もしもハンコックがルフィと同い年で幼馴染だったら   作:夏月

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21話

 秘密基地に戻ってはみたものの、たった1人欠けてしまっただけなのに随分と静かなものだ。

 

 賑やかし役のルフィでさえ口数が少なく、彼に続く形でハンコックも無言。エースにいたっては苛立ち気味に舌打ちする始末。

 

 先程まではサボの帰る場所を守ろうと息巻いていた。だというのにこの現状は何事か? 何もかも想定が甘かったのだろう。

 

 自分達にとってのサボの存在の大きさを失ってから気付く。事の重大さを今更になって理解した。

 

 

「時にエースよ……」

 

「なんだ……?」

 

 

 場の流れを変えるべく、ハンコックが話題を提供する。その意思を感じ取ったエースは、いまいち乗り気になれないが、やむを得ず話し相手を務める。

 

 

「一度、ダダンの下へ戻らぬか? ここは退屈で息が詰まりそうじゃ」

 

「帰りたきゃお前だけで帰れ。おれはサボが戻ってくるまで、ここで暮らす。なんならアイツが帰ってきたら、ダダン家まで知らせに行ってやろうか?」

 

「意地っ張りめ……。その心意気は買うが」

 

 

 にべもなく断られた。ただし八つ当たりしない辺り、彼も妹を大切に想っているのだろう。

 

 

「腹減ったー」

 

 

 盛大に空腹の音色を鳴らせるルフィ。間の抜けた音に、思わずサボとの離別を忘れては吹き出してしまうエースとハンコック。

 

 

「そういやァ、あの騒ぎでメシがうやむやになっちまったな」

 

「言われてみれば。しかしどうする? サボは去り際に持ち出した金銭を残してはくれたが……。いま、街へ近づく気分にもなれぬ」

 

「少々面倒だが猪か熊、虎でも何でも構わねェ。狩りでもしようぜ」

 

 

 腹が減っては思考もままならないし、考えも纏まらない。よって3人はサボを欠いて以後、初めての狩りへ繰り出す。

 

 

 

 

 結果だけを言わせてみれば収穫は0であった。彼らの実力ならば小一時間もあれば何頭もの獣の息の根を絶った上で、火に掛けていた頃。

 

 けれど実情を見れば、空腹に喘ぎ3人一緒に地に伏せている。空腹ゆえに力が出ない――といのも要因のひとつだが、何よりもサボを失った喪失感から無気力になってしまっていた。

 

 

「やる気でねェー……」

 

「わらわも同じく……」

 

「なんてザマだよ、おれ達ァ……」

 

 

 揃いも揃って廃人かと身が見紛う程に生気が抜けていた。フーシャ村では幼い美人さんで通っているハンコックでさえも、顔色が優れず美貌を著しく損ねている。

 

 とはいえ、そんな憂い顔でさえも映える可憐な容貌ではあったが。例えるなら家族の温もりに飢える薄幸な少女といったところ。実に悲劇的なヒロインである。

 

 

「前言撤回だ。やっぱりダダンの家に帰るか……。今日ばかりはメシを分けてもらわねェと、体がもたねェ」

 

「ふふふ、カッコ悪いものじゃな。見栄っ張りなエースめ」

 

「うるせェ……。男が見栄を張って何が悪い」

 

「エースのやつ、開き直ってんぞ。だっせェなァ」

 

 

 ハンコックだけではなくルフィまで幻滅させる、エース。とはいえ、彼が兄弟妹の中で最も心に傷を負っているのは確かだ。

 

 なにせエースとサボは5年来の付き合い。ルフィ及びハンコックと出逢う以前より、長い期間に渡って苦楽を共にしてきた。そこに来てサボとの別れは、半身を引き裂かれたも同然の仕打ち。

 

 天から見放されたが如き運命に落とされてもエースが自棄を起こさないのは、ひとえにルフィとハンコックの存在が踏み留まらせていたから。孤独を免れた彼は再起への道を模索する。

