もしもハンコックがルフィと同い年で幼馴染だったら   作:夏月

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ゴア王国動乱
20話


 ジャングルの奥地にて聳え立つ巨木。大自然の中でも際立って生命の息吹を力強く感じさせるそれは、コルボ山の悪ガキ達によって占領されていた。

 

 木の上部に添えられる形で建築された秘密基地。いかにも脆そうな造りではあるが、兄弟妹の手で時間を掛けて建築した渾身の出来映え。

 

 当人らは大いに満足し、築城の高揚に浸っていた。これから自分達だけの秘密基地で何をして遊ぼうかという話題で盛り上がる。

 

 浮かれた兄弟妹は、ダダンが取って置きにと隠していた酒を拝借して美酒に酔う。ルフィだけは酒の苦味が不得手らしく、義兄弟の盃以来の飲酒である。

 

 まあ、ハンコックも飲めないわけではないが、酔いの回りが早い為に飲酒の習慣は無い。というよりも一桁代の年齢ゆえに飲酒は推奨出来ないだろう。

 

 エースとサボは背伸びをして、さほど美味しくもない酒の味を批評しながら飲んでいたが、ハンコックはそっとしておいた。男の子というのは見栄を張る生き物だと知っていたから。

 

 

「この高さ、良い眺めじゃ」

 

 

 地上十数メートルに位置する秘密基地。この高さであれば猛獣や金品を狙う海賊であっても容易には登ってこれまい。

 

 海賊貯金を隠しておくには最適。ここを拠点に今後は活動していく予定だ。ダダンには『独立する』という旨の書き置きを残してある。今頃、大慌てでハンコック達の行方を追っているに違いない。

 

 

「今日から此処がおれたちの城だ!」

 

 

 高らかに宣言するエースの表情は軽く興奮しており、瞳からは輝きを放っていた。心踊る少年の感情の揺らめきはサボ達へ波及する。

 

 

「ダダンには世話を掛けっぱなしだったからな。これで少しは楽にしてやれる」

 

 

 サボが日頃から感じていた引け目の解消を言葉にする。無計画にもダダンの下から独立する心構え。

 

 何だかんだいってダダンの庇護下に在った頃は、最低限の生活環境は保証されていた。

 

 雨風を凌ぎ、外敵の無い空間は安眠の場としても機能。けれどこの無謀な試み。野晒しで隙間だらけの秘密基地は、強風でも吹けば瓦解してしまいそうな程に脆弱で心許ない。

 

 子どもゆえの見通しの甘さが目立つ。しかし4人の内の誰もが気にも留めず、指摘することも無い。根拠もない自信が、不測の事態などはね除けて当然という確信を持たせる。

 

 若さゆえに失敗へと至る。しかし、失敗から学ぶことも若者の特権である。

 

 

「うーん、何か足りねェって思ったら食い物が無ェんだ。おれは腹が減った!」

 

 

 空腹を訴えるルフィ。グーっと腹の虫が鳴き声を上げる。彼の食欲を満たそうにもハンコックの今の手持ちには、'海軍せんべい'しか無い。

 

 ルフィの胃袋の容量を考慮すれば、腹八分目どころか一分目にも届かないだろう。とはいえ、ひとまず彼にせんべいを与える。先日、ガープがお土産として置いていたいったのだ。

 

 

「せんべいはうめェけど、まだ食い足りねー」

 

「食欲旺盛じゃな、ルフィは。どれ、足りぬのなら街で食事などはどうじゃ?」

 

「そうすっか! なにを食おうかなー」

 

 

 中心街の多くの飲食店で出禁を受けている兄弟妹。入店確認を潜り抜けての食事は困難を窮める。押し入っても騒ぎを大きくするばかりで、すぐに保安官が駆けつけてくるだろう。

 

 

「悪い意味でわらわ達も有名になったものじゃ……。店を選ばなければ、街では食事すらままならぬ」

 

「金さえ払えば食わせてもらえるんだろうけどな。でも海賊貯金を切り崩すわけにはいかねェし」

 

 

 サボは極力の出費を抑え、これまで貯金を増やし続けてきた。金の使い方に無頓着なエースへ、必死に自制を呼び掛けるなどの涙ぐましい努力。

 

 しかし状況が変わって、今や2人から4人の所帯。人数が増えたことで単純に食費が(かさ)むのだ。

 

 

「端町の大門を通る時みてェに、また外套でも被って店に入るか? 食べづらいだろうけどな」

 

