夢を見ていた。
とっても幸せな夢だ。
鬼なんて存在しない世界で、俺は父さんと母さんの三人で何気ない毎日を笑顔で送っている。
刀なんて持たないで、体づくりの鍛錬もしないで、ただ普通に過ごす。
外で遊んで、泥だらけになって帰っては母さんに怒られた。
父さんは仕事のない時は俺と遊んでくれた。
そんなキラキラ輝いて見える日常。
だけど、わかってしまう。
こんな幸せな光景、これは夢だ。現実じゃない。
本当の現実は俺の父さんも母さんも死んでいる。鬼は存在するし、俺は毎日を鍛錬に費やしてきた。
醒めたくない。だけど醒めないといけない。
このぬるま湯のように心地よい夢は、俺には必要ないんだから。
「……」
静かに目を開けた。
……生きてる、んだよな。
以前にもこんなことがあった。北の方で任務を終えた時だったか。
だけどあの時とは大きく違う。
あの時は低体温症くらいで済んだが、今度は大怪我だ。上体を起こすことすらできない。
動けない体で下弦の肆との戦いを思い返した。
俺は戦えていたんだ。
呼吸もいつも通り使えた。型だって通用していた。
だけど、負けた。殺されかけた。
一言で言えば経験不足。
死を覚悟するほどの相手と遭遇したとき、いかに体を硬直させることなく動けるか。
勝負を仕掛ける機会をどこに見出すか。
その他にも細かく挙げればキリがない。
悔しい。
この程度で悲しみを減らすだなんて無理だ。
親を亡くしてから一人で鍛錬を積んできた。
鬼殺隊に入ってから鬼を斬ってきた。
継子になってからしのぶさんに修行を見てもらってきた。
蝶屋敷にきてから新しい呼吸を派生させた。
その全てを持ってしても下弦の肆には届かなかった。
「……立ち止まれない、よな」
俺は負けた。だけど奇跡的に生き残った。なら更に強くなるしかない。
そうすれば、あんな目の前で人が殺される様を見せつけられることもなくなる。
でも……俺なんかが強くなることなんてできるのだろうか。
「うぉ!?」
俺がそうして決意を新たにしていると、急に視界にカナヲの顔が入ってきた。
カナヲいた? 全然気づかなかった。
だけどよくよく集中すれば布団越しに手を握られていた。手を握るなら直接じゃないのだろうか?
「……」
カナヲにすごく見られている。きっと心配させてしまったんだろう。そう思うと自然に口が開いた。
「ごめんな、カナヲ。また心配させてしまった。こんな俺でほんとにごめん」
俺の言葉に数度瞬きして口をキュッと引き締めると、カナヲは布団越しに俺へと覆い被さるようにして抱きしめてきた。
「カ、カナヲ?」
「……おかえり、陽吉津。生きててくれてよかった」
突然の行動に戸惑ったが、カナヲに言われた言葉は俺の胸にスーッと入ってきた。
「……うん」
気のせいじゃなければカナヲの声は震えている。
何かしてあげたい。大丈夫だってことを行動で伝えてあげたい。
だけど怪我で動かせない体ではそれも無理で、俺はなんと声を掛けていいかわからずに固まるという構図ができていた。
だけどやがてカナヲはゆっくりと元の位置に戻り、俺と目を合わせようとしなくなった。
たぶん恥ずかしさが遅れてやってきたのだと思う。
「……師範たち呼んでくる」
そう言い残してカナヲはそそくさと部屋を出ていった。
残された俺はというと、先程カナヲに抱き着かれたことを思い返していた。
何だか体がおかしい。布団越しとはいえカナヲに抱き着かれた時、心臓が跳ねたのだ。確かに女の子に抱き着かれればそういう反応もするけど、それが今でも続いている。
落ち着かない。
一人でそうやってそわそわしていると、カナヲがしのぶさんを連れて戻ってきた。
「よかった。目が醒めたんですね」
「……はい」
しのぶさんは寝たままの俺の横に椅子を持ってきて座った。
「いろいろと訊きたいことはありますが、一先ず。陽吉津君、よく生きていてくれました」
口調こそいつものしのぶさんだったが、言葉の裏に心配していたという気持ちが見え隠れしている。
「倒れている陽吉津君を見た時は言葉を失うほどの衝撃だったんですよ」
「その、また心配かけてしまってすみません」
「そうですね。確かに心配しました。でも陽吉津君はこうして生きてます。鬼殺隊に入って数か月の隊士が下弦の鬼相手に生き残ったんですから、これはとっても幸運なことなんですよ? だから落ち込まないでください」
わかりやすく落ち込んでいた俺をしのぶさんんは慰めてくれた。それがかなり恥ずかしかったのだが、体を動かせない俺は逃げも隠れもできない。
「私はこうして陽吉津君が生きていてくれただけで嬉しいんです。勿論カナヲだって、ね?」
「はい」
「あー、その、ありがとう、ございます」
面と向かって言われるのは拷問かと思うほど恥ずかしかった。けどそう言ってもらえたことが純粋に嬉しい。
「では、陽吉津君。何があったのか仔細を訊いてもいいですか?」
当然訊かれるだろうと思っていた。俺は順番に思い出しながらしのぶさんに下弦の肆と戦うまでのことを話した。
任務で北東に向かったこと。そこで戦った朧鬼のこと。目の前で下弦の肆に人を殺されたこと。
話している最中にハッとなった。
あの女の子はどうなったのだろうか。
「しのぶさん、俺の言ってた女の子なんですけど……」
恐る恐るしのぶさんに訊いた。
「あの子ですね。今はここで治療しています」
そのことを聞いてほっとした。あの時女性を助けるために飛び出して結局茂みの中に寝かせておいた女の子の下に戻れなかったのだ。だけどしっかりと保護してくれたらしい。
……あれ?
