アイシア   作:ユーカリの木

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第二章:日向と日影が交わるとき 4

 ISIA日本事務局関東支部のオフィスでテレビを見ていた弓鶴は、そのときビルの非常警報が鳴るのを初めて聞いた。臓腑から恐怖を呼び起こすその音は、瞬く間に全員の意識を強制的に戦闘態勢に入れ替えた。

 

 そして、弓鶴にとっての分水嶺も同時に発生した。

 

 館内放送が響く。

 

「緊急連絡。緊急連絡。説話魔導師が関東支部周囲に魔法転移しました。繰り返す。説話魔導師が関東支部周囲に魔法転移しました。戦闘員は直ちに迎撃へ向かってください」

 

 続いてシャーロットから連絡が入る。端末から鼓膜へ直接声が届けられる。

 

「場所は天王洲の使用されていない倉庫。詳細な位置は端末へ転送するわ」

 

 一瞬にして状況が動いた。

 

 傍にいたブリジットが端末に目を落としながら立ち上がる。彼は既にシャーロットの無限電撃から復活していた。回復まで叔母に面倒を見てもらったとはいえ、普通なら精神が崩壊している拷問だ。それを受けてさほど時間が経っていないというのにも関わらず平然としているのだから、高位の元型魔導師らしい強靭な精神力だった。

 

「行くぞ!」

 

 オットーとラファエルも立ち上がり、今すぐにでも天王洲へ行かんと行動を始める。

 

 だが、弓鶴にとってはそれでは困るのだ。

 

「待て、待ってくれ!」

 

 弓鶴が三人に待ったをかけた。ブリジットがふり返る。

 

「待つ暇はないぞ弓鶴。円珠庵を救出しに天王洲へ向かうぞ」

 

「アイシアはどうなる⁉」

 

 そう、いままさにアイシアが狙撃される様をテレビが中継していたのだ。なんとか凶弾を逃れた彼女だが、その正義感から犯人を追った。そしていま、関東支部に説話魔導師が現れた。あまりにもタイミングが良すぎる。

 

 弓鶴を一瞥したブリジットが、何を言っているのだというように目を細める。

 

「アイシアは狙撃主ごときにやられる手合いではないぞ?」

 

「よく考えろブリジット! アイシアが狙撃された直後に説話魔導師が来たんだぞ? 普通に考えてあり得ないだろ! 説話魔導師のターゲットにアイシアが含まれてるんじゃないのか⁉」

 

「だからなんだ?」

 

 一瞬、頭が空白になった。ブリジットの反応が理解できなかったからだ。

 

「だからなんだ弓鶴。アイシアを助けに行く? アホか? 我らの仕事はなんだ? ピンチに陥った仲間を助けることか? 違う。魔法使い候補者を警護することだ」

 

 分かっている。弓鶴も十分に分かっている。救うべきは警護対象の円珠庵だ。だが、彼の頭は現状を冷静に分析していた。理由は明白だ。自身の憧れている魔法使いを助けたいからだ。

 

 アイシアを狙撃したのは、恐らく反魔法団体だ。広報問題はかねてから叫ばれていたISIAの懸念事項だ。その弱点を突くのであれば、広告塔であるアイシアは立派な的だ。だが、あまりにも説話魔導師の攻撃とのタイミングが良すぎる。まるで呼吸でも合わせているようではないか。

 

 あり得ない。魔法使いと反魔法集団は相容れない水と油だ。片や奇跡の主で、片やその奇跡の結果を憎む人々だからだ。それでも、ISIAとASUを打倒するという利害だけを考えれば目的は一致する。

 

 広告塔アイシアへの狙撃。関東支部への襲撃。これらはどちらか一方でも成功すればISIAは失墜する。敵にしてみればどちらも囮でどちらも本命だ。

 

 なにより、円珠庵は捕まってはいるものの、彼女自身が説話魔導師である以上、大切に扱われる。現状での危機を天秤に乗せれば必然的にアイシアへと傾く。

 

 だが、問題がひとつ。

 

 ブリジットたちを説得する術がないのだ。魔法使いの生き方は苛烈だ。仲間が死んでもそれは魔法が未熟だからと吐き捨てられるくらいだ。情などそこには微塵も介在しない。そんなものよりも仕事を優先する。その方が自身にとって得だからだ。

 

 弓鶴も魔法使いだ。しかし、一般人の価値観をいまだ抱き続ける稀有な魔法使いだ。そんな簡単に仲間の命を捨てる判断などできない。

 

 だから弓鶴は説得を諦め、同田貫を掴んで走った。

 

「待て弓鶴! 命令に従え!」

 

 ブリジットの命令は無視した。

 

 弓鶴は非情になりきれない甘ちゃんだ。魔法使いではそれは死を意味する。それでも、仲間を助けずにはいられない。アイシアを失えば、彼は目標をひとつ失うのだ。この過酷な魔法使いの世でそれは、耐えることなどできない苦痛だ。

 

 廊下を駆けた弓鶴はそのままエレベータで飛行場まで行く。階数が切り替わる表示ディスプレイをじれったい思いで見つめる。ようやく飛行場へ着く。そこは、AWSで外へ飛翔できるように設けられた専用の出入り口だ。

 

