鬼滅の刃~幸せのために~   作:響雪

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心は折れず、意志は固く

 覚悟を決めた。

 

 俺はここで死ぬ。

 

 まだ胸に決めた目標だって何も達成してはいないけど、それでも仕方がない。

 

 この下弦の肆だけは刺し違えてでも切る。

 

「何だよその目は。雑魚の分際で私にそんな目を向けるな!」

 

 辺りに操れるものがないのか、先程とは違い接近戦を仕掛けてくる下弦の肆。本来なら多少防げる攻撃も、今の俺ではそれすらままならない。

 

 一撃目はなんとか防いだが、ニ撃目の防御は間に合わず顔を殴られた。衝撃で倒れそうになるが堪える。すると間髪入れずに今度はみぞおちを殴られ、腹をけり飛ばされた。

 

 さすがにそれを堪えることはできなくて崩れるように倒れた。

 

「弱い。脆い。雑魚。それなのにお前は私を苛立たせた! 今もそうして殺されることに変わりないのに立ち上がろうとする!」

 

 視界はぐらぐら揺れて見える。それでも俺は立ち上がった。

 

 血反吐を吐き出しながら、動かない左手をぶら下げて、震える右手には折れた刀。

 

 たとえ死ぬとしても。たとえ満身創痍だとしても。

 

 鬼が目の前にいて、俺はまだ立つことができるんだから当たり前のことだ。

 

「何もできないくせに立つな! 雑魚はただ黙って私に殺されていればいい!」

 

 そう叫んだ下弦の肆にまた殴り飛ばされる。

 

「くたばれよ!」

 

「ぐぅっ、っ……ゴホッ」

 

 倒れたところに今度は蹴りを入れられた。とてつもなく鋭い痛みが全身を突き抜ける。その衝撃に大量の血反吐を吐いてしまった。

 

「死ね! 死ね! 死ね!」

 

 何度も何度も、倒れているところを踏みつけられる。人間ではない鬼の踏みつけ。一撃ごとに意識が持っていかれそうだ。

 

 だが俺はその一切合切を無視して刀を振るった。型なんてないただの呼吸から放つ一撃は、苛立ちから俺を踏みつけることに夢中になっていた下弦の肆の足に傷をつけ、突然のことに下弦の肆は体勢を崩してしりもちをついた。

 

 何が起きたのかわからないといった風の下弦の肆を尻目に、俺はよろよろと立ち上がりながら少しでも距離を取ろうと走った。走ったつもりでも、実際の速度から言えば歩いてるも同然だが。

 

「……っの!」

 

「っ」

 

 少し俺が離れたところでようやく自分が転がされたということを理解したようで、背を見せる俺に力任せの一撃が入る。

 

 前のめりに転がるようにして吹き飛ばされる俺。もはや呻き声すら出すことができない。

 

「よくも……よくもよくも雑魚のくせにっ、雑魚の分際で私に傷をっ、地べたに尻をつかせてくれたなっ!」

 

 油断している方が悪いんだよ。

 

 そう言ってやりたいがそんな気力どこにもない。

 

 正確には、()()()()()()()()()()()()()()

 

 下弦の肆の目にはきっと俺が無様に挑んできているように見えているだろう。無駄な足掻きをしているように見えるだろう。

 

 だがそれは違う。

 

 俺にはまだ秘策がある。今の俺でも下弦の肆に通用するかもしれない型がある。

 

 それを悟られてはいけない。感じ取らせてはいけない。

 

 それが失敗すれば正真正銘、俺は無駄死にしてしまうだろう。

 

 そうならないためにも今は耐えるしかない。

 

 たとえ骨を砕かれ、血反吐を吐かされようとも、最後の一撃さえ届かせることができればいいんだ。

 

 どれだけやられてもいい。ただ一撃分だけは命を残せ。

 

「ほんっとに最悪の夜だっ。朧鬼を連れに来たらあっけなくやられてるし、柱かと思って驚かされるし、食事の邪魔はされるし、雑魚はしぶといし」

 

「……」

 

「全部全部お前が悪いんだ。お前さえいなければつつがなく朧鬼をあのお方のところまで連れて行って、私は血を分けていただける。そのはずだったのに全部お前がっ」

 

「……」

 

「人間如きが、ましてや柱でもない鬼殺隊のお前程度が私に勝てるとでも思ったのかっ! 忌々しい。あぁ、忌々しい!」

 

「……へっ、へへっ」

 

 体は限界を超えている。だけど堪らず笑ってしまった。

 

