俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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元旦(木) 夏祭りのクラクラがヒーローだった件

 黒谷祭りは、町の割にそこそこ規模の大きい夏祭りだ。

 道端には屋台が山ほど並び、山車は出ないが神輿は担がれる。組まれたやぐらの上では遠くまで響き渡るお囃子が披露され、夜になると花火大会も行われていた。

 話は遡ること、小学三年生の夏休み。

 有り余る休日が既に半分ほど過ぎているにも拘わらず、ワークも自由研究も歯磨きカレンダーも何一つ手を付けていない少年は、呑気に黒谷祭りを満喫していた。

 

『そういえば米倉君、お祭りには家族で来てたの?』

『いや、友達とだったな。確か屋台を見て回ってたら、いつの間にかはぐれてた気がする』

 

 確かあの日は親からお小遣いを貰って、ウッキウキだったっけ。

 だからこそ四方八方に目移りしていた結果、少年は運命的な出会いを果たす。それこそ例えるなら一昔前の定番でもあった、食パンを咥えた転校生とぶつかるような展開だった。

 

「わっ?」

「――――っ!」

 

 屋台の陰から突然現れた女の子との衝突。のんびり歩いていた少年の胸に、猪の如く突撃してきた少女の頭がぶつかり、そのまま尻もちをついてしまう。

 

『女の子に対して猪は酷くない?』

『じゃあ猛牛か?』

『もう!』

 

 倒れた少年が顔を上げると、そこにいたのは短いツインテールの少女。色鮮やかなリボンで髪を留めており、お祭りらしく華やかな桃色の浴衣を着ていた。

 

『どちらかというと、ツーサイドアップだけどね』

『何が違うんだ?』

『結ぶ場所。頭の上の方で束ねてるでしょ?』

 

 ツーサイドアップの少女は、浴衣の袖で目元をごしごしと擦る。もしも顔を上げるのがもう少し遅かったら、彼女の目元が潤んでいたのを見逃していただろう。

 

「ご……ごめんなさい」

「ううん、大丈夫!」

 

 深々と頭を下げる少女に対して、問題なしとばかりに元気よくジャンプする少年。立ちあがってみれば身長は同じくらいで、丁度目線の高さが一致していた。

 

「っ!」

 

 目が合うなり、少女が驚いた表情を浮かべる。

 若干不思議に思いつつも、少年は涙の理由の方が気になっていた。

 

「そっちこそ平気? 泣いてたみたいだけど、どこか痛いの?」

「…………え……? う、ううん、大丈夫っ!」

 

 見られていたことが恥ずかしかったのか、少女は赤面しつつ再び目を擦る。

 そんな様子を見ていた少年は、見覚えがあることに気付き顔をまじまじと覗き込んだ。

 

「あれ? あれれ? ひょっとして……」

「わ、私のこと……覚えてる……?」

「やっぱり! うん、覚えてるよ! 久し振りだね!」

 

 今思えば、既にこの時点で二人はすれ違っていた。少年の認識はそろばんの子という記憶のみであることに対し、少女は幼稚園の思い出を含めて尋ねていたのだろう。

 遥か昔に交わした恋の約束は、忘れ去られたまま話は進んだ。

 

「うん! 久し振り!」

 

 悲しみから驚きに変わった表情が、今度は喜びへと変化する。

 何年経とうと心に残り続ける様な、とびきりの笑顔だった。

 

「クラクラ、一人で来たの?」

「違うよ! 皆が勝手にどこか行っちゃったから、探してるところ!」

『…………って言ってたけど?』

『…………記憶にございません』

 

 はぐれたのは自分なのに、よくもまあ偉そうに言えたもんだ。

 

「じゃあ私も手伝ってあげる!」

「本当っ?」

「うんっ! だってクラクラは「蕾っ!」――っ?」

 

 背後から聞こえた名前を呼ぶ声に対し、少女はビクッと身を震わせると慌てて振り返る。

 そこには息を切らしながらも、必死に探していた娘を見つけ安堵している母親がいた。

 

「ちょっと目を離した隙にいなくなって……心配したのよ……? あら、お友達?」

「うん! クラクラだよ!」

「初めまして! こんばんは!」

「はい、こんばんは。蕾と仲良くしてくれてありがとうね」

「ねえお母さん! 私、クラクラと一緒にお祭り回ってもいい?」

「えっ?」

「クラクラ、お友達探してるみたいだから手伝ってあげるの!」

 

 少女の母親は、どういう訳か娘の発言に驚いている。

 しかし少し悩んだ後でOKサインを出すと、少女は飛び跳ねて喜んだ。

 

「じゃあお母さん、ここで待ってるからね」

「はーいっ! クラクラ、行こっ?」

「うん!」

 

 

 

『結局友達を探すって言っておきながら、何だかんだで屋台を回っただけだったよね』

『そうだったか?』

『覚えてない? 例えばほら、ヨーヨー釣りとか』

 

「その桃色のがいい!」

「任せて! これだっ! ……って、えぇっ?」

 

『ああ、輪ゴムだけ釣れたんだっけ』

『他にも、射的でも遊んだし』

 

「あっ! 惜しい! クラクラ、今の凄く惜しいっ!」

「ファイナルスペシャルアタックシュゥゥゥゥゥゥゥウウウトッ!」

 

