カムイの刃   作:Natural Wave

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※本作品は双方の作品の世界観により、残酷な描写が見受けられます。現状R-18、およびR-15タグは外しておりますが、つけた方がよいと判断した場合は改めて付けなおします。


第壱話 不死身の杉元

ゆっくりと、男は草木を掻き分けて日の暮れ始めた山の中を進んでいた。識別章を外した軍服と軍帽を被り、肩から三十年式小銃を掛け、腰にはベルトに括り付けた鞘と銃剣を差している。顔を横切るような大きな横一文字の傷跡。そしてその傷跡に掛るように大きな傷が左の下瞼からと右の頬骨からそれぞれ縦に伸びており、額の左端辺りには銃創の跡まで残っていた。

 

 

「(いた…)」

 

 

男はゆっくりとその場にしゃがみ、肩に掛けていた三十年式小銃を構える。槓桿を操作し、弾丸を薬室に装填する。男が照門と照星を繋いだ先に見据えるのは一頭の鹿。距離は30間程、十分当てられる距離だ。

 

 

「フー…」

 

 

上下の前歯からゆっくりと、漏れるような速度で息を吐きだしていく。ゆっくりと心臓の鼓動が落ち着き、手の揺れが小さくなり、そして、ゆっくりと引き金を引いた。

 

 

「――よし」

 

 

乾いた炸裂音が山に響き渡るよりも早く鉛玉が鹿の心臓を貫き、遅れた銃声がこだまのように山に響いた。

 

 

「少しは上手くなったもんだな俺も」

 

 

男は倒れ伏した鹿に近づくと、腰に差してあった銃剣を引き抜き鹿の首元の頸動脈を器用に裂いて血を抜いていく。その作業は手馴れており、日が暮れるよりも早く男は肉に臭いが残らない為の一通りの処理を終えてしまった。作業を終えて男はもう半刻もすれば闇に飲まれるであろう空を見上げる。このままでは自分が仮住まいにしている小屋に着く前に視界を失ってしまうだろう。

 

 

「……ここで夜を明かすか」

 

 

男はその場でこれ以上の行動を止めて、枯れ木や葉を集め始めた。枯葉、細い枝、太い枝と集めた後、自分で持っていた麻紐を解したものにマッチで火をつけてから上に枯葉と細枝を乗せていく。

 

 

「……」

 

 

パチ…パチン、と枯れ木の燃える音と明かりが周囲を照らし始める。男は傍の木の根元に腰かけて火を見つめながら、解体した鹿の肉を一部切り取ってから銃剣の先に差して火で炙り始めた。肉の焼けるいい匂いが周囲に立ち込め始めると、男は口内に沸いた唾液を飲み込んだ。

 

 

「…新鮮な肉を食えるってのは猟師の特権だよな――熱ッ、アッチ……ホフ…ホフ…美味い…ヒンナだぜ」

 

 

男が炙って火が通った肉を息で冷ましながら頬張っていたのもほんの数口、パキリ、と焚き火を挟んだ奥の暗がりから枝の折れたような音が耳に入った。

 

 

「……」

 

 

男は銃剣の先に刺した炙り肉を口の中に詰め込んでから銃剣を鞘に戻した後、傍の木に立てかけてあった小銃を手に取り槓桿を操作し排莢した後に装填して構えた。

 

 

「……誰だ?」

 

 

男の問いかけに反応する声は無く、男が無言で暗がりを見つめる時間が数秒間程経った後、またパキリ、パキリと枝を踏み折る音が響く。

 

 

「(規則正しい足音…動物じゃないな…人間で間違いないか…)」

 

 

「肉…」

 

 

闇から聞こえた声から男は闇の先にいるのは人間の男であると理解し、更に火に照らされた暗がりから見えた草鞋と足袋に袴と羽織と視線を上げて首をかしげた。出てきた羽織の男はそれこそ町商人とでも言うかのような恰好で、あれ程の軽装でこの険しい山の中を進むなんて理解が出来なかったからだ。

 

 

「……悪いがこの鹿は俺が撃ったんだ。火になら当たらせてやるけど、鹿を食いたいなら金か相応の物を払ってくれ」

 

 

「肉…血…」

 

 

「……いや、だから俺がこの鹿撃ったの。食べたいなら金払ってって」

 

