彼女は急ぎます、大切な相棒に感謝を伝える為に。
行先は商人に教えられたとある国。
向かう理由はただ一つ、大切な相棒に感謝を伝える為に。
閑散とした山道に青々とした葉っぱが踊っていました。
強風が吹き抜ける度、枝がしなり、しがみ付いていた木の葉たちが空中へと躍り出ます。
その様子はまるで舞踏会、自然が織りなす芸術その物でした。
そして、そんな山道にはもう一つの芸術作品がありました。
すれ違った老若男女全てが振り帰り、惜しみない称賛を送る程美しい容姿を持ち、自然が生み出す千の光景よりも美しい銀髪を風に躍らせる、箒に乗った美少女。
そう、私です。
「風少し強すぎじゃありません? こっちはか弱い美少女なんですから、もう少し優しくしてくれませんかね」
などと、文句を言っても風は聞いてはくれないようで
何時まで経っても止む気配がしません。
なので時折吹く風が私の帽子を攫いそうになる度げんなりとした気持ちになりながら、諦めて風をかき分け進んで行きます。
さて、なぜ私がこんな所で強風に晒されながら、寂れた山道を飛んでいるのか───話は数時間前に遡ります。
〇 〇
「いやぁ嬢ちゃん、ほんとに助かったよ!」
商人の男性が禿頭を下げて感謝を伝えてきます。
先程道端で出会ったこの男性は、木箱の前で「商品をダメにしちまった…もうダメだ死ぬしかない…でも折角死ぬんだったらあそこの美少女をナンパしてから死のう」
などと戯言を言っておりまして、ナンパされるのもめんどくさかったのでさっさと困っている理由を解決してあげようと思って私は声をかけました。…あわよくば報酬を取り立てようなんて思ってはいません。
事情を聴いてみると単純明快な問題でした、男性は商人らしく売るための仕入れをしてきたのですが、割れ物の商品が入っていた木箱を落としてしまい、商品をダメにしてしまったらしいのです。
中を見せてもらいましたが、物の見事にぐっちゃぐっちゃのしっちゃかめっちゃかでした
しかし私は魔女です、この程度を直すのは造作もない事なのでさらっと修復してあげました。
「いえいえ、礼はいりませんよ、金貨はいりますが」
おっと、口が滑りました。
「おいおい嬢ちゃん、見た目によらず強欲だな」
「金貨一枚で良いですよ、その商品を失うよりは安いでしょう?」
「ああとってもお安い、だがこいつを買うのに全部の金を使っちまったから何もないぞ?」
「…まじですか」
「まじだ」
商品を入荷するために全財産使うとか馬鹿なんですかね? いえ馬鹿に違いありません。
「…はぁ、告白されなかっただけでもよしとしますか」
「うん、嬢ちゃん? 勘違いしてねえか、俺が告白しようとしてたのはあの子だぞ」
男性が指さす先には「ちょっと、そこの人! 強くて優しくて格好良くて若干下衆くてクズで性根の腐ってるわたくしのお姉さましりませんか! え、見た目? 美しい銀髪の魔女なのですわ!」
なんて道行く人に聞いて回っている、黒いもふもふとした筒の帽子に上品なゴシックドレスみたいなローブを身に着けた何処かで見たことあるような金髪の少女が居ました。
「嬢ちゃん? なに突然隠れてんだ?」
「気にしないでください、ていうかあなたあの少女に告白しようとしてたんですか」
「おうよ! あの小ささとか、気品を感じさせる口調とか、小さい子らしく元気があふれている所とか、小ささとか! 小ささとか最高だよな!」
…訂正です、馬鹿で変態でした。
もうなんか色々嫌になって、いそいそとその場を離れようとすると商人が私を引き止めます。
「おっと、ちょっと待ってくれ嬢ちゃん。嬢ちゃんは旅人だろ?」
「そうですけど…よくわかりましたね」
「たまたま入国するのを見ててな、ただで帰すのもアレだからいい情報をやろう。もう知ってるかもだが、近々隣の国で凄い綺麗な祭りがあるから行ってみると良い、この世の物とは思えぬ美しさでな──────」
そうして商人から聞いたそのお祭りとやらに行こうと思いまして、隣の国へと続く山道を飛行している次第なのです。
しかし何故こんな強風の中を飛行しているのかと言いますと、どうやらお祭りの開催は
明日であるらしく、急ぐ必要があったのです。
折角参加するなら最初から最後までお祭りを堪能したいですからね。
…決して、何処かで見たことある少女から早いとこ逃げたいとかそんなこと思ってませんからね?
