俺の彼女が120円だった件   作:守田野圭二

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一日目(木) 俺と阿久津と夢野と満員電車だった件

 灰色の曇り空から、しんしんと舞い降りる白い結晶。

 本来一週間前に行われた節分はその名の通り、季節を分けるという意味の行事。しかし立春が過ぎたにも拘わらず、本日の天気は珍しいことに雪だった。

 そうなると当然いつも通りに自転車通学という訳にもいかない。気持ち的には翼を奪われた天使の気分……なんて、目の前に広がる美しい銀世界と合わせてロマンチックな表現をしてみる。

 

『ガチャ』

 

 家を出るなりイヤホンコードの絡みを解きつつ、MP3プレイヤーを操作しながら数歩歩き出した際に、はす向かいの家の扉が開く音がした。

 振り向いてみれば、仮に先程のイメージを話したら「天使? テントウムシの間違いじゃないかい?」なんてコメントを返しそうな幼馴染が傘を差している。

 

「よう」

「やあ。おはよう」

 

 外気に触れる素肌の面積を少しでも減らすため、手袋とマフラーだけではなく耳当ても付けている少女。ただしスカートの下から伸びる細い脚だけはコートでも守りきれず、黒タイツのみと防御が薄い。

 そんな阿久津水無月(あくつみなづき)が積雪の上を歩いてくる姿を眺めつつ、俺は耳に入れかけたイヤホンを外すとポケットに入れた。

 

「どうせ降るなら、祝日だった昨日に降ってほしかったよ」

「それはそれで路面凍結して、結局俺は電車登校だけどな」

「その電車がまともに動いているかどうかさ」

 

 家を出る前に確認した限り、遅延しているものの運休はしていない。そして屋代に繋がる五つの路線が一つでも動いている以上、休校しないのが俺達の高校だ。

 人の足跡や自転車が通った車輪の跡が残る道を、共に駅まで歩き始める。今日に限っては騒々しく起こしに来た妹に感謝すべきかもしれないな。

 

「しかしキミにしては、珍しく早い登校だね」

「入学当初はギリギリだったけど、夏休み以降はこんなもんだぞ?」

「へえ。ボクはてっきり雪に喜んで早起きしたのかと思ったよ」

「雪が降ってはしゃぐのは馬鹿と子供くらいだろ」

「どちらもキミじゃないか」

「ふぉっ?」

 

 効果音にしたらズコーっという昭和的ずっこけをしそうになるが、別に阿久津の発言に対してではなく単純に雪で滑ってコケかけた。

 中々に絶妙なタイミングだったためか、幼馴染は小さく笑う。どうせなら転んだ拍子にラッキースケベとか、そういう平成的ずっこけがしてみたい。

 

「全く、何をやっているんだかね」

 

 俺を見て一瞬足を止めはしたものの、先に歩き始めた少女の背中を追う。

 元旦に色々ありはしたが、阿久津との関係は全く変わっていない。

 

「………………」

 

 関係は変わっていないが、一つだけ変化したものがある。

 すれ違った人が思わず振り返る程だった、チャームポイントでもある少女の黒髪。あのまま伸ばしていたらスカート裾へ届いていた長髪が、今では鎖骨の下くらいにまでバッサリと切られていた。

 

(屋代に入学した時が、これくらいの長さだったっけな……)

 

 冬休みが明けて学校が始まり、陶芸室で顔を合わせた時には思わず目を丸くした。ひょっとしたら丸どころか、三角になっていたかもしれない。

 別に散髪くらい普通なら何てことない話だが、こと阿久津に限っては例外である。

 何故なら彼女が髪を切ったのは、実に六年振りのことだったのだから……。

 

「やっぱり遅れているようだね」

 

 駅に着くと傘の雪を払い、電光掲示板を見上げた阿久津が呟く。

 ホームに待機しているのはサラリーマンばかり。わかってはいたが普通の高校は休校らしく、こんな天気でも登校するのは屋代の生徒くらいか。

 だからこそ、一人ポツリと立っている女子高生は目に留まりやすかった。

 

「!」

 

