俺が蝶屋敷へと住み、しのぶさんの継子として修業を始めて既に二週間は経った。
修行は着実に成果が出てきて、最初の一週間が過ぎた頃には全集中・常中を習得することに成功した。今ではカナヲとも競い合えるぐらいにまでなっている。
だけどまだ呼吸の方についてはあまり進展がなかった。
「派生……派生だろ?」
考えれば考えるほどにわからなくなる。本当にこんな調子で呼吸を派生させることができるのか不安だ。
もし俺がちゃんと育手の下で鍛錬を積んでいればこんなことにならなかったのかもしれない。
意固地にならず、他人に頼っていればもっと違う強さを手に入れていたのかもしれない。
だけど今更過去は変えられないんだ。
俺は一人で強くなる道を選び、岩の呼吸を学んできた。その事実が変わることはない。
悔いても仕方ないんだ。前を見つめなきゃいけない。
「とは思っているんだけどなぁ」
現実には覚悟だけ決めてもどうにもならない。呼吸の派生なんて人それぞれだろうから助言を聞こうにもあまり意味がないだろう。
まさに八方塞がりな状態といえる。
「かなり考えが行き詰っているようですね」
庭に面した縁側に腰かけていた俺に話しかけてきたのはアオイさんだった。
「あはは……はい」
「呼吸の派生は大体が自然にそうなるものです。意図的に自分の呼吸から変えようだなんて滅多にないことですよ」
アオイさんの言うとおりだ。本来の呼吸の派生は偶然の産物。俺みたいに元々の呼吸から意図的に呼吸を派生させようだなんて考え方は普通あり得ないことなんだ。
「仰る通りです。でも俺はそうせざるをえないんだ」
「別に今のままでも戦えるんですよね。ならそのままでもいいと思いますけど。それを何でわざわざ……」
もうほんとアオイさんの言う言葉が正論すぎて辛いです。
ただ、それが正論なのだとしても俺には俺の目的のために強くならないといけない。
確かに全集中・常中のおかげで飛躍的に動けるようにはなった。だけどそれはきちんとした呼吸の型を使うことで何倍にも強さを跳ね上げることができる。
「強くなりたいからだよ。悲しむ人を少しでも減らしたい。そのためには鬼と戦って勝たなきゃいけない。今のままの俺じゃいざというとき役立たずだからさ」
「……私は戦えるだけで立派と思いますけどね」
「アオイさん……」
その言葉からは神崎アオイという人間の心の内が籠っていた。既にアオイさんがここ蝶屋敷で働いている理由は知っている。
アオイさんはそれに負い目を感じている。隊士が命を張って戦っているのに自分は安全な場所で戦いもせずに過ごしている、と。
でも俺はそんなこと気にする必要なんてないと思っている。
人には向き不向きがあり、適材適所という言葉があるように必ずどこかで役に立つんだ。
「アオイさんは充分やっていると思いますけど」
「気休めは結構です。隊士でありながら鬼も倒さず戦うことができない私はお荷物ですから」
常日頃からアオイさんはそんなことを考えながら過ごしているんだ。直感的にそう思った。
だったらその勘違いははっきり否定しておかないといけない。
「気休めだなんて心外ですね。俺は本心からそう思っています」
「一体何を根拠にそんなことが言えるんですか!」
怒鳴られてしまった。だけど伝えるべきことは伝えさせてもらおう。というか、言わなきゃ俺の気が済まなかった。謝罪ならその後でいくらでもできる。
「適材適所ですよ。確かにアオイさんは鬼とは戦っていません。でもその分ここで頑張っているじゃないですか」
「それはっ、ここに置いてもらっている以上当たり前のことで……」
確かに当たり前のことかもしれない。でもアオイさんはその当たり前をきちんとやりきっている。
「ここに置いてもらう上で当たり前のことをしているんですよね? だったらアオイさんはやるべきことをやっていますよ」
「……ぅ」
「そんな風に思うのは俺だけじゃないと思いますよ。きっとわかる人にはわかるはずです。アオイさんは自分が思っているより立派な人ですから、そんな風に卑下しないでください。でないとアオイさんのことが好きな俺たち蝶屋敷の皆が悲しくなります」
しのぶさんもアオイさんが抱えているものに気付いているだろう。だけどしのぶさんは蟲柱として忙しい身だ。中々相談に乗ってあげられなかったんだと思う。
「で、でも私は……」
これだけ言ってもアオイさんは自分を認めきれていないようだった。それも仕方ないのかもしれない。なにせ長い間抱え込んできた負い目なんだから。
「今すぐにとは言いません。ですけど、俺たち蝶屋敷の人間はアオイさんの味方だってことだけはわかってください。そしていつか必ずアオイさんのことを認めてくれる人が俺たち以外に現れます。俺の勘って結構当たるんですよ?」
きっと俺たち以外にもいるはずだ。アオイさんのことを認めてあげられる人が。そういう人がたくさんいれば、いつかアオイさんも自分のことを認められる日が来る。
「……一応お礼は言っておきます」
どうやら照れているらしく、ぶっきらぼうにそう言われた。
確かにあれだけ言われて照れない奴はいない。いたら逆に見てみたいくらいだ。
「俺の方こそ生意気言ってしまいました。お叱りなら謹んでお受けいたします」
「人をすぐ怒るみたいに言うのは止めてください!」
いや、割とすぐ怒るよ? ていうかもうその言葉が怒ってますよ?