〇 〇
窓からの光が私の顔を撫で、朝が来たことを告げます。
欠伸を一つしてから、少し名残惜しさを感じつつベッドから体を起こして背伸びで眠気を覚まします。
窓を開けると喧噪や何かの音色が聞こえて来ましら、既にお祭りが始まっているのでしょう。
「お祭りなんて久々でワクワクしますね」
ローブを羽織り、バックを持って、出かける支度を整えます。
そして仕上げに杖を持って、一振り。
「てりゃー」
杖から放たれた魔法が部屋の隅に立てかけられていたほうきに向かって行きます。
〇 〇
「え…? イレイナさま、何故わたくしを…?」
まさか魔法が自分に飛んでくるものだと予期していなかったわたくしはきっと呆けた表情をしていることでしょう。
今まで緊急時以外に呼び出されたことは無かったのですから、予期する方が無理だと言うものです。
「昨日はすいません、あんな強風の中飛ばしてしまって。穂先も大分荒れてしまってましたね」
「いいえ、わたくしはイレイナさまの道具ですから、何時だろうが何処だろうが使って貰えることが嬉しいのです、だからお気になさらないでください。…それを伝える為にわたくしを呼び出したのですか?」
「それだけじゃありませんよ、今日は日ごろほうきさんにお世話になっている恩返しをしようと思いまして呼び出したんです」
「わたくしに恩返し…?」
「今日一日私と一緒にこの国を回りましょう」
そう言って、イレイナさまが手を差し出して来ました。
きっとイレイナさまはわたくしがその手を掴むことを望んでいる筈です。
イレイナさまの道具であるならば、きっとその手を掴むべきなのでしょう。
ですがわたくしは掴むことを躊躇してしまいます。
「イレイナさま、嬉しいお言葉ですが…わたくしは物です。日々の労働に見返りを求めることはいたしません。自分の分は弁えております」
「…そうですね、確かに貴方は物かもしれません。弁えるべき分があるのかもしれません
ですが、その分というのは私の望みよりも優先されるべきことなのでしょうか?」
やや強めな語調でイレイナさまは問います、暗に「道具なのならば分だとかなんだとか言い出す前に私に従ってください」と言っているのでしょう。
でもそれは全てわたくしの為、そう思ってしまうとイレイナさまの優しさに気持ちが揺らぎ、つい口から本心が滑ってしまいます。
「イレイナさま、今日だけは…道具としての職務を忘れてもよろしいのでしょうか…」
イレイナさまは何も答えず、わたくしをそっと連れ出しました。
〇 〇
「しかしまあ、なんといってもまずはお腹を満たさないと始まりませんね」
イレイナさまと宿屋に併設されたレストランに来ていました、メニュー表とにらめっこするわたくしを既に注文する品を決めたイレイナさまが頬杖を突いて暇そうに見めています。
「私はシーフードグラタンにしますけど、ほうきさんは何を食べるのか決まりました?」
「イレイナさま、もう少しお待ちを…物を食べるのが初めてなのでどれもこれも魅力的に見えて仕方が無いのです」
人の姿になったのは初めてではありませんが、食事などという人間らしい行為を行うのは初めてなので存外に楽しんでいたのです。
「何に悩んでいるんですか? お金に関しては気にしなくていいですよ」
「イレイナさま、もしかしてまた風邪をお引きになられました?」
「…それほどまでに感謝しているということですよ、言わせないでください」
自分が珍しいことをしているという自覚があるのでしょうか、顔を赤くするイレイナさまも大変可愛らしかったのですが網膜に焼き付けている場合ではありません。早いところ決めなければイレイナさまに迷惑がかかってしまいます。
「出来ればイレイナさまの好物であるパンを食して見たいのですが、沢山種類があって目移りしてしまいますね」
「まあ気持ちはわかります」
そこまで言って言葉を切ったイレイナさまは私からメニュー表を取り上げ、店員に声をかけます。
「ですから、こうしましょう」
そうしてやってきた店員にメニュー表を見せて、パンの欄をなぞって言いました。
「全て一つずつ下さい、それとコーヒーとモーニングメニューの飲み物全てお願いします」
「イレイナさま? シーフードグラタンはいいのですか?」
「いいんですよ、わたしも色々なパンを食べたくなったんです。ほうきさんも色々食べたいならちょうどいいでしょう?」
そうおっしゃるイレイナさまの優しさに、頬が緩んでしまいます。
「イレイナさま…ありがとうございます。しかし他にもなにか頼んでませんでしたか?」
「そうですね、カプチーノ、ココア、コーヒーなどなど飲み物を一通り。ほうきさんの口に合うものがどれかわかりませんからね」
「イレイナさまも飲むのですよね…?」
「私はコーヒーだけで十分です、あとは全部飲んじゃって大丈夫ですよ。ほうきさんも色々飲んでみたいでしょう?」
これはイレイナさまの優しさでお腹がタプンタプンになりそうですね…
食べ終え、一息ついたわたくしにイレイナさまが問いました。
「ほうきさん、どのパンが美味しかったですか?」
「そうですね、どのパンもおいしゅうございましたが、一番を決めるとすればクロワッサンですね、あのサクサク感とほのかな甘みが気に入りました」
わたくしは間髪挟むことなく答えを返します、それほどまでにあのパン格別の美味しさだったのです。
「では飲み物だと?」
「それでしたらコーヒーですね、あの苦みは甘いパンを食べる上ではこれ以上ないくらい心地良い味です」
「おや、奇遇ですね。私もクロワッサンとコーヒーが大好きなんですよ」
「知っていますよ、イレイナさま。味覚なんかも似てしまうようでございますね」
イレイナさまとの問答を終え、示し合わせたかのように二人でクスリと笑いました。
〇 〇
国を挙げてのお祭りですからそれはもうとても大きいもので。騒がしさと言ったら国中で宴会が行われているかのよう、更には民家から屋台、果ては国の中心にそびえるお城まであらゆる場所に装飾がなされております。
そんな初めて体験する────いえ、人の姿で初めて体験するお祭りには不思議な店が出店しておりました。
これほど大きなお祭りなので、どの客層を狙った物なのかわからないような不思議な屋台はあってもおかしくはないのですが、他のお祭りでは見られないような奇妙極まりない屋台が並んでいたのです。
しかしそれだけではなく、その周りに群がる人々も中々に奇妙な物でした。
「イレイナ様…あれはいったい何なのでしょう…?」
わたくしの指さす先には奇妙極まりない屋台の商品を購入する豪奢な姿の女性たち、より具体的に言えば屋台の商品である植物が植えられた植木鉢を購入しているドレスを着た客の姿。
「いやー、やっぱりこの祭りではこれを買わなくちゃダメよね!」「今年もしっかり買えてよかった、今年も娘の笑顔が見られるわ」高そうなドレスを身に纏っていながら植物の植えられたどこにでも売っているような植木鉢を抱え、そんなことを言っている姿は正気すら疑ってしまいたくなるほど珍妙な光景でございました。
「知らなくても仕方ないですよね、ほうきさんはあの時は宿に置きっぱなしでしたもんね」
「あの時?…いつでございますか?」
「昨日のお昼の話ですよ、その時に出会った人がこのお祭りの事を教えてくれたんです。
この国では満月の光が当たってる時のみ咲く花であるエピーリエという植物が親しまれているそうで、開花時期に開かれるこのお祭りはその花を愛でる為にあるんですよ。それであの屋台はエピーリエの蕾を売っているんです」
「なるほど、ではあれがこの時期の風物詩なのですね」
「相当綺麗な花らしいので今回はあの花の開花を見に来たんですよ、ちなみに花言葉は『大事なあなたへ』だそうです」
「見に来たということはイレイナさまも買うのですか? あの植木鉢を」
「いえ、私はこの国の中心にある花畑で見る予定です。教えてくれた人が大量のエピーリエが一斉に咲くのが美しいと言っていましたからね」
「花が一斉に開花するのは美しそうですね、楽しみでございます。…ところで物凄く気になって仕方が無いのですが、なぜ皆ドレスを着ているのですか」
先程エピーリエの蕾を買って行った女性達だけではなく、往来を歩く女性達どころか屋台の店番まで、小さい子からお年寄りまですべての女性たちがドレスを着ているのです。
「あれはこの祭りに置ける女性たちの正装らしいですよ、なんでもこの日に合わせてドレスを貸し出してくれる店もあるとか。…っと、目的地につきましたね」
お祭りについて解説なさっていたイレイナさまが唐突に足を止めました。
目の前には他の屋台に比べて一回り大きな、しかし客を引くための過度な装飾のなされていない看板を掲げる屋台。看板にはチケット販売所との文字が書かれておりました。
何気なくカウンターを見やると店員たちの間に謎の緊迫感が走っています、イレイナさまが前に立つと緊張した面持ちを一層硬くさせたようにも思えます。
しかもなぜか後ろには楽器を持った謎の楽団が控えていてわけがわかりません。
「すいません、観覧チケット二枚ください」
店員はイレイナさまの言葉をゆっくり復唱し、再度の確認を求めます。
イレイナさまの言葉で何かが起きるとでもいうのでしょうか?
