カムイの刃   作:Natural Wave

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第陸話 那田蜘蛛山

「ここかぁ……」

 

 

地図の通りに那田蜘蛛山へと到着した杉元。那田蜘蛛山では、ざわざわと木の葉がすれて鳴る音のみが周囲に響いている。

 

 

「幽霊でも出そうな山だな。まぁ鬼は出るんだけども……」

 

 

溜息を吐きながらざくざくと藪を掻き分けて道を進む杉元であったが、いつの間にか袖に付いていた白い小さな蜘蛛を見て顔をしかめた。

 

 

「やだぁ蜘蛛気持ち悪~い」

 

 

杉元がペシンと蜘蛛を指で弾き飛ばすと、蜘蛛はポトリと地面に落ちて再びカサカサと地面を這いまわった。それとなくその蜘蛛を視線で追っていた杉元だったが、蜘蛛が入っていった茂みの葉や傍の木の幹、枝葉の先にまで同じ小さな蜘蛛がざわざわと這っている事に気づきギクリと動きを止めた。

 

 

「多っ!気持ち悪!」

 

 

ぞわぞわと全身の肌が粟立った感覚に襲われた杉元が腕を擦った瞬間、視界の端で何かがキラリと反射したのを杉元は見た。

 

 

「ん?何だ?」

 

 

杉元が目を凝らすと、それは糸であることがわかった。髪の毛よりも細いだろう糸が、森の奥から自分の袖口に繋がっていたのだ。杉元が糸に触れようとしたその瞬間、グン!と強い力で腕が引かれたために杉元の体勢が大きく崩れた。

 

 

「え!?――わっ――ちょ――待っ――」

 

 

グングンと力強く引かれる糸。杉元が訳も分からず引かれる力に抗おうと踏ん張ろうとした瞬間、足までもが己の意思に反して地面を蹴った。ぎょっとして足を見れば、やはり細い糸が森の奥から足に繋がっている。そして気付けば糸は全身の節々に繋がっており、杉元の意思に反して全身が動き出して駆け足の形で走り出す。

 

 

「な――何これ怖い怖い怖い!!いやあああぁぁぁ!!(無駄に綺麗な高音)」

 

 

情けない声を上げながら、杉元は前のめりに山の中を駆けだしていた。

 

 

*

 

 

杉元が山の中を駆けだした頃。炭治郎と伊之助は先に那田蜘蛛山に入って壊滅した鬼殺隊の部隊の生き残りである村田と合流して鬼の糸で操られた隊士達と刃を交えていた。隊士達の攻撃は本来の人間の関節の可動域を無視した剣筋となっており力は弱くとも不覚を取ればこちらが殺されかねない状況になっている。

 

 

「おいどうすんだ権三郎!!」

 

 

「待って今考えてるから!!」

 

 

糸を切ればこの隊士達を止めることが出来るという事はわかっている。しかしこの隊士達を操っている糸を切ったとしてもまた周囲を蠢く蜘蛛の中の一匹が隊士達の身体に糸を繋いでしまう。切っては繋がれ、切っては繋がれの繰り返しとなっていた。その為に時間が掛かれば掛かるほど体力に限界のある炭治郎たちの方が先に限界を迎える。逸る伊之助の言葉もあり、炭治郎の中に焦りが生まれていた。

 

 

「お前ら!先に行け!!」

 

 

「村田さん!?」

 

 

しかし、共に操られている隊士達と刃を交えていた村田が炭治郎と伊之助に向かって声を上げた。

 

 

「糸を切るだけなら俺でもできる!時間稼ぎにしかならないと思うけど!君達が鬼を見つけて切ってくれ!!」

 

 

「でも一人じゃ危険です!!」

 

 

「そうだぞ弱味噌!お前まで操られたら終いだろうが!!」

 

 

伊之助の言葉に青筋を立てながらも、村田は隊士の刃を払い背中に繋がっていた糸を断った。

 

 

「お前本当にいい加減にしろクソ猪!!でも大丈夫だ!経験だけは無駄にあるから!!」

 

 