 

 子ども4人で肩車をして大人へと擬態。入店こそ可能だろうが、食事の際は二人羽織ならぬ四人羽織を強いられる。

 

 平等に食べられるとは思えぬし、下段の負担が大きい。よってエースの案は却下だ。

 

 

「この際、お金の使用を惜しんではおられぬ。サボよ、貯金にばかり意識を向けて食事での息抜きを忘れては、心身共に長持ちせぬぞ?」

 

「そうだよな、やっぱし。禁欲ばかりなんて生きてても楽しくないもんな。よし、今日くらいはパーッと、メシに金を使うかっ!」

 

 

 考えを改めたサボ。今日ばかりは無銭飲食を控える決心がついた。人としてはそれが正常であり、村長の言う真人間らしさなのだろう。

 

 現地で何を食べようかと各々で想像を膨らまし、大門の位置する不確かな物の終着駅(グレイターミナル)へと向かう。勿論、幾らかの金銭を海賊貯金から持ち出して。

 

 額にすれば貴族御用達の高級レストランでも支払いが可能なほど。ただしルフィの胃袋次第では持ち合わせが不安になってしまうので、保護者たるハンコックがきちんと監視せねば。

 

 

 

 

 

 

 やがて悪臭が鼻腔を刺激する。食前より食欲を減衰させるが、ここを通り抜ければ事も無し。

 

 しかしここでひとつの違和感を覚え、一行はその歩みを止める。いや、止めたのではなく止められたのだ。

 

 

「なんか妙じゃねェか? いつもならここら一帯にゴミを漁るおっさん達が居るのに、今日はぜんぜん見かけねェ」

 

 

 エースの提起した異変は、重たげな空気と共にハンコック達へ伝わる。普段以上に息苦しさの増した空間。悪臭だけではなく、場所そのものの色彩が濁っているようにも見える。

 

 

「ここの住人ではない何者かが居る……? わらわには気配を感じられる」

 

 

 ハンコックの直感が何者かの存在を察知する。穏やかではない息遣い。何事を企む()しき人間の汚臭が漂っているのだ。

 

 

「あ、見ろよ、みんな! 向こうに人影がいっぱい見えるぞっ!」

 

 

 ルフィが指を差した方角――。人数は2、3人では利かない。40人は軽く超える。その場に集う人間の面々は、ゴア王国の兵士及び入り江を拠点とするブルージャム海賊団。

 

 一国の軍隊と海賊。通常であれば交戦すべきシチュエーション。だが、王族や貴族の性根からして腐りきったゴア王国だ。海賊を見かけたからといって討伐に動かず、職務怠慢の末に見て見ぬふりをするかもしれない。

 

 けれど問題はそこではない。見るからに両者は不干渉に徹するでもなく、むしろ結託している。悪事の共謀を彷彿させる距離感。

 

 これにはコルボ山の悪ガキとて油断ならない。臆すれば脆くなった部分から食い尽くされてしまいそうだ。

 

 

「あ……。そんな、どうして……」

 

 

 悪党の集団の中にサボは見知った顔に気付く。出来れば出逢いたくはなかった、捨てたい過去の象徴。顔を見るだけでも吐き気を催す枷。

 

 

「ようやく見つけたぞ、サボ。まったく面倒事ばかり起こすドラ息子め」

 

 

 貴族然とした中年男性。先日にも遭遇したサボの父親。この殺伐とした空気の中心点。

 

 

「なんだよ、そんなに大勢を引き連れてなにがなんでも目的なんだよ、お父さんっ!」

 

 

「目的? そんなことは決まっている。サボ、お前を迎えに来たんだ。その薄汚い悪ガキどもに付きまとわれて迷惑していたんだろう?」

 

「ふざけんなっ! こいつらはおれの兄弟妹(家族)だ。一緒に居て当然なんだよっ! 付きまとわれてなんかいないっ!」

 

 

 怒りが何よりも前に押し出される。兄弟妹を悪く言われたのだ。決め付けだけで語られてなるものかと躍起になる。

 

 

「お前はいつぞやの貴族ではないか。わらわたちの兄弟に何用じゃ? 先程の迎えに来たとの発言は聞き間違いだと思うたが――」

 

 

 エースやルフィに先回りして手を打つ。この2人は激情に駆られ易く、騒ぎを大事にしかねない。ゆえにハンコックが代表して対話を試みた。

 

