「《魔法使い》の能力ですね、おめでとうございます」
その言葉を聞き、隣に立っている少女に目をやる。絹のように艷やかな銀髪と蒼色の瞳。人形みたいに整った幼馴染の少女は、驚いたように神託を告げた神父を見ていた。
物語でしか聞いたことがないような能力に、俺の心はときめいた。昔から完璧超人の幼馴染だったから、そこまでの驚きはなかった。
でも、でもだ。俺の能力が《雀の涙ほど強くなれる》ってなんだ。曖昧すぎるしふざけているだろ。こちらを心配そうに見てくる幼馴染を見て、ため息を吐きたくなった。
能力を持てば何かが変わるのだと思っていた。しかし、そんなことがあっても日常は変わらなかった。
村は平和だし、することがないなら家業を手伝えと父さんに言われる。幼馴染がたまに森で魔法を使っているのを見ていたから、負けるもんかと斧を振り回すと父さんからゲンコツを食らう。
しかし、そんな日常は長くは続かなかった。俺たちが神託を告げられた五年後のその日、知らせはモンスターの群れと共に訪れた。俺はモンスターを前に無力だった。村の男たちは必死に戦っているのに、俺は何も出来なかった。それに引き換え幼馴染は、自慢の剣捌きと魔法であっという間に敵を蹴散らした。
モンスターを斬った時に付着した液体が滴っているものをそのままに、幼馴染は俺に話しかけてきた。
「キコリ、聞いてください。今、魔族が世界中を恐怖に陥れています。そのボスである魔王も封印から解かれようとしています。それを裏付けるように、この前に三○○年ぶりに《勇者》の能力を持つ人物が現れたそうです」
不老不死である魔王の復活を阻止するために、数百年間隔で現れる《勇者》だけが、魔王を再度封印することが出来るらしいと伝承で聞いたことがある。
彼女が話しているのは、つまりはそういうことなのだろう。
「魔法を使う能力を持っている人は、希少であると神父さまは言っていました。これほどの力を持っているのなら、勇者様のお力になれると言ってくださりました。……私は行かないといけません」
ぎゅっとスカートの裾を握りしめ、何かを耐えるように告げた幼馴染を見て、先程の光景を思い出す。でも、彼女は決意を固めていた。引き止めることは出来ない。
「お、俺もついていくよ」
「キコリが危険だから……ごめんね」
いつも冷静沈着な彼女にしては珍しく、心底困ったような顔で言わせてしまった。これでは俺が悪役になってしまったようだ。
だけど、このままお別れだなんてあんまりだ。せめて、笑顔で送り出してやりたいから、俺はにっと口角を上げた。
「……たまには、手紙でも送ってくれよ」
「……はい、もちろんです」
俺たちは指切りをして再会を誓い合い、幼馴染は夜明けと共に村の人全員に見守られながら旅立った。
しかし、手紙を送ると言っていたにも関わらず、中々便りは来ないままに時は過ぎていき、ひと月が過ぎたころのある日の夜、母さんが見慣れぬ鳥から受け取ったと、一つの手紙を渡してきた。送り主は一人しか心当たりがない。急いで自分の部屋に行き、手紙の封を切った。
『どうもなじみです。
キコリは元気に木を切っていますか?
私はキコリが木を切っているうちに、魔族やモンスターどもをバッタバッタと斬っていました。おみやげは敵幹部の首でいいですか?
元気なら一報ください』
待った末の手紙がこれだ。脱力感が身体を包んだ。
いつの間にか幼馴染が物騒になっているし、幼馴染の居場所知らないのにどう送れと言うのだろう?
彼女のぬけ具合が少し懐かしく感じたし、幼馴染が無事だという事を知れて良かった。そうして俺はベッドで目をつぶり、久しぶりに安心して眠りについた。
次の日は、幼馴染の両親の家に手紙を持って顔を出し、その後に父さんに仕事に連れていかれた。毎日斧を振り回してばかりで辛い。自分が斧を振るためだけに生まれてきた機械なんじゃないかという気分にさせられる。でも、仕事終わりに幼馴染の手紙を読み返すと元気になれた。彼女だって頑張っているんだ、俺も頑張らないと。
そんなことを考えながら生活していて、最初に届いた手紙からまたひと月経ったころに新たな手紙が届いた。
今はどうやら海にいるらしい。手紙の中に入っていた貝がらを鼻に近づけると、微かに独特な薫りがした。これが、海の薫りってやつなのだろう。
貝殻の一つを母さんに見せると、小さな巾着袋を作ってくれた。俺は、それをポケットに入れて家を出る。
幼馴染の真似事という訳ではないが、最近は村の用心棒と共に魔物が来ていないか村の周辺を巡回している。父さんの仕事に連行されない日は全て埋まってしまった。だが、みんなから感謝されるのは悪くないし、野菜だって分けてもらえるし、料理のおすそ分けもしてもらえるようになった。危険は以前にも増したが、充実した日々となった。
幼馴染からの手紙は、ひと月ふた月くらいの感覚で届くようになった。手紙は、いろんなキャラバンに雇ってもらいながら魔王城に向かっているだとか、旅先の景色や幼馴染が驚いた独特な風習について、そして必ず俺の身を案じる言葉が書いていた。
ある日のことだ。森でうたた寝をしそうになっていたとき、頭上に何か軽いものが乗っていることに気がつき、俺の意識は覚醒した。目を開けて手に取ると、それは幼馴染からの手紙だった。
今までは、契約した魔獣に手紙を送らせていたため、書いてから送るまでに時間がかかっていたようだが、これですぐに手紙を送れるようになったらしい。そんな文のあと、いつものように手紙が書かれていた。
