3号の身に着けている服や靴などの総称。ギアにはそれぞれ特殊な力が付いており、これをギアパワーと呼ぶ。
・ギアパワー
ブキのインク効率が良くなるものから、スーパージャンプの時間を短縮するもの等、様々な効果が存在する。
何やら外が騒がしいように感じる。周囲の物音で目を覚ました3号は時間を確認すると、現在は午後7時を少し過ぎた位だった。ギルドに夕飯を食べに行こうと立ち上がった時、ポケットから大
きなアラーム音が聞こえてくる。クマサンからの通信だろうか。
『3号、今アクセルはキミの話題で盛り上がっているようだね…… とにかく、身を隠すためのギアに着替えたほうがいいだろう。着替えたらもう一度連絡してくれたまえ』
突然クマサンに着替えろと言われ驚く3号だが、急な用事があるようだ。
3号は身を隠すギアパワーが付いた服をスーツケースの中から探し、1つ見つけた。大きな錨がプリントされた白いTシャツ、これにはインクの中を泳いでも周りにインクが飛び散らなくなる効果
が付いていたはず。3号は早速着替えて、クマサンに連絡した。
『イカニンジャが付いたギアがあったようで何よりだ…… さて、簡単に説明すると、この街に魔物が入り込んだと騒ぎになっていてね…… その魔物は青いインクを吐き出して攻撃するらしい』
青いインクで攻撃する魔物。3号は、その魔物を討伐しないといけないのかクマサンに尋ねた。
『いや、その魔物は恐らくキミのことだろう…… 困ったことに、シャケと間違えてギルドに報告してしまった人がいたみたいだ。カズマ君やその仲間が魔物じゃないと説得しているようだが、ギ
ルドの職員は耳を貸さなくてね…… 3号、今からワタシが話すことをよく聞いてほしい』
少し休憩している間に大変な騒ぎになっているようだ。駆け出しの冒険者が集まる街に魔物が侵入したとなると、大事になるのも無理はない。3号はクマサンの話の続きを静かに待った。
『今から3号がするべきことは、
いる。上手く活用してくれたまえ』
見つかると面倒なことになるから見つかっちゃダメだぞ、というクマサンなりのメッセージだろうか。3号は静かに部屋の外に出ると、床にはシールが貼られた、3号の身長ほどもある大きな筆の
ような物が落ちている。
軽く機動力に優れたフデと呼ばれるブキの一種で、素早く地面を塗り進み、振り回してインクをばら撒くブキ、その名はパブロ。機動力はあるものの、下手に振り回せば住民にとって大迷惑にな
りかねない為、扱いには十分注意しなければならないだろう。3号はパブロを拾い上げると、馬小屋の周りに人がいないか少し確認し、ギルドに向かって慎重に進み始めた。
ギルドの近くまで来たものの、思った以上に冒険者が街を見回っているようで、中々ギルドへ近づけない。そもそも、見つかってはいけないはずなのにどうしてこのような大きなブキを担がなけ
ればいけないのだろうか。塗り進んで素早く逃げたとしても、塗り跡が残るのでいつかは追いつかれるだろう。
3号は疑問に思いながらパブロを持ってふらふらと歩いていると、1人の冒険者に声を掛けられてしまった。この冒険者も街に入り込んだ魔物を探しているようで、青い髪型の3号を疑っているの
だろう。見つかってしまったものは仕方がないので、上手く自分が魔物ではないと誤魔化さなければならない。
少々考え込んだ3号は、自分は遠くの国から来たさすらいの画家だと嘘をついた。この大きなフデを役立てるための苦しい言い訳だが、相手は納得してくれたようだ。相手を見送った3号は、再
びギルドに潜入するべく移動を始める。この世界の潜伏スキルを上手く使いながら、ギルドの裏手まで到着したその時だった。
「動くな。噂通りの青い頭、人に化けて街に忍び込んだ魔物とはお前のことだな?」
格が違う、と3号は感じた。手に持っている巨大な剣と、身体を覆う分厚い鎧から発せられる雰囲気は、駆け出しの冒険者には到底出せないものだ。
しかもこの冒険者、3号をこの場で討伐する気らしく、剣を構えながらじりじりと距離を詰めてくる。まともに戦えば確実に倒されてしまうことは目に見えているので、何とか逃走できないか必
死に頭を働かせるだったが、ここで2人の冒険者が新たに現れた。
「キョウヤ、この人はさすらいの画家だって話してたけど、本当に魔物なの?」