 

「なんだ、小娘。部外者が人の家庭に口出しするもんじゃない」

 

「正論と言って引き下がるほどわらわは素直ではない。何よりもわらわ達とてサボとは家族じゃ。部外者などと纏められては納得がいかぬ」

 

「可笑しな事を言う子どもだ……。家族とは血のつながりを指す言葉だ。ましてやサボは貴族であるウチの子ども。平民の血を引くお前らとは生まれからして違う」

 

「言葉では通じぬか……。なるほど、わらわ達とお前とでは生まれが違うというのも頷ける。しかし、サボよ。そなたは自身はどう考えておるのじゃ?」

 

 

 最も重要なのはサボの心の所在だ。彼の心がハンコック達と共に在れば良し。その点について疑いを知らぬハンコックは、サボへと確認のつもりで問い質す。

 

 

「ああ、おれの生まれた世界はハンコック達と同じさ。目の前の貴族の家なんかじゃないっ!」

 

 

 過去にではなく今を生きる少年。妹の期待に応じ、断固として貴族の身分など認めなかった。

 

 

「くだらんっ! 大方、その見た目の良い小娘の色香に惑わされたんだろう。平民がっ! ウチの財産を狙って色仕掛けでもしたのかっ!」

 

 

 ハンコックを指しての(そし)り。その耐えがたき侮辱は一瞬にしてハンコックの理性を奪いかける。が、ここで感情に任せて行動するのは悪手。サボの身を案じて、歯を食いしばってでも堪える。

 

 

「そこの男よ。わらわはサボの妹であって愛人などではない。あまりにも見当違いな指摘に、思わず言葉が詰まったではないか」

 

 

 深呼吸をひとつ置いてから平然を装う。いたって冷静。再び舌戦へと立つ。

 

 

「平民の言い訳など聞くに堪えん。おい、海賊共。悪ガキを全員拘束しろ」

 

「へい、貴族のダンナァ」

 

 

 サボ父親に顎で使われる男ブルージャム。どうやら今回の一件の実働隊をブルージャム海賊団が担っているようだ。

 

 いくらの金銭を積まれたのかは知らないが、実利に動く海賊ほど欲望剥き出しで厄介な人種はいまい。

 

 さて貴族の指示を受けた海賊達。ルフィとエースを背後から取り押さえ、抵抗の意思すらもねじ伏せる。

 

 

「ルフィっ! エースっ!」

 

 

 自由を奪われた兄弟の姿にハンコックは叫ぶ。サボはというと――自身の父親に向けて、固く握られた拳を今にも振るいかねない様相。だが飛びかかったところで子ども1人の力じゃ、何ら解決にも繋がらない。ならば逃亡を画策するが、そう都合よく隙などは見出せなかった。

 

 

「2人を解放するのじゃ。さもなくばその首をへし折ってしまおうぞっ……!」

 

 

 蹴りの構えに入るハンコックだが、この大人数を相手取れる自信は無い。2、3人ならば喩え海賊でも軍人でも太刀打ちは出来るだろう。しかし実状はどうか? 40人にも及ぶ戦力。とてもではないが数人を倒したところで後が続かない。

 

 

「おい、海賊。まだ小娘が残っているじゃないか。早急に取り押さえたまえ」

 

「すんません、ダンナ。小生意気な娘も楯突けないようにしますんで」

 

 

 ヘコヘコと頭を下げるブルージャム。噂が本当であれば、彼は凶悪なポルシェーミの親分という事だが、この腰の低さからは想像も出来まい。けれど外見の凶悪さだけはポルシェーミをも勝る。

 

 

「そういうわけだ、嬢ちゃん。ちょいとジッとしてなァ」

 

「ふ、触れるな下郎っ!」

 

 

 海賊の中でも群を抜いた性根の腐った男の手が迫る。その汚物の如き男が、無垢な少女に触れるなど許すまじき蛮行。ハンコック本人以外にも、この行為に黙っていられぬ少年が居た。

 

 

「おまえっ……! おれのハンコックに触るんじゃねェ……!」

 

 

 殺気を孕んだ声でブルージャムを威嚇するルフィ。自身を拘束する海賊の男へと肘鉄を加えると、その身の自由を取り戻す。併せてエースも。

 

 

「っち、てめェら。ガキの1人もまともに押さえつけられねェのか? ポルシェーミの野郎みてェに鉛玉をぶち込まれてェらしいな」

 

 