「ここで治療しているんですか?」
本来鬼殺隊以外の立ち入りは厳禁のはずだけど。
「はい、本来であればしないですが、あの子稀血ですよね?」
そうだ。あの子は稀血ということで朧鬼に捕まっていた。
「それにあの子の身元もわからなかったので特例ということで蝶屋敷に連れてきたんですよ」
なるほど、そういうことだったのか。
「師範として鼻が高いですね」
「?」
急にどうしたのだろうか?
「あの子は陽吉津君が立派に守った人なんですよ? 陽吉津君にとって辛いことばかりあったかもしれないですけど、陽吉津君はしっかり守るものを守ったんです。それだけは忘れないでくださいね」
そう言ったしのぶさんは「えらいえらい」と言いながら目を点にした俺の頭を撫でた。
そう言われれば、そうだ。
あの女の子は生きている。恐らく俺が助けなかったら鬼に喰われていただろうその命を、俺は救うことができた。
無残な姿になった人たちを見てきた。目の前で人も殺された。俺自身、下弦の肆に殺されかけた。
そんな中で守った存在。
俺は人を守ることができたんだ。
その実感が今押し寄せてきた。
「俺、守れたんですね……」
「そうですよ」
「でも……目の前で一人殺された」
「それは確かに事実ですね。でも私たちの手の届く範囲は決まっています。それでももし陽吉津君が救いの手を伸ばしたいと思うのなら強くなればいいんです。だって陽吉津君は生きているんですから」
「……っ」
強くなりたい。頑張ります。悔しい。
そんな風にいろいろな気持ちがこみ上げてきて言葉にならなかった。でもたった一言。それだけで俺は涙を流してしまった。
「……頑張りましたね、陽吉津君」
「っ……はいっ」
守りたかった。そのために頑張った。文字通り死ぬ気で。
女の子は守った。あの女性は守れなかった。自分の身も守れなかった。
今の俺はたった一人しか守れない。
なんて不甲斐ないのだろう。
だけどどこかで認めてほしかったのだと思う。
たった一人しか守れない俺だけど、ようやく一人守れるようになったんだ。そうなるまでずっと頑張ってきた。
そして俺の頑張りを見てくれている人がいる。
だから今は泣こう。また頑張るために今泣いておくんだ。
そうして嗚咽を漏らしながらなく俺を、しのぶさんといつの間にかカナヲまで一緒になって優しく撫でてくれていた。
夜の自室。
俺はやることもなくただ天井を眺めていた。
あれからひとしきり泣いた俺はどこか清々しい気持ちになり、正真正銘前を向くことができた。
その後しのぶさんは他にも負傷している隊士がいるからその治療に。カナヲも機能回復訓練に駆り出されていった。
間で時間を見つけてアオイさんときよちゃん、すみちゃん、なほちゃんもお見舞いに来てくれた。
「……暇だ」
後から聞いたことだが、俺の怪我は全身の打撲や擦過傷、骨折だった。最も酷いのは左肩らしく、砕けていると思っていたが幸いそうではなかった。とはいえ酷い状態には変わりないらしく、呼吸で基礎代謝が上がって治癒力も上がっていても時間が掛かるとのことだった。
それでも言うほど時間は掛からないと思う。というかどうにか少しでも早く治す。
そんな無茶苦茶なことを考えていると、戸の開く音が聞こえた。
大方しのぶさんかカナヲあたりだろう。
そう思っていた俺の読みは見事に裏切られてしまった。
「……」
竹を咥えた少女。
え、誰?
一瞬その奇妙な恰好と、突然戸を開けられたことで硬直したが、その気配を感じ取り俺は信じられない気持ちになった。
鬼だ。
だけど微妙に気配が違う。
そこで昼にしのぶさんから聞いていたことを思いだした。
それは世にも珍しい人を襲わない鬼のこと。
特徴は竹を咥えた女の子だった気がする。それと目の前の鬼は特徴が完全に一致していた。
この鬼が?
しのぶさん曰く、傷を負った状態で血を前にしても顔を背けたらしい。
俺がまじまじとその鬼の顔を見ていると、やがて来た時同様に突然去っていった。
何だったのだろうか?
疑問に思っても答えを知る者なんていない。
人を襲わないという鬼と突然の邂逅を果たした夜だった。