空が橙に染まった夕暮れ時、数十名の学生が講堂外の広間にて刃引きされた槍や剣を使って、各々素振りや対面による稽古を行っていた。そんな中、教官を務めるアルビーに呼ばれて集合すると、見慣れない黒い男がいた。経緯は不明だが、どうやらアルビーの補佐として代理の教官をすることになったらしい。
「君たちも知っての通り、最近私の講義が休みになることが多かっただろう。そこで、学院長の推薦で彼を私の補佐として入れることになった」
「……と言う訳で、お前たちの教官補佐として面倒を見ることになったキョウだ。ちょっとしたことで学院長とは少々縁があってな。暇していたところを呼ばれたわけだ」
肩をすくめ、ため息をつきながらよろしくな、と黒い男、キョウが挨拶する。しかし、いくら学院長の推薦と言えど、素性のよく分からない男が急に教官の補佐として入るというのだ。突然の話に学生達が不安げな顔を浮かべていた。それを見兼ねて、学生達には聞こえないように小声でアルビーへ問う。
「で、どうする。俺が入った経緯など説明出来ないだろう」
「何、それは既に考えてある」
アルビーがキョウの前に立つ。
「突然のことで混乱しているとは思う。しばらくの間、私がいない時は彼が見ることになるだろう。とは言え、だ。いきなり素性の分からない男が入ってきても困惑するだろう」
その言葉に殆どの学生が同意を示す。その反応に当の本人すら苦笑いを浮かべるのみだ。
「だから、いつもの演習はここまでとして、この後はキョウを知ってもらう時間とする」
その言葉に、キョウが呆れるように問う。
「おいおい、知ってもらうって何をだ」
「そんなもの、決まっている」
アルビーがどう動くのかを見守る中、持っていた修練用の素槍をキョウへ向ける。
「この学生達は騎士を目指す将来有望な若者達だ。学院長直々の推薦だ、と言うのならば、私にその力を示すがいい」
アルビーは槍をキョウへ向けて、気勢よく宣告する。それを聞いたキョウの視線が、学生達からアルビーへ移ると共に、獲物を見つけた猛獣のような野性混じりの笑みへ変わる。
「ほう、そういうことか。いいぜ、その言葉を後悔するなよ」
突然の展開に、明日は槍でも振るのではないか、そんな思いが学生達に過る。だが、目を擦ってもそれは現実だということを理解した学生達から熱気に満ちた声が上がる。そんな声が聞こえたのか、近くを散策していた学生が何事かと興味を示し、それを聞いた学生からも同様の声が上がった。
そんな様子を一瞥しつつ、キョウはアルビーに一歩近づき、彼だけに聞こえるように声を細めた。
「で、乗ったはいいがどうするんだ。前に手合いはやっただろう」
「何、仮にも私の教官補佐として入るのだ。その補佐が学生達に舐められては、な。故の手合いだ」
「それはいい。というか、この状況で退けるか」
「それもそうだな」
横目で学生達を確認すると、歓声が鳴り止むには多少の猶予があった。
「で、何でもいいが武器は何を使えばいい」
「武器は先ほどまで学生達が使っていたものを使ってくれ。私も同様の武器を使おう」
「分かった」
キョウがアルビーに確認すると既に持っている槍を使うという。腰に掛けた剣についても聞いたが、騎士として持っておくものだ、と答えを濁された。それを聞いたキョウは何を思ったか、アルビーと同じ素槍を二振り手にした。
「よし、これにするか」
キョウが選んだ武器が思いも寄らない選択だったのか、アルビーから不安げな声で問われる。
「二、二槍か。だが、使えるのか」
しかし、キョウはそんな問いかけに対して、淡々と答えるのみ。
「生憎、武器に拘りは無くてね。ただ、お前相手には手数が欲しい、それだけだ」
次第にキョウの声が低くなり、刺すような視線をアルビーへ向ける。それに気付いた一部の学生は緊張からか、息を呑むようにアルビーとキョウを交互に見るだけだ。
その視線を受け、アルビーも顔が引き締まる。
「二槍だからって舐めてる内に負かせてやろう――そもそも、武器を選ぶ余裕はな、名を挙げてからやれってもんだ」
学生達にも聞こえるように張るような声で答えた後、両手に握った槍の具合を確かめるように何度か突き、払い、振り下ろしを試す。その様子を一部の学生達や様子を見に来ていた講師たちの目が点になる。武器に振り回される様子もなく、風を斬るような音を鳴らして素振りをする様子を見て、学生と様子を見に来ていた講師達の目が点になる。そんな様子を他所に準備を終えたキョウは、アルビーから距離を取った。
「そろそろいいか、時期に日も暮れる。さっさと済ませようか」
左右の槍を持つ手は柄の中心。左足を前へ、十字に交差させるように構えるそれは、二刀で戦う剣士を思わせる。そんなキョウを見て、アルビーは左半身をキョウへ向け、右手を柄の先端を握り、左手を柄の中心に添える。風の鳴る音だけが辺りに響き、観戦している学生達や講師の緊張感を煽る。