 

 分りやすく手っ取り早い方法は無論、サボを取り返すことだが、国家権力との衝突への備えは不十分である。今はまだ力を蓄え、機を窺うのみ。

 

 

「じゃあ、帰るか。ダダンのところへ」

 

 

 エースの先導で3人兄弟妹は仮親の下へと駆け出す。本来ならばこの兄弟妹の中にもう1人、長兄が居る筈だが――この空白への寂寥感(せきりょうかん)については、もうしばらくの辛抱だ。

 

 

 

 

 

 やがて見えてきた親しみある山賊のアジト。相変わらずのボロ屋だが、今のハンコック達には都にも匹敵する輝き。

 

 その都の入り口には、ダダンの手下であるドグラとマグラがウロウロと落ち着かない様子で歩き回っていた。

 

 

 

「まーまー、エース達じゃねェか」

 

「ホントじゃニーか! ダダンのお頭に知らせねェと!」

 

 

 慌ただしく中へと引っ込み、ダダンへと報告するドグラとマグラ。程なくして目尻に涙を蓄えたタダンが、咥えた煙草を吐き捨てながらハンコックへと駆け寄った。

 

 

「お前らっ! 可笑しな書き置きだけ残して消えちまったかと思えば帰ってきたかっ! このヤローどもがっ! まったく、心配かけやがって!」

 

「ああ、いま帰った……」

 

 

 弱々しい声で返事をするエース。そんな彼の様子に違和感を得たダダンは、やがて気付く。

 

 

「ちょっと待てっ! サボのやつが居ねェじゃねェか! サボはどうしたってんだよっ……!」

 

「その事なんだが……」

 

 

 問われてエースは事の経緯(いきさつ)を力無い声で語りだす。頷く余裕も無く聞き入るダダン。徐々に顔から色が抜け始め、しまいには脂汗を掻く。

 

 話を聞き終えたタダンは――その場に崩れ去り、ゆっくりと煙草を咥えて火を灯した。煙を肺へと満遍なく取り入れたかと思えば、咳き込んでしまう。

 

 

「サボのやつが……。貴族の家に連れ戻されたって……? そんなバカな話があってたまるかいっ……!」

 

「ダダンよ、わらわ達とて信じがたいが目の当たりにしたのじゃ……。紛れもない事実……。ゆえに覆らぬ……」

 

「だけどよォ、おめェ……。事情があるにせよ、あのバカがどれだけの想いで行っちまったのかを考えると……。胸が痛てェよ……」

 

 

 意気消沈。やるせない気持ちを隠しきれず、ダダンは行き場を失った感情に振り回され歯噛みする。本来ならば物へ八つ当たりしたりなど暴れるところだが、子どもたちの手前、自制を最大限に利かせる。

 

 

「今は待つことでサボを信じることにする。おれ達はそうするって決めたんだ」

 

 

 エースの口から兄弟妹の取り決めをダダンへと告げられ、そこで会話は打ち切られる。嫌な静けさが場を支配し、不満はあれど声を出す事すら憚れる。窮屈で息苦しい空間。耐えかねたハンコックは口を押さえながら屋外へと退避する。

 

 

「(やはりサボが居ないと調子が狂ってしまう……。エースもルフィもあの有り様では見ていられぬ……)」

 

 

 2人の兄(ルフィとエース)の心的不調は、ハンコックの心を削る。荒んだ精神は執拗に彼女を責め立て、色あせた世界を瞳に映させた。

 

 

「(そなたさえ戻ってくれたら……。きっと、こんな想いも晴れるはずじゃ……)」

 

 

 同じ国に居れど、はるか遠くに行ってしまったサボの身を案じ、先行きの見えぬ不安へと直面しながらも耐え凌ぐ。半死半生の状態に近い心境でハンコックは明日以降にも続く世界を生きる――。

 

 

 

 

