アイシア   作:ユーカリの木

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第一章:日向の苦悩/取り残されし者の絶望 4

 円珠庵の警護開始から一日が経った。彼女はいまだに悩んでいるらしい。こちらとしては早く進路を決めて欲しいところだが、こればっかりは当人の意思次第だ。警護課としての仕事をしっかりとこなすしかない。

 

 アイシアは東京都内にあるスタジオの控室で、端末へ送られる連絡に目を落とす。警護は順調に進んでいるとブリジットから報告が上がる。

 

 警備の方は問題なしと判断。ひとまず目の前の出来事に向かい合うしかない。

 

「顔を動かさないで下さい」

 

 男性スタイリストがアイシアをたしなめた。適当に返事をしてため息する。いつもは髪をとかすだけの髪型が、スタイリストの手によって毛先を遊ばせふんわりとした印象になる。ナチュラルメイク程度しかしない化粧もしっかりと施され、自分でも可愛い系の大人になったのではないかと思うほどの変身を遂げていた。ラファエルではないが、客観的に見てもいまの自分はかなり美人だ。当然中身については言及できないが……。

 

「さすがアイシアさんは美人ですね。私としてもやりがいがありましたよ」

 

 さあ終わりです、と言ってスタイリストがにっこりと微笑んだ。

 

 思わず出そうになったため息をかみ殺して、アイシアはスタイリストに礼を述べる。彼は笑みを深くしてから控室を出た。

 

 ひとりになったアイシアはもう我慢できないとばかりに深い息を吐き出した。

 

「なんでこんなことになったかなあ……」

 

 ISIAの広告塔を否応なく引き受けさせられることになったアイシアは、今日、嫌な面持ちでISIA日本事務局関東支部へ出勤した。警護課のオフィスで腐っていたところで、彼女の出勤を聞きつけたISIA広報部に連れ去られ、気づけばここにいたのだ。

 

 アイシアは生粋の魔法使いであり、従軍経験もある血なまぐさい魔法戦闘のスペシャリストだ。そんな自分がISIAの広告塔をやるなどどうかしている。ASU上層部の意図は透けている。見た目が良く、使い勝手がいい魔法使いだからとりあえずアイシアにしとけばいいだろ、という適当な考えだ。さらに付け足せば、ISIAは読み方によっては“アイシア”になるから丁度いいだろうというアホらしい意味もあった。あまりの馬鹿々々さに泣きそうだった。

 

 それよりも深刻なのはISIAだった。先日のアーキの事件で世論が魔法使いに対してより厳しい目を向けるようになった。魔法使いを統括しているISIAの責任問題にまで進展する始末だ。早急に世論を誘導する必要があるのだ。

 

 だから“まともな人格の持ち主で見た目が良くウケも良さそうな魔法使い”を求めていたところに、ASUが適当に指名した人材がアイシアだった。世論の状況とASUの適当さが彼女をここに追い立てたのだ。

 

「私はこんなことをするためにASUに入った訳じゃないんだけどなあ……」

 

 どうにも諦めきれないアイシアはひとりぼやく。父ラファラン曰く、「これを機に少しは人間社会の価値観を学んでこい」とのことだが、広告活動でどう学べばいいのかまったく想像がつかなかった。むしろ弓鶴が心配で気が気ではないのだ。あの曲者ぞろいの中でひとり常識人の彼は、今ごろ苦労していることだろう。その方面の気苦労をもらってくれるのは有難いが、それでもパートナーを自称しているこちらとしては気が重い。

 

 そんな感じで、アイシアのため息は様々な感情が混ざっていてとても重い。それでも、時間は誰の下にも平等に降り注ぐ。仕事の時間だった。

 

 ISIA職員が控室に入ってきた。

 

「アイシアさん、時間です。スタジオに入ってください」

 

「分かりました」

 

 無理やり笑顔を作り、ASUの深紅のローブを羽織って控室から出る。スタジオに入ると既にカメラマンがスタンバイしていた。

 

 今回は広告用とCMを撮影するらしい。いまからアイシアは、グリーンの背景の前に立ってカメラの先にある民衆に媚を売るのだ。これも仕事だと思って我慢をするが、とてもではないが性に合わなかった。

 

 スタッフたちが笑顔で接してくるため、アイシアも表面上は微笑んで対応する。内心は早く帰りたいの一言に尽きた。

 

 監督と挨拶をかわし、遂に撮影が始まった。まずは写真撮影だ。ここで撮られた写真は各種スクリーンに表示されるのだ。

 