「お客様、もう一度確認しますが観覧チケット二枚でよろしいですね?」
「ええ、お願いします」
怪訝な表情で返された返答に店員達は黙り込み、
一瞬にして沸き上がりました。
やかましい程にハンドベルがかき鳴らされ、様々な楽器が騒音を喚きたて。
こちらを置いてけぼりに店員たちが跳ね回って何事かを叫びます。
しかも楽団らしき人たちの演奏は壊滅的な出来栄えで地獄の具現のようでございました、あれではお金を取るどころか慰謝料を請求されてもおかしくないのではないでしょうか。
何がしたいのかわかりませんがこれではただ単にうるさいだけです。騒音でございます。
「ちょっと待ってください! 一体これはなんなのでございますか!」
余りにうるさいので声を張り上げて演奏を中断させました。
「おめでとうございます! お客様でチケット販売10000枚を達成致しました! なのでお祝いのマーチを地域の楽団の皆さんに演奏して貰ったんです!」
これ楽団と名乗っていいレベルなのでしょうか? 演奏しただけで周りに被害が及びそうなものですけど…
「気にいっていただけましたか!」
「気に入りましたから、もう十分でございます」
楽団の人々が残念そうに楽器をおろしましたが、わたくしは喜びと共に胸をなでおろす気分でした。
そんなわたくしの肩を力なく掴む手がありました、振り向くと目を虚ろにしたイレイナさまの姿が。
「ほうきさん…頭が…割れそうです…」
演奏中わたくしは咄嗟に耳を塞でいたので助かりましたが、イレイナさまはもろに喰らったようで、死に体で頭を押さえておられました。
「えーと、素晴らしい演奏は終わってしまいましたが、記念品の贈呈が残っています! どうぞ、この四つの箱の中からお一つ選んでください! 一つには大当たりの最高級閲覧チケットが入っています!」
「ほうきさん、お願いします…頭痛い…」
イレイナさまの苦悶な表情はわたくしに決意を抱かせました、
「わかりました、必ずや当てて見せます」
報復として大当たりを必ず当てて見せるという決意を。
「では選んでください! 一番の当たりは非売品の最高級観覧チケットです!」
目の前に四つの箱が置かれます、この内のどれかに最高級のチケットが入っているようです。
折角引くのですから最高級チケットとやらを狙いたいものですが、目視できない以上完全な運なのです。
勿論、わたくしでなければの話ですが。
誰にも聞こえないような、しかし箱には聞こえるような声で問いかけます「はこさま、どなたにチケットが入っているのですか?」
物に聞くのは多少あくどい手段な気もしますが、イレイナさまの受けたダメージを考えれば許されるでしょう。
「お。嬢ちゃんかわいいね。 グヘヘッ。パンツ見せろ」「俺です! 俺の中に入ってます! だから触って!」「いや私よ! あんないやらしい男じゃなくてわたくしの中をまさぐってちょうだい!」
なるほど、まったくあてになりませんね、変態ばかりのようです。
「かわいい嬢ちゃん、後生だから見せてくれよ~」「俺ですよ! きっと良い思いさせるから俺を選んでよ!」「お願い…わたくしを開けてちょうだい…もう我慢できないの…」
変態発言を重ねる箱に辟易しつつ、わたくしはあることに気づきました。
というかあからさまだったので最初から疑ってはいたのですが。
箱の内の一つを取り上げて、語り掛けます。
「あなたずっと黙り込んでいますね」
そう他の箱がうるさい中、溶け込むように黙り込んでいる箱が居たのです。
「…」
私が問い詰めても変わらずだんまりを続けますが、表情は何処となく焦りを浮かべているようにも見えます。
いえ、物なので完全にわたくしがそう感じているだけでございますが。
「教える気は無い、ということでよろしいでしょうか?」
「…」
「なるほど、そっちがその気ならわたくしも手を打つことにしましょう」
頑固に口を閉ざし続ける箱の側面に指を当ててくすぐりあげます。
「…!」
おや、いま口を開きかけましたね? ここがいいんですか? うりうり。
「…くくっ…ふっ…うっ…ぜったいに言わんぞっ…!」
中々強情ですね、ですがこれならどうでしょう?