「誰がクソ猪だテメェ!!」

 

 

「わかりました!!行こう伊之助!!臭いが酷くて俺じゃ鬼の場所が分からない!!伊之助は鬼の場所が分かるか!?」

 

 

村田に向かって騒ぐ伊之助を止めて炭治郎は森の中を駆けだした。伊之助も時間を掛けるわけにはいかないことを理解しているため炭治郎の後を追う。炭治郎は走りながらも鬼の位置を嗅ごうとしたが、どこからか漂う酷い刺激臭で嗅ぎ分けることが出来ず鬼の居場所を突き止めることが出来なかった。

 

 

「うっせえな!!今やっから待ってろ!!」

 

 

伊之助は双刀を地面に突き立てると、その場でしゃがみ込んで両の腕を大きく広げた。

 

 

 

獣の呼吸・漆ノ型 空間識覚

 

 

 

呼吸を用いて鋭敏になった伊之助の肌が周囲の空気の揺らぎを感じ取った。確かにこの先に一体の鬼がいる。しかし――

 

 

「このまま真っ直ぐだ。だが――」

 

 

伊之助が地面から突き立てた刀を引き抜くと同時にガサリ、と藪の中から刀を持った血だらけの女の隊士が姿を現す。その手には斬殺したであろう別の隊士の身体を掴み引き摺っていた。

 

 

「お願い……私から離れて……貴方達を殺してしまう!!離れて!!」

 

 

ボロボロと涙を溢し、女は請うように炭治郎達に叫んだ。そして、一人、また一人と操られているであろう隊士達が姿を現す。現れた隊士達は皆手足が折れ曲がり、苦悶の表情を浮かべている。その姿からは手足が折れていようがなかろうが無理やり糸で立たされ、動かされているのだと簡単に理解が出来た。

 

 

「殺してくれ……折れた骨が…内臓に刺さってる…もう長くない…頼む…痛いんだ…痛くて痛くて……」

 

 

「頼む…頼む…」

 

 

隊士達の言葉にぞわりと炭治郎の肌が泡立った。

 

 

「よぉし分かった!!今楽にしてやる!!」

 

 

「――駄目だ伊之助!!」

 

 

隊士達のその言葉を聞くや否や伊之助は刀を振り上げて隊士達に向かっていく。しかし炭治郎はその肩を押さえ、伊之助に振り上げられた刃を受け止めた。

 

 

「な――!!なんっっっでだよ!!その女の奴ならともかくこいつらはもう助かんねぇぞ!!」

 

 

伊之助は止められたことに苛立ちつつも、炭治郎の背後に迫った女の隊士の刃を受け止めた。ギチギチと擦れる刃。押し込まれる刃の力強さは目の前にいる女隊士の身の丈には合わない程であった。

 

 

「でも!!」

 

 

でもじゃねぇ!!こいつらを殺らなきゃ俺らが殺られる!!さっきの奴らとは強さが段違いだぞコイツら!!」

 

 

「今!!考えるから待ってくれ!!」

 

 

少なくとも、殺してくれと請われた経験など炭治郎にはない。これが鬼であったのなら、躊躇は無かった。しかし相手は人間で、同じ鬼殺隊士。この時炭治郎の脳裏はどうすれば彼らが助かるかという思考が埋め尽くしていた。

 

 

 

その時。

 

 

 

「いやぁぁぁあああああああああああああああああああああ!!(無駄に綺麗な高音)」

 

 

 

と、情けない叫び声を上げながら藪の奥から杉元が走ってきているのが炭治郎の視界に映った。

 

 

「す――杉元さん!!」

 

 

「おっさん!!」

 

 

「ちょ――止めて炭治郎――あ!待った避けろ!!」

 

 

「うわっ!!」

 

 

杉元は炭治郎達に合流出来た事を喜ぶ間もないまま己の身体を止めるように頼んだ。しかし、次の瞬間には己の腕が銃剣を引き抜いたことに驚き慌てて避けるように叫ぶ。それに驚いた炭治郎であったが、勢いのまま突き出された銃剣を間一髪で避けて杉元から距離を取ることに成功した。