 履いていたAWSを起動して弓鶴は関東支部のビルを抜けた。時間が惜しかった。端末に連絡が掛かってきているがすべて無視。体内通信も切った。

 

 冷静な部分は、間違っていると言っていた。すぐに引き返せと怒鳴り散らしていた。それすら無視して弓鶴は秋葉原へ向かう。

 

 そして、幻想の出現を見た。秋葉原UDXビル屋上に、《神曲》から現世へ引きずり出された堕天使が現れたのだ。第八階梯の説話魔導師エルヴィンがいる。

 

 アイシアを探す。見つかる。彼女は宙を飛翔し無数の鎖から逃れていた。距離はまだある。堕天使が放った極光のレーザーが天を貫く。

 

 狙撃音。

 

 宙に血の花が咲く。アイシアが肩に被弾した。重傷だ。焦燥に燃える。落ち着けと己に言い聞かせる。

 

 アイシアが急上昇。鎖がのたうちながらそれを追う。

 

 あと少しのところで、アイシアの動きが僅かに固まった。鎖が彼女の身体に巻き付く。彼女が蒼白の顔を晒す。視界から彼女が消える。狼狽。すぐに理解し眼下を見る。鎖が彼女を大地へ叩きつけようとしていた。

 

 弓鶴は大気を蹴って急降下。爆破移動魔法をこれでもかと駆使して加速する。足首が悲鳴を上げるが痛覚を無理やり締め出す。地面との衝突まで目測であと三秒。

 

「アイシア!」

 

 抜いた同田貫を《四態変換》で一気に気化。白く発光した同田貫を振う。アイシアを捕えていた鎖をすべて切断。魔法を解除し同田貫の刀身を消す。呪縛から解き放たれた彼女の腰と膝裏を抱え、地面衝突ぎりぎりで宙を蹴る。

 

 アイシアを抱いたまま弓鶴は道路と水平に高速移動。腕の中にいる彼女は呆然としていた。

 

「さっさと回復しろ!」

 

「わ、分かった!」

 

 精霊魔法による治癒の光が視界の下に灯ると同時、弓鶴は急上昇。このまま離脱したいが、敵を放置するわけにはいかない。

 

 なぜなら弓鶴は正義の魔法使いだからだ。《神曲》を出してきた以上、敵はなりふり構っていない。逃げればそれだけ被害が広がる可能性があった。

 

 円珠庵のことはブリジット達に任せることにした。それが職務放棄であったとしても、自身が持つ正義の魔法使い像はきっといまの自分だ。間違っていない。これが理想に溺れただけではないと、腕の中で生きているアイシアが証明してくれていると信じた。

 

「なんで、助けに来たの?」

 

 アイシアの泣きそう声。こんな弱気な彼女は初めてみた。

 

 実践と剣道で培ってきた直感が逃げろと怒鳴る。

 

 すぐさま上昇から乱数機動へと移行。鎖が腕を掠め、狙撃弾が頬のすぐ傍を抜ける。

 

 秋葉原UDXビルを再度視認。確認できるだけで、相手は第八階梯の魔導師エルヴィン、そして狙撃手と観測主の三名。狙撃手とエルヴィンがあまりにも厄介だ。ひとりで戦うにはあまりに絶望的な相手だったろう。

 

 だから弓鶴は叫んだ。全部塗り替えられればいいと思った。

 

「仲間だろ! 助けるのは当然だ!」

 

「関東支部は⁉」

 

「それは他の連中の仕事だ! 円珠の救出はブリジット達に任せた!」

 

 空中を踊りながら攻撃を避ける。アイシアの回復はまだ終わらない。彼女がAWSを履いていない以上、機動力は弓鶴が担当するしかない。

 

 アイシアが喚く。

 

「仕事を放棄したの⁉」

 

「うるさい黙れ! いいからさっさと

 

「なんで来たの! そんな風に教えてない!」

 

 アイシアは黙ってくれない。治癒をしながら叱るという器用なことをやっている。普段の彼女なら、こんな状況で説教をしたりしない。彼女も動転しているのだ。

 

 弓鶴も攻撃を避けながら会話をしている。神経をヤスリで削るような作業は長くはもたない。

 

 面倒だから弓鶴は一言で叫び返した。

 

「お前の方が大事だ‼」

 

 アイシアが静かになった。これ幸いとばかりに会話を打ち切る。彼女の状態を一瞥。左肩回復。両手両足首はまだ傷があるが戦闘に支障なし。脇腹の傷も塞がっている。顔が赤いが言い合いで心拍数が上がっているだけだと判断。

 

 結論、戦える。

 

「攻撃任せた! 戦闘機動はこっちでやる!」

 

「了解!」

 

 どうやら腹を括ったアイシアが叫び返し、両手を弓鶴の首に回した。そろそろ手が痺れてきていたから助かった。

 

 静止の間はない。鎖も光の砲撃も狙撃も、さっきからひっきりなしに飛び交っているのだ。動きを止めた瞬間に死ぬ。避け方を失敗しても死。ここは、あらゆる場所に死がたゆたい弓鶴たちを招いている地獄だ。

 

 それでも、ふたりなら何とかなると思った。アーキ事件も解決したのだ。今回もきっと上手く行く。根拠はないが、そう信じられた。

 

 

 

 


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