 

「肉…」

 

 

「(……参ったな…呆けてるのか?にしては若いし)」

 

 

男がどうしたものかと視線を羽織の男から逸らした瞬間、羽織の男は一足跳びに焚き火を飛び越えて男に飛び掛かった。男が咄嗟に小銃を羽織の男に向けるも、既に羽織の男は小銃の銃口よりも内に飛び込んできて小銃を力任せに払った。バチン!と熊にでも払われたかのような力で小銃が弾かれて男の手から飛んでガチャンと地面を跳ねる。

 

 

「なっ――」

 

 

「ニクゥゥゥゥ!!」

 

 

どこにそんな力がと男が思ったのも束の間、羽織の男の両手が男の両手にかかり首を絞めた瞬間――

 

 

 

男は羽織の男を敵と認識した。

 

 

 

 

「――」

 

 

 

シュル、と鞘から銃剣を引き抜いた男は何の迷いもなく羽織の男の喉に銃剣を突き刺す。

 

 

「ゴボッッ」

 

 

「――」

 

 

突き刺した喉と口元から空気と血が漏れて両の手の力が緩んだ瞬間、一度息を吸い込んだ男はドドドっと心臓、肺、肝臓の位置を寸分の狂いもなく突き刺す。そして完全に両手が離れてよろけた羽織の男の腹を思い切り蹴り飛ばした。

 

 

「ったく――何だコイツ」

 

 

男は銃剣を握ったままピクピクと痙攣をする羽織の男から視線を外すことなく少し離れた位置に落ちた小銃を拾い上げて調子を確かめる。

 

 

「よし…壊れちゃいないか…む?」

 

 

問題なく操作ができるのに安心した男だったが、再び動き出した羽織の男を見て小銃を向けた。

 

 

「おいおいどうなってんだ?…喉刺した時点で頸椎は断ってるんだぞ。心臓も刺したからもう死んでるはずなんだが…」

 

 

立ち上がった男に小銃を向けたまま男は考えたが、羽織の男が再び跳んだ瞬間またも迷いなく引き金を引いた。弾丸は羽織の男の眉間に命中し、羽織の男の背後の木と茂みに脳漿を散らした。

 

 

「っと…」

 

 

力を失ったままこちらに飛んできた羽織の男を避けた男は今度こそと小銃を下ろして男を眺める。

 

 

「…このまま放置して野犬なんかの餌にしてもいいが、それはかわいそうだしなぁ」

 

 

頭を撃って置きながらもそんなことを考えた男は、羽織の男に近づく。しかし再び羽織の男の目が開かれたのを見て、男は心底驚いた。

 

 

「嘘っ――」

 

 

跳ね起きた羽織の男が飛び掛かって来るのを、小銃で受け止めた男はやはりその力に驚く。

 

 

「(この力っ!熊かコイツ!?それになんで脳吹っ飛ばされて生きてんだよ!!)」

 

 

そう考えたこの男もまた頭を撃たれたことがあるものの、彼は眉間を撃たれたわけではなく頭部を掠めるようにして撃たれたため脳の一部が欠けるだけで奇跡的に一命を取り留めた経験がある。しかし目の前の羽織の男は間違いなく眉間を射抜かれたはずだった。だが既に赤く縦に裂けたような両目の間の眉間に傷跡は見当たらなく、どういうことか訳が分からずに男は混乱した。

 

 

「くっ…」

 

 

ギリギリと拮抗する力に押され始めた男が羽織の男を引き込むようにして勢いのまま銃床で羽織の男のこめかみを殴りつける。パキッ、と薄いこめかみの骨が折れる手ごたえを感じながらもやはり羽織の男は一度たたらを踏んだだけで再び飛び掛かって来る。

 

 

 

「クソっ」

 

 

再び小銃で受け止めた男は肩や横腹に羽織の男の爪が食い込むのを感じながら、涎を垂らした大きな口が首元に伸びない様に抑え続ける。どうするかと男が考えたのと同時に、男の耳にまた一つパキリ、と枝の折れる音がした。

 

 

 

「シッ――」

 

 

 

続く、ヒュン、という何かが空を切る音が聞こえたと男が気づいた瞬間、羽織の男の首がポロリと落ちて男の足元を転がった。

 

 

「……は?」

 

 

