この日は休日。桜介は一人大好きなラーメン屋巡りと趣味の本屋巡りをする予定だった。
一応ネクタイはしているものの、黒い革ジャンと白のワイシャツをラフに着こなし歩くその様はまさしく肩で風を切るという表現がよく似合う。だが今日はその後ろを懸命に追いかける一人の女生徒がいた。
「おい、桜介!待てって」
「ついてくるんじゃない」
「ひどすぎるだろ…。たまには付き合ってくれてもいいじゃねーか。一緒にどっかいこうぜ?」
ようやく追い付いたその女生徒はIS学園三年生のトップに立つ生徒、ダリルケーシー。中国から帰ってからというもの、顔を見ては付きまとってくることにもううんざりとしていた。
「なんで俺が貴重な休日にお前の相手を…」
「だからさ、遊んでくれたっていいだろ?」
どこまで歩いても勝手についてくるその様はまるでぶんぶん尻尾を振る懐いた子犬。
今日も玄関を出るところをたまたま見られてしまい、ここまでついてこられている。その遭遇率はこいつ、いつも俺のことを探してるんじゃないのかと疑いたくなるほどだ。
「はぁ。じゃあラーメンだけだ。そのかわり飯食ったら帰れよ、お前」
「へっ。やっぱり話がわかるな、桜介は」
何故か周りをキョロキョロと警戒してから、しぶしぶ同行を許可する。それでもダリルは嬉しそうにニッコリ笑った。実際のところ、食事のあとの予定は本屋で店員に止められるまでひたすら立ち読みをして回るというもの。相当な読書家以外は楽しくもないだろう。
「…わかりたくもないんだがな」
「なんだよ?ツンデレか、おい」
「残念だ。ダリル、いいやつだったよ…」
しょうがなく許可を出したというのに、すぐ調子にのるバカはここでお別れだ。もともと男女など問わず、友人や連れと食事に行くぐらいでいちいち躊躇うタイプではない。それでも気にしているのはまた見つかって楯無の機嫌を損ねるのが嫌だから。以前は軽いスキンシップや何気ない言葉ひとつでのぼせ上がっていた女も、最近は学習したのかそう簡単にはいかず、なかなかに手強い。どう考えてもからかいすぎたのが悪いので、これはもう自業自得だった。
「うえぇ!?過去系にするなぁ!だからそれは洒落になんないんだってば!!」
「うるさいな、そう簡単にやるわけないだろ。そんな殺し屋じゃあるまいし…」
「いやいや、あんた、伝説の殺し屋じゃん…」
「んだと?どこが殺し屋だ、ぶっ殺すぞ!?」
「そこだよ、そこぉ!」
失礼な誤解をされているようだが、職業は拳法家である。しかし最近これと一緒にいると、楯無が本当に嫌そうな顔をして睨んでくる。拗ねたその様子も一見すると可愛いものだが、毎回そこから機嫌とるのが大変なのだ。
もう正直慣れたといえば慣れたが、出来ればやりたくない。それに特技が女のご機嫌とりなど情けないし、冗談にしても笑えないだろう。
「実は店はもう決めてある。このあたりにある店が旨いらしくって。一度行ってみたいと思ってたんだよ」
「へえ〜。お前にそんな趣味があったなんて。怖いイメージばっかりだったからさ、なんだか新鮮だな!」
ダリルは本当に楽しそうだ。その辺りすごい精神力である。例えばついこないだ閻王と言いふらした腹いせでモヒカン刈りにしようとしたらガチ泣きした。その後、おでこをトンとつついて、お前の命はあと五秒だとカウントダウン付きで脅してやった時には、過呼吸を起こして失禁までしたばかりだというのに。
どれだけいじめられようと次に会うときにはケロッとまるで忘れたようにフレンドリーに接してくる。そんなダリルに最初は呆れていたが、ここまでくると凄まじい根性だ。いったいなにをどうしたら離れていくのか、けして外れぬ呪いの装備にもうお手上げ状態だと言ってもいい。
「まったく…。何がそんなに楽しいんだ」
「いいんだよ。それより早くいこうぜ!」
そう言って図々しく腕を組んでくる。しかし、それをすぐに払う。エスコートの文化はもちろん知っているが、そんなことを許せばまた調子にのるに違いない。それに万が一見つかったときのリスクも跳ね上がる。たびたび巧妙に後ろをつけられているような気がするのに、チェイシングだけならまだしも、密着マンマークはまずい。その豊かな胸の感触と天秤にかけても、やはり宥めるときの苦労がだいぶ勝る。数分間気持ちがいい代わりに数時間機嫌をとれと?冗談じゃない。
「ちっ。けちだなぁ…」
「…黙ってついてこい」
「へいへい、わかりましたよ〜」
そして二人並んで街中をラーメン屋台のある路地裏へと向かって歩き出す。
