昨夜はしのぶさんの本心を知ることができた。
俺の想像以上に、その本心は複雑で、だからこそ知ることができてよかった。
しのぶさんから託された炭治郎はどうしているのか気になり、ちらっと様子を覗く。
何やらきよちゃんたちに頼み込んでいるようだった。随分と気合が入っているように見える。
しのぶさんの言葉を、炭治郎は正面から受け止めてくれたんだ。
そのことについては、炭治郎には感謝の念を抱かずにはいられない。
何かあれば、俺が必ず炭治郎の力になる。そう誓った。
「さて、と」
炭治郎の修行を邪魔するわけにもいかないから、そっとその場を立ち去った。
それにしても暇だ。
任務も、そろそろと思いきや一向に舞い込む気配がない。
任務がないのは平和ということかもしれないけど、このご時世にそれは考えづらい。だったら、と思うけど、とにかく任務がない以上は独断で行動はできなかった。
「……ん?」
炭治郎に倣って、自主的に修行をしようかと考えていると屋敷の廊下に、最近随分と姿を見せなかった人物がいた。
遠目からでもわかる派手色の髪。善逸だ。
善逸はどこかへコソコソと向かっているようだった。しきりに辺りを警戒している。
赤の他人から見れば不審者にしか見えない動きに、俺は引っ掛かるものがあって、後をつけた。
それに一言言ってやりたかった。炭治郎が頑張っている間に何をやっているんだと。
善逸の後をつけていると、見覚えのある道順だった。
これは……確か炊事場の方か。
俺の推測は正しく、善逸は炊事の入口を前にして足を止めた。
それと同時に俺は曲がり角に身を潜める。
なんで善逸が炊事場に来ているのかはわからないが、よからぬことをしようとしているのはわかった。
俺に気付く様子もない善逸は、いかにも悪いことをするという顔をしながら炊事場へと入っていく。
入ったのを確認して、俺は一気に距離を詰めた。そっと中の様子を覗けば、戸棚の前で何かを探している様子の善逸。
それを見て、善逸が何しにここまで来たのかすぐにわかった。
あいつ、盗み食いしようとしてる。
人さまの屋敷で盗み食いしようという肝っ玉の太さと、俺や炭治郎とそう変わらない歳なのに盗み食いをしているという事実に、呆れてものも言えなかった。
とは言え、このまま黙って見過ごすわけにもいかない。
それに今善逸が見つけた饅頭は、きよちゃん、すみちゃん、なほちゃんたちにと俺が買ってきておいたものだ。
盗み食い野郎に食べさせるためではない。
「おい」
「ひょうぇあ!?」
一声掛ければ、過剰な驚き方をされた。
そのまま俺の方を、首が錆びているんじゃないかと思う動きで振り向く。
その表情はというと、やっべ……というのがありありと浮かんでいる。
「修行も、訓練もせずに盗み食いとはいいご身分だな」
「いやっ、これは違うんだよ! そうっ、買ってきてあげたの! いつもお世話になってるからさ! あー、俺ってばやさしー!!」
もう少しましな言い訳があっただろうに。
「そうか、だけどその饅頭を買ってきたのは俺なんだよ」
もう面白いほど顔が青ざめていった。
さて、証拠も掴んだし、一先ずは善逸の手から饅頭を取り返さないと。
「悪いが、その饅頭はきよちゃんたちに買ってきたんだ。どうしても饅頭が食べたいなら買いに行け。なんならついて行ってやるから」
俺の言葉に、善逸は潔く饅頭を元の場所に戻した。
逃げられないからと思ったのか、きよちゃんたちのためと知ったからはわからないが、饅頭が無事ならどちらでもいい。
「……ごめんなさい」
悪いことっていう自覚はあったようで、素直に謝ってきた。
「謝るくらいなら最初からするなよ」
別に怒ってはいない。盗み食いも未遂で終わったし、善逸の人の好さは炭治郎からこれでもかと言うほど聞かされた。
だからまぁ、反省しているならそれでいい。
「うぅ……」
だけど、盗み食いはいいとして、修行もせずにいることについては言わせてもらおう。
「善逸がこうしている間にも、炭治郎は頑張っているんだぞ。いいのか?」
善逸の行動を制限するわけじゃないが、何を思っているのかは聞いておきたい。
「……だって、俺はどうせだめだめだし」
いじけたように言う善逸。これも炭治郎から聞いてた通りだ。
持っているものは確かにあるのに、当の本人はそれに気づいていない。
過去の何かしら、それから善逸の性格が相まって、今目の前にいる善逸を形作っている。
蝶屋敷に来る前から善逸と一緒だと炭治郎は言っていた。
自信がなく、情けなく、鬼に怯え、だけど優しい。
炭治郎の評価はそんなところか。
それを聞いて俺は思っていた。
鬼が怖いのなら、なぜ鬼殺隊に入ったのだろうか、と。
この際だ。訊いてみるのもいいかもしれない。
「なぁ、善逸は何で鬼殺隊に入ったんだ? 炭治郎は妹のため。なら善逸は?」
理由なくして鬼殺隊には入らない。
もしかすると善逸も大切な人を失って、それで鬼を斬ると決めたのかもしれない。
「……そんなの聞いて何になるって言うんだよぅ」
「特に理由はないさ。ただ気になったから今訊いた」
ただの好奇心。だから、善逸が答えないと言うなら、それでも構わない。
善逸は悩んでいるのか、視線をあちこちに飛ばす。
やがて、おずおずと話し始めた。
「……俺、一緒に戦いたい奴がいて、それにじいちゃんを裏切りたくなかったから」
じいちゃん?
