もしもハンコックがルフィと同い年で幼馴染だったら   作:夏月

8 / 22
8話

 悪魔の実を食べて特殊な体質へと変化した事実は、ルフィとハンコックに新たな世界への一歩を踏み込ませた。まずルフィの得たゴム体質はシンプルで分かり易い。

 

 要するに身体がゴムの性質を持つのだ。現状では限度はあれど、全身がゴム同様に引っ張りさえすれば伸びるのだ。打撃といった攻撃にも耐性を持ち、ハンコックが試しにビンタしてみたがルフィには一切のダメージが通らなかった。防御面において優れているといえる。

 

 とはいえ、そんなゴム体質にも明確な弱点というのが存在する。斬撃には滅法弱いのだ。それは常人でも同じであるので、さしたる問題でもないが――。

 

 さて、一方でハンコックの得た特異的な能力。老若男女の総じての心を、能力者本人の持つ魅力を以て奪い石化――。能力発動の前提条件として容姿が優れていることが必要とされる。この条件については問題は無い。

 

 なにせハンコックは世界が羨むほどに突出した美貌を持つのだ。今でこそ幼いが、年齢を重ねることで、より美しさを増す事が約束されている。そうともなれば能力発動の制限が緩和されるのだ。

 

 

 そして能力の有用性を確認すべく、ハンコックはルフィを伴って鍛錬に励んでいた。ルフィのパンチの件で修練を積んだ山の麓。ルフィの拳やハンコックの蹴りによって、ヘコミを持った木が量産されている。それだけの時間と努力を積んだ証左である。

 

 

「むぅ……。わらわはメロメロの実の能力は外れやもしれぬ……」

 

 

 不満を漏らす。訓練の相手としてルフィを選んだのだが、一向にルフィが石化する気配は無い。頭の中で「素ルフィ、わらわの魅力に屈服せよっ!」などと念じてみたが、何も現象として発生しない。発動条件は満たしている筈なのに、肝心の手段への理解に至っていない。

 

 特定のポーズでも必要なのだろうか? ラッキー・ルウが見せてくれた悪魔の実の図鑑にも、メロメロの実の項目については数行の解説文しか記されていなかった。漠然と効果だけしか書かれておらず、具体的な部分についてはボカされていたのだ。

 

 

「ハンコックーっ! くよくよすんなって。おまえ、悪魔の実なんて食わなかったとしても強ェだろ」

 

「そう言って貰えると嬉しい。しかしじゃ、ルフィよ。使えるものは何でも使うべきじゃ。たとえこの変哲な能力であっても、わらわは矛として振るいたい」

 

「そっかー。おれ、応援するよ。全身メロメロ人間とかさ、なんかよく分かんねェけど面白いし」

 

 

 のん気な物言いだが、彼は本心から言っているのだと分かる。だからバカにされた気分にはならない。

 

 

「地道に模索するしかないようじゃ。ふぅー……。わらわも難儀な能力を引き当てたものだ」

 

 

 後悔はしていない。他でもないルフィが認めてくれている。面白いとも言ってくれている。ならばこの力はハンコックの個性として受け入れ、強みへと変えるべきだ。未だ道は見えずとも、ハンコックはルフィと一緒になら、どこまでも行けると信じて鍛錬に打ち込むのだった。

 

 

 

 

 鍛錬の日々が続く中でも、赤髪海賊団は航海を2度終えていた。相変わらず航海には連れて行ってもらえていないが、充実した日常生活を送れている。

 

 村の人々は一風変わった体質を持ったハンコックとルフィをあっさりと受け入れて、むしろ楽しんでいる節があった。これほどに温もりを感じる村は世界中を例に見ても稀有であろう。

 

 そんな温もりに浸りつつ、ハンコックはルフィと共にお使いに出ていた。目的の品は近海で獲れる魚。仲良く手を繋いで買い物バッグを携えて道をゆく。魚屋の店主のおっちゃんは、妻と共に子ども2人の接客に当たっていた。接客というよりは可愛らしい子どもを可愛がるような応対。

