早朝の訓練場に私はいた。勿論修行のためだ。でも全くと言っていいほど修行に身が入らなかった。理由は陽吉津が目覚めたことについて考えているからだ。
昨日はほとんど話すことができずに終わってしまって、物足りない。
修行を早々に切り上げて陽吉津のところへ行ってしまおうか。
私らしくない考えが思いついた。でも陽吉津が気になってしょうがないのは事実だ。
目覚めたばかり、それに怪我人だから、陽吉津一人でできることは限られていると思う。そう、それだ。陽吉津の手助けをしたいんだ。
陽吉津に会いたいがために、いかにもらしい理由を考えつく。
でも、怪我人の看護はアオイや師範の方が得意だ。対して私は何をしてあげればいいのかわからない。
こういう時、鬼を斬ることしか能のない私自身が恨めしい。
頭を悩ませても、何をしてあげればいいのかなんてさっぱり浮かんでこない。
もうこれは陽吉津自身に訊くしかない。
陽吉津の望むことを何でもしてあげようと思う。それしか私にできることはないから。
そうして私は早速陽吉津の部屋へ向かう。このまま修行していても効率が悪いはずだ。
しかし途中でアオイとすれ違ってしまった。
怒られるっ。
そう思って身構えるけど、アオイは急いでいるようで私には目もくれずに行ってしまった。
よかった。
そのまま私は陽吉津のところへ行った。中を覗くと、アオイが持ってきたであろう朝餉を前にした陽吉津がいた。左腕には包帯が巻かれて使うことができないようだ。
その時、妙案が浮かんだ。
私が食べさせてあげよう。
片手しか使えないなら食べにくいだろうし、これなら私にだってできる。
そんなことを考えていると、入り口に立ったままだった私に陽吉津が気付いた。
「おはよう、カナヲ」
「……うん」
後はそれをどう切り出すか。
私なんかがいきなり言うのも変に思われそう。どうしたらいいんだろうか?
いつまでも立ったままでいるのは不審に思われそうなので、備え付けの椅子に座ることにした。
切り出し方を考えるせいで、じーっと朝餉を見つめてしまう。
どうしよう。どう言うのが自然になるんだろう。
「……食べられる?」
言った後に後悔した。これじゃ言葉が少なすぎて陽吉津に伝わらない。
「え? あ、これか?」
そう思っていたのに、なぜだか陽吉津にカナヲの言葉の意味は正しく伝わった。それに少し驚いてしまう。
だけど驚いてばかりじゃいられない。陽吉津がせっかく言いたかったことを汲み取ってっくれたのだから、無駄にしちゃいけない。
私は一つ頷いた。
「食べづらくはあるけど右手が使えるから大丈夫。ありがとうな、カナヲ」
「……」
せっかくの機会は陽吉津に断られて潰えてしまった。
何で、食べづらいなら私を頼っていいのに。
でもしょうがない。陽吉津自身が大丈夫と言っているなら、私の手助けはいらないのだから。
「……必要なものはある?」
だけどまだだ。たべる手伝いは断られたけど、何もそれだけが全てじゃない。
そう思って陽吉津に申し出るけど。
「いや、今のところはないかな」
「……痛むところは?」
「あまりないかな。大きな動きは控えるようにすればそこまで痛くないし」
どれも断られてしまった。
陽吉津に悪気がないのはわかっている。陽吉津のことだから、面倒を掛けさせたくないだけなんだろう。
でも、少しは陽吉津の手伝いをしたいと思うこっちの気持ちも汲み取ってほしい。
そんな理不尽な不満が私の仲で燻っている。
すると急に陽吉津が笑った。
それは何だか優しい笑みで、一体どうしたんだろうと気になる。
「……どうしたの?」
「いや、何でもないんだ。ただの思い出し笑いだから」
「……そう」
急に笑い出した理由は教えてもらえなかった。何だかつまらない。
「そうだ、カナヲ。もしよかったら話し相手になってくれないか?」
それはすごく魅力的な申し出だった。
でも私は陽吉津の手助けをしたいから来たのに、ただ話すだけなんて……。
あぁ、でも……陽吉津と話せるのは嬉しい。
「……少しだけなら」
そう、少しくらいなら話をしても大丈夫。陽吉津の手助けはその後でもいいんだから。
陽吉津は私の返事を聞くと、残っていた分を早々と食べ終えてしまった。
急いではいても、きちんと「ごちそうさま」を言っている陽吉津を見てなんだかおかしく思えた。