 どうやら、以前ハンコック達と因縁を持ったポルシェーミはとうに粛清され、この世には存在していないらしい。身内の惨殺すら海賊界の善とする船長の恫喝。恐れをなした部下たちは、再びルフィ達の拘束に動くが、抵抗著しい少年らの反撃を受けて呆気なく気絶する。

 

 

「ヤンチャが過ぎんだよ、ガキ共……! あんまり大人をイラつかせるもんじゃねェ。親にそう教わらなかったか?」

 

「うるせェ! お前なんか大人じゃねェ! お前の方がガキだろっ!」

 

「フフフ……。中々言ってくれるねェ。だが肝は据わってる。この嬢ちゃん、お前の女か?」

 

「ああ、おれの女だっ! 指一本でも触れてみろっ! そんときゃァ、お前をぶッ飛ばす!」

 

 

 伸ばした手でハンコックを手繰り寄せるルフィ。その感触を以て、自身の女(副船長)を取り戻した事を実感する。

 

 

「ルフィ! ここでコイツらをまとめてぶっ飛ばすぞ! じゃねェと、おれやお前、ハンコックにもこの先ずっと危険が及ぶ! サボも早くこっちに来い!」

 

 

 兄として守るべき者がいる。まだ幼い弟と妹だ。しかし、彼らも守られるだけの弱者ではない。ならば共闘を以て兄弟妹の絆を示してやるのみ。そしてサボというエースにとってのかけがえのない相棒。彼の力があれば百人力である。

 

 

「悪い、エース……。そうしたいのは山々なんだけどよォ……」

 

 

 歯切れの悪い言い方のサボ。1度は握り締めた筈の拳は緩み、力無く手の平を見せていた。

 

 

「何を弱気になってんだ、サボ! 今までも虎や熊だってぶっ倒してきただろうがっ! 今更、こんな海賊や兵士達相手に何をブルってやがるっ!」

 

「いや、ダメなんだ。エース……」

 

「何がダメなんだ! お前がいねェと、勝てる相手にも勝てねェだろ!」

 

 

 様子の可笑しいサボへと追及するエースだが、満足のいく回答は得られない。それどころかサボが自分達の下から離れていく様な未来が脳裏に浮かんでしまう。不吉極まりない。万が一にでも起きてはいけない現実である。

 

 

「まさかお前……。あんな男の家に戻るつもりかよっ……!」

 

 

 想像もしたくない悪夢。兄弟妹の栄光の日々に自ら終止符を打とうというサボの行為に発狂しそうになる。

 

 

「そうだ……」

 

 

 サボは認めてしまった。ルフィとハンコックもそんな未来の訪れなど予期などしてはいない。ゆえに開いた口が塞がらず、時間だけが無為に経過してゆく。

 

 

「なぜじゃ、サボ……。交わした盃の意味を忘れたなどとは言うまいなっ……!」

 

「そうだぞ、サボ! お前はおれとハンコックの兄ちゃんだろうがっ! エースだけじゃ頼りねェ!」

 

「遺憾だがルフィの言う通りだ! おれだけじゃコイツらの兄貴は務まらねェ! いいから戻って来いよ!」

 

 

 三者が説得を試みるが、良い感触は無し。押し黙ったままのサボは、そっと口を開いて語り始める。

 

 

「ここでコイツらを力でどうこうしても意味が無いんだ……。おれ達の敵は何も此処に居るやつらだけじゃねェんだ。きっとここを切り抜けても権力を振りかざして、どこまでも追って来やがる」

 

 

 サボは知っているのだ。自分の父親がゴア王国の王家と深い繋がりを持つことを。父はきっと息子(サボ)を取り戻すにあたって、国王にも根回しをしている。

 

 だからこそ兵士を大勢引き連れているのだ。今や彼の手にはゴア王国の権力が握られ、その支配域はその気になればコルボ山、果てはフーシャ村にも届くことだろう。

 

 

「良く理解しているじゃないか、サボ。そうだ、この一件には王家も噛んでいる。お前は知らんだろうが、王女はお前をいたく気に入っているんだ。順調に事が進めば、お前はこの国の王にだって成れるんだぞ?」

 

「王の地位なんてどうでも良いっ! けどっ! もう、おれの大事な兄弟妹に手を出さないでくれっ! おれが望むのはそれだけだ!」

 

 

