俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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元旦(土) ラッキースケベが急停車だった件

「ねーねーみなちゃん。さくら。ておしずもうやろー」

「構わないよ」

「手押し相撲?」

「これのことだよ」

 

 そう言うなり阿久津は、パントマイムでもするかの如く両手の掌をこちらに向ける。そのジェスチャーを見た俺は、何だそれのことかと理解した。

 要するに手押し相撲というのは一種のバランス崩しゲーム。お互いの掌を押し合って相手の体勢を崩し、先に足が動いてしまった方の負けというアレのことらしい。

 重要なのは押すと見せかけて手を引くフェイントで、これを上手く使えば単純な力が弱くても相手の攻撃を空振りさせてバランスを崩させることができたりする。

 

「じゃあまずはぼくとみなちゃんね!」

 

 この身長差で一体どうやって勝負するつもりかと思いきや、阿久津は砂場の砂を平らにならした後でハル君と向き合うなり視線を合わせるようにしゃがみこむ。そして僅かに踵を浮かせると、それこそ相撲の立会みたいに不安定な姿勢を自ら取った。

 

「よーい、どん!」

 

 マイペースにスタートの合図をしたハル君が怒涛の突っ張り攻撃を放つ。最初は軽く受け流していた阿久津だが、反撃の隙を与えない連続攻撃が止まる気配はない。

 演技なのか本気なのか、少しして押され続けていた阿久津がバランスを崩す。そのままゆっくりと後退する身体を持ち直すことができず、少女は構えていた両手を後ろに突いた。

 

「ぼくのかちー」

「ハル君は強いね。ボクの負けだよ」

「えへへ。つぎはさくらね!」

「おう」

 

 先程の阿久津を真似するように、ハル君と向き合うなり踵を浮かせてしゃがみこむ。思っていた以上にアンバランスな姿勢のため、変に手加減をする必要もなさそうだ。

 既に勝利を確信しているのか、ウキウキなハル君が差し出してきた手を見ると俺の掌の半分ほどしかなく、クリームパンみたいに丸っこくて瑞々しい手だった。

 

「よーい、どん!」

 

 まるでハイタッチでも交わすかのように、阿久津の時と変わらず連続攻撃を仕掛けようとしてくるハル君。それを見越していた俺は手が重なった瞬間にカウンターの要領で力を込めると、小さく柔らかいプニプニした掌を一気に押し返した。

 作用反作用の法則で反動を受けてよろけたハル君は、後退し足を動かしてしまう。

 

「にんにん!」

「あれ? 今ハル君、動かなかったか?」

「うごいてない!」

「審判」

「問題ないよ。続行だね」

「八百長じゃねーか」

 

 例え仕切り直しになろうと、俺はわざと負けるつもりなど毛頭ない。世の中そんなに都合良くいかず、手押し相撲界の厳しさを教えるというのもまた大人の役目だ。

 再び配置につくと試合開始。しかしながらワンパターンの攻撃は至って読みやすく、今度はやや強めに放ったカウンターによる一撃必殺でハル君は完全に敗北を喫した。

 

「はっはっは。どうだ? 櫻お兄さんは強いだろ?」

「全く、キミって奴はどうしてそうなんだい?」

「いやいや、甘やかしすぎるのは良くないだろ。世の中は厳しいんだし、ちゃんと超えるべき壁を作ってやらないとな」

「つぎはさくらとみなちゃんやって!」

「ん?」

「え?」

 

 てっきりトーナメント方式かと思いきや、まさかの総当たり戦だった模様。唐突なハル君の発言に対して、俺と阿久津はお互いに顔を見合わせた。

 

「ふむ。ハル君の敵討ちをするのも悪くないね」

「ほう? 俺に勝てるかな?」

 

 俺達は互いに向き合うなり両手を前に出して構える。先程のようにしゃがんでの勝負ではなく、本来の手押し相撲のスタイルである立ちながらの勝負だ。

 

「みなちゃんがんばれー」

「いつでもいいぞ」

「それじゃあ始めようか。ハル君、スタートの合図をお願いできるかい?」

「よーい、どん!」

 

 試合開始直前に一方だけ応援をするという不平等な審判の言葉を合図に、阿久津が素早く両手を押し出してくる。相手がどの程度の力を込めているのかを見抜くため、あえて受け流しの体勢を取ると重なった掌同士がバチンと音を立てた。

 間髪入れずに放たれた追撃が迫ってくるが、今度は手を左右に逃がしてひらりとかわす。やや前傾姿勢になった少女の掌へカウンターを仕掛けるが、阿久津は先程の俺同様に掌を後方へ引かせることで攻撃を受け流した。

 どうやらコイツの力の込め具合は大体七割ほど。俺のカウンターに負けない力加減かつ、仮に攻撃を空かしたところでバランスを崩して自爆しないギリギリの強さを保っている。

 互いに牽制の応酬ばかりで、致命打には中々繋がらない膠着状態が続いた。

 

「中々やるね」

「そっちもな」

 

 実はこの手押し相撲、アキトの奴が無駄に得意だったりする。前にクラスの男子連中で勝負した際には無双していた訳だが、後になって話を聞いたところちょっとしたコツがあるようで、しっかり伝授させてもらった。

 まず一つ目は真っ直ぐに立つのではなく、微妙に内股になっておく。こうすることで正面から受けた力を真後ろだけでなく斜めに分散させることができ、足の親指にも重心がかかりやすく安定した状態を維持できるらしい。

