥か遠くの場所とはいえ、正体不明の敵に占領された場所がある。この事態の深刻さを理解できないものは、少なくともアメリカの首脳部にはいない。

 

「敵は我々の先入観を突いてきた」

 

 ワーナーが短く、しかし閣僚すべてに聞こえるように言った。

 敵が海上及び航空戦力しか持たぬと油断していたことが、最悪ともとれる結果を招いた。そう言いたげだった。

 沈黙を破ったのは、大統領特別補佐官のアルダートだった。

 

「敵の狙いは、奈辺あるとお考えですか?」

「結論から言ってしまえば、インド洋の封鎖でしょうな」

 

 国防長官のオルグレンはそう答えると同時に、自身の背後に控える連絡武官に右手を挙げて合図を送った。あらかじめこのような問いが来ることを予想していたのだろう。合図を受けた連絡武官は大統領に一礼すると、壁に掛けられた世界地図の隣に立った。

 とこからともなく指示棒を受け取った武官はそれを伸ばし、先端でスエズ運河を指した。そして指示棒を移動し、紅海からアデン湾、ペルシャ湾、アラビア海、インド洋、マラッカ海峡へと順番になぞる。

 

「ご存じの通りインド洋は欧州、アラブと東アジアをつなぐ巨大なシーレーンの真ん中に位置します。インド洋を一日に航行する船舶は大小数万隻を数えており、この海を封鎖されれば世界経済への打撃は計り知れません」

 

 武官は一息に説明すると、指示棒を南シナ海に移動した。

 

「すでに南シナ海では同様の現象が発生しています。敵に占領された領土こそありませんが、南シナ海には神出鬼没的に敵艦が出現し、犠牲になる民間船舶も増えているとか。これと同様のことをインド洋でも行い、東西の航行路を完全に遮断することが敵の狙いでしょう」

 

 南シナ海では現在中国海軍が奮戦し敵の北上を食い止めているとの情報もあるが、完全に敵を駆逐できるわけではない。先日も撃ち漏らしが民間船舶を襲い、日本国籍の大型タンカーが撃沈されたというニュースは、閣僚らの記憶にも新しかった。

 

「ディエゴガルシアが空襲を受けたのも、このためでしょう」

 

 オルグレンが武官から指示棒を受け取り、ディエゴガルシアとスリランカを交互に指した。

 

「そもそもインド洋の安全保障を担っているのはインド海軍ではなく我が国であり、その根拠地はディエゴガルシアに位置しています。仮に敵がスリランカ全土を占領し、インド洋を封鎖しようとしても、我が軍の妨害を受けることは不可避です。敵がコロンボを拠点にスリランカ全土を占領し、インド洋を封鎖するためには、ディエゴガルシアの飛行場を破壊し我が軍の動きを封じることは必須条件だったと思われます」

「ディエゴガルシア空襲とスリランカへの上陸は連動していたということか?」

 

 ワーナーの問いに、オルグレンが頷いた。

 

「それ以外に考えられません」

 

 ワーナーはしばし瞑目した。目を閉じたまま鋭く思考を巡らせているようだった。

 ややあって目を開くと、天井に向かって短く息を吐いた。

 

「敵に連携あり、ということか……」

 

 これまで正体不明の敵に対して二つの考え方があった。

 

 一つは敵に共通の意思はなく、それぞれが人間に対して勝手気ままに攻撃を仕掛けているという可能性。

 もう一つは敵に共通の指揮者がおり、明確な意志の下で戦略的に行動しているという可能性。

 

 その答えが今出された。正解は後者だったのだ。

 

 敵に連携がなければ個々を分断し各個撃破することも、さらに言えば同士討ちさせることも可能だったかもしれない。だが敵が連携しているのであればそうはいかない。

 連携もなしに突っ込んでくるだけのイナゴの群れと、連携して獲物を追い詰めるオオカミの群れ。どちらが厄介かなど明らかだ。

 

「問題はインド洋だけではありません。このままでは極東の自由主義が干上がりますぞ」

 

 アメリカの経済を管轄する商務省の長、マイケル・ブライアント商務長官が警告するように言った。

 

「日本や韓国は経済の根幹であるエネルギー資源を海外に依存している国家です。インド洋が封鎖されれば、これらは攻撃を受けずともに崩壊してしまいます」

「第七艦隊の母港である日本の崩壊は喜ばしいことではありません。また、自衛隊が動けなくなれば大陸から太平洋へ通じる道が開き、中国海軍やロシア海軍の台頭を許すことにもなります。結果的に、アジアの軍事バランスが崩壊することに繋がりかねません」

 

 ブライアントに次いで、オルグレンが言った。

 

「現在我が国はデフコン1、戦時下にあります。あらゆる作戦行動は大統領閣下のご指示一つで可能です」

 

