蒼天の狙撃手   作:バティ

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久しぶりで短いですが、リハビリみたいなものなのでご勘弁を。


88話

「よし、こい」

 

「くっ……」

 

その合図を受けて動き出したのは、いきなり呼び出されてコック服を渡された助手。

しかしその長身や抜群のスタイル、後ろで束ねた髪も含めてなかなか様になっている。

助手は言われるがままISを部分展開すると、ちょうどいい大きさと温度に加減された火炎を放つ。

 

「うん…。こんなものかね」

 

イメージ通りに再現されたお店の火力、それに満足げに首を縦に振るのは、これまたコック服に着替えた体格のいいシェフだ。こういういわゆる体育会系の男っぽい職業をやらせれば、珍しくそれなりによく似合ってしまう。

まず中華鍋に中華お玉で投入するのは油だった。鍋を片手で回すとその強い火力でジュワーっと響くのは心地よい油の音。そして、卵、ご飯の順にどんどん入れていく。その手慣れた様子は、とても料理の素人に見えない。

 

「ふむ…。ほんの少し火力を上げてくれたまえ」

 

「ちっ…」

 

「おいおい、助手さん!?きみさ、今舌打ちしたよねぇ?あとで裏へきなさい、お話しようじゃないか!」

 

「えっ?してねーですよ、料理長…」

 

ご飯と卵をお玉でほぐしながら鍋を返しつつ、雑談をするだけの余裕があるあたり、わりと手先が器用な方のだろう。

 

「ふんふんふーん♪」

 

パラパラになるように混ぜながら炒める。たったこれだけのことでも、シェフはなんだかとっても楽しそうだ。もしかしたらコック服を着れただけで、もうすでに大満足なのかもしれない。

持ち前の腕力でパワハラシェフがパワフルに鍋を振るうと、米は瞬く間にばらけてパラパラになっていく。

 

「あっちぃ!?おいグリル!もう少し弱めてくれる?これじゃあ鍋が溶けちゃうよ!?」

 

「誰がグリルだ…。ちきしょう!」

 

そう言いつつもきちんと火加減を調整する助手。当然弱すぎるのはだめだが、逆にあまりに強すぎるのもだめ。あくまでもチャーハンは火力が命。それが今回この炎の料理人を助手に選んだ理由でもある。

 

「ほい、ほいっと」

 

助手の仕事を確認してから、あらかじめ切っておいたネギとチャーシューを皿から投入。鍋を煽りながらそれを混ぜ合わせる。

 

「ふぅ……」

 

ここで煙草を咥えて助手へ視線を向けるが、部下であるはずの助手は、なんとそれを見て見ぬふり。もしかして、これは遅れてきた反抗期というやつだろうか。

 

「……グリル?」

 

「ああっ、くそ!グリルじゃねーんだってば!!」

 

促されてようやくポケットからライターを取り出し、シェフの煙草に火をつける助手。それでも最低限の言葉で意思疏通がとれるのは息の合ったコンビネーションのたまもの。

 

「ぷぅ~。別にいいじゃねーか、炎の家系なんだろ」

 

塩、胡椒、旨味調味料を振りながら一服する。一見不真面目に見えるかもしれないが、ヘビースモーカーのシェフにとっては、これもまた大事な作業の一環。それに決してお玉で混ぜるのも疎かにはしていない。

 

「ググッ!こんなことやらせやがって。もうお前以外だったら、とっくに網焼きにしてるところだぜ…っ」

 

ここでも助手はぐっと堪える。本来短気な女がさっさと網焼きにしてしまわないのは、キレても勝てないとわかっているからだろう。

 

「バカヤロー!それでもやる気あんのか、おい!もうやめちまえー!」

 

「えっ、いいの?」

 

「……いいわけねーだろ。お前はグリル係のグリル!わかったか、このグリルー!」

 

厨房にシェフの容赦のない罵声が飛ぶ。コックの世界は完全な縦社会だ。上下関係にはとても厳しい。シェフが焼き物担当に任命したからには、下のものはそれを全うしなければならない。個人の希望など通らないのだ。厨房はいわば小さな戦場であり、ここでは上司のいうことは絶対だった。

 

「あら、なにやら騒がしいですわね。調理の方はどうかしら?」

 

「ん〜?なんだ、こっちはドリ……おっ、お嬢様!」

 

「シェフ、あとで部屋へ来なさい。お話があります」

 

「滅相もない、もう少々お待ちを!」

 

危ない、危ない。最初に目に入った巻き髪を見て、ついうっかり口を滑らせてしまうところだった。ここは一刻も早く料理をお出しして有耶無耶にしなければ。

 