箱の底を優しく、徐々に激しく緩急をつけて徹底的にくすぐってあげるとしましょう。
「…うっ、くふっ…あーっひゃっひゃ! あっはっはっああ! わかった! ひひひひっっ! 教えるからっ! チケットは俺の中に入っているっ! だから! これ以上くふっっっ! くすぐらないでくれっ! あひゃっっひゃっ!」
「教えてくれてありがとうございます、助かりました」
荒い息を吐く箱さんに例を言い、店員に差し出します。
「では、これでお願いします」
「わかりました、今中身を確認いたします…!」
店員たちは固唾を飲んで、ゆっくりと箱に手をかけます。
「ああっ、だめぇ! 中身を見ないでぇっ! 恥ずかしいよぉっ!」
どこからか聞こえて来た戯言は置いておきまして、
箱の中身を確認した店員の異常な盛り上がりと共に地獄のような音楽が奏でられたのは言うまでも無いことでございますね。
〇 〇
二度にわたる騒音被害からすっかり立ち直ったイレイナさまが言いました。
「ほうきしゃん、ほしゅきしゃんもしゃべたいものありまひゅ?」
「イレイナさま、食べ物を口いっぱいに詰めていては何を言っているのか全くわかりませんよ?」
イレイナさまは屋台で買ったパンを口に加え、右手は同じく屋台で買ったパンやお菓子でいっぱいになった紙袋を抱えて満足げにしておられます。
「んっ、うむん。 ふぅ…光景目当てで来ましたがなかなか料理もおいしいですね。ほうきさんも食べたい屋台とかあります?」
「食べたい屋台でございますか…たしかにパン以外の物も食べてみたくはありますね」
見回してみると色々な屋台があります、売っている物も様々で、あまり見たことのないパンであったり、この国の伝統工芸品らしきものだったり、まことにカラフルな光景でございました。
「あれはなんの料理でしょうか?」
数ある屋台の中でわたくしの目を引いたのは大きなフライパンの置かれた屋台。
カウンターやテーブルと言った類の物は一切なく、注文を受けたら直接フライパンから料理を掬い取って提供する豪快なスタイルのようです。
「なんでしょうね? 私も初めて見る屋台です」
「イレイナさま、あの料理を食べてみたいのですがよろしいでしょうか?」
「いいですよ、はいお金です」
イレイナさまから財布を受け取り、屋台へと足を運びます。
近くまで行くと良い匂いが漂ってきました、チーズの匂いでしょうか? とても香ばしくて自然と涎が垂れてきてしまいそうです。
匂いに釣られてフライパンの中身を見てみますと、チーズにまみれたごろごろとした物体が転がっていました。
「すいません、その料理一つください」
代金を受け取った店番のおばさんは豪快に大きなスプーンで、フライパンからチーズの絡んだ何かを掬って容器に入れます。
「はいよ」
「ありがとうございます」
待ちきれなかったわたくしは、受け取ってすぐに備え付けのフォークをチーズの絡んだ何かに突き刺して口に運びます。
口にとろけたチーズのやわらかでコクのある味が広がり、続いてボリューミーでほろほろとした触感のジャガイモが存在を主張してきました。
時折、甘くなるまで煮こまれた玉ねぎや、少ししょっぱくジューシーなベーコンが垣間見え一辺倒な味わいで無いのもまた魅力的です。
「イレイナさま、これ美味しいです」
「ふむふむ、なかなか美味しそうな見た目をしていますね、一口貰っても良いですか?」
「勿論です、食べてみてください」
イレイナさまはフォークを受け取り、容器から一口取っていきます。
「ふむ…これは中々…グラタンに似てますがチーズがそこまで主張していなくて具材の素朴な味わい楽しめますね」
「イレイナさまに気に入っていただけてなによりでございます」
「じゃあこれをお返しにどうぞ、パリパリしてて美味しいですよ」
イレイナさまがわたくしに手渡したのは何かを包んでいる耐油紙、指から伝わる感触は朝食で食べたシュガードーナツに似ている気がします。
油脂をめくると美味しそうな色合いの身が顔を覗かせて来ます、一口で食べられそうな手頃な大きさなこともあり、いい色に焼けた鶏肉のようでもありました。
とは言っても一口で食べると口いっぱいに頬張ることになって食べづらそうでしたので、上半分を齧ってみます。
すると口に砂糖のシンプルな甘みという幸せが満遍なく伝わってきました。
甘みに釣られて身に歯を沈み込ませるとサクサクカリカリとした軽い快感を伴う歯ごたえが生み出されては消えていきます、ドーナツよりも固めなのですがむしろそれが心地良い食感を生み出しているようです。
その美味しさたるや、手にあった耐油紙の中身が気づいたら空っぽになってしまっている程でした。
「ふふ、おいしかったみたいですね」
どうやら顔に出てしまっていたようでイレイナさまがわたくしの感想を言い当てました。
食べ物に夢中になっていたのを見透かされ、恥ずかしさがこみ上げて来ます。
「こ、コホン。お祭りとは楽しい物ですね、イレイナさまは普段こんな楽しみを味わっているのですか」
話題を変えようと先程からお祭りに抱いていた感想を伝えると、イレイナさまが笑って答えました。
「何を言っているんですか、普段のお祭りなんてこんな楽しくはありませんよ。 言ってしまえばお祭りなんてただぼったくりな屋台が並んでいるだけなんですから」
そこまで言ってから、わたくしを横目でちらりと見て言葉を続けます。
「でも雰囲気を一緒に楽しめる相手が居るだけで、かけがえのない時間に代わるんですよ」
〇 〇
「ちょっと! そこのかわいい姉妹さん! ウチに寄っていかないかい!」
夕刻、屋台でお腹いっぱい食べ歩き、食べ疲れて散歩に興じていたイレイナさまとわたくしに女性が声を掛けて来ました。
「ウチはドレスを貸し出してるお店でね! 折角このお祭りに参加したならドレスを着るべきだよ!」
「ドレスの貸し出し…ほうきさんは着てみたいですか?」
「はい、お願いできますでしょうか」
実を言うと前々から服という物には少し興味があったのです、人間は服に拘り、服で気分すら変わります。
何故、服にそこまでの魅力を感じているのか道具であるわたくしにとっては疑問でした、それで興味があったのです。
「わかりました、では一着お願いします」
「イレイナさまは着ないんですか?」
「え、私も着るんですか?」
と、わたくしが何気なく聞いた質問に嫌そうな表情を浮かべるイレイナさまとは、対照的に女性が楽しそうに賛同します。