 十機のドローンが飛び立ちアイシアの周りを旋回し始める。これによって三百六十度全方位から彼女を撮影して立体映像を作るのだ。とりあえず制服がスカートじゃなくて良かったと、彼女は現実逃避をするために適当なことを考える。

 

「ではアイシアさん、ポーズを取ってください」

 

 そんなことを言われても困る。せめて誰を殺すためにどう構えるとか言って欲しい。当然そんなことは言えず、アイシアは雑誌で見たことがあるモデルのようなポーズを取ることにする。左手を腰にあて、右足を少し曲げて右手で虚空を掴む。モデルはこんなことをやっていたはずだ。きっと、たぶん、恐らく……。

 

 微妙な心中のアイシアをよそに、カメラマンは「いいねえ、最高だよアイシアさん!」とか言いながらドローンで撮影を続けている。

 

「アイシアさん、次は後ろに振り返る感じで!」

 

 振り返って拳銃でぶち抜けばいいのか。絶対に違うと分かっていながらもアイシアの発想は結局それだ。すべてが戦闘に塗りつぶされているから、動きのひとつひとつにどうしても殺意を宿らせてしまう。それを押さえるのに必死だ。

 

 言われた通り、アイシアは一度グリーンの壁を向いてから左足を一歩引き、左手を腰において右手で頭を押さえながら振り返る。これもどこかで見たことがあるポーズだ。きっと間違っていない。どうにも隙だらけだが、戦っているわけではないのだから問題ないのだ。この瞬間に私なら十回は殺せる、とか思ってはいけない。絶対に。

 

 だんだんとアイシアの頭の中がひっちゃかめっちゃかになっていく。

 

「次は胸の前で何か魔法を使ってみて下さい。見た目が綺麗なやつを!」

 

 ようやく魔法の出番だ。とりあえずプラズマでも生み出してやろうかと思うが、摂氏千度を優に超えるそんなものを出せば下手をすれば大惨事だ。

 

 必死に自分を抑え込んでアイシアは、胸の前に両手をもっていき、《水系分離》と《土系分離》魔法の組み合わせでで氷の結晶を生み出す。ついでに《風系分離》を追加してダイヤモンドダストを起こせばいいだろう。あとは営業用の笑顔だ。困ったら笑えとブリジットと弓鶴が口を酸っぱくして言っていたことを思い出す。いつか仕返しをしてやらないといけないな、と彼女は微笑みながら物騒なことを考えた。

 

 スタジオがわっと湧いた。

 

「素晴らしい! あなたは逸材だ!」

 

 監督が興奮しているが、そんなことを言われようがアイシアは一片も嬉しくない。なにせ中身が生粋の魔法使いであり、命など軽く吹き飛ばされる過酷な現場で働いているからだ。容姿を褒められてもあまり嬉しくはない。

 

「もっと、もっと派手なのはありませんか⁉」

 

 監督はもう鼻血が出そうなくらいのめり込んでいた。とりあえず怖いので石英でもぶつけてやりたかったが我慢。

 

 アイシアは《電磁結合》を使用。全身に紫電を纏わせる。

 

 スタジオが喝采に包まれる。普通のモデルならば、場を支配していることに満足するのだろうが、生憎とアイシアは普通ではない。とりあえずこの電気を手中に集めて誰かに投げつけてやりたいとか考える頭のおかしい魔法使いだ。目の前にブリジットがいれば確実にそうしただろう。現にさっきから周囲を衛星のように飛び続けるドローンがうっとうしくて仕方がないのだ。できることなら撃ち落としたかった。

 

「次は優雅に歩きながら風を操るとかできますか⁉」

 

 徐々に要求がエスカレートしてきている。アイシアは仕方なく記憶にあるモデルウォークをしながら、指先を立てて《風系分離》で小型竜巻を生み出す。それだけでは見栄えが悪いのでダイヤモンドダストでも作っておく。どうだこれで満足かと言わんばかりに睨みつけようとし、すぐにふたりの言葉を思い出してアルカイックな笑み。単純にもう早速疲れてしまい、満面の笑みとか言われても無理なだけだったのだが。

 

「アンビリーバボー! あなたは女神だ‼ 次は火を――」

 

「監督! それはさすがに火事になるから止めてください!」

 

 監督の暴走にスタッフが止めに掛かる。アイシアとしては派手に燃やしてもいい気分だった。そうすれば爽快だろう。ついでに自分を広告塔にしたことをISIAに後悔させられればなお良しだ。

 

 そこから撮影は一時間にも渡って続いた。要求されるポーズや魔法に律義に答えたアイシアは、体力はともかく気分的には倒れる寸前だった。

 

