アイシア   作:ユーカリの木

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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 1

 四月の温暖な日差しが埼玉県大宮市に降り注いでいる。肌を撫でるような春風がそよぎ、桜の花弁をゆらゆらと散らしている。

 

 季節は冬を追い出し、春を歓迎していた。 

 

 そんな心穏やかになる陽気が日本を取り巻く中で、埼玉県大宮市にある大病院の一室では、変な熱で籠っていた。

 

 ベージュの室内には殺気が溢れていた。ふたりの女がベッドを挟み、互いに己が得物持って対峙しているのだ。片方はプラチナブロンドの少女、もう片方は看護師姿の女性だ。

 

 睨み合いは一分以上続いていた。両者ともに腰を落とし、隙あらば得物で相手を殺さんとばかりに動きを読み合っている。

 

「さあ、あなたの暴挙もこれが最後よ」

 

 看護師が口端を吊り上げて言った。その声には根拠のない自信で満ち溢れていた。

 

「あら、恵子(けいこ)ごときにやられる私じゃないわ。返り討ちよ」

 

 少女が看護師の浅慮をあざ笑った。看護師である恵子の眉間に大量の皺が生まれる。

 

 更に少女の笑みが深くなる。

 

「私のような若人が、恵子みたいなおばさんにやられるわけないじゃない!」

 

 少女の科白は、恵子の逆鱗に触れた。世の中、分かっていても言ってはならない言葉がある。今年三十路になった恵子にとって、年齢の話題は非常にセンシティブな問題だった。三十歳独身彼氏無しという現状が、彼女の心に重い影を落としていたのだ。

 

「この……ッ、この……!」

 

 恵子が口をパクパクさせながら何かを言おうとするが、言葉にならない。なぜなら何を言っても確実に言い負かされるからだ。

 

 そして、それが決定的な隙となった。

 

 とうっ、と掛け声を発した少女が、ベッドを軽々と飛び越えて恵子の頭上に箒を落とした。ばすん、と情けない音と衝撃によって、恵子が一瞬白目を剥く。その様を「ざまあ」と嘲った少女、ホーリー・ローウェルが高笑いを上げた。

 

「アハハハハハハ! 恵子ったら今日も負けてしまったのね! ああ嘆かわしいわ! アハハハハハ――! 歳は取りたくないものね――! 反応が鈍ってあーんな簡単な攻撃すらチリトリで受け止められないんだもの! ああ、若いって罪だわ――!」

 

 そう、恵子が右手に握っていたのはチリトリだった。彼女たちは掃除道具で戦っていたのだ。仮にも看護師と病人がである。

 

 そして、その様を入口で唖然とした様子で見ていたのは八代弓鶴(やしろゆづる)だった。ホーリーの友人である。いま、その証を丸めてゴミ箱に投げ捨てたくなったのは、きっと気のせいではないだろう。

 

 ようやく状況を理解した弓鶴が、いや、分かっていても理解したくなかっただけだが、室内におずおずと声を投げた。

 

「お前ら、何やってんだ……?」

 

 弓鶴の声に「げっ」とホーリーが驚き、恵子は神でも降臨したかのような慈悲を請う表情を浮かべた。

 

「弓鶴くん! お願い助けて! これじゃあ婚期が遠のいちゃうわ!」

 

 恵子の悲痛の訴えに、弓鶴は申し訳なさで胸がいっぱいになった。こんなことを彼女は毎日やっているのだ。ストレスで退職したら確実にホーリーの所為だ。

 

 弓鶴はせめてもと深々と頭を下げた。

 

「毎度毎度ホントすみません。でも婚期は俺じゃどうにもならないので自分で頑張って下さい。大丈夫です。絶対に結婚できますから」

 

 返ってきたのは無言だ。ホーリーも「あーあ」と変な声を出している。

 

 訳が分からなくて弓鶴が顔を上げると、恵子が完全に固まっていた。彼は自分が見事に地雷を踏みぬいたことに気づいていないのだ。

 

「あんたはなんで女の人の弱点を突くのが得意なのかしらね。主に悪い意味で」

 

 ホーリーが呆れた声を弓鶴に投げつけてくる。思い切り打ち返してやりたかったが、いまは恵子の方が優先だった。

 

「恵子さん、本当に大丈夫ですから! 恵子さんは美人だから引く手あまたですよ!」

 

 必死になって弓鶴が声を掛けると、恵子の表情に希望が宿った。

 

「わたし、キレイ?」

 

 それが大分昔に流行った口裂け女の科白だということを、この場の誰も知らなかった。

 

「綺麗です。大丈夫です」

 

 ともかく、弓鶴は必死だ。彼とて恵子に辞めてもらったらホーリーの相手を今以上しないといけないから困るのだ。こういう微妙に腹黒い点でアイシアに似てきていることに彼は気づいていない。

 

 恵子の表情に笑みが生まれた。弓鶴の言葉で自らの心を鼓舞したのだ。

 

「そうよね! 私まだ若いもんね! 看護師だったら男の人だって気になってくれるもんね!」

 

「でも三十路よ」

 

 ホーリーの言葉で、折角元気になった恵子がその場に崩れ落ちた。弓鶴は頭を抱えたくなった。

 

「なんでお前はいちいち相手の急所を抉るんだよ! アホか!」

 

 弓鶴はホーリーに訴えるも、当の彼女はその科白を受けて更に呆れを増した。

 

「あんたも抉ってることに気づきなさいよ……」

 

 はっとした弓鶴は己の科白を思い出す。いま、確実に自分は恵子の傷口に塩を塗り込んだのだ。

 

 弓鶴は慌てて恵子に視線を投げるが、既に彼女の意識はなかった。ふたりの口撃によって撃沈したのだ。微妙な年頃の女性に年齢のことをズケズケと言えば当然こうなる。

 

 青春を魔法で塗りつぶしてきた弓鶴の人生の弊害に見事、恵子が犠牲になったのだった。

 

 ふと、点灯したままだったテレビが、地震を知らせるテロップを表示させた。震源地は日本の静岡だった。マグニチュード八クラスの巨大地震だ。

 

 気づいたホーリーが眉をひそめた。

 

「やだ、日本でも地震起きたの?」

 

「まあ地震大国だしな。それでも波動魔法で直接地震動を相殺してるから、実際揺れはそうでもないだろ」

 

 地震大国である日本は、世界でも特に魔法での対地震に対する技術力が高い。各地の地面深くに埋められたSot機器が地震波を捉えた瞬間、同周波数の振動をぶつけて無理やり相殺させるのだ。これによって、日本は地震による被害が比較的軽微になった。

 

 テロップを見ると、マグニチュードの割に震度は二や三程度だ。もっとも、この技術が無ければいまの地震で東海地方が全滅した可能性があるのだから笑えない。魔法さまさまである。

 

 それよりも、と弓鶴は恵子へ目を向ける。彼女はまだ死んでいた。この看護師を仕事の時間までにどうやって復活させるのかが、彼にとっての目下の課題だった。

 

 

 

 


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