 

 

「すまん!身体が言う事を聞かん!!」

 

 

「――糸です!!鬼の操る糸が身体に付くと、操られてしまいます!!今から杉元さんの糸を切ります!伊之助!!」

 

 

炭治郎の言葉に伊之助は歯を鳴らして叫んだ。

 

 

「アホか!!獲物の長いこいつら先にどうにかしねぇと無理だ!!」

 

 

「でも杉元さんを助ければこの人たちも!!」

 

 

その言葉を聞き伊之助はザクン!と苛立ちを現すかのように木を切り倒した。

 

 

「いい加減にしろ石頭!!一番いいのはここでこいつら切り刻んで!そっからおっさんを助けて一緒に鬼を斬りに行くことだろ!!――逆じゃねぇ!!そんなことしたら隙突かれて背中斬られんぞ!!」

 

 

「……!!」

 

 

炭治郎も頭では理解できている。伊之助の言う獲物の長さ、つまり刀身の長さはそのまま脅威となる。これを当てはめれば銃剣を振るう杉元と、倍以上の刃渡りの日輪刀を持つ鬼殺隊士達とでは糸で操られている杉元の身体能力が加味されない以上操る鬼の技量が同じならどちらの対処が難しいのか明白だった。

 

 

 

 

「炭治郎!俺の糸斬れるか!?」

 

 

 

 

杉元は状況を理解したのか、炭治郎の揺れる瞳を見据えた。だが炭治郎は女性の剣を捌くのに必死で杉元の糸を切りに行くのは難しいのが見て取れる。

 

 

「この女性(ひと)を押さえるので精一杯です!」

 

 

「わかった!伊之助!こっちに来てくれ!」

 

 

「なんでだよ!!隙突かれるって言ったろ!」

 

 

「いいから来いって!!」

 

 

「だああああっ!!こなくそ!!」

 

 

いらつきから刀の柄で頭をガンガンと叩きながらも伊之助が杉元に向かって走り出すと、操られた隊士達も伊之助を追って走り出した。

 

 

「おっさん!行くぞ!!」

 

 

「そのまま右手の糸を斬れ!大丈夫だ!!」

 

 

「くっ――うぉぉぉらぁ!!」

 

 

迫る伊之助に向かい、銃剣を横薙ぎに振るう杉元の身体。伊之助は身体を思い切り捻りながら銃剣を掻い潜ると杉元が銃剣を持つ右手の糸を断ち切った。

 

 

「っしゃぁ!!」

 

 

「よし」

 

 

右手が自由になった杉元はそのまま左手と両足の糸を銃剣で断ち切り、伊之助を己の背後に引き倒すと迫る隊士二人の刃を短い銃剣で受けた。

 

 

「っ!!」

 

 

銃剣で防げた刀は一本。もう一本は腕で押さえたものの、両手の力と振り下ろされる勢いに押され、肩に刃が食い込み血が溢れ出す。すぐさま体勢を立て直した伊之助が隊士達の背後の糸を切り捨て、炭治郎が抑え続けている女の背の糸を切った。

 

 

「杉元さん!大丈夫ですか!?」

 

 

「こんくらい大丈夫だ。それよりもそいつらは大丈夫なのか」

 

 

炭治郎が心配そうに杉元の肩を見るも、杉元はケロリとした顔で糸を切られた隊士達へと視線を向けた。

 

 

「はい!後は蜘蛛が繋げようとする糸に気を付ければ大丈夫です!」

 

 

「何?蜘蛛?」

 

 

杉元の脳裏に過る、山に入った際に己の腕に取り付いていた蜘蛛の姿。杉元が周囲を見渡すと、確かにあの小さな白い蜘蛛が隊士達の()に再び取り付き、キラリと光る糸を繋いだのが見えた。

 

 

 

「――」

 

 

 

ほぼ無意識に近い感覚で、杉元は銃剣を女の首に繋がった糸へと投げた。

 

 

「何を…」

 

 

「やべっ!!」

 

 