 翌日のこと。朝食の場でルフィとエースは、いつの間にやら2人で相談したのか示し合わせたかのように、ブルージャムが誘いを掛けてきた単発の仕事を請けると言い出した。今はとにかく金が必要なのだと、悲しみを誤魔化すように主張している。

 

 なにが正しいことなのかは分からない。しかし、何であれ行動しなければ失ったモノの大きさに押し潰されそうで生きることすら辛いのだと言う。

 

 

「そなたらの意思じゃ。止めはしない。ただし、わらわは留守番をさせてもらう」

 

 

 ブルージャムはいわばサボを奪った片棒を担いだ連中。誰が好んで彼らの仕事を手伝わなければならないのか。正直、ルフィたちの正気を疑う沙汰である。だが、他でもなく2人の兄が望んだことだ。よほどの事情が無い限りは引き止めはしまい。

 

 

「悪いな、ハンコック。これも金を貯める為だ。なあに、ブルージャムの野郎が可笑しな真似をしようってんなら、今度こそぶっ潰してやるさ」

 

「そうだぞっ! あんなヘナチョコヤロー、おれとエースでぶっ飛ばしてやる!」

 

「ふふふ、血気盛んなことじゃ。バイト代が弾んだら、食事でもご馳走してもらえると嬉しい」

 

 

 事の他、悲観的な考えではないらしい。その気になれば、いつでもブルージャムとは手を切る心構えのようだ。ならばハンコックの懸念も杞憂というもの。まさか彼らまでもがブルージャムやゴア王国の貴族のような腐った人間のように染まりはしないだろう。

 

 

 そうしてハンコックはルフィとエースを仕事へと送り出し、ダダンの下で1人待ち続ける。久々の1人の時間だ。普段であれば必ず兄達の1人は傍に居た。特にルフィと共に過ごす時間が大半を占め、退屈などとは無縁。

 

 それがどうしたことか暇で仕方が無い。1人で夕飯の食糧でも狩りに行こうかとも考えたが、鉄パイプを持ち出そうとしたタイミングでダダンに止められた。理由を訊ねると――。

 

 

「いまのお前は見てられねェくらい落ち込んでんだ。下手を打ってケガでもすんのが目に見えてんだよ」

 

 

 きっとそれは親心なのだろう。彼女の優しさにはハンコックも無下には出来ない。生来の我の強さはナリを潜め、ここは親の忠告を素直に受け取った。ともすれば本格的に時間を持て余してしまう。

 

 

「(ここまで退屈なのは――天竜人の奴隷として飼われていたあの頃以来じゃな……)」

 

 

 忌々しき記憶。捨て去ったはずの過去を彷彿させる。ハンコックを虐げ、人間扱いすらしなかった…天竜人。もしも彼の人物に再び会うことがあったのなら、きっと彼女は有無を言わさずに殴りかかるだろう。

 

 いくら物心がつく前後で事の善悪すら曖昧な身でも、あの非道は許されざる行為。人の尊厳を奪った悪辣を目の前にして我慢など出来る道理は無い。

 

 

「(天竜人(あの女)だけは今になっても許せる気がせぬ)」

 

 

 かつてハンコックの全てを文字通り支配していた()()()()()――。自身よりも幾分か年は上で、天竜人にしては珍しく整った顔立ち。けれどその精神性は天竜人の例に漏れず、ゴミクズのような醜悪っぷり。

 

 思い出すことすら反吐が出る。何故、この時期になって過去に思いを馳せてしまうのか……。嫌な予感がしてならない。何か良からぬ出来事の前触れではないかと勘ぐってしまう。

 

 とはいえ悪い方向へと物事を考えるのは、あまり褒められた傾向ではない。閉塞的な思考にとらわれては、ハンコックらしさを損なうだろう。

 

 気分転換に虫取りでもしようかと思いつき、虫取り網を持ち出す。ルフィの私物ではあるが、ハンコックであれば勝手に持ち出しても構わないだろう。彼も大目に見てくれる筈。

 

 

「ではダダン。虫取りに出掛けるのでな。夕方には帰る」

 