「キョウヤが魔物だって言うならきっと魔物よ!こんな弱そうな魔物、キョウヤならきっとすぐに倒せるわよ」
現れた2人の冒険者は、キョウヤと呼ばれた冒険者の仲間のようだ。3号は2人が揉めている間に逃げ出そうと思ったが、一瞬でも背中を向ければ確実にあの剣で刺身にされてしまう。
スーパージャンプで逃げ出そうものなら、イカに戻った瞬間にばっさりと斬られてしまうだろう。どうしたものかと考えていると、キョウヤと呼ばれた男が3号に話しかけてきた。
「僕の名前はミツルギキョウヤ。女神アクア様に選ばれし勇者だ。お前、どうして人に化けて街に忍び込んだ?特に悪さをしていないようだし、僕に襲い掛かってくる訳でもない。お前の目的は一体何なんだ?」
一向に攻撃をしない3号を警戒しているのか、一歩引いて剣を構えるキョウヤ。実際はどう逃げようか考えていただけだが、これでもう少し時間ができた。今更自分を冒険者だと説明しても納得
してもらえないだろうが、下手にパブロを振り回してしまってはせっかくの話し合いの機会が台無しになる。3号は自分の名前と身分を正直には伝え、ギルドに出頭するつもりだと話した。
「僕は身分を話せと言った訳じゃない。目的を話せと言ったんだ。この街にそれだけ溶け込んでいるようだが、これ以上無駄な事を話すならこの魔剣グラムでお前をこの場で討伐させてもらう」
ギルドに出頭すると話したつもりだが、納得してもらえなかったようだ。この街をインクで塗り替えようとしました、なんて冗談が通じる相手でもない。万事休すとなった3号だったが、ここでなんと電話の着信が入る。
3号はキョウヤに電話に出ると伝えると、早く済ませてくれと武器を下ろしてくれた。
「ちょっとキョウヤ!こんなに怪しいのにどうして攻撃しないの!?今なら隙だらけじゃない!」
「何でって、電話の最中に攻撃するのは失礼じゃないか。
……いやいやいや、どうしてここにスマホがあるんだ!?当たり前のように取り出したから流されそうだったけど、まさか僕と同じ転生者なのか?」
カズマにも同じことを言われたような気がするが、今は電話が優先だ。クマサン印のスマホを耳にあて、3号は通話を始めた。
『もしもし、カズマです。3号、今どの辺に居るか教えてくれないか?こっちも何とか疑いを晴らそうとはしてるんだけどさ、証拠が無いとダメだとしか話してくれないんだよ。そっちは結構騒が
しいようだけど大丈夫か?まさか冒険者に見つかってるんじゃ……』
クマサンが電話を掛けてきたのかと思ったが、意外な人物の声が聞こえてくる。冒険者に見つかってしまったものの、なにやら口論になっているので問題は無いはずだ。3号はギルドの裏手ま
で来ていると伝えると、カズマが話の続きをする。
『裏手にいるんだな?3号、ちょっと面倒だが今すぐギルドの正門に来てくれ。今ギルドの冒険者は全員街を探索しているから、正面ががら空きの今がチャンスだ。それじゃあ、頑張ってくれよ!俺達は3号が魔物じゃないって信じてるからさ!』
どうやって3号に電話を掛けたか分からないが、やはりカズマは頼りになる。3号がスマホをポケットに入れ、視線を目の前に戻した。
キョウヤを含めた口論はいつの間にか2人の仲間の口喧嘩に発展したようで、仲間をなだめる事にキョウヤは気を取られている。もし逃げるなら今がその時だろう。
3号は床にブラシの部分を当て、全速力で路地から逃げ出した。床には3号が塗ったインクの跡がはっきりと残っているが、今回はそちらの方が都合が良い。
路地を抜けて表通りに出た時、キョウヤは3号が逃げ出したことに気が付いたようで、路地からこちらに向かう3人の足音が聞こえてくる。ちゃんと3号のインクの跡を辿ってきているようだ。
「電話が終わったなら終わったって言ってくれよ!……くそっ、逃げられたか。まさかスマホを使って油断させてくるなんて、相当頭の切れる魔物らしい」
キョウヤは3号が既に逃げ切ったと勘違いしているが、現在3号はキョウヤの真下のインクに潜っている。ギアパワーの力で波を立てずに素早く路地に戻った3号は、キョウヤ達がこの場を去るの
を確認した後、ギルドに向けてスーパージャンプすることに決めた。
丁度周りに人もいないが、何より一刻も早く食事をしたいと考えていた3号は、すぐさまギルドへと飛び立った。確実に飛んでいる姿を人に見られるだろうが、このまま誰かに見つかって倒されるよりも一か八かジャンプして近道する方に賭けた。