『そうだそうだ。確か店のおじさんに命中して、危うくお持ち帰りするところだったよ』

『金魚すくいもやったよね』

 

「銀魚! 銀魚がいる!」

「よっ! ほっ! ていっ! まだまだっ!」

 

『ポイの紙が全部破れても枠だけで取ろうとする、本当に傍迷惑な奴だったな』

『でも私は、本当に楽しかったよ』

 

 

 

「そういえば蕾ちゃん。右腕、蚊に刺されてたよ?」

「え……? っ!」

 

 金魚すくいの際に浴衣が濡れないよう、少女は袖を捲っていた。その時に小さな膨らみを見掛けていた少年は、次の屋台に向かう途中でそんなことを口にする。

 しかしその言葉を聞いた少女は唐突に足を止め、右腕を庇うようにギュっと握った。

 

「どうしたの? 痒くなっちゃった?」

「…………ううん、違うの」

 

 少し考えた後で、少女は首を静かに横へ振る。

 そして躊躇いながらもゆっくりと裾を捲り、か細い腕を少年に見せた。

 

「ここ、触ってみて」

「はぇ?」

 

 見せられた腕には、一点だけぷっくりと膨らんだ箇所がある。言われるがまま触れてみると虫刺されとは明らかに違い、皮膚の中にビー玉が入っている様な感覚だった。

 

「何だか石みたいだね」

「私ね、手術するのが嫌で逃げ出してきたの……」

「えっ? 病気なのっ?」

「うん……お薬とかじゃ駄目で、手術しないと治らない病気なんだって……。お母さんは大丈夫って言ってたけど、手術って失敗したら死んじゃうから……私、怖くて……」

 

 手術にも色々あるが、ドラマなどで知識を得た子供からすればそんな印象だろう。

 出会った時同様に目を潤ませた少女は、震える声で弱々しく呟いた。

 

「私、戻りたくないよ……ねえクラクラ……このまま私と一緒に――――」

「駄目だよっ!」

「っ?」

 

 きっと自分の味方になってくれる。

 そう思っていた少女の期待を裏切り、少年は大きな声で否定した。

 

「逃げちゃ駄目だよっ! 手術しないと治らないんでしょっ?」

「で、でも……」

「ぼ……俺だって注射は嫌だったけど、病院で働いてるお母さんが言ってたよっ? 病気からは逃げちゃ駄目だって! ちゃんと戦って、勝たなきゃ駄目だってっ!」

 

 世の中そんなに何でもかんでも、ゲームみたいにはいかないけどな。

 蕾ちゃんなら大丈夫という何一つ根拠のない励ましをする少年の言葉を聞いて、少女はボロボロと泣き始める。そして流れる涙を拭いながら、コクコクと首を縦に振った。

 

「あっ、そうだ! ちょっと待ってて!」

 

 何かできることはないかと財布を取り出した少年は、遊び歩いたせいで残り少ない中身を確認した後で、傍にあったチョコバナナの屋台へ駆け出す。

 

「おじさん、これください!」

「あいよ。300円ね」

 

 黒だけでなく白や水色など色とりどりのバナナが割り箸に刺さって並ぶ中、財布を逆さにして全財産を支払った少年が選んだのは桃色のチョコバナナだった。

 トッピングにチョコレートソースやナッツ、カラフルな砂糖菓子が塗されたバナナを受け取るなり、涙も止まり落ち着いた少女へと手渡す。

 

「これ食べたら、手術も大丈夫だよ!」

「え? どうして?」

「だって綺麗だし、美味しいでしょ? 元気があれば病気は逃げてくってお母さんも言ってたから、蕾ちゃんも元気出して!」

 

 元気づけるならお守りとか、形に残るものを渡すべきだったと思う。

 花より団子な少年の言葉を聞いた少女は、目元を赤くしたまま笑顔で応えた。

 

「うん。ありがとう」

「どう致しまして…………あれっ? おーいっ!」

 

 偶然にも通りがかった友人へ手を振ると、向こうも手を振る少年に気付いたらしい。

 こちらに駆け寄る短髪小僧を見た少女は、嬉しそうな顔を浮かべる。

 

「お友達、見つかったね」

「うん!」

「私もお母さんの所に戻らなくちゃ……ねえクラクラ。また来年もここで会えるかな?」

 

 最後の最後で、少年は大きな勘違いをした。

 再会を望む少女の問いかけを、不安の言葉だと誤解する。きっと彼女は手術が失敗して、二度と祭りなんて行けない自分の姿をイメージしているんだ……と。

 

「うん! 勿論!」

 

 だからこそ、勇気づけるために約束を交わす。

 答えを聞いた少女の返事はなく、その代わりに少年の頬に柔らかい物が触れた。

 

「えへへ……大好きだよ。またね、クラクラ!」

 

 少年は、走り去っていく少女をボーっと眺める。

 そんな彼に向けて、死角となり口づけに気付いていない友人は合流するなり首を傾げた。

 

「櫻、どうしたの?」

「な、なな、なんでもない! それより、みなちゃ……みな! どこ行ってたのさ?」

「それはわた……ボクの台詞だけれどね」

 

 男と勘違いされるくらい髪が短い、ベリーショートだった幼馴染は溜息を吐いた。


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