目の前に差し出されたおにぎり。
突然のことに俺は戸惑っていた。
発端というか、今日はカナヲと一緒に修行していた。しのぶさん立ち会いの下、木刀での模擬実戦のような形だ。
昼前まで続けて、一旦休憩の流れになったら、急にカナヲが近づいてきたのだ。
そして今の状況に至る。
「えっと……俺に?」
「……」
カナヲは首を縦に振った。それはまぁ、俺の目の前に差し出してきたんだから、俺に向けてのものだろう。
でもどうして急に?
今までカナヲから、何かをもらうなんてことがなかったからどう反応していいのかわからない。とりあえずは受け取るべきか。
「ありがとう、カナヲ」
おにぎりは綺麗な三角形とはいかず、少しだけ歪だ。あまり握り慣れていないからだろう。
「あの、あんまり見ないで……」
まじまじとおにぎりを見つめていると、カナヲがか細い声でそんなことを言ってきた。
恐らく形が綺麗でないことを気にしているのだろうけど、そんなことは気にしないのに。
「ごめんごめん。カナヲがこんな風に何かくれることってなかったから、珍しくてつい」
「……」
不満げな雰囲気がバシバシ伝わってくる。これは早く食べてやり過ごした方がよさそうだ。
「それじゃ、いただきます」
そういえば昨日もこうしてみとちゃんがおにぎりを握ってくれたな。
そんなことを思い返しながら、カナヲの握ってくれたおにぎりを頬張った。
──じゃりっ
「!?」
おにぎりからはあり得ない音が鳴った。
そして襲い掛かってくる味覚への衝撃。それは……。
しょっぱ!?
今まで味わったことのないしょっぱさだった。
音でわかるように、このおにぎりには尋常じゃないほどの塩が使われていた。お米が塩なんじゃないかと、一瞬だけ思ってしまったくらいだ。
「……どう?」
味の感想を不安そうに訊いてくるカナヲ。その様子からして、これは嫌がらせとかではないことを確信した。
「あ、いや……塩味がとっても効いてるね」
どうにか堪えて、精一杯の返しをした。
一刻も早く水がほしい。
「修行の後に食べるならと思って、お塩多めにしてみたから」
「そ、そっか」
いくらなんでもこれは多すぎる。お米を食べているのか、塩を食べてるのかわからなくなってきた。
でも一応、カナヲなりに考えて握ってくれたんだろう。
だとしたら残すことなんてできない。
口の中の水分が凄い勢いで奪われていくけど、構わずにカナヲのおにぎりを口に突っ込む。
全部で三個。
そのどれもが過去最高にしょっぱかった。
「そんなにお腹減ってたの?」
「……あー、うん。おいしかったよ」
しょっぱさが終始邪魔して味はわからなかったけど、まずくはなかった、はず。
「それじゃ……ううん、よかった」
カナヲは何かを言いかけて止めた。一体何を言おうとしたのだろうか?
そのことを訊こうと思ったが、カナヲはさっさと訓練場から出ていってしまった。
だけどすぐ誰かが訓練場に入ってきた。アオイさんだ。その手には湯飲みが握られていた。
「アオイさん? どうしてここに……」
「その前に、お茶です」
そう言ってアオイさんは手に持っていた湯飲みを俺に渡してきた。なぜ湯飲みだけを持ってここへ来たのかわからないが、喉が渇いていた俺はお礼を言って口をつけた。
「カナヲのおにぎり、あれしょっぱかったでしょ」
「んぐっ!?」
なぜアオイさんがそのことを知っているんだ!?
図星だったために危うくお茶を吹き溢すところだった。そんな俺を、「やっぱり」といった風にアオイさんを見ていた。
「今朝たまたま炊事場にカナヲがいるところを見たんです。カナヲは普段から炊事場になんて近づかないから気になって盗み見たら……」
慣れない手つきでせっせとおにぎりを握るカナヲの姿があったそうだ。
そこまでなら問題ない。
「カナヲったらとんでもない量の塩をおにぎりにまぶして……だからこうしてお茶を持ってきてあげたんですよ」
「それはありがとうございます。だけど、それ見てたなら助言する方法もあったんじゃ……」
そうすれば、あの大量に塩がまぶされたおにぎりが生まれる可能性はなかったと思う。
そのことをアオイさんに言ったが……。
「陽吉津さん? カナヲが一生懸命誰かさんのために頑張っているのに、それを横から水を差せるわけないですよね?」
アオイさんは言外に「察しろ」と言いたいらしい。
でも、それもそうか。もし仮に俺が同じ立場でカナヲを見かけたとしたら、アオイさんを同じ行動をとるかもしれない。
カナヲが自分から動くなんてことは、滅多にないのだから。
そういえば最近はカナヲが銅貨を投げている姿をほとんど見なくなった。
「確かに。でもカナヲは変わってきてますよね。前までは銅貨を投げていたのに」
俺の言った言葉に、アオイさんはキョトンとした表情になった。
「何を言っているんですか? カナヲは今でも銅貨を投げていますよ」
「え?」
そうだったのか? でも実際に俺はカナヲが銅貨を投げている姿を、ここしばらく見ていないはずだ。それはたまたまとでも言うのだろうか。
「……カナヲは陽吉津さんの前では銅貨を投げていないんですね?」
「そのはず……」
アオイさんは何やら考え込んでいる。
何か大事なことなのだろうか?