 

 

「よう、ルフィ。未来の奥さんを侍らせて、幸せ者だなっ!」

 

「魚屋のおっちゃん!! 奥さんってなんだ? その魚って旨いのか?」

 

「はは、ルフィ! 奥さんってのはあれだ。ずっと傍に居てくれる大切な女のことだ」

 

「へぇ、じゃぁ。ハンコックはおれの奥さんってことかっ!」

 

「ルフィ……。無自覚なのは知っておるが、わらわはあえて勘違いをしたいっ!」

 

 

 ルフィによる「ハンコックはおれの奥さん」発言は、いとも容易くハンコックの心を揺さぶる。天然なルフィの発言に、わざと乗ってしまったハンコックは歯止めが利かない。新婚夫婦が如く、ルフィの腕に抱きつく行為は周囲の視線を集める。

 

 

「ルフィ、わらわのことは好きか?」

 

「好きだぞ」

 

 

 簡潔な返事。その一言でどれほどの感情が動くのか、ルフィは知るまい。乙女心を知らないからこそ、無自覚だからこそ、度し難いバカだからこその発言。ハンコックはルフィの知能指数の低さに今日ほど感謝した日は無い。

 

 

「またやっとるようじゃのう、ルフィ」

 

 

 背後からハンコックの親代わりである村長が会話を切り出した。大方、お使いに出したハンコックを心配して家を出てきたのだろう。過保護に感じながらも、ハンコックはその親心が堪らなく嬉しかった。

 

 

「お前はハンコックを妻にするつもりなんじゃな? ならば何度でも言うがなルフィ。ハンコックと家庭を築くというのなら海賊になどになるなっ!」

 

 

 村長の一喝――。耳が痛い小言に嫌気が差したのか、ルフィは自身の耳を塞ぐ。シャンクスに影響されて海賊に成りたいという夢は村長にとって否定すべき対象。事あるごとに村長は、ルフィに海賊の短所ばかりをかき集めて言い聞かせてくる。

 

 

「村長よ、子どもの夢を否定しては成長を阻害する」

 

「ハ、ハンコック……。そうは言うがなァ……」

 

「わらわは悲しい……。信頼しておる村長が、わらわの友だちの夢を悪く言うことが……。あァ、なんと悲しきことか」

 

 

 演技がかった声色で村長へ反論を仕掛ける。

 

 

「もしや……。わらわのことが可愛げの無い子どもと思うておるのか?」

 

「そんなはずはないっ! わしはお前を孫同然に思っとるっ!」

 

 

 その感情の昂ぶりをハンコックは見逃さない。ふと、閃いたのだ。今ならば自分の能力が使用可能なのではないかと。続けて思いつきのポーズを即興で取る。

 

 両手を突き出して指を絡め、ハートの形状を作る。そして唱えるのだ。心より生み出されし魔法の言葉を――。

 

 

「メロメロ甘風(メロウ)っ……!!」

 

 

 その発声が合図となり、ハンコックの手を発生源としてハートの形状をした桃色の光線が幾重にも連なって発射された。標的は村長。構えなど取っておらず無防備だった彼へと光線は直撃。瞬きをした次の瞬間には見事に石化した村長が出来上がっていた。

 

 

「あ、村長が固まっちまったよ」

 

「見事なものであろう? わらわの仕業とはいえ、天晴れじゃ」

 

 

 微動だにしない石像と化した村長。ハンコックという少女へ抱いた好意が引き金となり、効力を存分に発揮させたらしい。

 

 

「おっと、わらわとしたことが村長で能力を試すなど……。親に対する背信行為じゃ」

 

 

 慌てて石化が解けるように念じると、村長の体は生気を取り戻す。ハッとした様子で意識を浮上させた村長は、何事かと顔面を蒼白させていた。

 

 

「いま気を失った気がしたんじゃが……。わしの気のせいか?」

 

「いや、気のせいではないぞ。わらわがイタズラを仕掛けたのじゃ」

 

 

 隠し事はしたくない。包み隠さずにぶっちゃけた。

 

 