「なんだァ? おめェ、虫になんか興味があんのかい」

 

「というよりもルフィの気を引きたいだけじゃ。ヘラクレスオオカブトでも捕れば、ルフィも目を輝かせて笑顔になるはず」

 

 

 今のルフィの顔は曇ってばかり。日が差すキッカケとして昆虫は良い刺激となるだろう。自身の気分転換など副産物に過ぎない。心機一転とばかりにハンコックは山中へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 さて、鬱蒼とした森の中を駆け巡るハンコック。目ぼしい場所を総当りして、ヘラクレスオオカブトを捜索する。ルフィの笑顔を得んとして励むその姿は、まさに戦場に舞う戦乙女(ヴァルキュリャ)

 

 戦場とはまた大層な言い方ではあるが、彼女本人の本気の度合いを見れば納得の一言。小高い木から空を見上げる程に高い木まで。時にはよじ登って獲物の所在を確かめる。

 

 

「中々見つからぬものじゃな……」

 

 

 だが狙った通りに事は運ばない。無為に時間が過ぎ去り、やがて日も傾いてきた。空は夕暮れを示す橙色に染まりつつあった。背筋がゾワッとするような冷たい風が吹き抜け、そろそろ潮時かと考え始める。

 

 ゆえに最後に一縷の望みを懸けて一際高い大樹へとよじ登る。そして視線の先には煌々と輝く甲殻。黒々とした立派な角が伸び、その存在を周囲へと喧伝していた。

 

 

「そこに()ったのかっ! ヘラクレスオオカブトっ……!」

 

 

 飛びつくように木を上り詰めると虫取り網を振る。カブトへ逃げる間も与えず、捕獲に成功した。今日一日の苦労が報われ、ルフィの笑顔の引き換え券を手にした記念すべき瞬間でもある。喜びに声を上げるハンコックは、片手にヘラクレスオオカブトを掲げた。

 

 この成果はサボの帰還には遠く及ばない小さな出来事。けれど、悲しみの中のひとつの希望にして光。この手の中の輝きはきっと、暗闇を照らす灯台となろう。

 

 が、ここで気付くのは輝きすらも塗りつぶす真っ赤な光。方角にして北方。空が赤黒く煙が立ち上っている。際限無く空へと流れる煙。嫌な予感の的中か――。

 

 

「(不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)の方角……? 燃えている……ようじゃな)」

 

 

 空を覆い隠すほど煙の量。大規模な火災と見て間違いない。可燃物の宝庫であるゴミ山。ひとたび火種がもたらされれば、大火と成るのも免れない。

 

 

「(ルフィとエースは? ブルージャムの仕事とやらで、まさかっ……!)」

 

 

 最悪の結末が脳裏を過ぎる。よもや残る兄2人までもが煙に巻かれて命を落としてやいないか。これ以上、家族を失うなど在ってはならない悲劇。幕開けからしてサボとの離別というこの世で考え得る最高の不幸。これ以上、自分を追い詰めるようなら、ハンコックとて無抵抗ではいられまい。

 

 急ぎ、ダダンの家へと戻る。せっかく捕獲したヘラクレスオオカブトはその場で解き放つ。虫取り網すら放り投げて帰宅したハンコックは、空の異変をダダンへと報告する。

 

 

「ああ、あたしも知ってる! ありゃァ、ただ事じゃねェ。エースとルフィもゴミ山に居るはずだァ!」

 

「ならば迎えにっ! 火に囲まれて逃げ場を失っているやもしれぬっ!」

 

「救出にはあたしと野郎共で行くっ! おめェはここでお留守番でもしてなァ!」

 

 

 戦斧を携えたダダンがハンコックへ留守番を言いつける。これから向かう先は地獄そのもの。業火が容赦なくスラム街の人々を焼き、命を燃料に尚も規模を拡大中。そんな場所へ穢れを知らぬ少女など連れてはゆけまい。

 

 