「……陽吉津さんってカナヲと仲いいですよね」
「え、そう、かな?」
俺はカナヲと仲がいいと思っているけど、カナヲ自身はどうなんだろうか?
こうしておにぎりをくれるくらいには嫌われていないはずだけど、カナヲの口から直接聞いたことはないな。
「私はカナヲと陽吉津さんがどうやって今の仲になったのか知りませんから。この際ですから聞かせてください」
「今? 言う必要ありますか?」
なんでそうなるのかわからない。俺とカナヲが仲良くなったのだって、ただ話し掛けただけだし。
だけどアオイさんは既に聞く姿勢になっていて、俺も俺で、別に拒むつもりもないから話し始めた。
といっても何度も言うように、ただ俺がカナヲにずっと話し掛けただけだ。本当にそれだけ。
アオイさんに話す内容も、ほとんど内容はなかった。
「それだけですか?」
「それだけです」
それはそんな反応にもなる。だけど事実である以上、他に話すこともない。
「陽吉津さんは何でその時カナヲに話し掛けたんですか? 別に二日間しか滞在しないのならただ過ごすだけでよかったはずです」
何で。
そんなことを訊かれてもな。
「気になったから、としか……」
「それはなぜ?」
「よくわかりません」
呆れた目で見られてしまった。
でもしょうがない。本当に何となく話し掛けて、そしたら仲良くなれた。それだけの話なのだ。
でも強いて言うなら、直感だろうか。
親と仲のいい家にいた女の子。普通ならそれだけのことで、特に何もしない。したとしても挨拶くらいだろう。
でもやけに気になって、気が付けば一生懸命話をしていた。
最初のカナヲは『無』のように感じた。しのぶさんとカナエさん以外に対して、感情の動きとかそういうのが一切なかったのだ。
当然それは、出会ったばかりの俺も同じことだ。いくら話し掛けてもカナヲは反応してくれない。
視界に立って目に映ってはいても、意識の中には入りこめない。
そのことが悔しかったのだろうか? 勿論それだけが理由じゃないが、それもあったと思う。
とにかく何でもいい。話し掛けることを止めなかった。
天気や季節の話から始まり、話せる限りのことを話す勢いだった。
するといつの間にかカナヲの目は俺をしっかりと映していて、その日のうちに仲良くなった。
全部、俺の直感に従ってやったこと。
それに理由を求められても答えようがない。
アオイさんの求めている答えは返せそうになくて申し訳ないが、無理だ。
「俺がそうしたかったから、それで納得できませんか?」
「……そうですね。仕方ありません」
アオイさんも諦めて一応の納得はしてくれた。
「ところで本当にこれ聞く必要ありました?」
「私が気になったので」
「えー……」
だったら始めからそう言ってほしかった。結局そこまでの必要性はなかったことに、俺は肩を落とした。
そこで随分と訓練場で話し込んでしまっていたことに気付く。一先ずカナヲのおにぎりでお腹は膨れているから、汗だけ軽く流しておきたい。時間が経ってべたべたする。
「さてと、私は仕事に戻ります」
「あ、わかりました。それと、お茶持ってきてくれてありがとうございます」
アオイさんは飲み終わった湯飲みを持って、訓練場から出ていった。
俺も汗を流すために訓練場を後にする。
脱衣所の方へそのまま向かっている時だ。
「みとちゃん、こんにちは」
「はいっ、陽吉津さん、こんにちは」
みとちゃんを見つけて声を掛けた。みとちゃんは俺のことを見ると嬉しそうに挨拶を返してくれる。
ふと、その手に持っているものに気が付いた。
おにぎりだ。
「みとちゃん、それ……」
「あ、これは陽吉津さんにと思って」
正直なところ、カナヲのくれたおにぎりでお腹いっぱいだった。でもみとちゃんだってせっかく握ってきてくれたわけだし、そうなれば選択肢は一つだ。
「そうなんだ。ちょうどお腹が空いてたんだ。もらっていい?」
「どうぞっ」
幸い小ぶりなおにぎりだ。これなら食べきることができる。
「うん、やっぱりおいしいよ」
お腹は膨れているが、それでもみとちゃんの握ったおにぎりはおいしかった。
「よかったです。陽吉津さんは修行後と思って、少しだけ塩加減を変えたんですよ」
「そっか、ありがとう。おかげで元気出たよ」
少しかがんでみとちゃんの頭を撫でた。こうも慕ってくれると、まるで妹ができたみたいに感じる。俺は一人っ子だから、少しだけそういう関係に憧れがあるのだ。
でもみとちゃんみたいな妹がいれば、ついつい甘やかしてしまいそうだ。
「おにぎりごちそうさま。みとちゃんのおにぎりは本当においしいね」
「えへへ……もっとおいしく握りますから、これからも楽しみにしていてください!」
みとちゃんはその後仕事に戻っていった。
かなり重たくなったお腹を引き摺って再度脱衣所へ向かおうと前を向いた時、誰かが曲がり角を勢いよく曲がるのが見えた。
誰かまではわからないけど、曲がった勢いで髪が翻っていたのだ。
「誰か急いでたのか?」
屋敷を走るのは危ないから注意しておきたいが、わざわざ捕まえてまでする必要はないだろう。そう考え、構わず俺は脱衣所へと向かった。