ガクリ、と羽織の男の力が緩むのと同時に羽織の男の胴体を蹴って突き放すと、これまた力なく胴体はドサリと倒れ込む。

 

 

 

 

「大丈夫ですか?」

 

 

 

 

「あ…あぁ…」

 

 

恐らく自分は助けられたのだろう。そう考えた男だったが、助けてくれた人物を見て瞠目した。自分もあまり上背の高い方ではないが、そんな自分よりもさらに低く、それも年若い青年…若しくは少年というような若さの正しく子供と言うにふさわしい人物だったからだ。

 

 

「銃声がしたので向かって来てよかったです。コイツ等は銃では死にませんので」

 

 

少年は握っていた刀を振って血を飛ばし、鞘に戻すと男に歩み寄る。

 

 

「銃で死なない?」

 

 

「えぇ、彼らは日の光か僕たちの持つこの特殊な鉄で打たれた刀で頚を断たない限り殺すことはできません。……ほら」

 

 

そう言われて少年が指を差す倒れた羽織の男の胴体や首を見れば、ボロボロと燃え尽きた炭を突き崩すかのように崩れて消えて行っている。そもそも生き物が死んだとしても、あんな風に崩れていくことはあり得ない。

 

 

「ありゃ…何なんだ?」

 

 

「あれは鬼です。先の方法で殺さない限りは斬ろうが撃とうが頭を潰そうが再生してしまうんです」

 

 

脳内に虎柄の腰巻を巻いた赤い鬼が想起された。しかし自分が先ほど襲われた男はそんな姿とはかけ離れた存在だった。近しい所があるとすれば、人間離れした赤い目と熊のような剛力だろうか。それどころか更に再生すると来た。だから眉間の傷も、刺した傷も無かったかのように襲い掛かってきたのかと男は納得した。

 

 

「鬼は人を襲って喰らいます。おそらくあなたの着けたこの焚き火に寄せられてきたのでしょう」

 

 

「…肉とか血とか言ってたのは鹿じゃなくて俺の事だったのか。成程な。助かった、ありがとう」

 

 

「当然の事をしたまでです。それが僕たち鬼殺隊の責務ですから」

 

 

「俺は杉元佐一(すぎもとさいち)だ」

 

 

男…杉元の伸ばした手を少年は握って笑う。

 

 

「僕の名前は――」

 

 

少年が二の句を継ごうとした瞬間、突然視界の端で倒れた羽織の男の胴が弾けた。少年の右手がギクリと強張った瞬間、胴から飛び出した何かが少年へと迫る。

 

 

「しまっ――」

 

 

羽織の男から飛び出した子供の頭部を思わせるかのような小さな頭。しかしその顔は老人のように皺くちゃで、首にそのまま両の手のひらがくっついているかのような見た目だ。鬼は指を昆虫の足のように器用に動かし、少年の首元目掛けて跳びあがった。少年が刀を抜くはずの右手は杉元と握手をしていた為に咄嗟に動かせず、杉元もまた余っていた左手で腰に差した銃剣を引き抜こうとしたが時すでに遅く、小さな頭の鬼は少年の喉元に食らいついた。

 

 

「ブフッ――」

 

 

少年が血を吐いた瞬間、杉元が銃剣を鬼のこめかみに突き刺そうとしたが、鬼は少年の首を蹴るようにして喉の肉を引き千切りながら飛び退いた。

 

 

「おい!!」

 

 

鬼が飛び退いた衝撃で頸動脈が裂け血飛沫が首から噴き出す少年を抱きとめた杉元は、血が噴き出しつづける少年の首元を強く押さえながら少年の顔を見る。少年は口をぱくぱくと動かしながら、震える手で腰の刀を指さした。

 

 

「何なんだよ全くよォ…それなりに力のある奴に憑りついてたってのに、邪魔しやがってよォ。まァ、鬼殺隊士をやれりゃァ十分かァ…?」

 

 

杉元が少年の瞳を覗き込み、光が消えていったのを見届けたのと時を同じくして小さな頭の鬼は杉元を見た。杉元は少年を抱いたまま鬼に背を向けている。

 

 

「(…まァ、次のに憑りつくまでの栄養補給でもするかァ)」

 

 

小さな頭の鬼が大口を開けて杉元に飛び掛かった瞬間、杉元は鬼の方へと振り返った。

 

