俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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二十日目(土) π×スラッシュ=∞だった件

 どうしてこうなった。

 今の状況を一言で例えるなら、それが一番的確だろう。

 

「米倉先輩、お待たせしました!」

「何でまたその呼び方なんだ?」

「だって水無月さんのことに関しては、米倉君の方が先輩でしょ?」

 

 久し振りの後輩ごっこ……夢野みたいに優しい後輩は結局入ってこなかったな。

 まだ5月末にも拘らず、夏を思わせるほどの暑さになった休日の昼。乗車カードを持っていない少女は、切符を買うなり早足で戻ってきた。

 

「作らないのか?」

「電車はあんまり乗らないし、切符でもいいかなって思いまして」

「そうか」

 

 今日の夢野はスポッチの時と違い、以前黒谷南中の体育館前で会った時のような清楚な雰囲気。しかし俺は彼女を直視できず、あちらこちらへ視線を泳がせている。

 その理由は、夢野がたすき掛けにしている肩掛けカバン。ワンピースの生地に紐が食い込み胸の谷間が強調されている、俗に言うπスラッシュのせいだった。

 普段はあまり意識していなかったが、こうして見ると夢野の胸は結構大きい。コンビニの制服や学生服だとそうでもないのに、着痩せするタイプなんだろうか?

 

『女の子は視線に敏感だから、そういうのすぐわかるわよ』

 

 火水木の言葉がなかったら、間違いなくチラチラ見ていたと思う。しかし鶴の恩返しみたいな話だが、見ちゃいけないって言われると逆に気になって辛いんだよな。

 だって張りと形の良い胸がはっきりと浮かび出てるし、食い込んでるっていうよりも夢野の胸が紐を挟みこんでるって感じで…………うん、少し頭冷やそうか。

 

「暑いですね」

「もうすぐ夏だしな」

「米倉先輩はどの季節が好きですか?」

「んー、冬だな。暑いのはどうしようもないけど、寒いのは服着れば耐えられるし」

「冬生まれですもんね。春とか秋は駄目なんですか?」

「別に嫌いじゃないけど、雪を見るのが好きってのもあるからさ」

「あ、去年は水無月さん達と一緒に雪合戦したんですよね?」

「ああ。良く知ってるな」

「私もやりたかったなー」

 

 上目遣いでこちらを眺めてくる夢野。その仕草を可愛いと思う一方で、柔らかそうな胸を見ようと下へ動きたがる眼球を必死に留める。

 

「夢野はどの季節が好きなんだ?」

「私は春ですね」

「理由は?」

「桜が好きだからです」

 

 字面だけ見たらドキッとするが、発音を聞けば誤解せず木の方だとわかる。納得している俺を夢野がジーっと見つめる中、ホームに電車がやってきた。

 

「誕生日プレゼント、何がいいですかね?」

「そうだな……」

 

 電車に乗った後で、夢野が小声で囁くように尋ねる。気を紛れさせるには丁度良い難題であり、俺は少し考えてから答えを返した。

 

「阿久津が好きな物って言ったら、やっぱり動物のグッズとかじゃないか?」

「うーん……他には?」

「他か……」

 

 以前ならタオル等スポーツの必需品でも良かったが、今の彼女は陶芸部。そして陶芸の必需品と言われても俺は詳しくないし、基本的な道具は部室に揃っている。

 電車内ということで会話を控えつついくつか提案してみるも、結局パッとした答えは出ないまま俺達は目的地に到着した。

 

「とりあえず色々回ってみましょう」

「ああ」

 

 黒谷町民御用達の、電車で五駅先にあるショッピングモール。以前『彼女の名は』を見に来たり、姉貴や梅とクリスマスプレゼントを買ったりした場所でもある。

 

「ん、アクセサリーとかどうだ?」

「行ってみます?」

 

 真っ先に目に入ったショップへ向かうと、夢野と一緒に店内を回る。ブレスレットにイヤリング、指輪なんてのもあったが、ネックレスの前で足を止めた。

 

「…………何つーか、つけてるイメージが全然沸かないな」

「どれですか?」

「いや、別にこれってのはないんだけど……」

 

 並んでいる中で一番安い一品を手に取ると、貸してくださいと言って実際につける夢野……が、慣れていないのか手を首の後ろに回したまま苦戦しているようだった。

 

「米倉先輩、つけて貰えませんか?」

「え?」

 

 言うが早いか、夢野はくるりと背を向ける。こんな間近で後ろ姿を見る機会は滅多になく、艶めかしいうなじを見て思わず唾を飲み込んだ。

 ドキドキしつつネックレスの端を受け取ると、壊さないよう丁寧に扱う。

 

「ふう……よし、ついたぞ」

「ありがとうございます。どうですか?」

 