 自由を求めるがゆえに海賊を志した少年。それがどうして王座になど縛られなければいけないのか――。さりとて今取れる最良の選択は唯一。そんな馬鹿げた未来しか残されていない。他でもない兄弟妹を守る為に。

 

 

「というわけだ、悪ガキ共。サボはたった今より、お前らとは縁を切る。まったく……。汚れた経歴を抹消する為にどれ程の労力が必要なのか……」

 

 

 悪態をつく貴族の男。もはやハンコック達のことなど眼中に無い。

 

 

「ふ……ふざけんなァ! そんな言い分が通ると思ってんのか、サボォ! おい、こっち見ろよ!」

 

 

 頑なにエースから視線を背けるサボ。彼にとっても苦渋の決断――。本心では今すぐにでも兄弟妹の下に戻りたい。一緒に遊んだり、喧嘩だってしたい。そして仲直りして、より絆を深めるのだと。

 

 しかしながら、その幸福は認められない。権力という名のこの世で最も猛威を振るう力。まだ自分には、権力に抗えるほどの力は無い。

 

 

「くそっ! 一発ぶん殴ってでもサボの野郎の目を覚まさせねェと……!」

 

「やめろ……やめてくれ、エース……。おれはお前らが死ぬなんてことはイヤだ」

 

「おれは死なねェ! やっぱりサボは寝ぼけてやがんだっ! しっかりしやがれ、バカ兄弟っ……!」

 

 

 何度だって叫ぶ。何度だって怒鳴る。何度だって……。

 

 

「エース……。お前との5年間は楽しかった。ルフィ、ハンコック……お前らにはロクに兄貴らしいことをしてやれなかった。ごめんな、みんな――」

 

 

 決別の言葉だった――。彼の胸中は推し量れない。どう見てもサボの本心ではないと一目瞭然。しかし不幸にも貴族の家に生まれた少年の言うように、権力には逆らえない。

 

 きっとこの国から逃亡しても、その執念は子ども達を世界の果てまでも追い詰める。いつまで続くかも知れない不幸な生活に巻き添えには出来まい。ゆえにこの別れを以てサボは過去を捨てるのだ。

 

 

「とんだ腰抜けじゃ。とんだ敗北者じゃ……。権力などに屈するなど……。こんな男がわらわの兄? ふん、とんだ恥じゃ」

 

「お、おい。ハンコック……。急にどうしたんだよ……」

 

 

 サボへ向けて軽蔑の言葉を並べるハンコック。自分の親友の急変ぶりに戸惑うルフィは、ジッと彼女の動向を見守るしかなかった。

 

 

「見込み違いだったようじゃな……。そなたには海賊を目指すほどの肝が据わっておらなんだ。所詮は口だけの男。わらわのような年下の女に罵倒されても言い返せぬほどにプライドにも欠けておる」

 

 

 罵倒は止まない。口を開けばサボを侮蔑する言葉の数々が飛び出し、憎悪にも似たどす黒い感情がむき出しになっていた。その少女の形相にはブルージャムですら息を呑むほど。

 

 

「どうした、何か反論があるのなら申してみよ……」

 

「…………」

 

 

 尚もサボは答えない。全ての罵倒を受け入れるように……。抗議する資格すら、自分には与えられていない。だから言い返す勇気も湧かないのだ。無力ゆえに、ハンコックが言いたくもない悪口を言っている事を見逃す。

 

 

「サボ……。どうして……何も言わぬのじゃ……。わらわを怒れっ! わらわと喧嘩してみせよ!」

 

 

 目が熱くなる。もう兄の声すら聴くことは叶わないのかと。悲痛な叫びが胸の中にこだまする。ポロポロとこぼれた涙がハンコックという少女の悲しみを世に知らしめる。

 

 

「サボォ! ハンコック()を泣かせるじゃねェよっ……! エースが言ってたみてェに、お前をぶんっ殴ってやる!」

 

「いつかおれが――」

 

 

 ルフィの怒号を受けて、ようやくサボは重い口を開く。これには冷静さを失ったルフィとて、耳を傾けるしかあるまい。

 

 

「国王になったら――。その時はお前らを貴族にしてやる。そしたらまた会えるんだ――」

 

 

 見るに堪えない……。上辺だけ明るく振る舞うサボのなんと哀れなことか。

 

 

「サボ……。心にも無ェことを言ってんじゃねぇよ! おれたちが成りたいのは貴族じゃねェ、海賊だろうがァ!」

 

 