「とうとう気でも触れたか」

 

 そんなわけない。俺はいたってまともな精神状態だ。だけどこの下弦の肆についてわかってしまったことがある。その内容がどうして笑わずにいられようか。

 

「下弦の肆、……ゴホッ。鬼が、己が強者だとっ、言う割には、随っ分と、ゲホッ、臆病だな」

 

「……死にぞこないが何を言っている」

 

 この鬼、下弦の肆の本質。それは……。

 

「お前の本質はっ、強者への怯えだ。……ゴホッ」

 

 下弦の肆は必要以上に柱を怖がっている。それは言葉の端々から読み取れた。

 

 だけどそれはなぜか。簡単な話だ。柱と戦えば死んでしまうと理解しているのだ、この鬼は。

 

 その反動かは知らないが、己より弱い者に対する態度がでかい。俺に対して「雑魚」と連呼する点や手こずらされることに苛立っているのが何よりの証拠だ。

 

 何でそんな奴が『十二鬼月』の下弦の肆を名乗っているのか。単純な話で、柱からは徹底的に逃げたのだろう。

 

 殺すのは一般の人か、柱ではない鬼殺隊だけ。

 

 何て畜生なのだろうか。

 

 鬼になれば例外なく心まで人でなくなる。

 

「黙れ! 雑魚は口を開くな!」

 

「うるせぇっ! 黙るのはお前だ弱虫が!」

 

 大声を出したせいで大きく咳き込んだ。体力は温存したいのに俺は何やっているんだか。

 

「弱、虫? 私がか? お前程度が、この私を……弱虫呼ばわりだと?」

 

 息も絶え絶えな相手から弱虫呼ばわりされたことに衝撃を隠せないでいる様子で、譫言のように言葉を繰り返している。

 

 こればかりは言ってやらないと気が済まなかった。

 

 実力も、経験も下弦の肆の方が俺よりも何倍も上だ。今の状況から言えば、弱者は俺で、強者は下弦の肆。

 

 だけどそんな力関係は関係ない。いくらこの場で下弦の肆の方が強かろうが、そいつの在り方は万人が口をそろえて弱虫と呼ぶものだ。

 

 こんな奴に殺されていった人々はさぞ無念だっただろう。きっと助けられなかったあの女性も。鬼と人。ただそれだけのことで力関係が決まり、捕食されるのだから。

 

 でもだからこそ言える。下弦の肆、この鬼が強いのは、ただ鬼であるからというだけ。

 

 こいつが強者としていられるのはその一点においてのみだ。その強さでさえ、上には上弦の鬼がいて、敵には柱がいる。

 

 こいつは、弱い。

 

 こいつに殺されていった人々の方が何倍も強い。

 

 誰かを守ろうとして殺された者もいるだろう。助けを乞いながら死んでいった者もいるだろう。その誰もが最期まで人であった。己を見失わずにいた。

 

 それは鬼なんかにはない強さだ。

 

「許せない許せないっ! 私は命を大事にしているだけだ! それがなんで弱虫呼ばわりされないといけないっ!」

 

 鬼風情が綺麗事を言いやがって。

 

 そういうところが弱虫だってことに気付きやがれ。

 

「違うならっ、動揺しないはず、だ。てことは自分でもわかってんだろ」

 

「違う! 私は弱虫じゃない! 柱から逃げるのも強くなるためだ! 生き延びて人を食って力をつけて鬼殺隊をまとめて殺すためだ!」

 

 正直、その言葉が嘘だろうが本当だろうが構いはしない。

 

 直感なんてなくてもわかる。

 

 こいつは強くなれない。

 

 元の器が小さいんだ。それにどれだけ水を注ぎ足したところで限界があるのと同じこと。

 

 鬼殺隊を脅かすほどの存在に、こいつはなれない。

 

 だけど一般の人や普通の隊士にとって脅威的な存在なのに変わりはない。

 

 ここで頸を切っておかないと、被害は広がるばかりだ。こいつはきっと殺されるその時まで弱者しか殺さないだろうから。

 

「もういいっ! お前なんか食わない。殺してから全身わからなくなるまでぐちゃぐちゃにしてやる!」

 

 問答の時間は終わった。あとは俺が死ぬまでに下弦の肆を切るだけだ。

 

 痛みに加え、血も流しすぎた。貧血気味でふらふらする。

 

 最期の一撃。それが振るえるかわからない。

 