杉元が銃剣を投げ、プツッ、と女の首に繋がった糸が切れるまでの一瞬の出来事。杉元の銃剣を目で追った炭治郎と伊之助であったが、その行動の意味を理解した瞬間残った隊士達の首に繋がる糸へと刀を振るった。

 

 

 

 

「くっそっっ!!」

 

 

 

 

「っっしゃぁおらぁ!!!!」

 

 

 

 

二人の隊士に繋がった糸を切る事が間に合ったのは伊之助だけであった。炭治郎の目の前で、ゴギッ、と糸を切る事の出来なかった隊士の首が折られ、目の前で一つの命が奪われた。言葉を失い、隊士の身体の前で膝をついた炭治郎へ杉元が近づく。

 

 

「炭治郎……気にするな。元々もう助からなかったんだ。遅いか早いかだ」

 

 

杉元は炭治郎の肩に手を置いた後、投げた銃剣を鞘に戻して生き残った二人の隊士の下へ向かった。

 

 

「伊之助、どうだ?」

 

 

「首は守れたけどこいつは長くないぜ。死にかけだ」

 

 

伊之助が見下ろす隊士は、先ほど殺してほしいと炭治郎に請うた隊士であった。隊士の呼吸は浅く、そして回数も極端に減っている。戦場で死に行く人間たちと全く同じ、見飽きるほどに見た光景。杉元の目から見てももう長くはないのは明白だ。

 

 

「殺して…くれ…もう…痛い…のは…いや…だ…」

 

 

「仕方ねぇな」

 

 

伊之助は立ち上がり刀を振り上げた。しかし、杉元はその手を押さえると、隊士の傍にしゃがみ込んだ。

 

 

「いいよ。俺がやろう。伊之助は周りを見張っててくれ。……おい、名前、言えるか?」

 

 

「……?」

 

 

隊士の目を見つめながら、杉元は手探りで銃剣を鞘から引き抜いた。

 

 

「名前だ。名前はなんだ?」

 

 

「……賢…一…」

 

 

「そうか、賢一か。賢一、ゆっくりと呼吸をしろ」

 

 

ヒュ、ヒュ、と息が漏れるような呼吸しか出来ない賢一であったが、杉元は少しだけ上下する胸に手のひらを乗せ、肋骨の位置を探る。

 

 

「それでいい…」

 

 

杉元は銃剣の角度と位置を定めると――

 

 

 

 

「よく頑張った」

 

 

 

 

賢一の心臓目掛けて刃を刺し込んだ。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

溜息を吐くように、漏れていく賢一の息。そして続く数秒の沈黙。杉元は賢一の目から光が消えた事を確認して、目を閉じさせると銃剣をゆっくりと引き抜いて立ち上がった。

 

 

 

「よし、後はあっちの女の子の方だな」

 

 

 

一仕事終えたような気楽さで銃剣を拭って鞘に戻した杉元。何かの命を奪った経験は伊之助だってある。だが杉元のいつも通りの表情を見て伊之助はざわりと何かが肌の上を奔ったような感覚に襲われた。杉元はそのまま木に背を預けて地面を見つめ続けている女の隊士に近づいてしゃがみ込む。

 

 

「体は大丈夫かい?」

 

 

「……私……」

 

 

「何も言わなくていい。もうすぐしのぶ――柱と隠が来るみたいだ」

 

 

杉元の言葉を聞き、ガタガタと身体を震わせて女は蹲った。

 

 

 

「あ……あぁ……!!あああああああああああああ!!!」

 

 

 

突然叫び出し、這いつくばりながら落ちた刀に向けて折れた手を伸ばした女。杉元は女が何をしようとしたのかを察してその手を押さえた。

 

 

「死なせて!!死なせてよぉ!!殺してぇ!!」

 

 

「ったく」

 

 

混乱した女を今すぐどうにかする手段も時間も無い事を理解している杉元はそのまま女の背後へと回ると腕を女の首に回して締め上げた。折れた腕で強く足掻くことも出来ずに、締め上げられていく女の首。

 

 

「カッ―グッ――ッ――!!」

 

 