 ショートポニーテールに髪を結び、前髪を桜の花びらヘアピンで留めた少女、夢野蕾(ゆめのつぼみ)はこちらに気付くと小さく手を振ってくる。

 出来る限り人の少ない車両に乗るためか、彼女はホームの端で電車を待っていた。

 

「おはよう米倉君、水無月さん」

「おっす」

「おはよう夢野君」

 

 会うのは久し振りだが、あの日以降もコンビニで何度か顔は合わせている。やはり女子高生故に脚が寒そうではあるものの、彼女はいつも通り可愛らしい笑顔を見せた。

 

「そういえばこのイヤーマフだけれど、先日友人にも褒められてね」

「本当っ? 良かった」

「今度また付き合ってくれないかい? 夢野君達の協力は本当に助かるよ」

「どう致しまして。じゃあミズキにも聞いておくね」

 

 会話から察するに、女性陣で出かけた際に買った物っぽいな。

 

「そういえばF―2に来た留学生はどんな感じなんだい?」

「うん。ケビンっていうカナダの子。でも日本語が全然話せないから、先生くらいしかコミュニケーション取れないんだよね。ミズキがコレジャナイって」

「ふむ。天海君らしいね」

 

 そりゃまあ留学生って言ったら「デース」とかいう美少女が定番だもんな。

 傍から見れば両手に花と思われるこの状況だが、実際には案外そうでもない。女子二人の会話に入るのは至難の業で、せいぜい適当に相槌を打つくらいだ。

 もっとも男一人に女二人という状況は、どこぞの腐女子が来る前の陶芸部で既に経験済み。こうなることは目に見えていたので、俺はホームに避難している鳩と戯れる。

 

「もうすぐ入試の時期だけれど、夢野君の妹はまだ中二だったかな」

「うん。あれ? 水無月さんって兄弟姉妹いるんだっけ?」

「いいや、ボクは一人っ子だよ」

 

 もう入試を受けてから一年が経つのか……何だかあっという間だったな。

 中学が帰宅部である俺は縁のある後輩もいないため、そんな話を聞いたところで思い浮かべるのは入試休みという恩恵くらいだ。

 しかも今年は木曜・金曜なので、土日と合わせて四連休。直前にある期末テストが連休を挟む形にならなくて本当に良かった。

 

「あ!」

「思ったより早かったね」

 

 間もなく一番線に電車が参りますと、ホームにアナウンスが鳴り響く。確かに阿久津の言う通り、この時間なら遅延証明も必要なさそうだ。

 雪の影響を受けてか、普段よりのんびりとした速度でやってくる電車。その窓は温度差で白く曇っており、中の人が鮨詰め状態なのを見てげんなりする。

 

「マジかよ……」

「マジだね」

「電車に乗り慣れてないと、こういうのって辛いよね」

 

 階段付近の車両に比べたらマシではあるが、夏コミが冬コミになった程度の違い。人がゴミのよう……じゃなくて人混みが苦手な俺は深々と溜息を吐いた。

 ドアが開くなり何人か降りた後で、電車に乗り込むと奥へ奥へと押し込まれる。網棚の上に寝転がれたら思う奴は、きっと俺以外にも多い筈だ。

 

「っ」

「ご、ごめんね米倉君」

「いや、大丈夫」

 

 そんな妄想に耽る余裕すらなく、ドアが閉まる直前で更なる猛プッシュ。連打とかして電車に人を多く乗せるゲームとかあったら、割と人気出そうな気がする。

 

『ぴとっ』

 

 当然と言えば当然だが、満員電車である以上は密着する。

 しかし今の季節は冬であり、服の枚数が多い上に生地が厚過ぎて感触は伝わらない。二の腕辺りに夢野の胸が触れているが、効果音は『むにっ』じゃなかった。

 

「………………」

 

 ただこれだけ距離が近いと、少しドキドキはする。カップルにおける理想の身長差は15㎝というが、阿久津とは5㎝、夢野とは10㎝差くらいだろうか。

 静かな電車内でこれといった会話もなく、地獄を耐え抜き屋代駅で降りる。学園まで歩きながら雑談する二人と昇降口で別れた後に、俺は心の中で声を大にして叫んだ。

 

(明後日のバレンタインの話はっ? 俺、誕生日なんだけどっ?)


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