 

「ッ――」

 

 

 

その形相たるや、鬼であるはずのこの小さな頭の鬼ですら飛び掛かった事を一瞬後悔するほどであった。しかし、杉元の手に握られていたのは恐れていた日輪刀ではなくただの銃剣。

 

 

 

「馬鹿めッ―」

 

 

鬼殺隊の持つ特殊な鉄で打たれた日輪刀か日光でない限り鬼は殺せない。そのことを理解している鬼は己が殺される心配はない、そう考えてそのまま飛び掛かった。

 

 

 

「オオオォォォォオオオ!!!」

 

 

 

杉元の腹の底から出てくる羆とも思わせるような大きな怒声。それは飛び掛かった鬼の頬を震わせるほどに、山へと響き渡った。

 

 

「ヒッ――」

 

 

ガスン!と大口を開けた鬼の口の中に銃剣を突き込んだ杉元は、そのまま地面へと銃剣ごと鬼を打ち付ける。

 

 

「ガッ…ゴエッ…!!」

 

 

口と地面を銃剣で縫い付けられるように刺された鬼は指のように細い足では己の身体を引き抜くことが出来ず、その場でもがく事しか出来なくなった。

 

 

 

 

 

「お前に楽な死なんてやらん」

 

 

 

 

 

そういって杉元は少年の身体を木の根元の傍に横たわらせると、落とした小銃を拾い上げて鬼に近づく。

 

 

「ギギッ…!!」

 

 

未だに身体に刺さった銃剣を地面から抜こうとする鬼を見下ろし、杉元は小銃を振り上げる。

 

 

 

「フンッッ!!」

 

 

 

ガゴン!!と渾身の力で振り下ろされた銃床が鬼の顔面に叩きこまれ、グシャリ、と鬼の鼻が潰れて上の前歯が折れた。

 

 

「ブェッ!!」

 

 

「…」

 

 

千切れたらまた逃げられるかもしれないと考えた杉元は打ち付けた場所の更に上、額の辺りに狙いを付けて再び銃床を叩き付ける。ゴキャッ!と頭蓋骨にヒビが入る音が周囲に響き、二度目で鬼の頭が割れて脳漿が漏れ出し、三度目で脳が地面に飛び散った。

 

 

「…気持ち悪ぃな」

 

 

砕けた頭蓋や脳が少しずつくっつきながら再生するのを見下ろして、再び同じ個所を潰す杉元。

 

 

 

 

 

「このまま死ぬまで潰してやる」

 

 

 

 

 

闇に覆われた山の中で、銃床を鬼に打ち付ける音が響き渡り続けた。

 

 

 

 

 

*

 

 

 

 

「お!おい!!どうした!!」

 

 

杉元が少年の身体を背負い、町に降りたのは朝日が昇って鬼が消滅した後だった。杉元は日が暮れて直ぐに鬼と会って共に戦った少年が死んでから、実に半日近く鬼の頭を潰し続けていた。肩と横腹の傷は度重なる衝撃に耐えられず裂けて広がり、小銃を握り続けた両の手のひらは皮が剥けて血が垂れている。

 

 

「血だらけじゃねぇか!それに、その子は…死、死んでるのか…?」

 

 

「……野犬に…やられた」

 

 

杉元がそう言うと、杉元に近づいた町民は少年の喉や血だらけの杉元を見て納得したかのように頷いた。

 

 

「そうか…大変だったな。来てくれ、近くに医者がいる。見たらアンタも酷い怪我だ。治療してもらおう」

 

 

杉元と少年を遠巻きに見つめながら少年を見て息をのむ女。警官を呼びに行った男などで朝の町は一変して慌ただしくなった。少年の身体を杉元が背負い、藤の紋の入った看板を掲げていた診療所の町医者の下へ行ったとき、町医者は二人を見て目を見開いた。訳を聞くことも無くそのまま二人を奥に案内した医者は少年の身体を杉元に寝かせるように指示をした。杉元が少年をベッドの上に横たわらせるのを見届けると、町医者は少年を寝かせた杉元を別室に案内し杉元の出血個所を確かめる。

 

 

「……肩と、横腹、それに両手だね」

 

 