食べ終えたものを隅にどかした陽吉津は、何を話そうか考えている様子だ。
こういう時、私の方から話を振れたらいいのに、どうすればいいのかわからない。
陽吉津と話したいこと……。
私も話題を考え始めたけど、先に陽吉津の方が思いついたようだった。
「そういえば那田蜘蛛山での任務に下弦の鬼が関わってたって聞いたけど、カナヲもその任務に行ったんだよな?」
那田蜘蛛山の任務……。
話すという行為には変わらないはずなのに、がっかりしている私がいた。
「……私は師範の付き添いで向かっただけだから。ほとんど負傷者の保護だったよ」
「そっか、たくさんの人を助けたんだな」
その言葉は聞き捨てならない。そんな、まるで自分はすごくないみたいな言い方はだめ。
「……陽吉津も人を助けた」
「……そうだな」
本当にわかってくれたのだろうか。
私はただ任務だから、師範の指示だったからそうしただけ。だから本当は陽吉津の方がすごい。
「人の命に小さいも大きいもない。俺はしっかり一人の命を守った」
確認するように呟いた陽吉津。
よかった。ちゃんとわかってくれたみたいだ。
「それに陽吉津は下弦の鬼と戦って生き残った」
人の命も救って、下弦の鬼とも戦い抜いた。
陽吉津はもっと誇っていい。私はそう思う。
だって『十二鬼月』は柱が駆り出される程の鬼なんだから。
今回は運がよかったけど、実力ない者が下弦とはいえ戦えば、まず命はない。
そうだ。陽吉津がこうして生きていてくれることが奇跡に近いんだ。
だから誰も陽吉津を責めたりなんかしない。
「……陽吉津が生きて帰ってきてくれただけで私は嬉しい」
それだけが、ただただ嬉しい。
だって、もし陽吉津が死んでしまったら、せっかくまた会えたのに会うことは叶わなくなる。
陽吉津の傍は安心するからずっと一緒に居たいのに、そんな未来想像するだけで怖い。
だからこれは私の本心からの言葉。陽吉津だから伝えられる言葉。
するとなぜだか陽吉津は息を呑んでいた。
そして私から目を逸らしている。その顔は赤かった。
「……陽吉津、顔が赤い」
「うん、わかってる。わかってるから少し待って」
もしかして照れているのだろうか?
だとしたらなんだか嬉しかった。
その後も陽吉津から話を振られる形で私がそれに答える。そうして十分、ニ十分と過ぎていった。
既に陽吉津の手助けという最初の目的は忘れていた。今は何よりこの時間が楽しい。
だけどいいことがあれば必ず悪いことがやってくる。
私たちの会話を遮ったのは、いつの間にか戻ってきたアオイだった。
「カナヲ、ここにいたの」
私の名前が呼ばれている。いったいどうしたのだろうか。
なぜ名前が呼ばれたのか思い当たる節を探していると、アオイから告げられた言葉で固まってしまった。
「しのぶ様が呼んでいたわ。修行の途中で抜けたから相当怒っていたわよ」
それは……早く行かないと。
師範が怒っていると聞いた私は急いで訓練場に向かった。
……陽吉津に挨拶し忘れた。
だけど挨拶をしに戻っている暇はない。
訓練場に入ると、師範が中央で佇んでいた。
「カナヲ。こっちへ来なさい」
ビクビクしながら師範の下まで行く。やっぱり修行は最後までやってから陽吉津のところへ行くべきだった。
「……そんなに怯えないでください」
私があまりにも怯えていたから、師範はいつもと変わらない調子で声を掛けてくれた。
「理由は大体わかりますが、カナヲ。修行は終わったんですか?」
「……まだです」
「はぁ。陽吉津君が心配な気持ちもわかりますが、修行はちゃんとやってから行きなさい」
「……すみません」
「まったく。カナヲの成長は喜ばしいですけど、これじゃ喜んでいいのか悪いのかわかりませんね」
「成、長?」
私の成長とはどういうことだろう?
「ふふ、それよりもカナヲ。今日の修行は今から最後まで終えるように。いいですね?」
そう言われてしまってはもう師範に訊くことはできなかった。
もっと怒られると思っていたのに、結局師範はそれだけ言い終えると訓練場から出ていってしまった。
「……」
成長……?
昔と今で師範の言うような変化があったのだろうか? 自分のことだけどわからない。
とにかく修行を再開しよう。
そして明日は修行を終えてから陽吉津のところに行こう。
そうして再開した修行は、いつものようにしっかりと身が入った。