「やけに手の込んだイタズラじゃな。どうやったかは知らんが」

 

「手口は明かせぬ。許せ、村長。マジックのようなものじゃ」

 

「そうか、ほどほどにしておくんじゃぞ」

 

 

 能力解除後、石化の後遺症なのか前後の記憶が曖昧らしい。この聞き分けの良さは意識が不安定な状態に由来するもの。言われた通りの説明を真に受けるのも致し方ない。

 

 

 

 

 

 ところ変わってマキノの酒場。マキノが出してくれたジュースを酒場に入って数十秒で飲み干したハンコック達は、グラスに残された氷をガリガリと頬張る。お行儀が悪いが、マキノから一切の文句は出ない。子どものやる事として大目に見てもらっているのだろう。

 

 

「今日は船長さんが居ないから退屈なんじゃない?」

 

「ハンコックが居るからそうでもないぞっ!」

 

「あら、良かったじゃない、ハンコックちゃん」

 

「わざわざ口に出さずともよい。照れてしまう」

 

 

 マキノも意地悪なところがあると、やんわりと注意する。からかわれた形となったハンコックは、口内の氷を豪快に噛み砕く。別段、意味があるわけではないが、ルフィとはどちらが先にグラスの中の氷を全て噛み砕けるかを競争していた。

 

 

「それにしても船長さんの航海、今回に限っては長いわよね」

 

「シャンクスは出航前に今回は特に長くなると言っていたな。もうこの村を拠点として滞在する日数も少ないというし、心残りの無いようにしておるのじゃろうな?」

 

 

 赤髪海賊団の事情を思えば妥当な線だろう。元々、彼らは偉大なる航路(グランドライン)を主戦場として同業者と覇を競ってきた一団だ。こんな片田舎に来たというのなら、相応の理由があるのだろう。ひとつずつの航海が長引いても、なんら不自然ではない。

 

 

「そうなるとやっぱり航海に連れて行ってもらえないままお別れになんのかな?」

 

「そこはルフィの態度次第ではないか? あの男もなんだかんだルフィには甘い」

 

「甘いんだったら、おれをからかってばかりしてねェよ」

 

 

 からかえるほどの間柄とも言い換えられる。ルフィがシャンクスを気に入っているように、その逆も然り。年齢差を超えた友だちというのも悪くはないというのがハンコックの感想。しみじみとこれまで赤髪か海賊団と過ごしてきた日々の数々を想起する。

 

 だが、そんな少女の思考に水を差す不届き者が酒場へと現れる。視界に入れた瞬間、ハンコックは気分を害する。それはルフィとて同じ。その不届き者とは、いつか遭遇した山賊(ヒグマ)であったから。

 

 

「げ……」

 

 

 ルフィが警戒心から声を漏らす。幸い、ヒグマの耳には届いていないようだが、手下を連れて続々と酒場の席を占領する。

 

 

「今日は店が空いてる。当然、酒はあるんだろうな? なァ、ねえちゃん」

 

 

 マキノへ向けて威圧的に問うヒグマはふてぶてしい態度を隠そうともしない。お客様は神様だと言いかねない雰囲気をかもし出している。そして語調の強い物言いには、マキノは逆らえない。本来なら入店をお断りしたい客層だが、事を荒立てぬように酒を各テーブルへ提供する。

 

 

「っは! 今日は酒が飲み放題だ。酔って店を壊すかもしれんが、その時は許してくれよ。なァ、ねえちゃん?」

 

 

 その発言は脅しとも取れる。だが今は従うことしか出来ない。選択しは限りなく狭まれ強要されている。だが、そんな横柄な振る舞いに座しているだけのルフィとハンコックではなかった。

 

 

「やいっ、山賊っ! マキノの酒場で好き勝手言うんじゃねェやいっ!」

 

「そうじゃ……。その品の無い振る舞い、見ているだけで目が穢れてしまうわっ!」

 

 

 挑発的――を通り越して山賊相手に喧嘩を売る口上。はたしてその様な謂れを受けたヒグマが黙って聞き流せようものか。

 