「良いですね、姉妹でドレス!」
「姉妹ではないですが…ほうきさんが望むなら、まあ…」
「え、姉妹じゃないんですか? 髪の色以外はそっくりなのに?」
疑問符を浮かべる女性、まあ無理の無い事でございます。
物は持ち主に似てしまうようで、わたくしとイレイナさまは髪色以外は似通った外見をしているのです、それはもう姉妹と間違われても仕方が無いくらいに。
「はい、わたくしはイレイナさまの道具ですので、姉妹ではございません」
女性は驚いて素っ頓狂な声をあげ、顔を真っ赤に紅潮させながら、
「え!? 道具…!? もしかして…そういった関係ですか…?」
「違います、そんな変な関係ではありません」
「あ、大丈夫ですよ、隠さなくても! 全然そういったオトナの関係であろうが全然イケちゃいますから! 普段どんな風にイチャイチャしているかなんて全く妄想してませんから!」
「え、あの、何を言ってるんです…?」
「大丈夫です! どんな女の子達であろうが最高に尊いカプだってことはちゃんと理解してますから!」
「なにを理解しているんですか…はぁ、値段はおいくらになるんですか?」
「アァァァァッッッ! まさかそんなやり取りがっ!? え…マジ無理…尊い…」
冷え切った視線で値段を聞かれているというのに、相も変わらず女性は一人で盛り上がって奇声を上げて体を捩っています。気持ち悪いです。
「あの…値段は…」
「ヤバいよぉぉぉぉ!! え、値段? お安くしときますよー! ウチは色々なカプの割引サービスしてますからね!」
「は、はぁ…」
女性は店の中に入り、料金表と書かれた紙を持って出てきました。
裏側にはカプ種別割引サービスとの見慣れない言葉がチラリと見えた気がしましたが、仕事の専門用語でしょうか?
「えーと、道具と持ち主は割引の対象だったかな…うーん、ペットと主人はちょっと違うし×××と××××は似て非なる物だし…ごめんなさい、道具と持ち主カプは割引対象になってないみたいね…姉妹カプだったら割引適応出来たのですけど…」
「カプの意味はわかりませんが私たちは姉妹です」
「え、でもさっき道具って」
「姉妹です」
〇 〇
「よし、着付け終わり、いい感じにかわいくなったわね! そこの姿見で見てみなよ!」
女性に促されるままに壁に掛けられた姿見へと視線を向けます。
そこには見慣れぬ少女が唖然とした表情で写っておりました。
「これが…わたくし」
鏡に映るのは少し癖のある桃色の髪の少女。
身に纏うのは白を基調とした可愛らしいドレス、腹部にはワンポイントにレースリボンがちょこんと鎮座しています。
余計な装飾の無い長い丈のスカートと肩に掛かる黒色の小さなストールが可愛さに上品さを加え、ドレスをただ可愛らしいだけの物で終わらせていません。
「いやー! すっごいかわいいね! バルーンドレスが似合うと思って居たけどやっぱりよく似合ってるわね!」
「服装を変えただけでここまで印象の変わる物なのですね…」
鏡に映る少女、つまり自分が自分であると認識するまで軽く数秒を要しました。
服装以外何一つ変わっていないはずなのに、全くの別人に見えてしまっていたのです。
「普段と違うとなにか落ち着きませんね…本当に似合ってます? 心配なのですが…」
「大丈夫だって! 似合ってるわ! …って私が言うべき所じゃないわね。 お客さん、お代は既に貰ったから玄関に出てみなよ」
促されるがままに部屋を後にして、玄関の扉を押し開けます。
ドレスの着付けにはそれなりに時間がかかっていたので、既に町は夜のとばりに包まれ、満月が城の影からぴょこんと顔を覗かせておりました。
夜になったからと言って人の量が減ることは無く、寧ろエピーリエの開花というメインイベントを前にして増えてすらいます。
さっきまで少しこんでいる程度だった店の前の通りですらも人でごった返し、溢れかえっているのでした。
世界でも中々見ない程の盛況ぶりに驚いたわたくしが少々呆けていると背後から慣れ親しんだ声がかかります。
「待ってましたよ、ほうきさん」
振り返ると、そこには帽子を被っておらず髪を纏めて綺麗に着飾ったイレイナさま。
着ているのは深い青のスレンダーなドレス、各所にあしらわれた小さな宝石がキラキラと輝いて夜空のような美しさを醸し出しています。
スレンダーな上半身に比べ、少し膨らんだ下半身のスカートには所々にフリルがあしらわれており、クールの中に可愛さが同居したドレスといった印象でよく似た性格であるイレイナさまにはピッタリです。
「イレイナさま、とっても素敵な姿でございます」
その魅力たるや、あまりの素敵さに気づいたら称賛が口から漏れてしまっていたほどです。
予想外の言葉に面食らったイレイナさまは頬に朱を添え、動揺を声に滲ませて言葉を返します。
「そ、そうですか。 …面と向かって言われると恥ずかしいですね」
「カメラに収めたくなるくらいでございます」
「残念ながら写真はおことわりです」
苦々しい表情で答えている所を見るにいつぞやの国でアマチュアのカメラマンに数時間拘束されたことを思い出したのでしょう。
「そういうほうきさんだって、とっても似合ってますよ」
「似合っておりますか?」
「ええ、とても可愛らしいですよ。さすがは私の妹です」
いたずらっぽい顔でイレイナさまがわたくしを褒めてくださると、心に喜びが滲むような表現の難しい感覚が走ります。
こそばゆいとも恥ずかしいとも喜ばしいとも書き記すことは不可能でしょうが、それはきっと嬉しい感情でございました。
「…ふふ。なるほど人が服に拘る理由が少しわかった気がします」
わたくしの言葉にイレイナさまは首を傾げます。
「いいえ、なんでもございませんよ。…しかしそれはそれとして、わたくしが妹でございますか?」
「なんですか? 不満ですか」
「いいえ、妹も悪くないなと思っただけでございます、お姉ちゃん」
わたくしの言葉に返答は無く、イレイナさまはただ柔らかに、少し恥ずかしそうに微笑みました。
「アッッッッッッ! ムリムリムリムリ! マジ尊いァァァァ!!! あのカプ尊いってぇぇぇぇぇぇぇぇ!!! 生きててよかったぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
…店内から何か聞こえた気がしましたがきっと気のせいでしょう。
〇 〇
その日の深夜、月がほぼ真上に上り、月光が人々に遍く降り注いでいました。
