俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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四日目(金) ハーレムは幻想だった件

「……掛け方は大体こんな感じ。釉薬はすぐに沈殿するから、掛ける前によく混ぜて。それと掛け終わった後は、底の釉薬を必ずスポンジで拭き取ること」

「拭かないとどうなるんスか?」

「……窯にくっついたままになる」

 

 一年近く前に俺がしたようなやり取りを聞いて、思わず笑みを浮かべた。

 ここ数日の地獄のような暑さに比べれば少しマシな午後一時過ぎ。窯場に集まった部員達に向けて我らが陶芸部部長、冬雪音穏(ふゆきねおん)が釉薬の掛け方を説明する。

 俺と阿久津以外の四人にとって釉掛けは初めての経験であり、教える相手が沢山いることが嬉しいのか普段は無表情な冬雪も今日はいつになく楽しそうだ。

 

「……注意点は……これくらい?」

「強いて言うなら、うっかり携帯を釉薬に落とさないようにすることかな」

「またまたー、そんなアホみたいなことする訳ないじゃないッスかー」

 

 俺の心にグサリと刺さる答えを返したのは、茶髪の坊主という異様な外見の後輩、鉄透(くろがねとおる)。アホみたいなことばかり言うコイツにアホと言われるのは屈辱でしかない。

 

「そんなことやるのは根暗先輩くらいでぃすね」

「何で知ってるんだよっ?」

「…………? まさか、本当に落としたんでぃすか?」

「え? あれ? 知らなかったのか?」

「人がせっかく伏せていたのに、自ら墓穴を掘ってどうするんだい?」

 

 てっきり阿久津から聞いたのかと思いきや、まさかのカマかけ……いや、窯場での釉薬掛けだけに略して窯掛けとでも言うべきだろうか。

 やれやれと呆れて溜息を吐く幼馴染の隣で、デコ出しツインテールのまな板少女、早乙女星華(さおとめせいか)が真似をする。コイツがやるとムカつくのは何故だろう。

 

「ユメノン、眠そうだけど大丈夫?」

「え? あ、うん。大丈夫大丈夫」

 

 透き通るような澄んだ声で大丈夫と答えながらも、前髪を桜の花びらを象ったヘアピンで留めているショートポニーテールの少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)は目を擦る。

 手を口に当てつつ欠伸する姿を見て、思わずつられて欠伸をしそうになっていると、常時眠そうな半目の部長が思い出したように手をポンと叩いた。

 

「……今回は酸化じゃなくて還元だから、色見本はこっち」

「了解だ」

「酸化とか還元って、何の話ッスか?」

「……陶器の焼き方は二種類ある。酸化焼成と還元焼成で、釉薬の色も変わる」

 

 酸素が充分な状態で焼けば当然ながら完全燃焼するため酸化焼成。それに対して意図的に不完全燃焼状態を起こして焼くことを還元焼成と言う。

 例えば酸化焼成をした際に水色になったトルコ青の釉薬は、還元焼成だとやや濃い青色へ。綺麗な深緑色だった織部に至っては、全く異なる赤茶色になったりする。

 

「合宿の美術館でも説明されてただろ? 聞いてなかったのか?」

「言ってましたっけ? あれだったら覚えてるッスよ! ほら、窯の温度を調べるやつで、ふにゃって折れ曲がる三本の…………とんがりコーンみたいなやつ!」

「忘れてんじゃねーか」

「それを言うならゼーゲルコーンでぃす」

 

 形的には間違っていないが、カラーコーンしかり○○コーンってのは大体が錐体だからな。ちなみに早乙女が訂正したゼーゲルコーンというのは、一種の温度測定器具だ。

 例えば1200度で焼成したい場合は、1180度で折れ曲がる物、1200度で折れ曲がる物、1230度で折れ曲がる物を用意。温度を上げていき一本目が曲がり、二本目が曲がった状態で温度を維持すれば1200度で焼成できる。

 

