「うーん…今日も収穫なかったなあ」
女苑ちゃんにとって、人間から金を巻き上げることは狩りに他ならない。冬に備えて今のうちに蓄えておこうと人里に繰り出したものの、ここのところは不調で、今日も女苑ちゃんの罠に引っかかる愚か者は誰一人としていなかった。
「ただいまぁー」
「あ、おかえりー!」
やけにテンションの高い紫苑ちゃんが鼻につくが、それよりもムカつくのが金欠なのだ。こんな日は紫苑ちゃんのしみったれた顔を見て「そんな顔をするな!」と説教をして発散するのが常であるが、この日の紫苑ちゃんは女苑ちゃんがつけているどんなアクセサリーよりも輝いて見えた。
「ご飯作ってあるから食べていいよ!」
食卓の上には、紫苑ちゃんの言う通りに飯が置かれていた。それも女苑ちゃんの分だけ。どこかおかしい今日の姉を女苑ちゃんはまじまじと見つめると、紫苑ちゃんの腹がいつもより膨れているのだった。
「先に食べたの?」
「え、まあそうね」
鼻歌交じりに食器を洗う紫苑ちゃんを尻目に、女苑ちゃんは用意された食事に目を落とす。やれやれ、今日は腹を下さないといいな。女苑ちゃんは大皿に盛られた野菜炒めに手を伸ばした。
「む!?」
そして、あまりの芳醇な味わいに逆に腹を下しそうになった。見れば、野菜炒めの中に入っているキノコはいつもの何の種類かわからないキノコではなくマツタケであり、味噌が入っていれば豪勢な味噌汁の具には多様な野菜に加えて肉まで入っており、ご飯の中にはタケノコが混ぜられているではないか!
「はい、これ」
「ん…?」
加えて紫苑ちゃんが運んできたのは立派な秋刀魚であった。どこから取り寄せてきたと女苑ちゃんは叫びたくなったが、炭火で焼かれたであろう油滴る秋の香りにはあらゆるツッコミが野暮と化す。まるまる太った秋刀魚は瞬く間に女苑ちゃんの口の中に吸い込まれていき、綺麗に骨だけが残った。
秋の味覚を堪能し終え、後には疑問だけが残る。いったい、今日の食事はどうしたと言うのだ?来たるものすべてが去っていく姉さんのもとへ、どうしてこれだけの秋の味覚が?
「美味しかった?」
「ん、まあね」
爪楊枝で食べカスまで味わっている女苑ちゃんの双眸に映ったのは、紫苑ちゃんのいつものしみったれた姿だが、腹が膨れている以外にもどこか違和感がある。よく観察すると、女苑ちゃんは合点いったように手のひらをポンと叩いた。
「姉さん、ツギハギの請求書はどこへやったの?」
「え!」紫苑ちゃんは自分の貧相な体を抱きしめた。「もしかしてバレてた?」
女苑ちゃんは首を横に振った。否定の意でもあったし、「呆れた」というジェスチャーも兼ねていた。
「実は借金全部返せてね、よかったー。これで借金取りに追われる心配も無用だわー」
「だからってそんな穴だらけなパーカー着て過ごすなよ…」
姉のだらしなさに、女苑ちゃんは本質を見失いそうになった。穴だらけのパーカーなのはともかくとして、いったいどうやって天文学的数字の借金を返済するに至ったのか?