 ASUに採用される魔法使いは特にプライドが高い。そんなアイシアが民衆に媚を売るような真似をすれば疲労するのは当然だ。しかも彼女の双肩にかかっているISIAの威信は比較的どうでもいい。ISIAは魔法使いの人権を守ると高らかに謳いつつも、国際機関だから土壇場になれば魔法使いを裏切り人類に味方をする。

 

 一体自分は何をやっているのだろうかと、パイプ椅子に座りながらアイシアは人知れずため息する。

 

 撮影はまだ終わっていない。これからCMの撮影に入るのだ。今度はポーズだけでなく科白まである始末だ。いつから自分は女優になったのだと、アイシアはできることならこの場で頭を抱えて嘆きたかった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 三十年前、魔法使いを殺すと誓った彼は、二十八年を経て東京に戻ってきた。久しぶりに東京の地を踏んだ彼は、風景ががらりと変わっていることに驚いた。

 

 黄昏に濡れるビル群は更に密度を増し、高さも随分と上がっていた。見上げても頂上が見えないほどだ。昔はなかった立体スクリーンがビルだけでなく道端のあちこちにホログラムを作り、銀糸とブラウンのメッシュという変わっていながらもある種完璧な色合いともいえる髪色をした美女を映し出す。

 

 車はもはや自動運転になっており、運転席を見てもハンドルなど見当たらない。首都高は跡形もなく消え去り、どこにいったのかと思えば、宙に引かれたホログラムの道路上を車が飛翔しているではないか。

 

 どこもかしこも三十年前とは大違いだった。

 

 彼は少し困惑しながら歩を進めた。どこもかしこも最新鋭のSot機器だらけだ。つまり、この街は《第七天国》から引き出された魔法に溢れているということだ。景色は次第に視界から消え去り、魔法使いに対する茫漠とした怒りだけが浮かんでいた。

 

 魔法使いを殺すには魔法使いのことを知らねばならない。だから彼は、十八歳になるとフランスへ飛び、比較的入隊が容易な外人部隊へ志願した。契約満了後、その足でアフリカへ飛び民間軍事会社へ就職した。政情不安定な地域では、ISIAへ通していない魔法使いが平然と戦争に加わっている。そんな魔法使いを彼は雑草を鎌で刈るように殺していった。

 

 そして、彼はもはや噴火寸前の火山さながら、魔法使いへの怒りを心の内に秘めたまま日本へ戻ってきた。祖国日本でのアーキ事件が彼にとって衝撃的だったのだ。

 

 ISIAとASUを恐怖に陥れる。それがいまの彼の原動力だった。

 

 大事なのは計画だった。ISIAもASUも国際機関だ。そして、特にASUは魔法使いの中でもエリートが集められ、魔法戦闘に特化した魔導師もいる。

 

 ならばどうするか。最初の一手は既に決めていた。

 

 彼の視線は街頭で衆目にさらされた美女のホログラムに注がれていた。ASU警備部に所属するアイシア・ラロ。魔導師階梯は第七階梯。

 

 そう、ISIAが依頼したスタッフの仕事は早かった。今の時代、撮影した翌日はおろか当日に公開されるなどざらだ。AIによる動画編集が優秀なのだ。更に現代は情報のスピードが速く、作ってすぐに公開しないと流行に乗り遅れるのだ。そして、ISIAは早期に世論を誘導したがっていたから、相当に突き上げたのだろう。

 

 撮影した当日の午後には、日本全国にアイシアの姿が街のいたるところにあるスクリーンに映し出され、CMまで流れていた。

 

 キャッチフレーズは、「魔法使いのあなたと一緒に働きたい」だ。

 

 クソくらえだ、と彼は心の中で唾棄する。

 

 お前たちのせいで家が潰れた。父が死んだ。魔法などこの世から消えてしまえばいい。

 

 だが、彼も理解していた。世界は魔法を取り込み過ぎた。もはや、魔法無しでは存続できないほどに。そして人は、一度便利さを覚えたら元の不便な環境には戻れない。これが続けば、いま以上に取り返しがつかないほど世界を魔法使いが支配していく。人よりもひどい弱肉強食世界に生きる魔法使いがだ。このままでは世界はより過酷に、原始的になっていく。

 

 彼はあのとき弱者だった。だからいま、この怒りをただの理不尽に使うのではなく、弱者のために使いたかった。その程度に彼は大人になり、現実を知ってしまった。

 

 怒りを瞳に湛えた彼――杉下弘樹は、無人タクシーに乗ってビル群の街から抜け出した。

 

 

 

 


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