Seahorse   作:麦茶の茶

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二話

その日、ワポルは上機嫌であった。何でも己の法に触れたカバが一人逮捕されたからである。犯罪者の逮捕。それは本来、国王として頭を抱えることなのであろうが、ドラム王国の国王ワポルにとってはその限りではなかった。何たって彼は絶大な権力で弱者を痛ぶることに快楽を感じる男であったのだから。

 

「ワポル様、かの者を連れてきました」

 

部下の男が平伏したまま玉座に座るワポルに告げた。ワポルは咳払いをして身なりを整えると、声を低くして言った。

 

「よし。通すがいい」

 

その命令により重い扉が開かれて、王の間に一人の女性が入ってきた。彼女の手には錠が付けられており、両脇にはドラム国王の兵士が付き添っている。だが、その佇まいは法を犯して捕まった罪人などではなく、誇り高き貴族のように堂々としたものだった。しかも、その容貌は技巧を凝らされた人形のようで麗しきもあり凛々しくもある。

ワポルは口を開いて彼女に見惚れていた。

 

「あのワポル様…。いかがされなさりあそばれましたか?」

 

「はっ!なんでもない。それよりもお前だな。オレの法律を無視して勝手に治療行為をしたカバは?」

 

部下の言葉にワポルは正気を取り戻した。そして彼女を見下して言った。

 

「いいえ。私は医療行為などしておりません」

 

「この後において嘘をつくな。この街の全てはオレ様の監視下にある。貴様が数日前から病気で苦しんでいたガキに治療を施したことなど把握済みだ」

 

「数日前から?つまり貴方はあの子の病気を知ってなお放置していたということですか?」

 

彼女は静かに尋ねた。その口調にはワポルの行為を責めるような意思は感じられなかった。だからワポルは平然と答えた。

 

「当たり前だ。ガキ一人が病気でどうなろうともオレ様には関係ないことだからな!だが、病気に罹ったことで法を犯したカバ一人を捕まえられたことだし、その点については褒めてやらないこともないな!オレ様のために病気になれて光栄に思うが良いと‼︎」

 

「それで私の罪は王様に見捨てられた憐れな子供を助けたことかしら?」

 

「そうだ。だがこのオレ様に媚び諂えば命を助けてやらんこともないぞ」

 

ワポルはそう言うと下卑た笑みを浮かべた。それを見て彼女は静かに溜息をついた。

 

「なんだお前?このオレ様に何か文句でもあるというのか?」

 

ワポルは高笑いをやめて真顔で彼女を睨みつけた。何がどうあれ、ワポルが上で彼女が下だ。ワポルはその気になればいつでも彼女を処刑できる立場にいた。

 

「ええ。だって貴方は大きな勘違いをしているようですから」

 

「なんだと?」

 

「先程も言いましたように私は医療行為しておりませんし、そもそも私は医者ではありません。私が勝手に与えた毒薬が、偶々あの少年を蝕む病気を殺し、あの少年が勝手に救われたに過ぎません」

 

「だから見逃せと?」

 

勘違いと聞いて耳を傾けてみれば滅茶苦茶な理論だった。ワポルは眉を顰めて彼女を睨んだ。

だが彼女は怯む様子もなく寧ろ微笑みを浮かべて言った。

 

「それが最大の勘違いよ。私は逮捕されてここに来た訳じゃない。私はーー」

 

そのとき、城の付近に巨大な雷が落ちた。ワポル達は驚いて窓のある方を振り向いた。この国では寒冷地ゆえに偶に寒雷が起きることもある。だが天気は先程まで晴れ渡る青空であったはずなのに、何故だが暗雲が立ち込め始めていた。

 

ワポル達は少しばかり疑問を抱いたのだが、次の瞬間、部屋に金属の何かが落ちたような音が鳴り響いた。今度は何だと思いながらワポルは正面を向き直したのだが。

 

「そんなカバな…‼︎」

 

また背後では幾つもの雷が落ちていた。しかしワポルは振り向くことはなかった。目の前に現れた怪物に驚愕していたからである。

 

それは王の間を埋め尽くさんとするばかりの巨大な怪物であった。身体はごつごつと堅牢そうな青い鱗に覆われており巨大な鹿のような骨格していた。その一方で脚には馬のような蹄があり、何よりもその顔は伝説の神獣、龍そのものであった。

 

「貴方を殺しに来たのよ」

 

その怪物は大きく口を開くとワポルに向けた。そして眩い巨光の息吹を撃ち放ったのである。

 

一瞬にして通り過ぎた轟音の後、ワポルは失禁していた。巨大な光線はワポルの真横を通り抜けて王の間の壁に巨大な穴を開けていた。ワポルはガクガクと顔を震わせながら振り返り、その穴から外の様子を見た。

 