「実はねぇ、ふふふ」
紫苑ちゃんは女苑ちゃんをもっと焦らしてやれとばかりに含みを持たせて笑った。が、女苑ちゃんが指にはめて殴られたら痛そうな指輪をチラつかせた途端に、事の真相を述べ始めたのである。
「マッサージ屋…?」
「うん」紫苑ちゃんは屈託のない笑顔で言った。「お客さんをマッサージするだけで、お金いっぱい貰えるんだ。いいでしょ?」
女苑ちゃんは、いや、いつの間にか部屋の中に侵入してきた、いつもオカズを一品盗んでいくドラ猫さえ思った。紫苑、十中八九マッサージだけじゃ済まなくなる時が来るぜ。
「そんな細腕でマッサージされて気持ちよくなれる人なんかいんの?」
「失礼な!結構人気なんだぞ」
「どんな事するの?」
「揉むのよ」
「何を?」
紫苑ちゃんは自分がやった通りのことを女苑ちゃんの前で再現した。女苑ちゃんがそのパントマイムにどうしても不埒な何かを想像してしまうのを、誰が責められよう。
「どれくらい貰えるの」
「一回、※※※円くらいかな」
「※※※円!」
どれくらいかは伏せておくが、人里で団子が100本ほど買える値段としておこう。確かにそれだけの金があれば今日のご馳走にも筋が通るし、パーカーを穴だらけにするのも頷ける。
それはそれとして、女苑ちゃんも人の子──もとい、神の子である。こんな姉でも共に生きてきたわけであるから、紫苑ちゃんには真っ当な仕事についてもらうか、さもなくば働かなくてもいいから何もしないで欲しかった。特にいかがわしい店で(恐らくは)騙されて働かされるなど、妹としても思うところがあった。
が、やっぱり女苑ちゃんに関しては欲の皮の方が突っ張っていたのである。紫苑ちゃんが他人の何かをどうこうするのを良しとするのなら、そして、それで大金が入って来るのなら、それでいいんじゃないかと女苑ちゃんは思い始めてしまっていた。姉さんは金を稼ぐために心を殺しているだけで、魂まで殺してしまったわけではないのだ。
勝手に納得している女苑ちゃんを、紫苑ちゃんはそっと抱きしめた。女苑ちゃんはあまりに突然のことにびっくりしてひっくり返りそうになった。
「な、なに?」
「今まで女苑にばかり稼いで貰ってたから、少しでも楽になってもらおうと思ってね」
「…」
「これからはお姉ちゃんも頑張るから」
女苑ちゃんは「へっ」と嘲笑うのが精一杯であった。何さ、姉さんの癖に。女苑ちゃんは思った。 口が上手いんだから!きっとそうやってマッサージのお客さんを誑かしているんだろうけど、わたしはそんなんじゃ落とせないわよ。女苑ちゃんは姉の溢れる優しさをどうにかせき止めようとしたが、紫苑ちゃんが言った「お姉ちゃん」という響きにどうにも心を動かされてしまったのだった。
何かを察したのか、紫苑ちゃんはより強く女苑ちゃんを抱きしめた。
「ちょっ、姉さん…」
「いいのいいの。たまには甘えなさいって」
「そんなんじゃ…」
「もう、照れ屋さん!」
「姉さん、臭い」
「…」
紫苑ちゃんから解放された女苑ちゃんは寝る支度を始めた。紫苑ちゃんもそうした。いつもは布団をくっつけ合わせて寝るが、今日はどうしてか、少しだけ距離を置く女苑ちゃんであった。
女苑ちゃんが目を覚ました頃にはすでに紫苑ちゃんは仕事に行っていた。ボロっちいちゃぶ台の上には、ボロっちいちゃぶ台にふさわしくない豪勢な朝ごはんが置かれていた。ちゃぶ台が訴えかけてくるようである。おい、女苑。早く食って軽くしてくれねえと足が折れちまうよ。
一通り食べ終えて布団を片付けると、枕の下から手紙が出てきた。
『朝ごはん食べて、今日も一日がんばろー!』
女苑ちゃんはそれをビリビリに破り捨てた。その顔が赤く染まっていたのは言うまでもない。いつの間にか部屋に侵入してきたドラ猫が言った。へい、女苑。そんなに顔を赤くして、風邪でもひいたのかい?
