君たちには、ゼフィランサスがきっと似合う。   作:刃波海苔

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君たちには、ゼフィランサスがきっと似合う。

「ただいまー……」

 ドアを開けてあいさつする彼女の所作は、すべてがしょぼくれて見えた。

 いつもは見ているだけで元気がもらえるような活発な少女だが、ここ一月はしぼんだスフレのように元気がない。

「ん……?」

 少女の鼻に、出汁の香りがふんわりとやってくる。台所が使われているのだとすぐにわかったが、母親は仕事で明日の昼までいないはずだった。

 思い立って、足元を見る。

「あ……!」

 ()()を認識した瞬間、沼のように濁っていた少女の瞳が、神聖な泉のような色と輝きを取り戻す。

 少女は金髪を揺らして、とてとてと小走りで台所へと向かう。

 可愛らしい村娘のように素朴で愛嬌の有る顔には、クリスマスプレゼントを待つ子供のように期待に満ちた笑顔が浮かんでいた。

 台所では、背の高い、黒髪の青年が鍋を見守っていた。玄関に並ぶ靴から予想していた後ろ姿は、エプロンが素晴らしく似合っていた。

 少女の笑顔がますます輝く。そして、飛びつかんばかりに駆け寄った。

健太(けんた)さーんっ!」

優果(ゆか)? おわっと⁉」

 優果と呼ばれた少女は、明るく弾む声に振り向いた青年、健太を強く抱きしめる。

 二人がこうして触れ合うのは、およそ一月ぶりのことだった。

「こら、危ないだろ? 全く……」

「だって、寂しかったんだもん……」

 調理中に抱きつくような危ない真似を、優果はするつもりはなかった。

 けれど、その背中を一目見た瞬間、抑えることができなかった。一ヶ月ぶりなのだ。話すことも見ることも、触れ合うことも。健太のぬくもりに夢中の優果には、耐え難い一ヶ月だった。

 健太もそれが分かっているから、叱るようなことを言いつつも、その声音はとても優しい。

「おかえりなさい、健太さん……」

「ただいま、優果」

 二人は、久々のぬくもりを余すことなく感じようと、与えようと、向き合ってお互いを抱きしめる。

 優果に至っては、めり込むようにくっつくばかりか、頬ずりすらしていた。

 健太もそんなスキンシップを求める仕草が微笑ましく、嬉しく思っていた。

 そんな彼女とじゃれ合いたい健太は、わざとらしく咳払いをしてみせた。

「さて……帰ってきて早々だけど、仕事ができた」

「ええー……」

 少ししか触れ合えないことに寂しさが再燃した優果に、健太はニヤリと笑う。

「悪い子にお仕置きするって仕事」

「……! それってどんなの?」

 健太はおどけた様子で呆れたようなことを言う。健太を見上げる優果の顔は、ただ声を聞き、ただ言葉を交わすことにすら楽しさを覚えている笑顔だった。

「こんなの」

「わっ」

 妖しげに微笑んだ健太は、優果を抱き上げるとソファまで運び、覆いかぶさるように押し倒す。

「覚悟しろよ?」

「え、えっと、お外、まだ明るいよ……?」

「ダメだ」

「う、うう……」

 このあとの展開を想像した優果は、胸をドキドキさせ、顔を赤らめる。

 会うこと自体が久しぶりなので、求められることは満更でもないどころか、嬉しい。

 しかし、暗いときでも恥ずかしいことなのに、夕暮に照らされながらするのは恥ずかしすぎる。恥ずかしすぎて、泣いてしまうかもしれない。

 優果は、自分が嫌だと言えば、目の前の青年はきっと手を引いてくれるだろうと確信していた。なのに、言えない。

 当然、期待もしているからだ。

 難しい感情の流れは、健太の次の行動で決着が着けられた。

「ひゃんっ⁉」

「ここ、弱いもんな?」

 優果の足裏を健太の指が優しく、ひっかくように撫でる。想像と違う出来事に、優果は一瞬、何が起きたのか分からなかった。

「くすぐったいか?」

 足裏に当てた指が複雑に蠢かせるのを止めた健太が、何が起きているのか認識させるように囁いた。

「う、うん」

「よし」

 満足気に頷いた健太は、竪琴を引く女神のように美しい手を、優果の足裏で散歩させた。

「ひゃっ、やっ、くすぐったいー!」

 じゃれ合いを楽しむ優果の明るい悲鳴に、健太はくすぐる手をヒートアップさせる。

「こういうときはなんて言うんだー」

「ごめっ、ごめんなさいっ! ゆるしてー!」

 足裏を走る指のくすぐったさに、優果は笑い泣きながら謝った。

「いーや、ダメだね」

「そんなぁー!」

 結局、くすぐりは優果の声に仄かな艶かしさが混じるまで続いた。

 その後の夕食は、優果にとって少しだけ気まずいものになったが、健太は久しぶりの和食(自作)に泣いて感動していたのだった。

 

 ◯

 