誰のことかわからなかったが、善逸がその人を大事にしていることだけは伝わってきた。
「戦いたい奴?」
「そうだよ。そいつはとっても凄くて、俺なんかとは比べ物にならなくて、尊敬してるから……そいつと横に並んで戦いたいんだ」
そこまで言った善逸は「わーっ、俺ってば何語っちゃってんの!?」と騒ぎだしていた。
だけど俺は羞恥に悶えている善逸に意識を向けていなかった。
というのも、善逸が話してくれた理由だ。
まさか、そんな理由で鬼殺隊に入る奴がいるとは思わなかった。
くだらないとか、相応しくないとか思っているわけじゃない。ただ純粋に驚いているだけだ。
鬼殺隊に入る奴は、大抵が鬼への復讐心や世のためと考えて入隊する者がほとんどだと思っていた。というよりは、それくらいしかないと思っていた。
それが善逸の理由はどうだろうか。そのどちらにも当てはまらない。
その尊敬しているという誰かと一緒に戦いたいと言った。善逸はその誰かのことを気に入っているのだろう。
じいちゃんなる人を裏切りたくないと言った。言葉から察すれば、そのじいちゃんなる人に何かを託されたんだろう。
他人が聞けば、ふざけるなとも言われそうな理由だと思う。
だけど俺は、ある種感心していた。
復讐心や、善の心に駆られて鬼殺隊に入る者が多い中で、善逸は誰かのために鬼殺隊へと入ったのだ。
それは炭治郎と似ている。
なるほど、善逸がいい奴という炭治郎の言葉を、今正しく理解できた気がする。
なんだか炭治郎の周りには、心が清い奴ばかりが集まっている気がした。
「……そういう陽吉津はどうなんだよ」
しばらく悶えて落ち着いた善逸が、お返しとばかりに今度は俺に訊いてきた。
「俺か? 別に普通だ」
「何ソレ、ずりぃーっ! 俺だって話したんだからお前も話せ! そして俺と同じように悶えてしまえ!」
悶えるも何も、それは勝手に善逸がやったことだろう。
そう言ってやりたかったが、善逸の言葉の勢いが凄すぎて言えなかった。
普段情けないくらいなのに、なんでキレるとこうも強気になるんだよ。
「理由って言っても、俺は鬼に大切な人を奪われる悲しみを少しでも減らそうと思って入ったんだ」
「何それ、普通すぎ」
「お前が言えって言ったんだろ!?」
何て言い草だ。
しらけたような表情で言ってくるものだから、反射的に俺も言葉を返していた。
盗み食いは黙っているつもりだったけど、しのぶさんに報告してやろうか。
そんな卑怯のような、正当な対処を実行するか算段をつけていた。
「まったく、それはそうと話を戻すぞ。善逸は修行しなくていいのか?」
「……」
途端に黙ってしまう善逸。
顔を俯かせて、悩んでいる様子だった。さすがに何に悩んでいるのかはわからない。
「さっきも言ったが、炭治郎は今も頑張っているぞ」
善逸と、それから伊之助。二人は炭治郎と共に行動していた。なら、置いて行かれることに危機感を抱いてもおかしくないはずだが。
たぶんそれはしっかりと善逸も感じているのだろう。
そうでなければ機能回復訓練にだって顔を出さなかったはずだ。そして今も悩んだりしない。
「……でも」
中々踏ん切りがつかないようだ。
俺はため息を漏らした。
すると善逸の肩が思いっきり跳ねる。
あ、別に呆れたとかそういうため息じゃないから。そこは安心してほしい。
このため息は自然と漏れたもので意味なんてないから。
「別に修行を強制はしない。するしないは自由だからな」
俺はあくまでどう思っているかを訊きたかっただけ。それだけだ。
修行の参加に口を挟むのは、するつもりがないし、する必要もない。
「それじゃ俺からの話は終わり。もう盗み食いをしようなんてするなよ」
俺は善逸を炊事場から出た。
炭治郎だけが必死に頑張っていることに、思うところがないわけではないらしい。
それだけでなく、善逸の入隊理由も知ることができた。
炭治郎に、善逸。とくれば、残るは伊之助だけになる。
伊之助とも話す機会があれば、色々聞いてみよう。
そんなことを考えて過ごした。