「そうだな、始めよう。行くぞ、その力、示すがいい」
気迫のこもった掛け声と共にアルビーが踏み込み、空を切るような刺突でキョウの腹部を穿たんとする。キョウは右肩を引きつつ、両手の槍で叩きつけることで刺突の威力を殺す。そのままアルビーの腕や胴を切り裂くように弧を二つ描く。しかし、その動きを見越していたのかその反撃はバックステップを取っていたアルビーへ届かない。
「ま、簡単に決まるはずないよな」
小さく呟き、アルビーとの間合いを測るように二歩、三歩と距離を置く。そうして、両者の動きが一瞬止まると、かかってこいと言わんばかりにアルビーが挑発する。
「二本使えば勝てると思っていたか」
「まさか。考えなく二槍なんてしねえ、よ!」
その挑発に乗る様にキョウは左に持った槍を突き出すものの、横に跳んだアルビーには掠りもしない。しかし、跳んだ先にもう一方の槍が突き出される、それを。
「フンッ!」
柄で受け止める、そしてキョウが槍を退かせる前にその柄を掴む。アルビーがキョウの様子を見ようとして、迫りくる何かに気付き、慌てて握っていた槍から手を放して後退する。と、殆ど同時にアルビーごと薙ぎ払うように槍が弧を描いた。
「何だ、しっかり見えているじゃないか」
惚けたように声を掛けるキョウに、ますますアルビーは顔を引き締める。
「全く、油断のならない男だ。左が囮かと思ったが、左の斬り払いが本命だったか」
「生憎と傭兵生活が長くてな。騎士とは違って変な技だけ磨きがかかるのが困った所だ」
そうして、互いに一つ大きく息を吐く。
「さて、続けるか」
「ああ、そうだな」
そこから先は見る者全てが息を呑む立ち合いだった。アルビーが攻めればキョウは二つの槍を駆使してその攻撃を抑えつつ、隙を見つけると一突きで攻守を反転させる。そして、キョウが攻めればアルビーは手数の多さに苦戦しながらも、素早くキョウの間合いから離れて不利な状況を立て直す。始めこそどちらが勝つかといった賭けを始めそうな周囲の観客だったが、直ぐに終わりそうで全く終わりが見えない立ち合いを目の当たりにし、次第に目を奪われていく。そんな二人の立ち合いが続く中、一人の老人がふらりと現れ、彼らに混じって観戦に混じる。そのことにアルビーが気付かないまま、二十を超える立ち合いを超えても尚、勝負を決める一突きを決めることが出来ずにいた。もう数えられない程の突きや斬り払いを繰り出すキョウの二槍から逃れつつ、風を斬るように放った反撃の一突きも、二槍の柄で防がれる。追撃するも、それを読んでいたキョウが先に二歩、三歩と距離を取るため、勝負を付けようにも一歩及ばない。そうして次第に表情が強張るアルビーを他所に、十二分に距離を取ったキョウから声が掛かる。
「どうする。ここまでにしとくか。随分と暗くなったが」
既に空が橙から藍の色へ色づく頃合いだった。しかし、闘志に火が付いたアルビーは、武器を構えるように促す。
「いや、まだだ。まだ互いの武器も十分に見えるだろうし、お前もまだまだ戦えるだろう」
「――まぁ、そうだが」
キョウはある一方を見て困ったように息を吐き出した後、再び槍を構える。
「とはいえ、始めてから結構時間も経っているからな。いい加減決めようか」
そう言いながら、キョウは再びアルビーの間合いへ踏み込んでいく。突き、払い、時には殴り付けるように二槍を扱い、アルビーへ迫る。しかし、アルビーは槍の柄を器用に扱い、何度か躱した先にキョウが繰り出した連撃を同時に受け切った。
しかし、そこから互いの槍が動かない。アルビーは槍の穂と柄でキョウの二槍を受け止めているものの、キョウを長く持って攻めている為に攻めに動くことが出来ない。対してキョウも、槍を長く持っているため、アルビーの槍を振り払うだけの力を出せないのだ。互いの槍の柄からミシリと嫌な音が鳴る。それを嫌ったキョウは、アルビーは、一瞬の隙を突いて片方の槍を弾き飛ばし、とばかりに鋭い突きを見舞う。これで勝負が決まった、と誰もが確信した。
だが、乾いた木の音と共に、アルビーの間合いから跳ねるように二歩三歩と退いたキョウと体を守るように柄を縦に構えるアルビーがいた。一瞬のことで理解が追い付かない周囲を他所に、キョウは弾き飛ばされた槍を拾う。
「決まったと思ったんだがな。流石に驚いた」
「それを言うのはこちらの方だ。今のが傭兵の技というものか」
「咄嗟に出ただけさ。で、どうする。腕試しならもういいと思うが」
「まさか、先日の立ち合いを忘れたのか、キョウ」
闘志に燃えるアルビーを見て、決着が着くまで終わらせることはないだろうと察したキョウは、呆れたように大きく息を吐き、と目を細めて再び槍を構える。
「仕方ない、時間も時間だ、そろそろ終わらせようか」
互いに向き合い、最後の立ち合いが行われた。結果として、アルビーに敗れたキョウだったが、アルビーと長時間戦えたという実績から学生や他の教官達にも認識されることになった。