 テレビには、映画が映っていた。いつだったか大ヒットしたアニメ映画で、様々な層に人気のあるものだった。

 健太と優果の視線は画面にこそ向かっていたが、意識自体は互いに向いている。

 それは、二人にとって確信めいた共通認識で、実際その通りだった。

「なあ、優果」

「んー?」

「やっぱり、寂しかったか?」

 優果は健太にもたれかかり、細くも筋肉質な腕を、豊かな胸に抱き寄せて、口をとがらせた。

「……寂しいよ、一ヶ月だもん。なのに料理始めちゃうんだもん」

「あー……ごめん」

 頬を空気で膨らまして怒りをコミカルに表現する優果に、健太はバツが悪い気持ちだった。

「……健太さんは寂しかった?」

「寂しいに決まってるだろ? 話もダメで、抱きしめられないんだから……」

 その本心からの答えに、優果は「にひひ」と笑う。

 歯を見せる笑い方だから、コウモリの牙のように発達した犬歯が覗いていた。

「なら、許す!」

「ありがとう……」

「どういたしまして! ……ん」

 目を閉じ、餌を待つ雛鳥のような姿勢をとった優果に、健太はそっと口づけをする。

 優果は久しぶりの、なによりも気持ちのいい感触に感激し、幸せな目眩を覚えて、健太に倒れ込んだ。まさしく至福の連続だ。

「大丈夫か?」

「だいじょぶ……でも、もっと優しーく……して欲しいかなって……」

 健太は、倒れ込むようにして抱き着いてきた優果の小さな背中を注文の通り、優しく撫でる。

 至福、至福ときて、また至福。安らぎの中ではそうはならないが、優果は「こんな人があたしの彼氏でーすっ! いいでしょー? ぜったいにあーげないっ! ひゃっほぉ!」と奇声を上げかねないほどの嬉しさを感じていた。

「あー……」

「気持ちいいか?」

 実際は飼い主にグルーミングされる猫のようにおとなしく目を細めて堪能しているのだが。

 その姿に安らぎを覚えていると健太は分かっているが、律儀に聞く。性格がそうさせた。

「うん……やっぱり撫でてもらうの好き……」

「……頭、撫でていいか?」

「うん……やって」

 優果は恋人の腕の中で微睡む時間も至福そのものだった。

 昼寝と大好きな相手の体温で、二重の癒やしを得ることができるからだ。

 うとうとしながら、彼女は学校でのことを、寝言のような調子で健太に聞かせるのだった。

 

 ◯

 

「……イギリス、どうだった?」

 背中と頭を優しく撫でられる心地良さで蕩けるように寝転んでいた優果は、自分たちが離れ離れになる理由が有った土地の土産話を求めて口を開く。

「そうだな……また行きたいと言えば、行きたい」

「楽しかったの?」

「……」

 好奇心に輝く笑顔に、健太は感想を言うことを躊躇った。

 イギリスにはもう一度出向く機会を考えると、優果がイギリスに持つイメージに、ケチをつけたくなかった。

 ――そう、楽しくなかったのだ。

 観光地を巡るには、拠点となっていた鬱屈とした雰囲気の古城の立地条件は論外だった。しかも拠点と言いつつも安全とは言い難かった。

 無論、拠点を囲む森に出れば、更に面倒くさいことになる。

 拠点で出される料理も、改善されつつある昨今の風潮に逆らうような昔気質(むかしかたぎ)なもので、帰国する頃には味噌汁やだし巻き卵といった()()の味が、すっかり恋しくなっていた。

 優果と同じで「観光みたいなものだから」と聞かされ、仕事だと思いつつも多少浮かれていた健太は、なんだこれは……と落胆しながら英国での日々を過ごしていた。

(いや、確かに城の装いはファンタジックでかっこよかった……よかったけども……!)

「……? 健太さん?」

 そしてなにより、優果とこうして手を握ることず、それどころか、仕事の都合で話すこともできなかった。

 最も尊い日常と切り離されているということで、健太にとって、これが一番辛かった。

 仕事なのだからと理性では割り切っても、こうして思い返すとモヤモヤしたものが胸に募る。

 感想だけでなく、要因も言うことができればといいのだが、今回は秘匿する義務があった。

 つまり弁解ができないのだ。楽しくなかったという感想以外は伝えることができない。

 かと言って、楽しかったと嘘をつくのも躊躇われた。いずれ来るイギリス旅行でボロが出る。

 健太は一つ、ため息をこぼす。今からとても不誠実な態度を取ろうとする自分に呆れているのだ。

「……ごめんな、今回の仕事の規則でさ、見聞きしたことは言えない」

 これ自体は本当のことである。『楽しいか、楽しくなかったか』といった、感想程度の情報までには及ばないが。

「……そっか、電話もダメだったもんね」

 二人は()()()()()に出てから伝えられたその規則で、揃って寂しい思いをしていたのだった。

 思い出して落ち込む優果に、健太は小指を差し出す。

「だから、今度は一緒に行こう。もちろん、旅行で」

「ほんと⁉」

「ああ、約束だ」

 自分と指切りを交わす優果の笑顔は、健太にはひたすら眩しいものだった。自分の身を、骨まで焦がすほどに。

「一緒にいよう、できる限り……」

「うん!」

 ずっと、そばにいると誓った二人の幸せは、生涯色褪せることは無いだろう。

 左手の薬指で輝くもの(婚約指輪)と同じように。




オリキャラの顔見せ的な作品。
ちょっと変な現代にいる二人。


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