「それよりも、あなたが今いったいなにを言うつもりだったのか?むしろそちらの方が気になりますわね」

 

「さて、なんのことですかな?」

 

ニヤリとニヒルな笑みを浮かべる。シェフといえばやはりこの台詞。たいていの場合、これで相手が勝手に色々と察してくれる。それどころか、勝手に恋に落ちた女性も数しれぬ魔法の言葉。もちろんそれ以上の詮索などされることもないのだ。もう気分はすっかり幻の料理人だった。

 

「はぁ…。まあそれはそれとして、わざわざ助っ人など頼まなくても、言ってくれたら手伝いましたのに」

 

「それには及びません。よりによってお嬢様の手を煩わせるなんて。料理人のプライドがありますので!」

 

姿勢をピンと正してお返事をし、そっと背中を押してなんとか食卓へお戻り頂く。シェフといえど雇われの身、雇い主には逆らえない。例えば、『わたくし、デザートが食べたいですわ』と突然仰られれば、今からでも氷のパティシエを呼び、大急ぎでアイスクリーム作りにも取りかからねばなるまい。そしてそれにも経費がかかる。材料費はもちろん、その見返りに寿司でも奢らされるに違いない。いったいアイスクリーム一つ作るのにいくらかかることやら。だからといって、まさか安易にコンビニアイスをお出しするわけにもいかないだろう。

 

「やっぱりじっとしてるのも退屈ですわ。わたくしも手伝わせていただき…」

 

「だめですって。火傷しちゃいますよ!?その白魚のような美しい手がっ!」

 

「し、仕方ありませんわね、そこまで言うなら…」

 

今度をお手をそっと拝借して食卓へ丁寧にエスコートさせて頂く。たとえ英国でも上流階級の飯は漏れなく美味である。世界各国のレストランが揃っているので当然と言えば当然だが、つまりお嬢様も料理の腕前はともかく、舌だけはしっかり肥えていらっしゃる。それはある種のワガママボディとすら言えるだろう。すでにチャーシューだってそれなりのものを使用しているのだ。そのうえアイスまで本格的なものを用意するとなれば、お小遣い制の身には大打撃となる。チャーハンだけでどうにか満足してもらうためにも、失敗だけは絶対に許されない。サラリーマンの悲哀がそこにあった。

 

「やれやれ…。お嬢様にも困ったものですな」

 

「甘やかしすぎだ。お前が女に弱えのはわかった…。じゃあなんでオレにだけそんなにつええんだよっ!」

 

正真正銘のワガママボディの持ち主である助手からはそんな不満が漏れるものの、たとえ女や子供に対して甘い甘いといくら言われようとも、チンピラなどの輩に対しては徹底して冷酷無比を貫くのが信条。しかしそれを今バカ正直に話しても、いたずらに部下の労働意欲を下げてしまうだけだろう。

 

「色男、金と力はなかりけりだ…」

 

「ち、力がねえって…。誰が!?」

 

「俺だよ、俺」

 

「ありえねーだろ……色男はともかく」

 

「それよりグリちゃん、スープの用意だ!」

 

「なぜオレが一年の飯の支度を…」

 

チャーハンに中華スープは必須である。しかし、そもそもスープ作りはグリル係の仕事ではない。事実、これはスープ係のいない小さな厨房ゆえの苦肉の策。

 

「そういうな…。それより仕事が終わったら、久しぶりに一杯どうかね?実はワインを冷やしてあるんだ」

 

余ったチャーシューをツマミにしようか、なんてやんちゃ笑みで。普段武骨なシェフの滅多に見せない気遣いに、助手は思わずドキッとする。厳しいだけでは上に立つものは務まらないし、誰もついてきやしない。たまには部下の愚痴を聞いてやるのも上司の役目。そしてよく頑張った時にはささやかなご褒美だってあるのだ。

 

「それを先に言ってくれよっ。オーケーボス。スープは任しとけ!」

 

急にやる気を出すげんきんな助手に、フッと笑みを浮かべたシェフは鍋を混ぜつつ、鍋肌に醤油を垂らしてまたガンガン煽る、煽る。そして仕上げのネギ油を入れて混ぜたら、あっという間に本格チャーハンの出来上がり。

 

完成(ウァンチァン)

 

助手が器に盛ったスープに長ネギを散らし、チャーハンをお玉で皿へよそう。最後を中国語で締め括るあたり、いかにこのシェフがノリノリでなりきっているのかが、実によくわかる。料理よりも変装が好きなのが玉に瑕のシェフ、しかし一応最後まで立派にやりきった。途中までは助手との温度差がすごかったものの、まさしく二人がかりの渾身の一品だ。それが本日のお嬢様のご夕食だった。


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