血を拭き裂けた傷口に適切な治療を施した医者は杉元の両手や肩、横腹に包帯を巻いていく。一通りの治療が終わった後、通報を受けた警官が診療所を訪れた。杉元に事情を聴きたいという事だった。杉元が鬼の事などを隠しながら嘘をついて一通り説明を終えた後、警官は手帳にそれらの事を書き記し終えて手帳を閉じた。

 

 

「…成程、つまり貴方は狩りをしていた所叫び声を聞いたと」

 

 

「あぁ、そんで声のした方に行ったらその子が死んでたんだ。近くに犬がいた、デカい奴だ。それを銃で撃って追っ払った」

 

 

「見てもよろしいですか?」

 

 

「好きにしなよ」

 

 

警官は杉元の傍の壁に立てかけられていた血がべったりと着いた銃を手ぬぐいを掛けてから持ち、槓桿を引いて空の薬きょうを確認する。杉元と銃を交互に見た警官は頷いた後、手ぬぐいを畳んで杉元と町医者に敬礼をした。

 

 

「分かりました。では本官はこれで、上に報告しないといけませんので」

 

 

「えぇ、えぇ、お勤めご苦労様です」

 

 

町医者は警官に頭を下げると、警官を見送った後に杉元の下に戻って来た。

 

 

「大変でしたね…」

 

 

「あぁ…まぁな…熊やら鹿やら色々撃ってきたが、あそこまででかい野犬は見た事が――」

 

 

「いえ、嘘を吐く必要は無いですよ」

 

 

ピタリ、と杉元の動きが止まる。杉元は一瞬、壁に掛けてある小銃を見た。それを見た町医者は両手を上げて杉元に敵意がないことを示した。

 

 

「恐ろしい人だ。今の私の言葉で直ぐに私を殺す算段を付けてしまっている。安心してください。私はあの少年の味方です」

 

 

杉元は表情を殺し、射殺すような視線で町医者を見る。

 

 

「証拠がない」

 

 

「敵だったなら、あの子が野犬に襲われていないことを話してますよ。噛み跡が犬の物とは違う。犬はもっと深く奥まっている。それに、胴にも腕にも飛びつかれた時の防御創がありませんでしたしね」

 

 

そう話す町医者を見て、杉元は観念したかのように頷いた。

 

 

「……成程ね。あんたも鬼ってのを知ってるのか」

 

 

「えぇ。看板を見ましたか?」

 

 

杉元は視線を上にあげて少年を背負ってこの診療所に来た時のことを思い返す。確かに藤の紋の入った看板が有った。

 

 

「…あぁ。町医者の看板にしちゃ随分豪華だと思ったよ」

 

 

「藤の紋が入っていたでしょう」

 

 

「入ってたな」

 

 

「あの紋が入っている家は、過去にあの子のような鬼殺隊……あぁ、鬼殺隊とは鬼を殺す人たちです……その彼等に助けられた家なのです。なので、恩に報いる為に彼等が訪ねた時は可能な限りのもてなしをするのですよ」

 

 

恩返しの為か、そう考えて杉元は再び町医者を見る。

 

 

「あんたも昔襲われたのか?」

 

 

「えぇ、父がこの町の医者を務めていた時でした。鬼は人の血の匂いに惹かれるのです。わかるでしょう?診療所なんて患者が血を流しているのなんて当たり前、嫌でも惹かれるというもの。当然患者や父は襲われました。その時襲われた患者の一人が、先ほど来られた警官さんのお父様ですよ。そして町に鬼を探しに来ていた鬼殺隊の方が助けて下さったのです」

 

 

そう考えれば自分たちが来た時も町医者の彼は訳を聞くことも無く、警官も血だらけの杉元を見ても警戒することも無く礼儀正しかった事を思い出した。

 

 

「……そうなのか」

 

 

「えぇ。まともな警官が少年の身体と貴方の話を聞けば、嘘であるなんてすぐに分かります。それでも貴方の言葉を信じたのは、貴方が化け物を見たなんて言っても信じないだろうと考えているのを見抜いていたからです」

 

 

そう言われて杉元はため息を吐いた。

 

 

「全く、俺の気苦労を返してくれよ…」

 

 

「ふふふ」

 

 