柔らかな明かりの花道を大勢のドレス姿の女性たちが歩いていくさまは美しいと形容する他ありません。
月下に咲いた大輪の彼女たちと、女性たちの間を所在なげ歩く男性たちが目指すのは町の西にそびえる小高い丘。
そこは数多のエピーリエが群生する国内有数の花畑、イレイナ様が最初に買おうとしたチケットもそこの物でございました。
一方わたくし達は人の流れの本流から逸れ、人気の無い森の中を歩いていました。
目指すのは最高級観覧チケットに記された花畑、どうやらこのチケットは普通のチケットと違って当選者を貸し切りの花畑へ招待してくれる物のようなのです。
故に、わたくし達は本流から外れておおよそ日常生活では立ち入ることはないであろう森の奥深くに来ているのでございますが、しっかりと道は整備されているどころか石畳すら引かれ、各所には明かりが灯っているので違和感が凄まじいことこの上ありません。
かといって普段から使われているわけでもないらしく、石畳は磨かれたばかりの様に滑らかで、苔が生えていることはおろか一つの欠けすらも見当たりません。
まるで毎日誰かが手入れしているかのように。
「ほうきさん、森の奥にこんな整備された道があるなんて珍しいですね」
「わたくしも気になっている所でございます、聞いてみましょう。道さん、ここは整備されているのですか?」
わたくしの質問に道が経緯を語ってくれました、寡黙な性格なのか無駄を一切省いた端的明瞭な説明でございました。なぜかやたらと皆個性の主張が激しい物の中に置いては、非常に相手が楽だったことに感動を覚えたことをここに書き加えておきましょう。
「イレイナさま、どうやら道さまによると、この場所は元々富豪が作ったお屋敷の様で、ここはその屋敷にたどり着くまでの道らしいです。それでその富豪が祭りの発展の為にと屋敷を寄付したので、今は祭りの目玉である最高級観覧チケットの場所として使われているという事でございます」
「なるほど、だからしっかりと整備されているんですね」
「しかし道の時点でここまでしっかりと整備されているとなると、お屋敷がどれほど凄いのか楽しみでございますね」
「そうですね、私の耳を犠牲にしただけの価値がこのチケットにあると信じていますよ」
チケットをおもむろに眺めていたイレイナさま、チケットを手に入れる時の一幕を思い出したのか痛快そうな表情を忍ばせながらわたくしに言葉を投げかけます。
「それにしてもあんな方法でチケットを手に入れるなんて、ほうきさんはずるいですね」
「きっと持ち主に似たのですよ」
「私はそんなほうきに育てた覚えはありませんよ」
「あたりまえでしょう、ほうきは育てるものではなく使うものでございますから」
と、わたくしがしたり顔で言葉を返していると目の前の景色が一変しました。
今までは鬱蒼と茂った森が広がっていただけの眼前が突然開け、明らかに富豪が建てたであろう豪勢な邸宅が出迎えます。
どうやらイレイナさまと会話している内にいつの間にか目的地に着いていたようです。
「やっとついたようでございます…ね?」
「多分ここが目的地なんでしょうけど…なんか…小さくないですか?」
石畳が続いているのは眼の前の豪華なお屋敷、外壁から屋根まで細部まで拘り尽くされているのだろうと、容易に推測出来る凝った装飾が施されているさまは多くの人が思い浮かべるであろう屋敷のそれでありました。
しかし目の前に立つ建造物が思い浮かべたそのままかと言われると、
「小さい…ですね」
「民家と比べれば大きいですけど…結構小さい…」
そう、明らかに小さいのです。
確かに佇む姿は豪邸その物なのですが大きさは民家より大きい程度、まるで模型のようでした。
「…大事なのは中身ですよ」
「ええ…その通りですね」
店員から受け取った鍵をあてがい玄関を開き、イレイナさまの後に続いてお屋敷の中へと入りました。
そして中に入ったイレイナさまの第一声はと言うと、
「えっ、狭い…」
お屋敷の中はインテリア代わりの絵画や調度品が並び外見に負けないくらいに豪勢で美しい内装でしたが、本来とても広い筈の玄関ホールが普通の家のリビングと同じくらいだったのです。
「イレイナさま、あそこにこの屋敷の紹介がありますよ」
「ちょっと見てみましょうか」
机の上に置いてあったこの屋敷の紹介がかかれた紙をイレイナさまが読み上げます。
紙に書いてあったことによりますと、この屋敷は確かに富豪の屋敷であることは間違いないようでございましたが、正確には別荘で、しかもこの時期のエピーリエを楽しむ為に作られた特注の屋敷だったそうでございます。
作りはとてもわかりやすく、今わたくし達のいる玄関ホールとそこそこ大きな円形の部屋のみ。
ちなみにお屋敷の大きさに関しては特に何も書かれていなかったのでやはりわかりませんでした。
「別荘にしても富豪の屋敷なのに二部屋しかないんですね」
「イレイナさま、もしかしたらもう一つの部屋が凄いことになってるかもしれませんよ?」
「そうだと良いですね、期待はまったく出来ませんけど」
不満そうな顔を隠そうともしないイレイナさまに同意の念を感じながら、もう一つの部屋へと入りました。
その部屋は一言で表すと非常に奇妙な部屋でございました。
部屋の壁には装飾の入った木製の板が規則正しく並び円形の壁面を形成しております、形だけなら螺旋階段の様にも見えます。
部屋の中心には優雅に落ち続ける噴水、先端部には何かの花を象った石造の像が設置され花弁から蜜を垂らすかのように水を流し続けていました。
そんな流れ落ちる水はその身にキラキラと光を躍らせております、噴水の真上に設置された青い空間にぽっかりと浮かぶ満月を描いたステンドグラスから流れ込む月光を反射しているのでしょう。
「綺麗…」
「これは凄いですね…」
突如として現れた屋内に似つかわしくない幻想的な光景に心を奪われ、気づけばわたくし達の口からは感嘆こぼれ落ちていました。
「全部タダなんて…」
…わたくしの口からのみ感嘆がこぼれ落ちていました。
イレイナさまに目をやりますと、見ているのは壁に貼り付けられていた一枚の紙。
『横のパネルを押せばお客様の望むものを提供します、この部屋で提供されるものは全て無料のルームサービスとなっておりますので、存分にご堪能ください』
目を輝かせたイレイナさまがパネルを押すと、壁の向こうからカチカチという何かの音が聞こえてきました。
一体なんの音なのでしょうか?