 ワーナーはオルグレンを真っ直ぐ見据えて言った。

 

「やれるか?」

「敵の弱点も、既に分析しております。今ならやれます」

 

 それに対してワーナーわずかに顔をひきつらせた。

 

「……弱点か、日本には貧乏くじを押し付けることになってしまったな」

「やむを得ないでしょう。確実に敵に砲弾を撃たせ、なおかつ飛翔ルートが概ね判明しており、かつ我が軍だけがこれを迎撃できる地点にいる。このような機会は偶然では訪れません。1000を超える犠牲者は想定外でしたが、我々の仮説は概ね証明されたと考えます」

 

 オルグレンの目配せを受けた武官が続いて言う。

 

「敵の航空機ならびに砲弾は現代兵器でも破壊可能。唯一攻撃が通らず、一度沈めば完全に再生してしまうのが艦船。スリランカに現れた陸上部隊はいまだ不明ですが、これまでの性質と在スリランカ大使館からの情報を踏まえれば破壊可能と推測できます」

 

 武官は「そして、その艦船もすでに弱点はあらわになっています」と言いながら、幾つもの写真やデータを執務室のデスク上に並べた。

 

「敵が修復できるのはあくまで損傷を受けた部位だけで、急激な浸水には対処できないことがムツの沈没で確証になりました。以後は魚雷をメインウェポンとして用いることになるでしょう」

 

 太平洋で第3空母打撃群を率い、初めて敵と交戦した空母打撃群の指揮官グラント・ハンブリング少将はとある仮説を提言した。それは敵の水上艦艇は急激な浸水に対応できないのではないか、というものだった。

 

 彼は交戦の折、魚雷の直撃を受けた戦艦がいつまでたっても傾斜を復旧せず再生もしないため、艦体の修復はできても飲み込んだ大量の海水を排水できないのではないかと考えたのだ。

 

 この仮説はその後の戦艦陸奥率いる日本攻撃で証明された。

 

 艦砲射撃を行い、ここから連続して斉射を行えば日本に大打撃を与えられるというタイミングで陸奥を雷撃させたのだ。もし魚雷に対する防御力を有しているのなら、このような好機を逃すはずもない。すぐさま再生して艦砲射撃を続行するだろう。

 しかし敵は再生しなかった。それどころか同士討ちを行い、あえて自らを沈めることで海中に逃げ去った。弱点を暴かれることを警戒したのか、それとも一度沈んで完全に再生しなければならないほど甚大な被害を受けたのか。いずれにしても敵の意図をくじいたことに変わりはなかった。

 

 敵艦の動きを魚雷で止め、かつ自沈できない状況に追い込めば封じられる。それがアメリカ海軍が導き出した結論だった。

 

「ハンブリング少将は本当に良い仕事をしてくれた」

「空母打撃群の指揮官として当然のことをしたまでです」

 

 ワーナーの賛辞にオルグレンは喜びを隠せない様子だった。ひとりの軍人として、部下が挙げた成果を誇らしく感じたのだろう。

 それを見たワーナーは「よし」と軽く頷き、過去を顧みるように言った。

 

「デフコンを宣言しておきながら、攻撃してきた敵にだけ応戦するという私のやり方が仇になったのかもしれん」

 

 今までは世界中で戦闘が勃発したといっても、所詮戦後体制が揺らぐ程度のものだという認識しかなかった。

 

 だが敵が連携しているというのなら話は違ってくる。敵が明確な意志の下で人間を攻撃し、直接殺すばかりか、経済を干上がらせて間接的に殺そうとしている。さらに、もし軍事バランスを破壊することで人間の同士討ちをも狙っているのだとしたら。

 

 敵は本気で人間という種族を滅ぼすつもりだ。

 このような敵に受身一辺倒で戦っては勝利などおぼつかない。積極的に攻勢に出て殲滅しなければ。

 

「インド洋へ新たに兵力を投下する。決して屈せぬという我々の意志を見せつけよ」

 

 ワーナーは宣言するように言った。

 

「インド洋の兵力展開の現状は」

「すでにインド洋には原子力空母エンタープライズを派遣し、空母打撃群を形成しております」

 

 すぐさまランズダウン将軍が問いに応じる。ここからが自分の役目だと認識しているのか、身を乗り出しての会話だ。

 

「1つでは弱いな……」

「弱い、とおっしゃいますと?」

 

 ワーナーの言葉にランズダウンは率直に疑問を口にした。言外の意図を図りかねた様子だった。

 

「このような状況下にもかかわらず、空母打撃群を1つしか派遣できぬのか。そう世界に思われれば終わりだ。空母打撃群は我が国の力の象徴だ。それを世界各国の注目している、敵との激戦地に2群投下すれば、世界はアメリカの決意を思い知るだろう」

「閣下、よろしいのですか?」

「かまわぬ。かつてアメリカは孤立を望んでいた、だが今は平時ではない」

 