どうやら幼馴染は今、都にいるらしい。俺には厄除けの指輪を買ったとの事だ。手紙を読み終えると包みに分厚さがあることに気がついた。包みを裏返すと中身が出てくる。
銀色の光を放っている指輪で、見ていると不思議と魅了される。天に掲げてみると、蒼色の宝石が透けて見えた。気に入って、すぐに指にはめる。それをはめて仕事を再開させると、不思議と気分が良くなった。
それからまた月日は流れる。幹部が倒されただとか懐柔して味方になっただとか、本当かも分からない情報が耳に入る。でも、幼馴染から手紙が届けばそれが真実である。この前は勇者について書かれた手紙も届いていた。モンスター嫌いな勇者にシンパシーを感じられていただとか、勇者と共にドラゴンに乗ってみた景色は壮観だったなど、たびたび手紙は送られて来ていたが、ある日を境に来なくなった。
最近は魔族の活動が盛んになってきたようで、それが原因なのではないかと不安になってくる。そう思った矢先に、次の手紙は届いた。俺はいつの間にか自分の隣に届いていた手紙を慌てて開く。
もうすぐ魔王と相対するらしい。それが、怖くて仕方がない。でも、みんなの平和のために頑張らなくてはならない。
そう書かれた文字は歪んでいた。
俺には幼馴染の無事を祈るほかなかった。祈って祈って、そして時間はあっという間に経っていった。いつの間にか射撃の腕は上がっていたし、斧にも振り回されなくなった。一人でも安定して、村に来ようとする魔物や畑を荒らそうとしてくる獣を倒せるようになった。しかし、手紙は届かない。不安で仕方がなくて、それでもどうすることも出来なくて、そんな日にやっと次の手紙が届いた。
手紙の内容は、魔王の封印が完了したこと、そしてすぐにこの村に帰ってくるということだ。
その手紙を読み終えると、外がざわめいていることに気がついた。家を出て、他の村人のように夕闇の空を見上げると……そこには、大きな鳥がいた。モンスターだろうか?こちらに向かってくる。
その巨大な鳥は村の上の十メートルくらい上を飛んでいる。逆光でシルエットしか見えないが、誰かが鳥から飛び降りた。このままでは、怪我どころでは済まないだろう。
俺は慌ててその人物のもとまで駆け寄るが……遅い。きっと刹那には肉塊が出来上がってしまっているだろうと思って目を瞑るが、予想に反して大きな物音一つしない。恐る恐る目を開けると、そこには銀髪の少女が宙に浮かんで、軽やかに地面に着地しているところだった。その少女は、こちらに気がつくと歩いてきた。
「久しぶりですね、キコリ……ですよね?」
「お、おお……久しぶりだな、幼馴染」
久しぶりにあった幼馴染を前にただ、懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
「ドラゴン、みんな驚いているぞ」
「ああ、それは悪いことを。ドラ子、ありがとうございました!」
悠然と羽を広げて頭上を飛んで、どんどんと遠くへと消えていくドラゴンに手を振っている幼馴染に声かける。
「無事に帰ってきてくれて、嬉しいよ」
「私も、キコリが元気でいてくれて本当に嬉しいです」
少し固い表情で幼馴染はそう言った。村のみんなは慌てた様子で幼馴染に駆け寄る。そして魔王封印のことを聞くと、みんなは幼馴染と抱擁を交わした。そして幼馴染はすぐに集会場に連行され、その周りに人が集まってきた。もとより祝い事が好きな連中だ。三十分と経たないうちに酒や肴が運ばれてきて、村長の挨拶と幼馴染の言葉を受け、宴会は始まった。最初は幼馴染の健闘を讃える声ばかりだったが、夜が深まるにつれ、乱痴気騒ぎへと成り果てた。母さんから頼まれていた食事運びを終え、ひと息ついたあとに今日の主役である幼馴染を探すと、彼女は一人で静かに酒を飲んでいた。
「隣いいか?」
「はい」
少しグラスを傾けたあとに、隣に座るように促されたので頷いて椅子に座った。
「魔王、倒したんだよな」
「封印ですよ。それに、私に出来たことは些細なサポートのみです。勇者たちがいなければ、魔王の封印は叶わなかったでしょう」
「それでも凄いよ」
「そう、ですか」
幼馴染は今までの強張った顔から一転して、安堵したような顔になった。しかし、すぐに表情を引き締める。
「モンスターはまだ各地で暴れているので、平和とは言いがたいですよ。私も、また戦わないといけない」
きっと彼女は明日にでも旅立ってしまうのだろう。幼馴染は誰もが認める優れた魔法使いにもなってしまった。それでも一つ、心配ごとがある。……彼女、どうもズボラなところがある。料理も掃除も苦手。しかも人の良い性格だからカモにあっているんじゃないか、人がいないと保存食なんかを毎日食べているんじゃないか。勇者とともに魔王を封印した魔法使いが食い倒れで倒れてしまったらあんまりだ。彼女の家族も心配している。だから俺は昔と同じ言葉をかけた。
「幼馴染、今度は俺もついていくよ」
「それは……」
歯切れ悪く、言葉を探している様子の幼馴染の手をそっと握ると、彼女は驚いたようにこちらを見てきた。
「勇者になりたいとかモンスターを殺したいなんて言わない。ただ俺はなじみが心配だし、お前の行ったところに行ってみたいだけなんだ」
それに俺だって、もう守られるだけの存在ではない。
そういうと、幼馴染は驚いたように瞬きをしたあと、微笑んでうなずいた。
彼女の世界平和のための物語はかくして、一旦は終わりを告げる。しかし、物語はここでは終われない。だって、幼馴染との冒険は、まだ始まってすらいないのだ。
でも、今この瞬間だけは。
「今生きていることを祝して乾杯!」
からんと、ふたつのグラスが音を奏でた。