不思議な音をもっとよく聞こうと思い壁に耳を当てると、しゃべりかけても居ないのに壁が語り掛けて来ます。
「お嬢さん、それは危ないですよ。今すぐ離れた方がいい」
「え、なぜでございますか?」
返答を待つ暇もなく、壁を作っていた壁面のパネルが勢いよく開きました。
ちょうどわたくしの頭を叩くことになる位置のパネルが。
「あうう…」
わたくしの脳天に直撃したパネルの上には大皿の上に山積みになったロールパン。
作りたてのようで、わたくしの事を叩いておいてのんきに美味しそうな匂いを発しております、憎たらしいです。
「ほうきさん、大丈夫ですか? 直撃しましたけど…」
「痛いです…これは一体なんなんですか…」
「ロールパンと書いてあるパネルを押したらこうなったんですよ。ほかにも色々な物の名前が書いてあるので、どうやら自動で料理を提供してくれるみたいですね」
心配そうな表情を浮かべつつも山からロールパンを拾って齧りつこうとしているあたりがイレイナさまです。
「そこらのパンとは一線を画する美味しさですね… これはいくつでもいける…」
それどころか相当お気に召したようで口に咥えきれないパンをバックに回収し始めるあたりもイレイナさまです。
「お嬢さん、災難でしたね」
「壁さん、もう少し早く警告していただけますでしょうか…」
「いやまさか声が届くとは思ってなくて」
「それにしたって一体全体この仕組みはなんなんでしょうか?」
今度は目の前で開いたクロワッサンの乗ったパネルを眺めつつ、壁に問います。
「これはかつての持ち主だった富豪が作った装置でして、壁に埋め込まれた歯車が料理を作って出してくれるという仕組みになっております。凄いでしょう?」
「凄いとは思いますが…使用人でも雇った方が安上がりなのではないでしょうか?」
「かつての持ち主は人嫌いだったので大金を払ってでも作りたかったそうですよ」
「なるほど、よほどの人嫌いだったんですね。 …もう一つ、いやもう二つほど聞いてもよろしいでしょうか?」
「勿論です」
「なぜ富豪が作ったにしてはこの屋敷はこんなに小さいんですか? それに外観の時点で小さいのに中に入るともっと小さいのは何故なんです?」
「簡単な話ですよ、その料理を作る装置のスペースのせいで外観より小さく感じるんです。そしてそもそも屋敷が小さいのはこんな大掛かりな装置を作ったから資金が途中で尽きたんですよ。それで資金が尽きて維持できなくなったので発展に寄与したいという名目で寄付したんです、かつての持ち主は人嫌いな上にプライドが高い人でございましたのでそういった醜態は晒すわけには行かなかったんでしょう」
「ああ…解説に屋敷の大きさについての話が乗っていない理由がわかりました…」
寄付することになった原因である資金不足すら誤魔化したのに、屋敷は資金不足で小さいなんて言える訳ありません。
それで何も言わずに寄付をしたからこの屋敷の大きさについて言及がなかったのでしょう。
恥ずかしい秘密を自分のあずかり知らぬ所でばらされる富豪さんに同情をおぼえていると、フロア全体を包み込むような清涼な音が鳴り響きました。
「十二時の鐘の音です、ここからはこの屋敷随一の仕掛けをお楽しみください」
壁さんの発言に続いて発せられた轟音にびっくりして振り返ると、信じられないようなことが起こっていました。
部屋の中央にあった噴水が沈み始め、床の下へと消えていったのです。
ちなみにクロワッサンをバックに詰め込むという大事な作業していたイレイナさまは、驚愕のあまり口に咥えたパンをポロリと落っことすというベタな反応をしておりました。
噴水の代わりに地面からせりあがって来たのは若草色の芝生を生やした地面、そこに規則正しく密に植えられているのは青い蕾のエピーリエ。
噴水が消え去り、代わりに花畑が生えて来たことに驚いて固まっていると再びの歯車の噛み合う音。
鳴り響くのは先程のような轟音ではなく、ガラス同士が擦れ合うような軽くて澄んだ音でございます。
音の発信源である上方に目をやると、満月を描いたステンドグラスに変化が起きていました。
ステンドグラスを満たすように描かれた青い空間に多数の薄い線が伸び、やがて線が月へと到達します。
青いステンドグラスに線が走ったことで一輪の青い大輪が咲いてるふうにも見え、月も描かれていることも相まって、さながら月光で咲き誇るエピーリエのようにも思えます。
枝葉の如く伸びる線が全体に行き渡り、ステンドグラスを形成していたパーツたちがガラスが触れ合う軽い音を合図にゆるりと天井部分に退いて行きました。
つられて入ってくるのは月光、優し気な自然光が花畑の中心へと降り注ぎます。
満月の月光に照らされたエピーリエの蕾が、長い眠りから覚め欠伸でもするかのような動作で優雅に、可憐に、凛と花開き青い花を咲かせました。
中心から徐々に拡大する光に照らされた蕾は続々とその身を開花させていきます、本来のエピーリエはゆっくりと昇る月光に照らされ徐々に花開いて行くのに対し、一瞬にして部屋に満ちた光によって洪水の如く花が咲いていくさまは美しさの余り畏怖さえ感じさせます。
「ぁ…」
