俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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四日目(土) 俺の姉が優しい眼鏡だった件

「………………あ」

「お疲れ様でぃす」

「惜しかったね」

「ミナちゃん……セーカ先輩……それに蕾さんも……何で?」

「俺はスルーかよ」

「ここにいれば会えるんじゃないかって、水無月さんが」

 

 試合後、トイレ前で待っていた俺達の元へ梅が姿を現した。

 いつもの陽気な雰囲気とは真逆で、見るからに落ち込んでいる少女は強がって笑う。

 

「えへへ……負けちった」

「それでも、ほんのちょっと差でぃす」

 そう、本当に後少しのところだった。

 

 

 

 

 

『いっけ~~~~っ!』

 梅が投げたボールは、緩い曲線を描いてゴールへと向かう。

 コースは悪くない。

 ボールはバックボードに勢いよく衝突すると、そのままリングに当たった。

 

 ――――ガゴンッ――――

 

 しかしボールは大きな音と共に弾かれ、高く舞い上がる。

 現実はそう甘くない。

 ドラマみたいな逆転劇が起こる訳もなく、そのまま地面に落ちると何度もバウンドした。

『ピーッ!』

 そして鳴り響く笛の音。

 それは黒谷南中の敗北を意味していた。

 

 

 

 

 

「ボクや星華君も戦ってきた相手だけれど、梅君達が一番良い試合をしていたね」

「梅ちゃん、凄く恰好良かったよ!」

「うん……」

「梅ちゃん……」

 

 掛ける言葉が見つからない。

 いつになく落ち込んでいる妹を黙って見ていると、早乙女に肘で小突かれた。

 

(兄なら兄らしく、何か元気の出る言葉くらい言ってやったらどうでぃすか)

(んなこと言われても、今はそっとしてやるべきだろ)

(本当に役に立たないでぃすね)

 

 そんな魔法の言葉があるなら、俺が教えてほしいくらいだ。

 尊敬している先輩かつ、今の境遇を理解している阿久津の言葉でさえ届かないとなると、例え俺が慰めたところで効果0どころかマイナスになりかねないのは目に見えている。

 仮に今の梅に元気を与えられる人間がいるとしたら、それは俺の知る限り一人しかいない。

 

「あら? あらあら~?」

「っ?」

 

 空耳かと思い、聞き慣れた声に慌てて振り返る。

 そこにいたのはスタイルの良いショートウェーブの女性。黙っていればそこそこ美人な、今日は伊達眼鏡を掛けている姉貴、米倉桃(よねくらもも)だった。

 

「やっぱり~。ジェアグゥィチトロノーナ~」

「何語だよっ?」

「桃さん! お久し振りです」

「久し振りね~。蕾ちゃん。元気してた~?」

「誰でぃすか?」

「梅君のお姉さんだよ」

「水無月ちゃんは春休み以来かしら。そちらは御友達?」

「初めまして。早乙女星華でぃす」

「あらあらご丁寧にどうも。いつも梅がお世話になってます」

 

 姉というよりは親のように礼儀正しく頭を下げる姉貴。チラリと梅の方を見れば完全に状況が理解できていないのか、ポカーンと口を開けて間抜けな表情を浮かべていた。

 

「皆、梅の応援に来てくれたのね~。こちらの男性の方も御友達かしら?」

「アンタの弟だっ!」

「ん~? あらあら、櫻だったの。眼鏡掛けてるから分からなかったわ~」

「眼鏡関係ないだろっ?」

「はいはい。これ貸してあげるから~」

 

 どういう訳か外した眼鏡を俺に渡す姉貴。もうマジで意味わかんねーなこの人。

 そんな姉を前に呆然としていた梅は、合わせる顔がないのか目が合うなり黙って俯いた。

 

「う~ん。頑張って走ったんだけど、間に合わなかったか~」

「…………」

「ごめんね梅~。桃姉さん、頑張って風速ダッシュしたんだけど…………梅?」

「…………負けちゃった」

「こらこら。可愛い顔が台無しだぞ~?」

 

 姉貴は梅に歩み寄ると、優しく頭を撫でる。

 徐々に感情が込み上げてきたのか、梅の目元が潤み始めた。

 

「そっか。負けちゃったか」

「うん……」

「よしよし。一年間、部長さんとして大変よく頑張りました」

「ん…………」

 