 ランズダウンはワーナーの意志を瞬時に感じ取った。

 世界が混乱している状況ならばアメリカ合衆国与しやすし。そのような風潮が蔓延すれば、新たな侵略者を呼び込み、テロリストを後押しすることにもなりかねない。

 本国の防衛も行いながら空母打撃群を二つも地球の裏側へと派遣する圧倒的な力、それを世界に見せつければ今後、敵に立ち向かう意味でも、単純な国家競争においても、アメリカに逆らう国はいなくなるだろう。

 

「今自由に動かせる空母はいくつある?」

「現時点では3隻です、大統領閣下」

 

 ランズダウンは合衆国本国で遊兵になっている原子力空母について編成表を広げた。

 

 現在どの打撃群にも艦隊にも属していない空母はニミッツ級の『ハリー・トルーマン』『ジョージ・ワシントン』『カール・ヴィンソン』とジェラルド・R・フォード級の『ジェラルド・R・フォード』『ジョン・F・ケネディ』『ドリス・ミラー』の計6隻。

 このうち3隻は整備中であるため、すぐに動かせる空母は『ハリー・トルーマン』『ジェラルド・R・フォード』『ジョン・F・ケネディ』となっている。

 

 編成を一通り流し見たワーナーは即座に判断を下した。

 

「『ハリー・トルーマン』を喜望峰経由でインド洋に派遣せよ。2つの空母打撃群でインド洋を制圧、アメリカの存在を世界に見せつけるのだ」

 

 その言葉に対して、ランズダウン将軍とオルグレン国防長官がほぼ同時に頷いた。

 これまでは世界に展開したアメリカ軍が、攻めてくる敵に受身的に応戦するという形だった。しかしこれからは違う。

 アメリカが攻める側だ。

 初めてワーナーは歯を見せ、口角を吊り上げるように笑った。

 

「皆も、やられっぱなしというのは、気に入らんだろう?」

 

 敵の弱点を発見した以上、もう恐れる必要はない。

 他国の協力など不要。亡霊はアメリカ軍が一掃する。

 そんな燃えるような意志がありありと見えた。

 

「そして在韓米軍に命令する。在韓米軍は在韓アメリカ人の避難を秘密裏に実行せよ。アジアの軍事バランスが崩れれば朝鮮戦争が再開する恐れもある。そのような場所にアメリカ人をとどめておくわけにはいかない」

「承知いたしました」

「国防長官、ヤマトの現在位置は?」

 

 ワーナーの問いにオルグレンが即座に答える。

 

「現在尖閣諸島より北西100キロ、中国の経済水域に随伴の駆逐艦4隻と停止中。動く様子はありません」

「在日米軍はロシア、中国を警戒しつつヤマトの監視を怠るな。ヤマトが我々に乗じてインド洋に移動してくれれば都合がいい」

「かしこまりました、大統領閣下」

 

 そこまで聞くと、ランズダウン将軍が遠慮がちに言った。

 

「大統領閣下、そろそろ敵の呼称を定めて欲しいとの要望が上がってきております」

「呼称?」

「はい。マスメディアやSNS、軍などで呼び方がバラバラなのです。確認されているだけでも『Old She(古の彼女)』『Ghost Fleet(幽霊艦隊)』『Dead Man's Navy(死者の海軍)』等々…。名称がこれほど分散していては、有事の情報伝達に支障をきたします」

「名前と言われてもな。皆も知っていると思うが、私にそういったセンスは皆無なのだよ」

 

 執務室に居並ぶ政府首脳陣に向け、初めてワーナーは頬を緩めた。

 閣僚の誰もが苦笑いを浮かべる。どうやらワーナーがある意味での芸術家というのは公然の事実らしかった。事実ワーナーの美術の最終成績はCマイナスである。酷いものだ。

 それを見越していたのだろう。将軍は閣僚らを流し見つつ言った。

 

「一つ、これはという候補があります。グラント・ハンブリング少将が付けた名前で、現在太平洋艦隊で定着しつつあるとか」

 

 早く聞かせろ、と言わんばかりに誰もが身を乗り出した。

 

「ハンブリング少将は彼女たちをこう呼称したそうです」

 

 そして、彼は静かに言った

 

「『Abyssal Fleet(アビサル・フリート)』、と」

 

・・・・・・・

 

 オーストラリア連邦北部ダーウィン港では多くの軍艦が錨を下ろし、身を休めていた。南国の穏やかな海はそこにはなく、空は灰色の雲で覆われ、波が舷側を叩いている。

 そんな中、異彩を放っている軍艦がいた。漆喰のように白みがかったオーストラリア海軍の艦艇の中にねずみ色の軍艦が混ざっている。

 

「来るべき時がきた、という感じですね」

 