その圧巻の光景を、この心に宿る感動を、表す術を持っていなかったわたくしは言葉を紡ぐことすら忘れただ魅入るばかりでした。
「なるほど…色々疑問に思ってましたが、これは最上級で間違いありませんね」
〇 〇
「ほうきさん、このお祭りにはどんな意味があるのか知ってます?」
「エピーリエを愛でる為に開かれてる祭りでございますよね?」
何を今更と言わんばかりの表情のほうきさんを見つめて、商人の男の言葉を思い出します。
『あの祭りの意味は何もエピーリエを楽しむだけじゃないんだ。満月が空の真ん中に来た時、すなわち国中のエピーリエが満開になる時間、咲き誇ったエピーリエを手折って渡す習慣があるんだ、その一日一緒に祭りを回った相手にな』
商人の言葉に従い、足元に咲いた一輪のエピーリエを手折り、
「ほうきさん、手を貸してください」
「なんでしょう? イレイナさま」
こちらに差し出された、ほうきさんのほっそりとした腕を手繰り寄せ、
『誰と回ればいいのかって? ああ、言い忘れてたな。あの祭りはそもそも感謝祭なんだ、普段自分を支えてくれる相手へのな。 当然一緒に回る相手は普段お世話になってる相手ってわけさ』
手折ったエピーリエをほうきさんの手に置き、顔を正面に捉え、
『相手は誰でもいい、家族でも、恩人でも、恋人でも…相棒なんてのも良いかもな、そんな相手に手折ったエピーリエを渡して、正面から伝えるんだ。日ごろは恥ずかしくて言えないような感謝の言葉をな、エピーリエの花言葉通りに』
…その話を聞いて思ったのです、いつも助けてもらってるほうきさんにエピーリエを渡そうと、そして日ごろの感謝を伝えようと。
自分でも国の文化に頼らないと素直に感謝の言葉を伝えられないのはどうかと思いますが、人間というのは相手が日頃から近い場所にいればいるほど、素直になるのが難しくなってしまうというものです。
素直でない私の事ですから、きっと今誰にも見せたことがない程に顔を赤くしているかもしれません。
「このお祭りは感謝祭なんです、普段お世話になってる相手への。 そんな相手にこうやって感謝を伝えるんです」
正直な事を言えば、お祭りに乗じたとしても面と向かって感謝を述べるのは大変恥ずかしとしか思えません。
しかし私の言葉が途切れることはありません、普段は素直になれない感情があふれ出すように口を突き動かすのです、大事なあなた────ほうきさんに感謝を伝える為に。
「ほうきさん…いつも私を助けてくれてありがとうございます。ほうきさんが居なければ今私はここにいないでしょう」
語りだした言葉は止まることなく、堰を切って流れ出して行きます。
「不覚にも私が物の傀儡になってしまった時、ほうきさんはそれまで冷たい態度を取っていた私を文句一つ言わずに助けてくれました、氷漬けになった時だってきっと出来る限りのことをしてくれたに違いありません」
廃墟で物に囚われた時の記憶が、氷に閉じ込められた時の記憶が、言葉を勝手に紡ぎ留まる事を知りません。
「それだけじゃなく風邪を引いて呼び出した時だって、放っておいたって大丈夫なのに献身的に私に尽くしてくれました」
ちょっぴり恥ずかしい思い出だってほうきさんとの大事な記憶で、言葉にすればするほどほうきさんへの感謝が大きくなって行き、そして、
「ほうきさん、あなたは人の姿でも道具の姿でも、何時だって私を支えてくれています。
もはや私にはほうきさんのいない旅なんて一ページたりとも紡ぐことは出来ません。
それだけあなたに助けられていて、それだけ大好きなんです。だから、時折迷惑をかけてしまうことや、昨日みたいに酷使してしまうこともあるでしょうが、どうかずっと私と共に旅をしてくださいね。私の大事な相棒、ほうきさん」
伝えたい言葉を伝えた感情は暴走っぷりを極め、歯が浮くような言葉を恥ずかしげもなくのたまったあと、あまつさえほうきさんを抱きしめてさえいました。
〇 〇
イレイナさまの心の底からの言葉と包み込むような柔らかな抱擁から、わたくしへの思いがひしひしと伝わって来ます。
…ああ、わたくしはなんて幸せなほうきなのでしょう。こんなにも持ち主に愛され、必要とされている。
「…イレイナさま、わたくしも同じ気持ちでございます。旅の終わりまで…いえ、旅が終わっても、ずっと、ずっと、おそばに置いてくださいませ」
ほうきちゃんの『道具』という面にフォーカスして書いた小説でした。
書きあがった時は既に10巻が発売していたのですが、私自身が読めていないため9巻くらいまでの情報で書いておりますので、矛盾点などがあってもご容赦ください。
↓ここからはこの話の小ネタとなっております。
作中で登場した『エピーリエ』という花ですが勿論現実に存在する花ではなく、名前の元ネタは月と名前に入っている植物である、月桂樹と月下美人の英名ローリエとエピフィルムを合わせたものとなっております。
ほうきさんとイレイナさんが食べていた料理はどちらも海外の料理な上、名前も出してなかったので知りたい人ように名前を書いておきます。チーズにまみれの方がタルティフィレットでドーナツもどきはベニエという料理でした。