「お前の身になにかあっちゃァ、ガープや村長に顔向けできねェんだ。仮にもあたしはハンコックの親なんだ。頼むからおめェはここで帰りを待っててくれ。エースとルフィのバカは必ず連れて帰ってやるからよォ」

 

「しかしダダンっ! わらわだけ安全圏でジッとしているなど出来ようものかっ!」

 

「くどいっ、このクソガキっ! 娘を死地へと向かわせる母親がどこの世界に居るってんだっ!」

 

「はっ……」

 

 

 その言葉にハンコックは言葉を失う。血の繋がりによる家族の証明など端から望んではいなかった。けれど求める想いもあって、されど自身には親と呼べる存在は居なかった。ハンコックの元の保護者たるガープも親と言えば親だが、強いて言うならば父親の顔を持った祖父と呼称するのが相応しい。

 

 しかし彼の温もりは海の向こう側。時々会えても、すぐに離れ離れ。いつも心のどこかでは親の温もりを渇望していた。

 

 

 そしてダダン――。あまりに近過ぎて意識すらしていなかった、ガープに次ぐもう1人の親。母親と呼べる唯一無二の人間こそが、ダダンという女性なのだと気付かされる。

 

 

「ダダン……」

 

「なんてツラしてやがんだ。大丈夫だ、あたしを信じな。母親らしいことなんざロクにしてやれなかったが、そいつは今からしてやるよ」

 

「うん……。()()()――。お母さん(ダダン)の事を待ってるからね――!」

 

 

 ダダンの下で暮らし始めてから、初めて仮親に見せた生来の姿。海賊女帝を模した仮面を取って、精一杯の信頼を彼女へと伝える。

 

 

「へへ、おめェも年相応の可愛いらしさを見せるじゃねェか。こりゃァ、ますます信用に答えねェとな!」

 

 

 娘の期待を背負(しょ)って、ダダンは自身を奮い立たせる。出発の折、ハンコックの頭に手をそっと乗せると、粗暴な見た目に反して優しく撫でる。その行動の意味は語らずとも察するハンコック。きっとダダンはルフィとエースを連れて生還してくれる。

 

 そう宣言し、安心させる為にこうして頭を撫でてくれているのだ。母親にそこまでされては、駄々をこねて連れて行けなど言うまい。

 

 

「いってらっしゃい、ダダン――。わらわは此処で帰りを待っている。信じておるぞ」

 

「ああ! よっしゃァ、野郎共! いっちょう、バカ息子共を迎えに行こうかァ!」

 

 

 その号令に手下の山賊達は雄叫びを上げて応答する。ゾロゾロと部下を引き連れてゆくダダンを、もぬけの殻となったダダン邸より見送る。

 

 約束したのだ。ルフィとエースを連れて帰ってくると。ならばハンコックのすることはただ一つ。この家の留守を守り、待つことのみ。

 

 1人は寂しいが、いずれ賑やかとなる。ハンコック――ダダン一家、ルフィとエースに……そしてサボ。苦悩に満ちた運命すらも跳ね除ける。真っ直ぐな心でハンコックは、ひたすら信じ続けた――。

 

 

 

 

 

 

 だが――数時間後にハンコックの直面した運命はあまりも苛烈で非情。最愛の人(ルフィ)こそ帰ってきたが、その彼も重傷の身。何が起きたのかは――ダダンの手下であるドグラですら口を閉ざし、中々聞き出せなかった。

 

 しかし確かなのは……ダダンとエースは帰ってこなかった事。母と娘の約束は果たされず、悲しみに暮れる少女。朦朧とする意識のルフィの手を握りながら、自身も意識を手離しそうになる。

 

 

「嘘じゃ……。ダダンが帰って来ないなどっ……! ドグラにマグラっ! そなたらが付いていながら、何故2人は帰らぬのじゃっ……!」

 

 

 激情の矛先を(たが)えるハンコック。しかし甘んじて、責めの言葉を受け取るドグラ達。口ごたえする気にもなれぬ程に、彼らも己らの無力さを実感していた。

 