数秒で女の身体は力を失い、ぐったりと地面に倒れ込んだ。伊之助は興味深そうに意識を失った女の顔を眺める。

 

 

「殺したのか?」

 

 

「ちげぇよ…失神させただけだ。このまま暴れられて自殺なりされても困るだろ」

 

 

杉元の言葉に納得したように伊之助は一度首を掻くと、思い出したように森の奥を指した。

 

 

「じゃぁこいつのお守りは弱味噌にさせようぜ。この先に無事なのがもう一人いるからよ」

 

 

「何?そうなのか?……じゃぁ伊之助はこの人を担いでその無事な人の方に連れて行ってくれるか」

 

 

「嫌だね!!俺は鬼を斬りに行く!」

 

 

ガッシン、と両手を組んできっぱりと否定する伊之助に杉元はむしろ清々しさすら感じた。

 

 

「お前は本当……ったくわかったよ。俺が担いでいくから、お前ら先に行っててくれ」

 

 

「おぉ!」

 

 

杉元が女の隊士を担ぎ、伊之助の指差した方向へと歩き出したのと同時に、伊之助も炭治郎の方へと走り出した。

 

 

 

 

*

 

 

 

「……」

 

 

女の隊士を背負いながら、伊之助の言う生き残りの下へと向かう杉元。しかし、杉元はその足を止めて女の隊士の身体を地面に横たわらせた後肩に担いだ三八式歩兵銃を下ろした。ゆっくりと周囲の木々を見渡した後、一点を見詰めたまま三八式歩兵銃の槓桿を操作し実包を送り込んでその一点に照準を合わせる。

 

 

「フゥー…」

 

 

杉元が引き金を引いて銃口が火を噴くと、視線の先の少し離れた位置の木の枝に引っかかっていた襤褸布が弾丸に貫かれた勢いで弾け飛んだ。襤褸布は地面にバサリと落ちた後、ムクムクと人の形を取る。

 

 

「よく分かったものだ」

 

 

襤褸布の中から漏れる、細かい石が擦れる様な、ざらついた音から成る言葉。杉元は呆れたようにため息を吐きながら槓桿を操作して排莢した。

 

 

「同じ模様、同じ破れ方の襤褸切れが進む度に落っこちてたり引っかかってたら馬鹿でもわかんだろ」

 

 

「ふふふ……ふむ……成程……これはしまったしまった。ついつい()()()()()()()()()と思い興が乗ってしまっていたのだ」

 

 

ざらざらと笑っているのか、不快な音を鳴らす襤褸布を睨みつける杉元。襤褸布を被った影はごそごそと蠢くと、襤褸布を少しだけ捲り上げた。

 

 

「……」

 

 

捲られた襤褸布の裏には、ビッシリと絵が描かれていた。同じ服装の人間が刀を振るってお互いを斬り合っている光景が描かれている。どうやらこの山で起きた出来事を描いていたようだった。

 

 

「どうだ?良く描けているだろう?――あぁこれだ」

 

 

指先で襤褸布に描かれた一人の人間を鬼は指差す。

 

 

「この人間が、先刻(さっき)君が死なせた人間だ」

 

 

描かれた人間は、髪型などからも杉元が先刻心臓に刃を刺し込んで止めをさした賢一によく似ていた。杉元は激昂するでも悲観するでもなく木に肩を預けて鬼を睨む。

 

 

「そうかよ。で、それを見せてどうしたいんだ?」

 

 

「いいや別に。ただ単に見せびらかしたいだけだよ」

 

 

「…」

 

 

ざらざらと笑いながら襤褸布から出た指先を布に滑らせる鬼。表情は布に隠れてうかがえないが、指先の仕草だけで愉悦に浸っている事が見て取れる。

 

 

「見ての通り、私は絵を嗜んでいてね。昔は景色や人間の美ととれるものを描いていた。美しい者たちのありのままの姿だ。美しい女の振り返る姿。逞しい男が働く姿。子の遊ぶ姿。動物たちが生を謳歌する姿。すべてを絵として後世に遺したかった。だが…鬼に成ってから、少し変わってしまってね」