そう言って笑った町医者を見て、杉元はふと疑問に思った。確かに、この町医者は鬼殺隊とやらの庇護下にあるのだろうが、それでも過去に一度だけ襲われただけなのだろうか?鬼が血の匂いに惹かれるというのなら、もっと襲われることもあるんじゃないか?それとも鬼殺隊とやらが警邏でもしているのだろうか?そう考えて周囲を見渡す杉元を見て町医者は微笑んだ。

 

 

「もし、なぜもっと襲われてないのか疑問に思われたのなら、それは藤のお香のおかげですよ」

 

 

「藤のお香?」

 

 

「えぇ。藤の紋は鬼が藤の花の香りをひどく嫌うことから付けられたのです。なのでこの診療所では絶えず藤のお香を焚ています」

 

 

そう言われて杉元はクン、と一度鼻から香りを嗅ぐ、確かに微かだが何かの香りがする。これが藤の花の香なのだろう、そう考えた杉元は納得したように頷いた。

 

 

「成程なぁ」

 

 

町医者は一度立ち上がると、時計を確認して戸を開ける。

 

 

「さて、夕方頃までには(かくし)の方がいらっしゃいます。それまではゆっくりなさって下さい。もうすぐ午前の診療が始まりますから」

 

 

「カクシ?」

 

 

聞きなれない言葉に首をかしげると、町医者は適当な紙に隠という字を書く。

 

 

「隠……というのは、彼等鬼殺隊の中で戦闘の後の後処理をする部隊です。刀を持ち前線に立つあの少年のような剣技に恵まれなかったため、戦うのではなく支えるという形で鬼殺隊となった方達です」

 

 

確かに、あんな殺し合いが頻繁に起こってるんだったら鬼殺隊とやらはもっと露見してる筈だしそういう部隊もいるんだろう。

 

 

「ふぅーん」

 

 

「隠の方が来たら貴方の目の前で起こった事を包み隠さず話してください。それまでは個室でお過ごしください、貴方も患者さんの一人ですのでね。何か食べるものと飲むものをお持ちしますね」

 

 

「あぁ、こりゃ有難い。恩に着るよ」

 

 

グゥゥ…と忘れていたかのように腹が鳴った杉元を見て町医者は微笑んで診療室を後にした。最後に食べた食事はあの鬼を殺す前に食べた少しの鹿肉だけだった。それ以降ずっとあの鬼を殺し続けていたのだ。少し食べさせてもらってからひと眠りさせてもらおう。こんな経験はあの争奪戦以降無いと思ってたんだがな。そう考えた杉元は診療室を出て、少年を寝かせた部屋へと向かう。戸を開けると、その体を横たえた少年がいた。目を閉じ、喉の傷さえなければ本当に眠っているかのような顔だった。

 

 

「名前…聞けなかったな…」

 

 

こんな子供が鬼と戦い続け、人を救うために文字通り己の命を賭して尽力している。それを考えると杉元は悔しさがこみあげてきたのを感じた。本来ならそれは子供ではなく、自分のような大人の仕事。助けられなかった悔しさと、助けられた感謝の念。

 

 

「……助かりました。ありがとうございました」

 

 

杉元は少年の持っていた刀を見て手に取ると、腰に差した銃剣を引き抜いて柄と鞘にそれぞれ小さな傷を付けた。これは杉元がアシリパという友であり、家族であり、恩人でもある一人の少女に教えられた行動であった。故人の持ち物に傷を付けるというアイヌの行動は故人の持ち物の現世での役目を終わらせ、持ち物の魂を故人の許へと送りあの世でも使うことが出来るようにするためだという。

少年の身体の傍に刀を置き、帽子を取って頭を下げた杉元。その後ろ姿を握り飯と漬物の乗った皿、お茶の入った湯飲みを盆に乗せたままの町医者は何を言うでもなく沈痛な面持ちで眺めていた。

 

 

 




鬼滅の刃のアニメと一気読みした漫画の熱に当てられて衝動的に書いてしまいました。一応メインはヒロアカの方なので、メインを何話か書いてからこちらを一話投稿するくらいのペースで掛けたらいいなぁと思っています。


なので、更新ペースはかなり遅めになってしまう為気長にお待ちください。


追記:重大なミスを指摘され、修正しました。まさかの主人公「杉元佐一」の「元」の字を「本」と書くミス。これはストゥ案件。

指摘して下さった方ありがとうございます。

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