結果が吉と出るか凶と出るかはすぐに分かる。空からギルドの正門を確認すると、確かにカズマの言う通り人の姿は見当たらない。着地した3号は、急いでギルドの中へ入っていった。
ギルドの中に冒険者の姿は見えないが、職員が慌ただしく動いている様子を見ると、結構な大事に発展してしまったようだ。3号はギルドの職員に怪しまれないため、出来る限り堂々とギルドの
奥へ進んでいく。受付に置かれたクマサンの周りにカズマ達がいるのを見つけた3号は、駆け足でカズマの元へ向かう。
『すまない3号…… パブロを使えば楽にギルドまで来ることができると思ったのだけれど、目立つブキは渡すべきではなかったね……』
「そりゃそうだろ!機動力に優れたブキって言うからどんなもんかと想像したけど、この筆はさすがに大きすぎるって!」
今回はパブロよりもカーリングボムが使えるブキの方が相性が良かっただろう。ただ、3号は無事にギルドに到着したので結果的には問題無い。
「ほら、約束通り3号を連れてきたわよ!謝りなさい!私を魔物扱いした事を謝りなさい!」
「あー、受付の人にアクアが文句を言うのはいつもの事だから気にしなくていいぞ。さて、どうやって3号が魔物じゃないと証明するかだが……」
カズマから2つの案が提案された。1つ目はギルドに冒険者を呼んで3号の正体を話すこと。冒険者の前で魔物ではないと証明できれば、きっと職員も納得してくれるとのこと。
2つ目はこのまま身を隠し続け、魔物の騒動が鎮まるまで待つこと。隣にいたダクネスから、1つ目の選択肢は下手に勘違いされれば裁判になる可能性がある、と警告された。しかし、このまま騒動が鎮まるまで待っていてもシャケと戦っていればまた通報されてしまう可能性がある。空腹で頭が回らなくなってきた3号に、思わぬ所から助け舟がやってきた。
「3号、カエルの唐揚げでよければ食べますか?私の分を少し分けてあげてもいいですよ。お腹空いてますよね」
『今日の稼ぎで大量に注文したものを食べきれなかったようだね…… 食べながらでいいから聞いてほしい。ワタシに考えがあるんだ』
腹が減っては戦はできぬというが、3号はそれをまさに実感していた所だった。めぐみんから渡された唐揚げを頬張りながら、スピーカーから流れる音声をじっと聞く。クマサンのアイデアはカ
ズマの一つ目の提案に近いものだったが、こちらはクマサンならではのアイデアだ。
それを聞いたカズマは納得した様子でギルドの職員に冒険者を集めるよう伝える。少し待っていればギルドに大勢の冒険者が集まるだろう。
魔物を捕獲したため至急冒険者はギルドに集まれ、と放送がされてから数分後、ギルドに冒険者がなだれ込んできたと思えば、あっという間にギルドは冒険者で埋まってしまった。十分な人数が
集まった所で、クマサンがスピーカーを通して話を始める。
『さて、冒険者諸君、ワタシは目の前の木彫りの熊だ…… 皆にはクマサンと呼ばれているがね』
ざわめく人々。突然ギルドに呼ばれたら、置物と思われていた木彫りの熊から音声が流れたのだから無理もない。騒ぎ出す人々を気にせずに、クマサンは話を続ける。
『今日ワタシが伝えたいことは、新しいアルバイトの募集だ…… 頑張りによって、初心者でも効率の良いレベルアップと、お金を稼ぐことを両立できる……』
ここまでクマサンが話した所で、冒険者の不満が爆発する。引っ込めだとか、魔物はどこだ、などとヤジを飛ばす者が現れてきたものの、クマサンは全く気にせず続きを話す。
『これは君たちにとって悪い話ではないよ…… 実際、そこの3人は今日だけで合わせて45万エリスを稼いでいるからね……』
先ほどは騒がしかったギルドが一気に静まり返る。ここからは3号も知っているサーモンランの話だった。ザコシャケを倒してレベルを上げつつお金を稼ぐ、という内容だったが、オオモノシャ
ケを倒して金イクラを持ち帰る部分は話されなかった。
あくまでザコシャケを討伐するバイトという扱いのようだが、魔王軍の幹部の影響で簡単な依頼が減っている今、駆け出しの冒険者がレベルを上げつつお金を稼ぐことができるのはとても嬉しい