 

「すまニー! お頭は火の回ったゴミ山に居残って、エースと共にブルージャムのヤローとやり合ってんだ!」

 

「まーまー。お頭の指示でおれ達はルフィを連れて帰ってきたんだ。2人の件はすまねーな!!」

 

「ブルージャムじゃと……! またしても、ヤツが騒動に絡んでおるのか……」

 

 

 此度の大火災。ハンコックが推測するに、ブルージャム海賊団単独の犯行にしては規模が大き過ぎる。なにせ彼らに不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)を焼き払うメリットは存在しないのだ。

 

 ヤツラにとっても海軍の目を忍ぶ良い隠れ家であり、使い勝手の良いチンピラの巣窟でもある。となればゴア王国上層部の指示と見ても誤りはないだろう。

 

 

「うう……。エース……ダダン」

 

 

 苦しげに呻き声を漏らすルフィはあまりにも痛々しい。代われるものなら今すぐにもで――。けれど今のハンコックに出来る事は、手を握り存在を傍に感じさせることだけ。自分が彼の生きる活力になるのならば、この場から離れるわけにはいかない。

 

 

「2人の捜索は、しばらくはムリだっ! 軍隊(ぐんティー)の連中が後処理つーて、生き残りを含めて始末して回ってんだ。どのみち今すぐに捜しには行けニー!」

 

 

 ドグラの言葉に嘘偽りは無い。マグラも補足するように語り始め、事の全貌がハンコックにも見えてきた。

 

 曰く、近く天竜人がゴア王国の査察に訪れるのだと言う。ゴア王国唯一の汚点である不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)。その地を火災を以て一掃し、浄化へと王国が動いたのだとか。そうする事で国の評判を落とさず、天竜人の目も汚すことはない。そんな身勝手極まりない目的だ。

 

 物だけではなく、そこに住まう人々までゴミのような扱い。人道から外れた行いを国自体が推進した。この世の腐った部分を凝縮したような思想。この国の王族や貴族に対して憎しみどころではない、黒く濁った感情が芽生える。

 

 

「信じられぬ……。この国はそこまで堕ちていたのか……」

 

 

 これではまだブルージャムが可愛く思える程の悪行だ。コルボ山のダダン一家など聖人と呼んでも差し支えないだろう。

 

 

「天竜人――。ゴア王国もそうじゃが、やつらが気まぐれでこの国へ来さえしなければエースもダダンも――」

 

 

 諸悪の根源に天竜人を仮定として置く。憎悪によって視野狭窄へ陥るのは愚かしいことだ。

 

 だが今のハンコックには、不条理に対する怒りが勝って冷静な判断など下せない。度し難い世の行く末に、すぐにでもダダンのアジトから飛び出しかねない危うさを纏っていた。

 

 

「まーまー。ルフィもこの容態だ。しばらくはハンコックも付きっ切りで居てやれ」

 

「わかった……。ルフィまで失うわけにはいかぬ……」

 

 

 マグラの言葉に頷く。エースとダダンの生死すら不明な現在。ハンコックに残された身近な家族はルフィだけだ。マキノと村長はフーシャ村、ガープは言わずもがな。ダダンの手下達は、家族というよりも友だちといった感覚の方が強い。

 

 なんにせよルフィが快方へ向かうまでは予断を許さない状況。刃物で切られたような酷い傷までこさえて見るに悲惨だ。手厚く看病しなければ。

 

 

「ルフィ……。そなたは生きていてくれ……」

 

「うう……、ハンコック……」

 

 

 意識を保つことすらまはまならぬ中でハンコックの名を呼ぶルフィ。生きる事への活力源はハンコックへと委ねられる。

 

 

「わらわはここに――。しっかりするのじゃ、ルフィ……」

 

「そばに居てくれて……ありがとう……」

 

「うむ。しかし、ムリして喋らずとも良い。そなたの気持ちならば手に取るように分かる」

 

「……うん」

 