 エースは吠えた。共に秘密基地まで作り上げ、明日以降も海賊船を購入するた為の資金を集めると約束したことを思い出しながら。

 

 

「嘘じゃ……。サボがそんな事を望んでおる筈がない……!」

 

 

 

 慟哭する。滝のように流れる涙が頬を濡らし、少女の肩を震わせた。

 

 

「認めねェ……! サボが王になるってんなら、おれがこの国をぶっ潰してやるっ……!」

 

 

 国家転覆を宣言するルフィ。拳ひとつで王位から引きずり下ろす覚悟だ。そうでもしなければ悪い彷徨に強情な兄貴(サボ)を取り戻せまい。

 

 

 そしてサボはそれ以上の言葉も告げずに父親と共に高町へと消えた。その場に残されたのはブルージャム海賊団とコルボ山の悪ガキ()()()。1人欠けてしまった――。

 

 

「貴族のダンナからは、お前らを始末しておけとの指示だが――。お前らは腕っ節に自信があるようだな。消すには惜しい命だ」

 

 

 突然、何を言い出すのか。ブルージャムという男の言葉に虫唾が走ったエースは、足元に落ちていたゴミを彼へと投げつける。

 

 不敵な笑みを浮かべながら軽く避けたブルージャムは、ハンコック達へと話を続ける。

 

 

「どうだ? 強いやつはおれとしては大歓迎だ。ポルシェーミの野郎が死んだ穴をうめる為にも、ウチの一団に来ねぇか? スカウトってやつだ」

 

 

 ハンコックらの才能を見込んでの海賊団への勧誘。だが、こんな男を間違っても船長などと呼びたくはない。

 

 

「ことわる……。おれたちが海賊になる時は自分達の船を持つって決めてんだ」

 

「そうじゃ、特定の誰かに従うなどあり得ぬ。ルフィは別じゃがな?」

 

「そういうわけだ、おっさん。おれ達は自由にやるから、誘いには乗らねェ」

 

 ルフィの言葉で拒否の意を締めくくる。

 

 

 

「そうか……残念だ。だがまあ、お前らも金は幾ら有っても足りねェよな? 単発の仕事なら斡旋してやれるが、そっちはどうだ?」

 

「ふざけんな……。おれ達はまだサボの件で頭ん中がグチャグチャなんだ。お前の話になんか聞いてやる気にもなれん」

 

「そいつは悪かったな。まあ、金が必要なら入り江に来い。そこにおれの船がある」

 

「そうかよ……。期待せずに待ってろ、クソ海賊」

 

 

 減らない口で吐き捨てて弟と妹を連れて秘密基地へと撤収するエース。まだ認めてなどいないのだ。サボが自分達を置いて貴族の家へと戻っていたことを。必ず彼を取り返すと決めた。

 

 手段など問う暇も無い。一刻も早く救い出さねば、サボはきっと腐敗した性根へと塗り替えられる。そんな気がした。

 

 

「わらわは信じておる。サボがこのまま黙って親の言いなりになるなどとは思えない」

 

「おれも同じ気持ちだっ! だってサボのやつ、泣いてたっ……! サボもこんな事、認めちゃいないんだっ!」

 

 

 ルフィは見ていたのだ。背を向ける彼の涙を。その背中もどこか寂しげで、助けを求めている風にもルフィの目には映っていた。

 

 

「お前らもそうか……。ああ、サボなんだ。おれ達の兄弟なんだ。あいつの強さは誰よりも知ってる。きっと戻ってくるに決まってる!」

 

 

 ルフィ、エース、そしてハンコックの誰もがサボの帰還を信じている。ひょっとすれば痺れを切らしてハンコック達の方から迎えに出向くなんてこともあり得るだろう。そう考え出すと陰鬱な気分も少しは晴れるというもの。

 

 

「よしっ! サボが帰ってくるまでに海賊貯金をもっと増やすぞ! お前らもそれで良いよな?」

 

「ししし! ああ、たんまり貯めてサボのやつをビックりさせるんだっ!」

 

「少しばかり気が早いが、あやつの驚く顔が楽しみじゃ!」

 

 

 望んで送り出したわけではないサボ。けれど希望が絶たれたわけではない。少年少女が信頼を寄せるサボという男は必ず――権力という名の檻から抜け出してくる。ならば彼の帰る場所を守ることこそが、彼への報い方。

 

 今はまだ待つのだ――。海賊に成るという夢を胸に抱いて――。


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