 振り返った少女は、ポーズをとりつつ俺に尋ねてきた。

 ネックレスというアクセサリの関係上、必然的に強調されている胸の辺りへ視線が釘付けになるが、これは流石に仕方ないと思いたい。

 

「うん、普通に似合ってるな」

「普通に?」

「あ、いや……」

「ふーつーうー?」

 

 余計な三文字に反応した夢野は、わざとらしく聞き返してくる。前にもこんなことがあった気がするが、少しして少女はクスリと笑いだした。

 嬉しそうに笑う夢野を見て、俺もつられて笑ってしまう。やがて鏡をまじまじと眺めた少女は、充分に満足したのか再び背を向けた。

 

「お願いします」

「おう」 

 

 意を汲み取った俺は首筋へ手を伸ばす。

 ところがネックレスを手に取る際、柔らかい肌に触れてしまった。

 

「ひゃん!」

「あっ! わ、悪いっ!」

「もう、くすぐったいですよ」

 

 可愛い声に動揺しつつも何とかネックレスを外す。ふと思ったがこれって付けるのは大変だけど、外すのは割と簡単だし自分でもできたんじゃないだろうか。

 

「プレゼントにしてはちょっと大人っぽいけど、結構良いかもな」

「うーん……」

 

 ネックがネックレスなんてくだらない洒落を考えていた俺をよそに、夢野は戻したネックレスを眺めつつ悩んだ表情を浮かべる。

 

「ん? いまいちか?」

「有りだとは思うんですけど、つける機会が中々ないかなって」

「あー、確かにそうかもな」

 

 夢野がつけているようなヘアピンならまだしも、こういう装飾品は間違いなく校則に引っ掛かるだろう。現に以前火水木が冬雪から手作りの勾玉ネックレスをプレゼントされていたが、身に付けていたのはネズミースカイの時くらいだ。

 

「他にも色々回ってみるか」

「はい」

 

 相変わらず後輩ごっこを続ける少女と、ショッピングモール内を並んで歩く。何だか夢野の方がプレゼント慣れしている感じだし、俺って必要なんだろうか。

 

「そこのカップルさん!」

 

 そんなことを考えつつボーっと歩いていると、横から声がした。

 振り向いてみれば、そこにいたのはエプロン姿の男。真っ先に陶芸を想起してしまったが、どうやらすぐ傍にあるカフェの店員みたいだ。

 

「今ならカップル割引中ですが、如何ですか?」

「…………?」

「いやいや、貴方ですよ貴方」

「え……あ……いや、大丈夫です」

 

 周囲を見回してみたが誰もおらず、呼ばれたのが自分達だったと理解する。別にまだ休憩するほど疲れてもいないので、軽く断った後でそそくさと去っていった。

 

「ねえねえ米倉君、聞いた?」

「ああ。割引中だって言ってけど、寄りたかったか?」

「そうじゃなくて、そこのカップルさんだって!」

「あー、まあ俺達くらいの男女が並んで歩いてたら、そんな風に間違えられても仕方ないんじゃないか? 前に姉貴と来た時も似たようなことあったし」

 

 夢野の発言が純粋な喜びによる「聞いた?」なのか、はたまた「笑っちゃうよね」といった感じの冗談めいたものなのか……ちゃんとそこまで警戒しておかないとな。

 男としては夢野みたいな可愛い子を彼女と勘違いされるのは嬉しいことこの上ないが、女子的にはどうなのかわからないため適当に言葉を濁しつつ答えておいた。

 

「………………えいっ!」

 

 少しして、可愛い声と共にいきなり腕が引っ張られる。

 何かと思えば、夢野が俺へ抱きつくように自分の腕を絡めてきた。

 

「お、おいっ?」

 

 ギュッと密着したことで、柔らかい膨らみの感触が肘に当たる。

 高鳴る心臓に巡る血液。

 冷静になれ米倉櫻、こんな時は円周率を数えて落ち着こう……3.14159265358979323846264338327950――『ぷにゅ』――π! おっぱい!

 

「米倉君は嬉しくないの?」

「え? い、いや、そりゃ嬉しいけど……」

「けーどー?」

 

 嬉しいけど、葵の気持ちを考えると素直には喜べない。

 そんなことを言えるわけもなく言葉に詰まっていると、少女は俺の腕を解放する。ただ今度は先程と異なり、夢野にしては珍しく頬を膨らませていた。

 

「もう、そんなだから米倉君は女心がわかってないって言われちゃうんだよ?」

「ちょっと待て。誰が言ってたんだ?」

「水無月さんも梅ちゃんもミズキも、皆言ってたけど?」

 

 …………梅はともかくとして、阿久津と火水木までも言ってたのかよ。

 気付けば後輩モードから普段通りに戻った少女からお説教されつつも、俺達は目についた店に入っては良さそうな物を次々とピックアップしていくのだった。


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