 

「ああ? なんだ、あの時の腑抜けた海賊野郎の近くにいたガキたちか……」

 

 

 どうやらハンコック達の存在は先日の時点で認識していたようだ。大人気なく子どもを睨み付けて威嚇してくる。

 

 

「いまのおれは機嫌が良いんでね。いまならまだ許してやる」

 

 

 意外なことにヒグマはハンコックらの言葉を咎めることはなかった。機嫌が良いというのは事実なのだろう。

 

 

「だが愚痴くらいは言わせてもらおうか。先日の件でおれはムカムカしててな。あのバカな海賊共が気に食わねェんだ」

 

 

「なにをォっ……!」

 

 

 シャンクスへの侮辱に憤慨するルフィ。ハンコックをして椅子から立ち上がって発言の撤回を求めたくなる内容である。だが、逆なでするようにヒグマは言葉を続ける。

 

 

「お前らも見てただろ? 酒をぶっかけられてもブルって反抗的な態度もみせねェ腰抜けを。いっそ殺してやりたいと思ったぜ。57人目の犠牲者になるっていう名誉があるんだ。殺されても礼を言うべきだぜ」

 

 

 自分勝手な意見過ぎる。あまりに酷く、あまりに下賤。ハンコックは青筋を立て、ルフィは血走った目でヒグマへ睨みを利かせる。

 

 

「そう怖い顔をすんな。お前らはあの海賊に憧れてるみてェだが、そいつは止めときな。どうせならこのヒグマ様を見習うべきだ」

 

 

 イキったヒグマの言葉はもはや聞くに堪えない。聴くだけで耳が腐り落ちてしまいそうだ。性根の腐った男の言葉に耳を貸す価値すら感じない。

 

 

「お前……いい加減にしろよっ! お前なんか世界一カッコ悪いやつだっ……!」

 

 

 ルフィが叫ぶ。シャンクス(友だち)をバカにされて黙って見過ごしていられようものか。

 

 

「シャンクスをバカにしても良いのは――わらわたちだけじゃ。断じて貴様らのような蛮族ではないと知れっ!」

 

 

 ハンコックも叫ぶ。シャンクス(友だち)の名誉を傷つけた愚者を裁かんとして。

 

 

「おい、ガキ共……。いまおれの機嫌を損ねたって……理解しているよな?」

 

 

 その男の沸点はついに頂点へと達し、ハンコックたちへと牙を剥く。眼光だけで人の命を殺めるのではないかという程の殺気が込められている。

 

 

「酒が不味くなる。この落とし前はてめェらの命でつけてもらおうじゃねェか。おい、野郎ども。このガキを表に連れ出すぞ」

 

 

 その指示はハンコックらを害そうという意思。慌てたマキノが制止に入る。

 

 

「お、お願いしますっ……! この子たちはまだ子どもなんです。自分で言っていることの意味もきっと理解していないんですっ! だからどうか……許してはいただけませんか?」

 

「ダメだ。このガキはもう殺すとおれは決めたんだ。57人目はあの海賊じゃねェ。このガキたちだ。尤も57人目だけじゃなく、58人目の犠牲者っていうオマケつきだがな」

 

 

 マキノの必死な謝罪も虚しくヒグマの意思は揺るがない。この男はもう子ども相手とて情けをかけない非道な悪党。その悪意は存分に子どもを呑み込もうとしている。

 

 

「ええいっ! わらわたちに触れるなっ!」

 

「おい、こらっ! ハンコックになにをすんだっ!」

 

 

 ジタバタと暴れて抵抗するが大人の腕力には勝てない。子どもなりに日々鍛錬を重ねてきたつもりでいたが、肝心の時に役立たない。まるでこれまでの努力が否定されたかのような気分だ。

 

 抵抗むなしく外へ連れ出されたハンコックとルフィ。マキノはというと恐怖でしばらく腰を抜かしていたのか動けずにいた。

 

 野外で1度、地面へと下されたルフィ。しかしハンコックは拘束されたままだった。それなりの理由があり、ヒグマがご丁寧に解説を始めた。

 