 

 

そう言いながら鬼は襤褸布に這っていた蟲を一匹摘まみ上げた。

 

 

「美しい女は長きにわたって美しいだろう?強い男は長きにわたって強いだろう?子も幼さを長い間残し、動物たちも謳歌を続ける。だが、死は一瞬だ、刹那なのだ」

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そう言いながら鬼は摘まみ上げた蟲を指先で潰し、血の様に紅い体液を()()()()に摺り込んだ。

 

 

「……!!」

 

 

捲られた襤褸布に一際大きく描かれた人間。その顔に当たる部分に擦り潰された蟲の紅い体液が摺り込まれていく。返り血を表現しているのであろう散った紅い色彩。人間の歪んだ輪郭。苦痛を思わせる表情。描かれている人間は女だと杉元は理解した。

 

 

()()()は良かった。一人斬り殺すたびに、整った顔をゆがめていた。舞う血飛沫、女の顔。すべてが完璧だった。惜しむらくは……その女が()()()()()()()()()()()()()()()()()()ことか――おっと!」

 

 

ドン!と杉元の放った弾丸が咄嗟に襤褸布を翻した鬼の胴に当たる部分を撃ち抜いた。しかし襤褸布は崩れ落ちることも無くザラザラと不快な音で笑う。

 

 

「テメェの仕業か」

 

 

杉元が鬼を睨みつけるが、鬼はところどころ変色した指を振るって否定した。

 

 

「危ない危ない…いいや違う。その女を操っていたのはこの山にいる別の鬼だ。先程自ら鬼狩りに首を差し出したようだが……あぁ……あれも美しい光景だった。描けたら君にも見せたいくらいだ……。だが先も言ったが私がここに来たのは()()()()()だ。しかし残念なことにもうこの山には柱が入り込んで来ている。ぐずぐずしていたらすぐにでもこの場に来てもおかしくないから私はここから去るとするよ。良い光景は幾つも見れた」

 

 

杉元その言葉を聞いて眉をひそめた。この鬼は、十二鬼月とやらを助けにきたのではないのだろうか?

 

 

「ここの鬼を助けに来たんじゃないのか」

 

 

「あぁ……。うむ、()()()()()()。下弦だろうが上弦だろうが興味はない。紛い物の家族、紛い物の愛情、幼稚なままごとを見せられて腹こそ立てどなにもそそらない。幼子が丸めた泥団子の方がずっとずっと美しいと思えるだろう」

 

 

随分と詩人な鬼だ、そう杉元は考えながら再び槓桿を操作して空の薬莢を排莢した。

 

 

「逃がすと思うのか?」

 

 

「止めようとするのは勝手だが、徒労になるぞ」

 

 

話は終わりだ、そう言いたげに鬼は襤褸布を翻して杉元に背を向けた。

 

 

 

 

 

「そうでもないですよ?」

 

 

 

 

しかし、滑らかな声色と共にストンと襤褸布の頭部に当たる位置に刃が刺し込まれた。刃を引き抜きながらフワリと降り立った蝶の羽を思わせるような羽織を纏った後ろ姿。杉元があの紋様はしのぶの羽織だと認識した瞬間――

 

 

「――ッ!?」

 

 

パサリ、と襤褸布が地面に崩れた。即座にしのぶは刀を切り上げて襤褸布を捲り――絶句した。捲り上げられた襤褸布の裏側にあったのは、()()()()。バラバラになった人間の皮膚を無数の蟲達が背負い、ウゾウゾと襤褸布に張り付いていたのだ。

 

 

「ッッッ!!!」

 

 

ドッ!とその場を飛び退いたしのぶは、杉元の隣に降り立ち刀を構えた。

 

 

「気持ちの悪い――!!」

 

 

「キモッ――!!…って……あれ?」

 

 

ぞわぞわと体中を奔る悪寒を感じた杉元。だが集まった蟲達の背負う皮膚がモザイク画の如く造形した顔の形をみて杉元の脳内に疑問が湧き上がった。

 

 

「(あれ?…どこかで……?)」

 