 

 やはりルフィには自分(ハンコック)が必要なのだと、こんな状況なのに感じてしまう。いや、こんな状況だからこそか。

 

 心細いのだ。身を寄せ合ってでも命を繋ぐことに文句はつけられない。それにまだ2人は幼い身。元より1人で生き抜くなど不可能なのだ。

 

 そうしてハンコックはルフィの看病の為に寝る間も惜しみ片時も離れなかった。数日もの間、気の抜けなかった事から彼女自身も疲労が蓄積。ハンコックまで倒れかねない有り様。

 

 だが、そんな苦悩な日々にも終焉が訪れた。ルフィの容態が回復し、自力で歩けるまでになったのだ。

 

 確固たる意識を取り戻したルフィは、今すぐにでもエースとダダンを探しに行くのだと叫び、外へ飛び出さんとしていた。

 

 

「まーまー! 落ち着くんだ、ルフィ。まだ軍隊の連中がうろついてる。間もなく天竜人がやって来るから、ギリギリまでゴミ山に張ってんだ」

 

「けど、おれはエースとダダンが生きてるって分かるまではジッとなんかしてられねェよ!」

 

 

 ルフィを苦しめるのは何も怪我だけではなかった。失うことを恐れるのはエースという兄と、ダダンという親。2人の存在無くして落ち着いてなどいられようか。

 

 

「ルフィ。そなたにはまだ安静が必要じゃ。しかし心配なのはわらわとて同じことよ」

 

「だったら!」

 

「それこそ落ち着くのじゃ。捜索にならわらわが行く。軍隊が巡回しているゆえ、ままならぬかもしれぬが。ここで足踏みしているよりは有意義じゃろうしな」

 

「ハンコックだけじゃ不安だニー。おりも着いてってやる」

 

 

 ハンコックの提案にドグラが付き添う。ルフィもそう言われては引き下がらずを得ない。

 

 

「そっかー。うん、頼んだぞ。ハンコック!」

 

「任された。ふふふ、きっとあの2人のことじゃ。実は元気にしていて、わらわと入れ違いで帰ってくるかもしれぬな?」

 

 

 淡い期待かもしれない。けれど破られる約束をダダンがするとは思えなかった。頑なにダダンを信じるハンコックは、彼女と共に兄も帰還するのだと確信を持つ。

 

 でも先走って捜しに向かうのは、再会まで待つことに辛抱出来なかったと言い訳をする。

 

 

「エースとダダン、待っておれ。また皆で家族をやるのじゃ――」

 

 

 そしてドグラを伴って兵士の張り込むゴミ山を捜索する。焼け焦げた残骸からは死臭すら漂う。けれど不思議と遺体は見受けられない。骨まで焼き尽くされたか、軍隊に回収されたか、あるいは何処かへと何者かの手を借りて海へと逃げたのか――。

 

 いずれにせよ望んだ手掛かりは何一つとして掴めずじまい。徒労だったかとため息をつく。

 

 

「ドグラよ。無駄足かもしれぬが、街の方まで捜索の範囲を伸ばすというのはどうじゃ?」

 

「それは良いかもしニーな。エースとお頭のことだ。逃げ場が無けりぁ、街を囲む壁をよじ登ってでも生き延びてるかもしれニー!」

 

 

 幸い、街の方では天竜人を迎える為に人々が港へと殺到している。薄汚れた格好の山賊と小娘1人が街中を歩いていても咎める者を少ない。天竜人のお目汚しになるものならば総じてを排除する兵士の警備も手薄だろう。

 

 検問所さえも杜撰な警備体制ゆえに無人で、素通り出来た。火災によってゴミ山が無人になったと見るや、警備すら放棄したらしい。

 

 端町から中心街を隅々まで走り回るが――ダダンもエースも影すら掴めない。当てが外れたかと諦めかける。さすがに警備が万全な高町にまでは逃げ込んではいないだろうと、高町についてら捜索エリアの候補からは外していた。

 

 