 刀を握る右手に力を籠めようとしてもうまくいかないのだ。だけどやるしかない。限界を超えて、そこで更に限界がきたのならまた限界を超えればいい。

 

 いや、超えなきゃだめだ。

 

 どうせ俺は死ぬ。生きて下弦の肆の頸を切れたとしても、血が足りずに帰るまではもたないだろう。

 

 なら確実に頸を、下弦の肆の頸を三途の川の駄賃としてもらい受ける。

 

 ただの覚悟じゃない。

 

 決死の覚悟だ。

 

「死ねぇぇっ!」

 

 確実に俺を殺そうと、殺意を顕わにして下弦の肆が迫る。

 

 ただ、森の時と同じように怒りで動きが直線的で単調になった。

 

 これならいける! 

 

 ──全集中 山の呼吸

 

 山の呼吸は全部で拾の型がある。その中でも最後の拾ノ型は俺よりも格上の鬼と対峙したとき用に編み出した型だ。

 

 呼吸によって意識を集中。鬼に向け強い殺気を放つ。

 

「ヒッ!?」

 

 小さな悲鳴と共に、俺の濃密な殺気を当てられた下弦の肆は動きを止めていた。この型にはそんな力は本来ない。ただそうなったのは俺の強い怒りのせいだろう。

 

 下弦の肆はそこに至るまでにどれだけの人を食い殺してきたのだろうか。

 

 鬼の強さは人を食べた数。『十二鬼月』ともなれば膨大な数だろう。

 

 何の罪もない人々を殺めてきたその行為。到底許されるものではない。地獄で償ってもらおう。

 

 ──拾ノ型

 

「……っ」

 

 固まる下弦の肆の頸目がけて型を放とうと踏み込……むことはできずに、俺はそのまま前のめりに倒れてしまった。

 

 嘘、だろ? 

 

 景色が垂直に見えていく視界の中で、俺は愕然としていた。

 

 もうまったく体に力が入らないのだ。

 

 指一本すら動かせない。

 

 地面に投げ出された体が痛い。

 

「くっ……」

 

 一撃繰り出せるようにと思っていたが、俺の見積もりが甘かった。

 

 限界を超えた限界はとっくにきていたのだ。

 

「っ、は、はは……ははははっ! やっぱりお前は雑魚だったんだよ! その恰好がお似合いね! あははっ」

 

 これは、まずい。

 

 そうは思うが体は反応してくれない。

 

「散々私を苛つかせた挙句、馬鹿にまでしてくれたこと、今からたっぷり後悔させてやるよ!」

 

 悠々と歩いて俺に近づく下弦の肆。隙だらけのその姿は、勝利を確信しているが故のものだろう。

 

 悔しいが、もう俺にできることはない。

 

 死ぬなら下弦の肆を切ってからにしたかったが、もう無理だろう。

 

 俺は最期を待つためゆっくりと目を閉じた。

 

 暗くなる視界。

 

 だけどすぐ、徐々に明るくなっているように感じた。

 

「なっ、朝だと!?」

 

 下弦の肆の言葉を聞いて閉じていた目を開けた。戦いに夢中で気付かなかったが、いつの間にか夜が明けている。遠くの山から今にも太陽が顔を出しそうだ。

 

「クソッ、クソックソックソッ! 後もう少しだったのに!」

 

 耳に届いてくるのは心底悔しそうに叫ぶ声。姿は見えないが、下弦の肆が遠ざかる足音が聞こえてきた。程なくして俺がいる場所に陽光が射してくる

 。

 

 どうやらギリギリのところで俺にとどめを刺せずに撤退したらしい。

 

「……生き、てる?」

 

 信じられなかった。

 

 下弦の肆と戦って生きて朝を迎えられたことに。

 

「……で、もな」

 

 体は動かない。

 

 全身ぼろぼろだ。

 

 血も流しすぎて意識が朦朧とする。

 

 とても自力で帰れる状態ではなかった。

 

 せっかく下弦の肆との戦いで生き残れたのに、死ぬ。

 

 覚悟していたこととはいえ、怖いな。

 

 誰にも知られず、ここで死にゆく俺。

 

 やりたいことは、まだまだたくさんある。

 

 人々の悲しみを減らす目標だってまだだ。

 

 あー、嫌だな。寂しいな。

 

 眠ればこんな思いしなくて済むのかな。

 

「……」

 

 ごめん、父さん。ごめん、母さん。

 

「──」

 

 何か聞こえた気がしたが、もうそれを気にすることすらできなくて。

 

 俺は、意識を手放した。


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