「全く、何のための合宿でぃすか」

「そりゃ勿論、肝試しとかバーベキューとか花火とか! 来年は海なんてどうッスかっ?」

「……行かない」

「そんなこと言わずに行きましょうよっ! 今年は海もプール行かなかったから、先輩達の水着姿とか拝めなかったじゃないッスか! ね? ミズキ先輩」

「水着はアタシもパス」

「何でッスかっ?」

「確かに水着回は定番中の定番イベントだけど、女子だけで行くならともかく男付きは流石にちょっとね。その手の類だと、せいぜい浴衣でお祭りが限界ってとこじゃない?」

「じゃあ祭り行きましょうよ!」

「今年は日程が合わなかったし、合宿で充分青春したからいいじゃない」

「足りないッス! オレの肝試しなんて、こんなのと追いかけっこッスよ?」

「誰がこんなのでぃすか!」

 

 ギャーギャーと喚き合う後輩二人。コイツら、何だかんだで仲良いよな。

 火水木の当初の計画としては皆で夏祭りというのも入っており、俺も予定を聞かれてはいたものの、夢野の都合が合わなくなったため結局廃案になっていた。

 

「……説明、続けていい?」

「あ、すいませんでぃした」

「……どうしても酸化焼成したい作品がある場合は、電気窯の方で焼くから言って」

「了解ッス! 今日のユッキー先輩、何か部長っぽいッスね」

「逆に今までは何だと思っていたんだい?」

「そりゃ勿論、マスコット的な!」

「……違う」

 

 ムッとして表情を見せる冬雪だが、そんな姿もマスコットっぽい可愛さがある。

 一通り説明も終わった後で各々が作業開始。沈殿している釉薬を適度にかき混ぜた後で、作り上げた湯呑や皿を手にして釉薬へと浸していった。

 

「しかし櫻も鉄君も、ボク達に合わせて昼にやらなくても夕方からで良かっただろうに。そんな調子で夜の窯番は大丈夫なのかい?」

「ああ。後で仮眠を取るつもりだ」

「オレは夜型なんで大丈夫ッス。それにこういうのは全員でやりたいじゃないッスか」

「前に同じようなことを言っておきながら午前二時を過ぎた辺りから寝惚けたことを言い始めて、最終的に力尽きた先輩がそこにいるけれどね」

「全くだ。なあ冬雪」

「……私じゃない」

「ネック先輩、ツッキー先輩と窯番したことあるんスかっ?」

「冬雪も入れて三人でだけどな」

 

 早乙女からジーッと睨まられたため、早々に否定しておいた。寝惚けていたとはいえ阿久津に膝枕をしてもらったなんて知られたら、帰り道に背中を刺されかねないな。

 以前から楽しみにしていた学校に泊まりがけの窯番だが、先日の合宿での無断外出の一件もあったため今年は原則通り男子のみ。つまり俺とテツが学校に残ることになった。

 陶芸に疎い二人で大丈夫かと不安になったのは意外にも俺だけ。冬雪も阿久津も心配だなんて声をあげることなく、経験者がいるなら問題ないとあっさり答えている。

 

「超羨ましいじゃないッスかっ! 何で今回はオレとネック先輩の二人なんスかっ?」

「元々が男子だけでやる決まりだったからね。男手のいなかった前回が例外なだけだよ」

「いいなーいいなー。そうだ! ネック先輩、一時的に陶芸部辞めてもらえません?」

「どんだけ自己中な理由だよっ? 仮に再来年になっても男が入ってこなかったら、テツだって早乙女と窯番することになるんじゃないか?」

「あ、それはいいッス」

「こっちだって断固お断りでぃす!」

「まあ来年以降がどうなるかはわからないけれど、そういう可能性を考えても後輩である鉄君には窯番の経験をしておいてもらいたいところかな」

「了解ッス。でも泊まりがけって、先輩達は三人で一晩ナニやってたんスかー?」

「「「……勉強?」」」

「またまたー。そんなこと言って、本当は色々やってたんじゃないんスか?」

「「「……陶芸?」」」

「それ以外にやることないんスかっ!?」

 

 そんなこと言われても、他にやったことなんて卓球くらいしか思い浮かばない。

 脳内ピンクなコイツのことを考えると、恐らくは別の解答を期待していたんだろうか。未だにハーレムがあると信じて疑わない後輩に、俺は大きく溜息を吐いた。


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