 海上自衛隊第四護衛隊群所属、ミサイル護衛艦『いなづま』航海長の東秀元はダーウィン港の荒れた海に目を向けた。

 現地時間にして8月5日。南半球にあるオーストラリアは現在冬の真っただ中だ。耐えられないほどではないが、皮膚に突き刺すような南半球独特の寒さがある。そこにきてこの荒れ模様は、冬の日本海を連想させた。

 

 3日前の8月2日のうちに、とうとう国会は自衛のみを可とする時限立法を可決した。とりあえず期限を一年間と定め、アメリカ軍と協力して防衛体制を構築していくことになったのである。

 

 各国との連携、協調をなにより重視する日本政府にとっては非常に難しい決断だったはずだ。8月1日の大型タンカー『愛光丸』撃沈がなければ、時限立法の成立すら難しかったかもしれない。

 本国のお偉方も、日本を支える原油を満載したタンカーが撃沈されよほど焦ったのか、それともようやく事態の深刻さを理解したのか。

 

「これまでのあいまいな立場からようやく解放された気分です。足枷が外れた、とでもいうのでしょうか」

「確かにな。だが、我々は完全に枷を外されたわけではない」

 

 『いなづま』艦長の榊原秀平は硬い表情の東を横目に、冷静に状況を分析していた。

 

「もちろん自衛のみに限定し、攻撃を仕掛けられないということは理解していますが……」

「いや、もっと大きな意味でな」

 

 榊原は視線を空に向けた。

 風が強い。いなづまのメインマストに掲げられている旭日旗がはちきれんばかりにはためいている。何事もないただの天気が、急激に変わりつつある事態を暗示しているように思えてならなかった。

 

「まずは集団的自衛権の問題だな。そのせいで我々は今もここにいるのだから」

 

 榊原は自身らが置かれている微妙な状況を思い浮かべた。

 そもそもの話、なぜ海上自衛隊の護衛艦がオーストラリアにいるのか。

 

 実は『いなづま』はつい先日まで、オーストラリア北東海域において日豪共同訓練を実施していた。しかし、帰国の途に就く前に不明艦隊が海中から出現。航路が塞がれてしまった。

 無論『いなづま』の戦力をもってすれば、これらを排除して強引に日本にたどり着くことは可能だったかもしれない。

 

 だがここで問題になったのが他国との外交関係、そして集団的自衛権の問題だった。

 

 仮に『いなづま』が何事もなく帰国できるのなら問題はない。しかしこのような情勢下だ。どうあがいても不明艦隊と遭遇する。もし自衛隊が他国の海で交戦でもしようものならことは大事だ。憲法違反だと国会で追及されることは免れない上に、外交摩擦を引き起ことにもなりかねない。

 そのため本国は「命令あるまで帰国を禁ずる」「そのまま待機せよ」と繰り返すばかりだったのだ。

 

 「それに」と東の方に向き直り、榊原は続けた。

 

「国内世論がまだまとまっていない。それが最大の問題だ」

 

 異変が起きてからずっとオーストラリアに居続けた自分たちには詳しくわからないが、日本が大混乱にあることくらいは容易に想像がつく。

 

 まだ国内世論は一枚岩ではない。いきなり戦争だと言われても実感がわかないだろうし、そもそも国民が戦争に賛成か反対かすらわからない。

 さらに世論の混乱を受けて左派野党は武力行使反対を、右派野党は時限立法ではなくNATOなどとも連携した完全な戦時体制への移行をそれぞれが声高に叫び、国会は連日空転している状態だ。

 

 国内の不協和音が今後悪い方向に影響を及ぼさねばよいが。乗艦と預かった乗員らの命を失うようなことになれば。もし自分が複雑な判断を強いられたとき決断できるだろうか。

 様々な思考が榊原の脳裏に浮かんでは消えてゆく。

 

 そして、東が何かを発言しようとした時だった。

 

「艦長、本国から通達です。オーストラリア海軍との作戦行動に備えよ、とのことです」

「何?」

 

 報告に榊原は眉をひそめた。

 共同の作戦行動となると、これは集団的自衛権の発動となる。しかし日本が集団的自衛権の対象としているのはアメリカ軍だけのはずだ。

 

 本国で何かがあったのか。そう自問する前に、続けて報告が入った。

 

「ダーウィン港のオーストラリア艦隊司令部より通信。日豪共同作戦について協議したい、とのことです」

「艦長……」

 

 東の震える眼差しを見ながら、榊原も声が出なかった。

 いつか来るだろうとは思っていたが、これ程早く事態が動くとは。

 

 自分たち自衛隊は本国の決めたとおりに動くだけだ。だが、そうもいえない状況に追い込まれているのかもしれない。

 

 榊原は艦橋の外を見やった。

 自分たちを嘲笑うかのように、曇天が空を覆っていた。


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