「まったく……」
不満げな様子だ。余程怒りっぽく言われたのが気に入らないらしい。
「お願いです。怒らないでください」
「……いい加減にしないと本当に怒りますからね?」
そろそろ自重しよう。何事も引き際が肝心だ。
「そういえばアオイさんは何でここに来たの?」
見たところ手には何も持っていない。何か落とし物とかだろうか?
「いえ別に。それでは」
特に何をしたわけでもないのにアオイさんは踵を返した。何だったのか謎だ。
「……呼吸は特徴がそれぞれあります。それは派生したものでもどこかに元が存在するものです。それから発想の源となるものを決めるといいかもしれませんね」
「え?」
去り際にアオイさんは言葉を残していった。
「……もしかしてそのために?」
まさか俺に助言するためにやってきたのだろうか?
だとしたら少々いじりすぎてしまったかもしれない。あとでお礼と謝罪をしよう。
「呼吸の特徴……発想の源……」
これはかなり重要なことなのかもしれない。
俺は呼吸の派生を漠然と捉えていた節がある。派生したという事実だけに目がいって、派生した呼吸とその元となった呼吸の関係性とかは考えてもいなかった。
そして発想の源だ。確かに呼吸は何かしらを意識して創られているように思う。
完全に盲点だった。
これで呼吸の派生に大きく近づけた気がする。
「……アオイさん甘いもの好きだったかな」
とりあえずはお礼を兼ねて甘味の差し入れをしよう。アオイさんの助言のおかげでようやく何かを掴みかけている。何かお礼をしないと気が済まないんだ。
その後近くの甘味処でみたらし団子やおはぎを山のように買ってアオイさんの下へ向かった。
文字通り山のように買ってきたためアオイさんだけでなく近くに居たカナヲやきよちゃんたちも思わず呆けていた。もちろんその後ちょうど任務が終わったしのぶさんも帰ってきて蝶屋敷の皆でお茶会を楽しんだ。
お茶会の間なんでかずっとカナヲの視線を感じていたけどあれは何だったのだろうか? もしかして好みの甘味がなかったとか? だとしたら今度直接訊いておかないといけないな。
アオイさんの助言の下、俺は今一度呼吸について考え直していた。
「岩の呼吸、か」
呼吸には基本の流派がある。俺の使う岩の呼吸もそのうちの一つで、他に炎・水・風・雷の計五系統が存在する。それぞれに特徴があり、岩の呼吸の特徴は何と言っても力強さと打たれ強さ。剛と堅を併せ持つような呼吸だ。
だけど俺は岩の呼吸を使いこなせていない。それは俺自身理解していることでもあるが、しのぶさん曰く岩柱である悲鳴嶼さんと比べると本当に同じ呼吸なのか疑いを持つほど差があるらしい。
そのことから考えて、俺に岩の呼吸は恐らく今後ずっと使いこなせない可能性がある。
かといって他の呼吸にも当てはまらない俺は、やはり岩の呼吸でやっていくしかない。確かに今更他の呼吸に変えようとしても時間が惜しい。
そこで岩の呼吸を派生させ、俺の呼吸に合う新しい流派を創るのがそもそもの目的だった。
そこでここしばらく行き詰っていたわけだが、ここでアオイさんの助言に助けられた。
考えるのは岩の呼吸からの派生。つまり剛と堅を体現するような呼吸にしないといけない。これで派生の方向性は決まった。
そうなれば次の助言だ。
『発想の源』
これはつまり岩の呼吸なら『岩』の力強さと硬さに注目した呼吸法であるということ。これは派生した呼吸でも変わらない。カナヲの『花』の呼吸や、しのぶさんの『蟲』の呼吸もそうだ。
となると後は……。
「俺自身がその『発想の源』を見つけないといけない」
派生した呼吸の仕方自体は俺が自然体で出せる呼吸を探せばいい。だから重要なのは『発想の源』の発見だ。
これがなかなかに難しかった。
任務がない時は屋敷の外に出て毎日のように探し回っていた。
だけどふと俺自身が胸の中にずっと掲げている目的を思い返したのだ。
『悲しむ人を少しでも減らす』
そのために俺は鬼殺隊になったし、強くなりたいとも思った。
俺は鬼に勝てる強さがほしい。俺は人を守れるようになりたい。
そう考えた時に俺の視界にあるものが飛び込んできたんだ。それはずっとそこにあった。当然のようにそこにあったからこそ気付いてこなかった。
ここに来るまで長いことかかってしまった。だけど時間をかけた分それ相応になったと思う。
後はそれが通用するかだけだ。
今度の任務、俺はそこで蝶屋敷に来てからの成果を出そうと思う。