その息吹が通り過ぎた辺りの木々や雪は消し飛ばされ、大地は真っ黒に焼け焦げていた。また、そのところどころの地面は融解して赤い溶岩と化してさえいる。それから大地を抉った息吹は海に衝突し、その場の海水を丸ごと蒸発させ、ぽっかりと空いた空間には大量の水蒸気が昇り、海水が滝のように流れ落ちていた。

 

まさに超破壊の一撃。ドラム王国のどんな強力な兵器を使ったとしても、こんな惨状は起こらないだろう。この国の兵力では奴には勝つことができない。ワポルの思考は如何に犯罪者をいたぶることから、如何に安全に逃げるかへと切り替わった。

 

そんな時である。王の間を勢いよく開ける男がいた。その男の名はドルトン。ドラム国王の護衛隊長である。

 

「ワポル様‼︎大変です。あの女、とんでもない悪党でした!百獣海賊団幹部 天災のサクヤ。11億5000万ベリーの賞金首です‼︎」

 

11億5000万ベリー。それはそこらの海賊がカスみたいに思えてしまうほどの懸賞金であった。懸賞金の額は必ずしも実力と一致しないというのが通説だが、圧倒的な破壊力と凶暴な風貌を見せられてはそれが正当な評価であるのは明らか。真面に敵対したら滅亡は必然である。故にワポルは叫んだ。

 

「ドラム王国護衛隊長ドルトン‼︎お前が相手をしろ!」

 

「ワポル様は⁉︎」

 

「オレ様には王としての務めがある。お前は護衛隊長としての務めを果たすのだ‼︎」

 

王としての務め。それは国に降りかかる厄災から国民を守ることにある。ドルトンは、その必死なワポルの形相から自らの国を守るために抗戦しようとしているのだと考えた。おそらく国中の全兵士を集めてから彼女を征伐するつもりだろう。それならば、たとえ命を落としたとしても召集までの時間稼ぎをするのが己の役割である。ドルトンは怪物の前に立ち塞がった。

 

「憐れだな。私の正体を知ってなお挑むというのか?」

 

怪物は心臓の真まで震わせるほどの低く悍ましい声で言った。ドルトンは大きく身震いしたが、それが武者震いであると信じて一歩前で踏み出して叫んだ。

 

「憐れみなど不要‼︎この国を!民を!守る盾になれるのならオレは喜んで命を差出そう」

 

「そうか。なら、くたばるがいい」

 

それから始まったの戦いとは呼べるものではなく、怪物による一方的な蹂躙であった。

 

 

 

一方のドラム王国の海岸では。

 

「ワポル様!御命令の通り、兵士と戦艦を用意しました」

 

ワポルの側近が幾千の武装した兵士を背にして告げた。早急で集めた割にはこの規模の兵力、悪くない。ワポルは満足げに笑みを浮かべた。

 

「よし、ならば全員船に乗れ。直ちにこの国から脱出する!」

 

側近を含めて兵士達に動揺とざわめきが広がった。

 

「ワポル様。恐れ入りますが、あの城を乗っ取った憎き怪物と戦わないのであらせますか?」

 

「お前はカバか。なら聞くがあの惨状を見てお前はアレに勝てると思うのか?」

 

そう言いながらワポルは怪物が放った光線の跡地を指差した。そこはまさに焦土。アレを正面から喰らっては骨すら残るまい。しかも見上げると城からは、あの悍ましい光線が何度も放たれていた。光線は空に浮かぶ雲を消し飛ばし空の彼方にまで伸びている。そして偶然か。流れ弾の光線がワポル達がいた海岸のすぐ側に着弾して雪景色を焦土に変えた。兵士達は絶句した。こんな怪物と戦っていては命がいくつあっても足りるはずがない。

 

「流石はワポル様。ご賢明にあらせおられる」

 

部下の一人は態度を改め、ワポルに諛うような笑みを浮かべて言った。兵士達も同様に生き残りたい一心にワポルに向けて膝をついて忠誠を示して叫んだ。

 

「流石はワポル様‼︎」「天才であられるワポル様」 「ワポル様万歳‼︎ワポル様万歳‼︎」

 

その光景を見て、ワポルは気分を良くして高笑いをしながら言った。

 

「うむ、そうであろう。ならば急いで出航するぞ。一年近く避難しておけば、奴も飽きてこの島から離れるに決まっておる。この国にはそれから戻れば良いのだ!」

 

 

 

 

 

王の間は原型がないほどに荒れ果てており、壁や床は一人の人間の量とは思えないほどの血で染められていた。

 

「憐れね。貴方は一体何のために戦っていたのかしら」

 

サクヤはこの島から離れゆく船を眺めながら言った。王の間はサクヤの光線で開けられた穴により島の海岸が一望できるほどに破壊されていた。そしてシンプルな勝者の絵という訳か、サクヤは倒れているドルトンの背中に腰をかけて座っていた。

 

「黙れ…」

 

サクヤに座られているドルトンは大粒の涙を流し、絞り出したような声で言った。その雫は自らの血と混じり合い赤い涙となって床を濡らしていた。

 