 

「へへ、このメスガキは見た目が良い。殺してやろうとも思ったが勿体ねェ。金持ちの変態親父に売りつければ、かなりの額になるだろう。数千万ベリーはくだらないぜ」

 

 

 その言葉はハンコックにとっては禁句に等しい。物心がつくかどうかの時分、奴隷の身であったハンコック。年齢があまりに幼かったがゆえに、性的な虐待こそ受けずに純潔を保っていたが――もし再び奴隷の身に落ちてしまったら、次こそは貞操を守っていられる保証など無い。

 

 

「お前えェっ……! ぶん殴ってやるっ!」

 

 

 その女として屈辱的な言葉に対して、ルフィがハンコックに代わって怒りをぶつける。猪突猛進の様相でヒグマへと接近するが――軽々と避けられた上に頬を掴まれて地面へと叩きつけれる。

 

 

「おもしれェガキだ。体がまるでゴムみてェに伸びやがったぜ。こいつは見世物小屋に売れば金になる。メスガキほどじゃねェけどな。はっはっはっ!」

 

 

 その高笑いは絶望の音色そのもの。希望は打ち砕かれ、この世に救いなど無い。負の感情が脳内を埋め尽くす。ハンコックは己に待ち受ける末路を想像し、涙が頬を伝う。それだけにあらず。最愛の友だち(ルフィ)が手の届きそうな距離で痛めつけられている。彼も見世物小屋などに売り飛ばされたりしたら、人間としての尊厳を奪い尽くされる。

 

 そんな不条理、あってはならないことだ。そんな世界は存在さえ許されないし、許容する山賊たちへの憎悪が増す。

 

 

「やめぬかっ……」

 

「ああ? おい、メスガキ。なにか言ったか?」

 

「やめよと言ったのだ、下郎……! 貴様らは傷つけてはならぬ、わらわの大切な人に手を出した」

 

「ははっ! ガキがおれに脅しか? 弱いやつが強者へ物を言う権利なんてねェんだ!」

 

 

 強者を気取るヒグマ。だがヒグマは気付かない。触れてはなら逆鱗に触れてしまったことに――。それは世界をも破壊しかねぬほどの怒り。神を否定し、万物を否定し、世のあり方さえも否定する大いなる力。すなわち法を敷く王者の資質。その唸り声が響く――。

 

 

「死ねっ……」

 

 

 ハンコックの口からそっと零れ出した言葉。たった一言。それだけを契機にヒグマの手下たちは誰ともなく膝から地面へと崩れ落ちる。白目を剥いて口から泡を吹いて。かろうじて立っているのはヒグマのみ。

 

 

「な、なんだこりゃァ! メスガキィっ……! いまなにしやがったっ……!」

 

 

「口を開くことを(つつし)め。その命、わらわの一存で容易く手折られるものと覚えよ」

 

 

 殺気を帯びた少女(ハンコック)は告げる。ヒグマの命は我が手の平に在ると。それを心得ぬ愚か者に生存する道すらも与えられない。

 

 

「ハンコック……すげェ……」

 

 

 ルフィの感嘆の声が漏れる。まさか助けようとした自分が逆に救われようとは。男の沽券に関わるが、状況が状況。ルフィとて、それくらいの分別はある。

 

 

「っち! 奇妙な真似をしやがってっ! どんなトリックを使ったか知らんが、ガキがナメてんじゃねェっ……!!」

 

 

 追い込まれたヒグマは舶刀(カットラス)を勢いのままに振り回す。ハンコックの頭髪、その毛先に僅かばかり掠めて切断する。

 

 

「っく……。わらわの髪をっ……。いや、そんなことはどうでもよいのじゃ……。優先すべきはルフィっ……!」

 

 

 女の命と言っても過言ではない髪。その僅かな部分であっても怒りを買うには十分。だがハンコックが激昂する一番の理由はルフィを傷つけられたことの一点。この感情の発露の大本こそ、友だちをバカにされたことへの怒り。しかし、理由を上書きするほどに、ルフィの身の上はハンコックにとって重要であった。