 そしてもう一つは相手を押す際にも真っ直ぐ押さずに、下から上へ押し上げるようにする。これによって腕の力だけじゃなく、足腰を使うためより大きな力で押すことができるとのことだ。

 

「ふんっ!」

「!」

 

 そして千載一遇のチャンスは訪れた。

 俺が両手を押し上げると、阿久津はカウンターを仕掛けようとしていたのか掌に重い感触が伝わる。しかし内股気味の俺が体勢を崩すことはなく、相殺した力も僅かにこちらが勝っており阿久津の上半身は大きく後退した。

 必死に体勢を戻そうとする少女へ、俺はトドメの一撃を加えるべく両手を伸ばす。

 

「もらった!」

 

 …………が、あまりにも勝ちを焦り過ぎた俺は力を込め過ぎていた。

 それこそ半分ほどの力で押すだけでも充分に阿久津を倒すことはできた筈なのに、あろうことか全力で押してしまった俺の一撃は瀕死の少女に回避されてしまう。

 

「うぉっ?」

 

 勢い余った俺は大きく腰を曲げて前傾姿勢に。普通なら衝突を避けるため斜め前に一歩踏み出すところだが、ここで思わぬハプニングが発生した。

 このアキト直伝の内股作戦、後方への耐久力は飛躍的に上昇するものの、前方へバランスを崩した場合は外側へ足を踏み出しにくい。ちゃんと慣れていれば緊急時の対応もできるのかもしれないが、俺が実践で使ったのはまだ片手で数える程度だ。

 

「――――っ!」

 

 そんな致命的な弱点に気付いていなかった上、勝利を確信して完全に油断していたこと。更には前傾姿勢になった際、ニットの服を緩やかに膨らませている阿久津の胸が目の前に迫り動揺してしまったのも良くなかったと思う。

 結果として足をもつれさせた俺は、後方へ大きくバランスを崩していた阿久津を巻き込み、覆いかぶさるようにして思いきり倒れ込んでしまった。

 

『ふにゅ』

 

「!」

 

 …………おかしいな。デジャブなのか、前にもこんなことがあった気がするぞ。

 顔を埋めた鼻先に伝わる柔らかい感触。季節が冬ということもあって服の生地は厚いが、そのソフトな質感は明らかに衣服によるものではなかった。

 過去に同じような経験をしているからこそ、脳はパニックにならず冷静に分析する。

 

「んっ……ううん……」

 

 恍惚としていたのも束の間、頭上から聞こえてきた少女の声を耳にして我に返った。

 足元が校庭の地面に比べれば柔らかい砂場であり衝撃は少なかったとはいえ、仰向けに倒れたとなればどこか打っているかもしれない。

 禁断の領域への名残惜しさを感じつつも、ゆっくりと身体を起こす。

 

「悪い…………大丈夫か……?」

 

 数センチ頭を上げたところで、今の状況を再確認。やはり数秒前まで顔を埋めていた位置は少女の慎ましい……いや、一年前よりは僅かに成長した気もする胸だった。

 倒れていた阿久津は後頭部や背中を強打した訳でもなく、意識はしっかり保っており呼吸もしている。それを見た俺は、ホッと胸を撫で下ろし安堵の息を吐いた。

 以前はスケベの烙印が押されたり気まずい空気が尾を引かないかと危惧していたが、阿久津がこうした事故に対しては気にすることもなく許してくれるとわかっている今ではそんな不安もない。

 どうせ今回もケロっとしながら「今のは勝敗がわからなかったから、もう一度やろうか」とかなんとか言い出すんだろう。そう思いつつ、俺は何事もなかったかの如く平気そうな顔を浮かべているであろう阿久津に手を差し伸べ――――?

 

「……………………」

「あ、阿久津? 大丈夫か? どこか怪我したのか?」

 

 俺が予想していたクールな少女は、そこにはいなかった。

 上半身を起こした阿久津は、俺の手を握り返すことなく黙ってこちらを見ている。その目はジトーっとした感じで、明らかに何かを言いたげな様子だ。

 

「ど、どうしたんだよ?」

「だからあくつじゃなくてみなちゃんだってば!」

「お、おう……そうだったな」

「みなちゃん、どこかいたいの? ぼくがいたいのいたいのとんでけしてあげよっか?」

「ありがとう。大丈夫だよ」

 

 俺の呼びかけはスル―しておきながら、ハル君に対しては応える阿久津。僅かに頬を膨らませている少女は、明らかに先程の事故を意識しているようだった。

 いやいや、前に同じようなことがあった時は全然気にしないで「問題ない。次はボクの攻撃だね」とか言ってたじゃん。そんな目で俺を見ることとか無かったじゃん。

 

「よかった。じゃあみなちゃんのかちー」

「えっ? 今の阿久……じゃなくて、ミナちゃんの勝ちなのかっ?」

「うん!」

「…………キミの反則負けだよ」

「えっ? 反則って……あ、あの、阿久津さん? 怒ってます?」

「さあね」

 

 ボソッと小さな声で呟く阿久津。ハル君による訂正が再三に渡り行われるが、幼馴染の予想外な反応に驚いている俺はそれどころではない。

 

「あく……じゃなかった。ミナちゃん? おーい、ミナちゃーん?」

 

 先程ミナちゃん呼びした時の反応といい、今日は妙に普段らしくない一面を見せる少女は、ゆっくり立ち上がると服や髪についた砂を軽く払う。

 俺は正面に回り込んで顔色を窺うが、ぷいっとそっぽを向かれる始末。その後も何度も回り込んでみたものの、阿久津は暫くの間こちらと顔を合わせてはくれなかった。


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