話だろう。だが、これはアルバイトの話であって、3号の正体に関する話ではない。このままでは騒動が解決しないが、クマサンは一体どうするつもりなのだろうか。
『さて、このバイトのプロ、たつじんバイトボーイである人物を紹介しよう…… 3号、こちらに来てくれ』
アクアが真っ先にその言葉を聞いて笑っているが、今はそれどころではない。プロと称されてはいるが、任務とナワバリバトルの合間に少しサーモンランに参加したぐらいで、3号よりも遥かに
優れたバイトの達人は何人もいる。恥ずかしいものの、クマサンにはきっと何かアイデアがあるはず。3号は受付の前まで歩いていった。
『彼がインクを使ってシャケと戦うインクリングと呼ばれる種族で、名前は3号だ。もちろん、彼が人間を襲うことは無いので安心してほしい…… さて、改めて挨拶してもらえるかな』
まさかここまで正面から正体を明かすことになるとは思わなかったが、こうなってしまっては仕方がない。3号はイカになったりヒトに戻ったりしながら、自分がどんな種族であるか説明を始め
る。大体のインクリングの特徴について話した後、騒動を起こしたことを謝罪した。
『今回の騒動はワタシの不手際が引き起こしたものだ。冒険者諸君や3号には申し訳ないと思っているよ…… では、今日はこれで解散にしよう。明日からサーモンランの募集を始めるから、興味
のある人はぜひワタシの元まで来てほしい』
街の冒険者は3号を歓迎してくれているようだ。これから人目を気にせずにスーパージャンプも使え、場合によってはインクに潜ることもできるだろう。一時は命の危機を感じたものの、この結
果を見ればこうなって良かったのかもしれないと3号は感じていた。
カズマは大金を稼いだためか冒険者に夕飯を奢れと迫られているし、アクアも宴会芸を披露して人に囲まれている。ダクネスは疲れ切っためぐみんを介抱しているようだ。いつものギルドが戻っ
てきたこと安心した3号は、今日はもう馬小屋に帰ることにした。クマサンやカズマに礼を言うと、カズマが3号に用があるらしく、耳元で話し始めた。
「3号、今から馬小屋に帰るならさ、一回スーパージャンプを見せてくれないか?俺、聞いたことがあるだけでみたこと無いんだよ」
カズマの頼みを受けギルドの外に出た3号を、大勢の冒険者達が見つめている。目的地は馬小屋、本日3度目のジャンプを披露した。3号が飛び上がった瞬間に歓声が沸き、多くの冒険者と街の
住民が飛んで行った3号を見つめている。多くの人々に見送られながら、3号は馬小屋に着地し、自分の部屋へ向かう。
今日はとても大変な1日だった。朝からシャケと戦い、夜には魔物と勘違いされたものの、最終的に3号はこの街に受け入れてもらえたと見ていいだろう。明日もいい日になるように祈った3号
は、すぐに藁の上に横になり、眠りについた。ギルドでは達人バイトボーイの話で盛り上がっているものの、眠っている3号がそれを知る由もなかった。
日差しが部屋の中に差し込んでからしばらくの時間が経った頃、3号の部屋ではスマホが電話が来た事を知らせていた。眠気を振り払いながら電話に出た3号、電話を掛けてきたのはまたもや意
外な人物だった。
『もしもし3号?私よ、女神アクアよ。あんな儲け話があるのにどうして秘密にしてたのよ!クマサンが3号がいないと話は出来ないっていうから一行にアルバイトに参加できないから、早くギルドまで来て頂戴!』
朝からアクアはサーモンランに参加しようとしているようだが、一体何があったのだろうか。ふらふらと外に出た3号は、そのままギルドに向かって飛んだ。
いつものように一瞬で到着、受付に向かうとアクアとクマサンがいた。まだ完全に目が覚めていないので頭が上手く働かないが、クマサンとアクアが言い争っているように見える。
「なんでザコシャケとだけなのよ!カズマと同じようにオオモノシャケと戦わせなさいよ!」
『オオモノシャケはとても危険だからね…… カズマ君は偶然出会ってしまったが、本来は慣れた冒険者やインクリングが戦う相手だ……』
昨日は大変な日だったが、今日も大変な日になると確信する3号だった。
・達人バイトボーイ
研修、駆け出し、半人前、といったサーモンランで得られる称号の中でも、最も位の高い称号。原作ではひらがなでたつじんと表記されているが、この二次創作ではクマサンの会話以外では漢字で統一している。