「うるせーうるせーうるせーうるせー!」
腕をブンブン振り回すと、ドラ猫は即座に逐電した。
女苑ちゃんは稼ぎには出ず、ひたすら家で紫苑ちゃんの帰りを待った。ああ、早く帰ってこないかしら。女苑ちゃんは思った。けどね、勘違いするんじゃないわよ。別に姉さんの帰りを待ってるわけじゃない。姉さんの作る晩御飯を待ってるのよ。女苑ちゃんのアンビバレンツは万人の認めるところであった。
が、深夜になっても紫苑ちゃんが帰ってこない。いったいどうしたのだろう?女苑ちゃんは居ても立っても居られなくなったが、そのうちひょっこり帰って来るだろうし、わざわざ迎えに行くなんて姉さんに馬鹿にされるかもしれないわ!女苑ちゃんの苦悩は続く。
何処からか入ってきたドラ猫か言った。よう、女苑。夜に一人だなんて寂しいじゃないか。俺が慰めてやろうか?女苑ちゃんはドラ猫を手招きした。よしよし、今日はやけに素直じゃないか。
「お前なんか天ぷらにして食ってやる!」
「にゃー!」
女苑ちゃんとドラ猫の格闘は熾烈を極め、倒壊寸前の家はすんでのところでなんとか形状を保てた。女苑ちゃんの気は幾分か紛らわせたが、代償として晩御飯のおかずであった秋刀魚を一匹持ってかれてしまった。
穴の空いた天井から星空が見える。もしかしたら姉さんは星になってしまったのかもしれない、女苑ちゃんは思う。あの姉さんが星になれるとして、いったいどんな星になれるだろう。姉さんはいつもわたしの後ろにいておどおどしてるから、きっと一番輝く星の影でひっそりと瞬いてるような星ね。もちろん、一番輝く星とは女苑ちゃんに他ならない。
流れ星が落ちて行くのが見えて、女苑ちゃんはいよいよ立ち上がった。さっさと帰らせて晩飯作らせてやる!女苑ちゃんの原動力が空腹によるものなのかどうかは、彼女のみが知る。
勇んで扉を開くより先に、勝手に扉の方が開いた。
「はあ…」入ってきたのは何より見慣れた暗い姉であった。「あ、女苑?どうしたの?」
女苑ちゃんは迷った。いきなり帰ってきて何食わぬ顔をしているこの姉に、罵倒の一つでも浴びせてやりたい気持ちがふつふつと湧いて来る。しかし、それ以上に──
「姉さんのバカっ!」
「ちょ、女苑!?」
女苑ちゃんは紫苑ちゃんに抱きつき、胸の中で静かに涙を流した。女苑ちゃんはそれを悟られないようにしたが、姉である紫苑ちゃんには全てお見通しだった。
部屋に入り、優しく頭を撫でてやる。時折聞こえて来る「触んな」や「わたしから離れろ」に紫苑ちゃんは苦笑する。離れないのは女苑ちゃんの方なのだから。
ようやく女苑ちゃんは紫苑ちゃんから離れ、いつもの憎たらしい妹の笑みを浮かべるのだった。
「遅いよ、姉さん」
「ごめんごめん、実はね」
「言い訳はいい!」女苑ちゃんはダイヤの指輪を突きつけた。「さっさと晩飯作れこの!」
「…はいはい」
紫苑ちゃんが飯を作っている間の女苑ちゃんの顔ときたら、この世の誰よりも幸せだといったところだ。それは豪勢な晩御飯への期待から来るものではなく、姉が帰ってきてくれたことへの喜びから来るものであった。
「ご飯てきたよー」
「よっしゃ──って、あれ?」
出てきたのは豪勢でもなんでもない、むしろその逆を行く質素極まりない献立だった。昨日のマツタケは部屋の片隅のキノコに、味噌汁からは味噌が抜けており、白米は若干黄ばんでいる。
「なにこれ」
「いや実はさ、仕事クビになっちゃって」
「は?」
「わたしが相手したお客さん、みんな変な病気にかかって死んじゃったとかで。クビっていうか店そのものがなくなっちゃった」
「…」
「それでわたしが責任問われちゃってさ。お金無くなっちゃったうえに、またいっぱい借金しちゃった」
「こ、この…」女苑ちゃんはちゃぶ台をひっくり返した。「くそったれ姉さん!」
「ひー!」
このようにして二人の生活は元のしみったれた生活に戻ることとなった。女苑ちゃんは再びカモを探す狩りに出、紫苑ちゃんのパーカーは冬に備えて温かみを増して行く。
しかし、誰がこの二人を責められようか。女苑ちゃんと紫苑ちゃんはどうあったってまともな生活を送れない、疫病神と貧乏神なのだから。