「最後に港を見て回ろうではないか……。火災の大元の原因となった天竜人の尊顔とやらを拝みたいものじゃな」

 

「見て得するもんでもニーだろうに」

 

「分かっておるわ。しかし天竜人がこの地に足を踏み入れるのは癪に障る。せめて顔だけでも見て、石のひとつでも投げつけてやろう

 

「バカ、おめェ! そんなことしたら首を撥ねられちまうよ!」

 

 

 不敬罪や傷害罪。如何なる軽犯罪であっても被害者が天竜人というだけでも死罪に該当する。焦ったドグラはその事を伝えつつ、ハンコックへ注意を呼び掛ける。

 

 

「ふふふ、冗談じゃ」

 

「まったく、心臓に悪い冗談じゃニーか! それに天竜人には護衛が付いてんだ。政府の役人だけじゃニー。屈強な海兵も有事に備えて護衛に就いてるはずだ。石なんて投げても当たらニーよ」

 

 

 ドグラが言うには、今回のゴア王国査察にも海軍本部大将が1人ご栄転任務に就いているらしい。待機命令が出されており、もしも天竜人に危害を加える者が居ようものならば即座に出撃するのだとか。

 

 仮に下手人が子どもであろうと総力を以て捕らえに動くことだろう。そんな背景もあってハンコックの冗談は政府の役人や海軍の耳に入っただけでも、裁かれかねない行為であった。

 

 

「では行こう」

 

 

 ドグラを置いていかんばかりの疾走で港へと急ぐハンコック。

 

 やがて港には黒山の人だかりが見えた。天竜人を乗せた世界政府の船の着港に向けて式典が開かれるらしく、物見遊山で国民らは集まっている。ハンコックも同じ穴の狢ではあったが。

 

 

「あれは……」

 

 

 まだ世界政府の艦の来訪には早いというのに大勢が騒ぎ始める。騒ぎの発端となった人物は、どうも海に居るようで……釣られてハンコックは視線を海上へと向ける。

 

 そこには一隻の漁船。乗組員は――小柄な人間が1人。いや、小柄ではない。ただ単に子どもだから小さく見えるだけだ。

 

 目を凝らして漁船を操る主の顔を見る。徐々にその顔立ちの判別がついて――。

 

 

「サボっ……!」

 

 

 先日、生き別れとなった筈の兄の1人が、どういった経緯なのか船出の真っ只中。海賊旗を掲げ、この窮屈な国を飛び出している。

 

 

「ドグラっ! 見よ、あそこにサボが居る!」

 

「この距離で良く見えるな! おれは双眼鏡でようやく分かるってのニよ!」

 

「わらわが距離の隔たり程度で兄を見間違える筈がないわっ! 良かった! 経緯は定かではないが、やはりサボは自由を求めて海賊になりたかったようじゃな!」

 

 

 ゴミ山の火災の件でゴア王国の闇を知ったのかもしれない。なまじ貴族の家の生まれ。この国の深い部分を目の当たりにして、これ以上留まる事を害悪と判断したとだろう。

 

 ハンコックたちに何も伝えずに船出を選んだ事には多少なりとも不満はあったが、サボ自身の決断だ。男の船出を邪魔立てするつもりはない。

 

 

「向こうはおり達に気づいティーニーみてェだな」

 

「よい……。わらわもルフィもエースも、いずれ海へと出る。先を越されたのは悔しくはあるが、いつか海賊として再会を果たすと決めておるのじゃ」

 

「そんなもんのか?」

 

「そんなものじゃ。なに、サボほどの男じゃ。きっと大きな事件でも起こして新聞越しで嫌でも目にする」

 

 

 可能ならば安静中のルフィ、行方不明のエースもこの場に連れて見送り出したかった。しかし無い物ねだりをしても無意味。であれば、自分だけでもサボの船出を祝福しよう。

 

 もう間もなくサボに降りかかる不幸を知らずして――ハンコックは彼の背中に未来を望んだ――。


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