 

 

「おいっ! いい加減にしやがれっ! おれをコケおろしたんだ。もう売り飛ばすのは止めだ。ここでブッ殺してやるっ!」

 

 

 ヒグマは自身の命の危機を本能で察知したのか、手早くハンコックの殺害を決意した様子。だがハンコックとて黙って殺されるわけにもいくまい。だが……悲しいかな、子どもの体力などそう長続きはしない。つい数分前に発動した王者の資質――世に言う覇王色の覇気を使用した影響なのか、急激な疲労がハンコックの矮躯に襲い掛かる。その場にへたり込んでしまう。

 

 

「ふんっ、さっきの勢いはどうしたァ? ガキめ、おれに楯突いたんだ。命を取られても仕方がねェよなっ……!」

 

 

 刃が地面に座り込むハンコックの首元へと添えられる。少し刃を後ろに引くだけで、ハンコックの柔肌は綺麗に裂かれ、その命を儚く散らせる。そんな最悪の結末がすぐ傍まで迫っている。その距離感を意識してしまい、朦朧としてしまう。

 

 

「ハンコックっ……! うわああーーっ!」

 

 

 そこらに落ちていた棒切れを掴み取ってヒグマへと突貫するルフィ。直線的で単純な進路。脚を振り上げたヒグマに難なく蹴り飛ばされて地べたを転がる事になった。

 

 

「っへ、このメスガキをどうしても殺されたくねェってか? 諦めろ、56人殺しのおれは今日から57人殺しっ! そしてお前も殺して58人殺しになるのさっ!」

 

 

 何を誇らしげに語るのか……。その神経を疑いたくもなるが、いまはハンコックを救うことが先決と考えたルフィは何度でも立ち向かう。ドロだらけになろうと、ハンコックを失うことだけは避けるのだと……。

 

 

「お前なんかにっ……! お前みたいなクズにハンコックを殺されて堪るかァっ……!」

 

 

 怒号を上げながら拳を叩き込むのだと躍起になる。そんなルフィの意思の強さだけが先行してヒグマへと殺到した。子どもにあるまじき剣幕に山賊としての高みに位置するヒグマでさえ、未知の恐怖を覚える。

 

 

「なんだこのガキッ……! しつこいんだよ……。なんで倒れねェ……!」

 

 

 どれだけ蹴飛ばされても、なおも立ち上がるルフィの精神力。その鋼の心は山賊の気力を削ぐには十分であった。だがその屈強な心がハンコックの死を早める結果へと繋がる。

 

 

「面倒だ、さっさとメスガキを始末して、この小僧もブッ殺すかっ!」

 

 

 手っ取り早く事を済ませようとヒグマは舶刀(カットラス)をハンコックの頭上から振り下ろさんとして構えた。あとは上から下へと動作をなぞるだけ。それだけでルフィの心をへし折れるのだと判断する。

 

 だがそのような凶行、ルフィが断じて許容するはずもない。その光景を目の当たりとしたルフィは、ヒグマへと殺気を含んだ視線をぶつける。純粋なる殺意の感情。穏やかな心を持つルフィではあるが、ハンコックの為とあらば鬼と成ろう。

 

 

「お前っ……。ムカつくなァ……!」

 

 

 そんな一言で表現するルフィ。適確な言葉の選別など子どもの彼には出来まい。だがしかし、その言葉には彼我の敵との差をも埋める特別な力が秘められていた。

 

 圧迫感がヒグマの全身を打ちつける。風など吹いていないはずなのに、肌に鳥肌が立つほどの寒気。大気に重さが増し、肩へとのしかかるような感覚。

 

 

「てめェもか……! このヒグマさまをイラつかせやがってっ……!」

 

 

 ルフィから放たれた無音の圧力がヒグマの意識を刈り取らんと揺さ振る。かろうじて地に立つヒグマはしかし、胸を押さえて荒々しく呼吸する。ルフィの起こした行動は先ほどのハンコックのそれと共通したモノ。本人の未熟さゆえにヒグマの意識を奪うには至らなかったが、一時的に動きを封じ込めるという一定の効果は得られた。