 姉貴が優しく梅を抱き寄せる。

 そして赤子を寝かすようにトン、トンと一定のリズムで背中を軽く叩いた。

 

「うんうん。悔しかったか。でも悔しいっていうのは大事なことなのよ。桃姉さんが一緒にいてあげるから、今は思いっきり悔しがりなさい」

 

 姉貴の胸に抱かれながら、梅が鼻をすすり泣き始める。

 あと一歩で勝てなかった悔しさ。

 試合に出られなかった仲間の分も活躍できなかった後悔。

 抱えていたものを全て捨て、部長という責任から解放された妹はわんわんと泣いていた。

 そんな光景を眺めていると、阿久津と夢野が静かに呟く。

 

「ボク達は失礼しようか」

「うん。そうだね」

 

 梅の頭を撫でつつ顔を上げた姉貴が、後は任せてという意味なのかこちらをチラリと見るなりウィンクする。時々両目を瞑っているが、そこはまあ目を瞑ろう。

 眼鏡を姉貴の頭へ乗せるように返してから、俺達は二人を残し総合体育館を後にした。

 

 

 

 

 

「薄情な根暗先輩とは違って、優しいお姉様でぃすね」

「悪かったな」

「今の梅君にとっては、これ以上ない特効薬だろうね」

「ああいうお姉さん、私も欲しかったな」

「いや、実際いたら割と面倒だぞ?」

「根暗先輩の方が面倒じゃないでぃすか?」

 

 お前が一番面倒だよと言ってやりたいが、ここは黙って大人な対応。うなぎのぼりな姉貴株は正直過大評価だと思うが、まあ実際いざとなったら頼れるのは事実か。

 

『ヴヴヴヴヴ……ヴヴヴヴヴ』

 

「ん?」

「もしかして桃さんから?」

「ああ……もしもし?」

『ちょっと櫻~? 何で先に行っちゃったの~? あれから大変だったのよ~?』

「大変って、梅に何かあったのか?」

『梅? 梅なら元気一杯で戻っていったけど?』

「は? じゃあ何だってんだ?」

『大変だったのは桃姉さんの膀胱よ~。あの時、物凄くお手洗いに行きたかったから変わって~ってアイコンタクトしたのに、無視したでしょ~?』

「そういう意味だったのかよっ?」

『まあ櫻も水無月ちゃんと蕾ちゃんとのWデートで幸せそうだったから許して――――』

 

 ――ピッ――

 

「どうかしたの?」

「いや、何でもない。梅なら大丈夫だとさ」

「流石はお姉様でぃす」

 

 …………本当、流石としか言いようがないな。

 

「それじゃあ、ボク達はここで失礼するよ」

「お疲れ様でぃす」

「それじゃまた、水曜日に!」

 

 熱い試合を見て身体を動かしたくなったらしい二人は、このクソ暑い中バスケをやるとのことなのでここで解散。残された俺は夢野と共に顔を見合わせる。

 

「櫻君、お昼は?」

「別に考えてなかったけど……夢野は?」

「私も。良かったら涼みがてら、どこかで軽く食べない?」

「いいな。どこにする?」

 

 歩きながら話し合った結果、行き先はファーストフード店に決定。こんなことなら宿題も持ってくればよかったなんて夢野と語りつつ、俺はふと先程のことを思い出して無意識に溜息を吐いた。

 

「はあ……」

「どうしたの米倉君?」

「ん? いや、俺って兄らしいこと何もしてないなって思ってさ」

「米倉君自身が気付いてないだけで、私はそんなことないと思うよ?」

「そうだと良いんだけどな」

「それに姉妹と兄妹は違うから…………? ごめん、ちょっと待ってて」

「?」

「もしもし? はい……はい……えっ?」

 

 おもむろに携帯を取り出した夢野が、誰かと話し始める。

 特に気にも留めずボーっとしていると、通話を切った後で少女は両手を合わせた。

 

「ごめん米倉君! ちょっと急用ができちゃったから、私先に帰るね」

「ん? おお」

「本当にごめんね」

「気にすんなって」

 

 あの慌てよう……緊急でバイトでも入ったんだろうか?

 去っていく夢野の後ろ姿を見届けながら、俺はそんな呑気なことを考えつつ帰路に着くのだった。


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