いまさらだがこの二人、揃って長身である。海外のアクション俳優と比べても全く引けをとらない逞しい体つきの男と、欧米人らしいグラマーな体型の女。それに纏う雰囲気もこれでもかと言うほどにワイルド。顔立ちだって二人とも整ってはいるが、キツメの部類には入る。今日のダリルは黒のブルゾンジャケットを着ていて、ともに下はジーンズ。並んで歩くともうどこからどう見ても、よくいる不良カップルにしか見えない。それどころか、もし仮にダリルの腕に赤ん坊がいたとしても、まるっきりなんの違和感もない。
そんなところも楯無が嫌がる原因の一つで。クールでどこかミステリアスな雰囲気を持つ楯無より、どうしてもワイルド系のダリルの方が隣にいても似合ってしまう。というより、見た目だけなら学園の誰よりもよく似合うだろう。
楯無も背は長身とまではいかないものの、わりと高い方であり、二人も充分にお似合いといえる。要はダリルがそれ以上ということ。些細なことでも負けを認めるようで、悔しいから決して口に出したことはない。しかし楯無は結構気にしていた。
「ここだな…。ダシのいい臭いがする」
「本当に臭いだけで見つけやがった、地図も見ずに。やっぱお前の方が、余程犬なんじゃねーのか?」
「そうだよな…。やっぱり駄目犬には一度厳しい再教育が必要だよな。なあ、お前もそう思うだろ?」
「ちょ、ま、待てっ、待ってぇ!それは、だめだよっ、早まるなぁ、もう入ろ?入ろうよぉ!!」
路地裏の屋台の前でそんなやり取りもあったが、外まで通ってくるそのいい臭いに、桜介はなんとかしつけを思いとどまって暖簾をくぐる。
そして、二人は指定された席に並んで座った。
「親父、ラーメン!」
「じゃあオレはチャーシュー麺を」
「あいよ!」
元気のいい返事をするラーメン屋台の中年店主。これはもう間違いないだろう。見るからに職人気質の主人に、その期待値はさらに跳ね上がる。
「ああ…。楽しみだな、おい!」
「本当にキャラ変わりすぎだろ…。なんなんだ、そのテンションは?どんだけ好きなんだよ…」
「うまいんだよ、お前も食えばわかるって!ほらほら、もうすぐくるぞ?」
そんな話をしてるうちに、カウンター越しに丼が二つ出された。
その透き通るようスープや、香ばしい醤油の臭いに、桜介はもう当然のごとくウキウキである。
「んふふ~♪いただきまーす!」
桜介は鼻歌混じりに丼に箸を突っ込もうとするが、突然屋台に黒塗りの車が突っ込んできた。
「ん?」
「ぎゃああ!?あっちいぃ!!」
桜介はそれに驚いて、丼を隣のダリルの頭へと綺麗にぶちまけてしまう。
屋台を通りすぎた車の方へと視線を向けると、他の車がそこに衝突するように止まっていた。
そのあとも次々と車が止まり、中からは銃を持った黒服の男たちがどんどん降りてくる。
「どっかの組織同士の抗争だろ…。巻き込まれても面倒だな。しゃあねぇ、もういこうぜ?」
「ふざけんなよ、あいつら。人の飯を…!!」
ダリルがやれやれといった具合に声をかけるが、その時にはもう桜介は完全にきれていた。
鬼の形相を浮かべて、まっすぐに車が止まっている方へとすごい勢いで走りだす。
「なんだ?こいつ!」
「ガキが邪魔すんじゃねえ!」
左手の指にタバコを四本挟んで一気に吸いながら、まずは二人の頭部に肘打ち、そのままもう一人にはストレート、その隣の男にはフックを打ち込む。
「邪魔したのは、てめーらだろうが!」
そう叫びながら、今度は右手の指に挟んだ四本のタバコをまとめて吹かす。
そして右足で目の前の男の腹に蹴りを、そのまま隣の男の顔面に後ろ回し蹴りを放つと、そのあとも手当たり次第に周りの人間を殴りまくる。
「なにいってんだ、このガキは!?」
「あ、頭おかしいぞ、こいつっ!?」
次に殴りかかってくる男にはカウンターでアッパーを、掴んでくる相手はそのまま投げ飛ばし、その二人は何メートルもぶっ飛んだ。
「しらばっくれてんじゃねぇ、くそども!ラーメン返せよ、俺のラーメン!!」
当然これぐらいでは怒りは到底収まらない。
もう遠慮なしに銃をぶっぱなしてくるので、タバコをまた四本咥えて火をつけ、銃弾をしゃがんでかわしながら凪ぎ払うようなローキックで二人同時に地面に倒す。
すぐにジャンプしてそれを踏みつけると、ついでに後ろの二人には裏拳を叩き込んだ。
「つええぞ!?このガキ…!」
「なにもんだ、このガキ!?」
「ガキはママに小遣いでも貰ってろ!」
後ろから複数人に銃撃を放たれる。それに気づくと残りの八本を全部咥えて高く高く飛ぶ。