「まぁ、別に珍しいことでも恥じることでもないわ。人は脆い。絶対的な力を前にしたとき、できる選択なんて逃亡か服従だけだもの」

 

「それは個人のあり方だ。一国の王が国の危機に先陣を切って逃げだすなど決してあってはならない」

 

「まぁ、確かにトップに逃げ出されたら困るわね」

 

そう思いサクヤは自らの提督の姿を思い浮かべた。あの化物は自らより強い奴に遭遇したとき果たして無様に逃走するだろうか。いや、寧ろ嬉々としながら突っ込んでいくだろう。あの男はそういう奴だ。サクヤは思わず笑みを浮かべた。

 

「何がおかしい?」

 

「ごめんなさいね。ちょっとした個人的なことだから気にしないで。それよりもどうしようかしら」

 

ドルトンが見上げるとサクヤは冷たい瞳でこの国を見渡していた。ドルトンは慌てて叫んだ

 

「この国の国民に手を出すことは絶対に許さんぞ‼︎」

 

「別にそこまで忠義を貫かなくても良いのよ。貴方が忠義を誓った王も身を捧げて国はもう存在しないのだから。貴方は自分が思うがままに勝手に生きればいい」

 

そう言いながらサクヤはドルトンの背中を優しく撫でた。だが、その身体はサクヤの手を拒むかのように熱く滾っていた。

 

「…勝手か。一人の王の身勝手でこの国がどれほど病んでしまったのか、お前には分かるまい」

 

国民に対する理不尽な圧政。謂れもない罪で裁かれる人々。憐れなのだろう。苦しいのだろう。だが彼等の痛みを決して理解してはならない。何故ならサクヤは人々を虐げられる側の人間であるのだから。サクヤはそっと目を閉じて言った。

 

「分からないわね」

 

「………っ!」

 

ドルトンは激しい歯軋りをした。

ただサクヤにとっても今の現状は困った状況だった。本来の目的は医療大国であるドラム王国の留学であったはず。だが実際に来訪してみたら、それは既に過去の栄華であり、何だか腹が立つことが多かったので気分で滅ぼしてしまった。しかも、この島には師事を受けれるような医者はいないという。これからどうするべきか。

 

「一つ尋ねるのだけど、この国の研究施設や医学書の貯蔵庫とかどこにあるのかしら?」

 

「……何を言っている?」

 

「元々、私はこの国の医学を学びに来たの。正直に言って王とか国とかなんてどうでも良かった。だけど、あのカバ王は馬鹿のくせにあまりにも調子に乗りすぎていたようだからノリで滅ぼしちゃった」

 

ドルトンは絶句した。これが海賊というものなのか。その絶大ななる力とは裏腹にその行動原理はあまりにも身勝手であった。だが、彼女の目的が知れた以上、この島に被害を出すことなく穏便に事を収める方法が見出せた。

 

「この国の医療の叡智はこのドラム城に集結している。調べたければ勝手に調べていくがいい」

 

「そう、ありがとう」

 

「だが、ここで何を調べようが構わないが、ここに住まう者達には絶対に危害を加えないでくれ。もうこの国で苦しむ者達を見たくない」

 

ドルトンは懇願するような思いで言った。彼にとって、世界に誇る医療大国の叡智より島の住人達の幸せの方が遥かに大切であった。そのためなら野蛮な海賊にこの国が築き上げてきた医療の全てを奪われることなど惜しくはないほどに。

 

「私は海賊。本来なら貴方のお願いなんて聞く道理なんて一欠片もないんだけどねぇ…」

 

サクヤは困った表情を浮かべながらも、椅子代わりにしていたドルトンから立ち上がり彼の前へと移動した。そして彼を見下ろして言った。

 

「良いよ。約束してあげる」

 

「本当か…!」

 

「ええ。だけど私からも一つ条件がある」

 

サクヤは表情を一変させて静かな口調で言った

 

「ドルトン、貴方は強くなりなさい」

 

予想外の条件にドルトンは戸惑った。命を要求する訳でもなければ金でもない。何を意図してこの条件を課したのだろうか。だが、考えようとしていた途端、サクヤは厳しい口調で怒鳴った。

 

「悩むな。強くなるのか、弱いままここで死ぬのか、どっちなの?今すぐに決めなさい」

 

「あ、ああ!その条件を呑もう。俺は強くなる」

 

思わずドルトンは気圧されながらも了承した。

するとサクヤは少しだけ黙り込み、再び穏やかな表情となり呟いた。

 

「そう。なら精々努力しなさい。弱っちい忠義なんて哀れで哀れで仕方がないもの」

 

それから彼女は王の間から立ち去った。おそらく貯蔵庫を探しに向かったのだろう。一方のドルトンはその場で倒れ伏せたままであった。それはサクヤとの戦闘で深いダメージを負い動けないからでもあった。だが、それ以上にドルトンの脳裏には厳しくもどこか儚げな少女の顔が妙に焼き付いていた。


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