 

 

「くそっ……! おれがこんなガキにビビってるだとォ? そんなバカがあるかよっ…!」

 

「お前……黙れよ」

 

 

 鬼人と化したルフィの猛攻は止まらない。気迫のみで大の大人、それも山賊として猛威を振るうヒグマと渡り合っている。殴り合えば確実に勝てない相手。されど今のルフィからは既に敗北の2文字は消失していた。

 

 

「ルフィ……そなたは」

 

 

 ハンコックは感じ取る。ルフィの秘めた何かを――。きっとそれは自身をも凌駕する力の(きざ)し。あぁ、やはり……自分は彼に着いていきたい。その行く末を見届ける為に、共に歩みたいのだという感情が湧き起こる。

 

 

「ルフィ、ハンコック! 大丈夫か!」

 

 

 その声は村長。その隣に居るのはマキノという事を考えれば、おそらくは彼女が村長へ助けを求めたのだろう。不安げに事態の把握に努める2人。地面に倒れ伏す山賊の手下、プルプルと恐怖のあまりに脚が笑っているヒグマ。子どもの手によって生まれた状況とは、にわかには信じ難い状況である。

 

 

「まだ平気じゃ。それよりもこの山賊はまだ健在。村長たちは危険なので避難せよ」

 

「できるわけがないっ! 子どもを見捨てて逃げ出すなどっ! ガープにも顔向け出来んっ!」

 

 

 村長へと無事を報告しつつ避難を勧告するが、あっさりと断られてしまう。ガープへの義理だけではなく、村長はきっとルフィとハンコックを孫同然に想い、愛情を持っている。だからこそ見捨てるなどという行動原理は無い。

 

 

「っち、見世物じゃねェ! 群がってくんじゃねェよっ……!」

 

 

 苛立ちゆえに唾を飛ばしながら怒鳴り声を散らすヒグマ。意識が余所を向いた隙を突いて、ルフィが鍛え上げた成果をヒグマへと叩き込む。銃のように高速にして爆発力を帯びた拳がヒグマの腹部へと吸い込まれる。子どものパンチだと高を括ったヒグマの考えを一撃の下に伏す衝撃が拡散する。

 

 

「っぐお……」

 

「どうだァっ……! おれのパンチは(ピストル)のように強いんだっ……!」

 

 

 倒れるまでには至らなかったが、ヒグマへ与えたダメージは確実に戦意を削ぐ威力。同時に殺意を増大させるものであったが、今更牙を向くにはあまりに劣勢。逃亡を考え始めるのも時間の問題だ。

 

 

「いったいどうなってんだっ……! さっきまではおれ様が上に立ってたんだ。それがどうしてこんな風に追い詰められるっ……!」

 

 

 その疑問は解消されない。ルフィはヒグマを敵と定め、その幼さゆえに加減など知らないのだ。純粋なる敵意を標的(ヒグマ)へと向ける。

 

 

「シャンクスをバカにして、ハンコックにも手を出したんだ……。おれはお前を許さねェ……!」

 

「くそがっ……! 海賊なんざゴミクズだ。そんなもんの為にやられて堪るかよっ……! このメスガキだって殺してやるっ……!」

 

 

 会話は平行線を辿る。ルフィはヒグマを許さず、ヒグマは害意を生み出し続ける。その衝突は避けられない。もはやハンコックさえもルフィを止められぬ域にまで達した。ならばいっそ――。

 

 

「ルフィーっ! そんなヤツ、殴り飛ばしてしまえっ……!」

 

 

 ――開き直って応援してしまうべき。

 

 

「あァ、おれは絶対にこいつをぶっ倒すっ……!」

 

 

 固く決意する。誰に手を出したのかを思い知らせる為に。その為に鍛えた拳。大切な人(ハンコック)を守る力はルフィへと勇気を与えた。だから止まらない。だから迷わない。

 

 守る為の拳で戦いへと赴くのだ――。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。