「小遣い…。小遣いだと?」
器用に空中で火をつけて一口で根本まで吸いきると、後方宙返りから横に強烈な蹴りを振り切り、まとめて派手にぶっ飛ばす。
「おい、お前。小遣いに文句あんのか?俺が小遣いもらってたら、そんなにおかしいのかよぉ!」
桜介は一人だけ残った男の胸ぐらを掴んで、強引に持ち上げる。そのまま顔を近づけ、有無を言わさぬ強い視線でギロッとキツく睨み付けた。
「とりあえずラーメン代とタバコ代だ。しっかり弁償しろ、このやろう!」
「な、なんで?なんで、たばこ?た…たばこは関係ないだろ、たばこはぁ!?」
「全部吸っちまった。それもお前らのせいだろ。おかげでこっちはまたシケモクだよ、おい!!」
そんなことを言ってる間にも、強く締め付けたせいで男は気絶してしまう。
そこにようやく巻き添えを避けて、離れたまま様子を見ていたダリルが駆け寄ってくる。
「な、なあ。そろそろ許してやれって!こいつらもう意識ないだろ。これ以上は死んじまう…」
「こいつらも俺のラーメンを殺したろ」
「殺したってそんな生き物みたいに…」
「悪党どもの命と、俺のラーメンの命。重みは比べるまでもねーよな。起きろや、こら」
「だから蹴るなぁ!死んじまうだろ、こんな街中で」
「なんだ、お前。敵は殺せと教わらなかったのか?」
「教わったよ!?でもこいつら別にお前の敵じゃないだろ!手にかけたら後々面倒なことに…」
「そうか。じゃあもういっそのこと組織ごと潰しちまおう。おら、起きろ。アジトはどこだ?」
「た、たかがラーメンをこぼされたぐらいで!?お前まじでたち悪すぎだろ!!」
「……たかが?ぐらい??さっきから聞いてればしょせん他人事だと思って!お前…ちょっとこっちこい」
「ちょっ、おい、ばか、だめ、やだ、やめて!ラーメンは奢る、タバコも分ける、分けてあげるからぁ!」
自分にも飛び火したことで、慌てたダリルがなんとか諌めようとする。しかしそれぐらいで止まるはずがない。ここでチョイスしたのは、なんと掟破りのチョークスリーパーだ。
「なにが、はい。今月のお小遣いよ、だ。そんなの親にももらったことねーぞ、俺は…」
「うぐっ!?」
ダリルは当然もがくが、後ろから太い腕を食い込ませてがっちり締め上げる。ここまで怒っているのは、やはり学園祭から始まったお小遣い制が大きい。盛大に無駄遣いしようとしたせいで、見かねた楯無が唐突に管理するなど言い出した。それもよりによって母親の前で。
そして案の定、同じく見かねていた母は二つ返事でそれを了承してしまう。
「当たり前だが、俺は独り身なんだよな。普通こんなのってありえねーだろうが…」
「げえっ!?」
楯無だけならいくらでも言いくるめられる。しかしそうなるともう逆らえるはずもない。もともと再会したばかりの母には滅法弱いのだ。
「くそ…。あいつ、いったいなんの権利があって…」
「くはっ…!!」
試しに一度返せと言ってみたときはその場で親に電話されそうになった。だからもう諦めるしかないのはわかっている。たしかに自分もまだ学生の身。悔しいが、親であればその権利もあるのだろう。
そして当たり前のように心を読んでくる母に、言い訳や嘘の類いは一切通用しないのだ。
「あ〜。ムシャクシャする。とりあえず殺しとくか」
「やっ、やめでぇ…」
もがく、もがく。愚痴をこぼしながら八つ当たりをしてしまったが、さすがにこれ以上やったら泣いてしまう。熱くなりやすい性格も裏目に出てしまった自覚があるので、ここらで離してやることにした。
「はぁ…はあ…。おいぃぃ!オレが逆らえないからってなにしてもいいと思ってんのかよぉ!!」
「んー?ははは、わるいわるい!せっかくだしさ、レインちゃんもついでに死んどくかなって♪」
基本的に悪人にはなにしてもいいと思っているのも事実。これぞ北斗神拳伝承者の鏡といえるだろう。
「ひぐっ、レインちゃんって、言うな…っ」
ほんの軽いアメリカンジョークのつもりだったが、どうやら結局泣かせてしまったらしい。どうしようかと思っていると、ちょうどよくポケットの携帯が鳴る。
「今度の土日?通訳の仕事だって?もちろんやる。うん、給料なんていくらでもいい。ただし、振り込みより現金で…」
連絡は昔から付き合いのある人物からだった。いくらお金に関心がないとはいえ、取り上げられて初めてわかるありがたみ。ないよりはあったほうがいいのだろう、そう思ってしまった。結局煙草のない外出など考えられず、今日のところはラーメンだけ奢ってもらい、そのまままっすぐ寮へ帰ることにした。