 

「ゴボ……毒……か?」

 

 

「――!!」

 

 

杉元が首を傾げたのを他所に、鬼が模した顔面の口に当たる部分からゴボ、ゴボボ、と数多の蟲が溢れ落ちる。落ちた蟲達は少しだけもぞもぞと蠢いた後動かなくなった。その光景が意味するものを理解した瞬間、しのぶの表情が曇る。

 

 

「うむ…少し待ちたまえ」

 

 

地面に落ちた布の影でざわざわと蟲達が脚を絡ませながら首、肩、腕と人体の各所を造形していく。鬼は造り上げられた腕を地面に付いて上半身を起こし、面を杉元達に向けた。蟲の這いまわる顔面の眼窩に蟲が入り込み、眼球を模した塊が杉元達を見据える。しかし位置の定まっていない眼球はそれぞれが明後日の方向を向き、体中の皮膚もそもそも腐り始めているのだろう、ところどころが変色していた。

 

 

「醜悪な……」

 

 

「……んんん?……えーっと……?」

 

 

やはり鬼の顔を見て、どこかが引っかかるものがある杉元を他所に、鬼は立ち上がり、襤褸布で体を覆った。

 

 

「見苦しい物を見せた……早く新しい死体が欲しいのだが…良いものが見つからないと思っていた所だったのだ」

 

 

だが…、と変色した指で鬼はしのぶを指差した。

 

 

「美しい……とても美しい…あぁ…良いなぁ…欲しいなぁ」

 

 

鬼の言葉に対して、無言でしのぶは刀を構える。

 

 

「蟲を操る血鬼術……ですか」

 

 

しのぶの言葉を鬼はざらざらと笑う。

 

 

「そんな小難しいものではない。そもそも『私』はこうなのだ。これは血鬼術でもなんでもない。この小さな虫たちの集まりこそ『私』なのだよ。だから、君の毒では『私』は殺せない。毒に冒された蟲達を切り離せばいいだけなのだから。……しかし……ふむ?となるとこれは好機かな?柱を殺したとなればあのお方にお褒め頂く事も出来る…。十二鬼月に興味はないが…良い評価は欲しいからなぁ…。それに、その体も魅力的だ」

 

 

ギチリ、としのぶの歯が鳴った。

 

 

 

()れるものなら()ってみなさい……!!」

 

 

 

そう言ったしのぶが刀を引き、突きの狙いを鬼に定めた瞬間。

 

 

 

 

「あ!思い出した!!」

 

 

 

 

パン、と杉元が手を叩いた音が周囲に響いた。

 

 

「美恵子だよ!!確かその顔!!この間会った!!…って待てよ?ってことはお前美恵子を殺したのか…?」

 

 

「「……」」

 

 

意味不明な反応にしのぶは警戒を鬼から逸らさずとも杉元を横目で一瞥した。そして鬼もまた杉元を明後日の方向を向いた眼球で見据える。この時、鬼は内心動揺していた。確かに鬼の今の顔は無惨が素性を偽るために利用していた女の顔をついでにと奪ったもの。だがそれゆえに朧気な記憶という形で微かな繋がりを無惨とこの鬼殺隊士の間に残してしまった。

 

 

「となると……雅秀…だったか?あの男も殺したか?」

 

 

「……あぁ、この顔の事か?……確かにこの女の傍に男はいた。喰らってしまったが……名前まではどうだったか」

 

 

鬼の語った言葉を聞き、杉元は溜息を吐いた。

 

 

「ったく…知った顔が死ぬってのも気分悪いな」

 

 

「…」

 

 

杉元の言う雅秀というのが無惨の偽った名前であることから、鬼は杉元の中で身分を偽っていた無惨が死んでいるという認識になったであろうことを確信し安堵した。だが――

 

 

「ギ――グ――」

 

 

鬼の全身が突然ガクガクと震え出し、鬼の顔を作っていた蟲達がボロボロと剥げて地面に落ちた。

 

 

「何だ……?」

 

 

そして地面に膝をつきゴボゴボと蟲を吐き出し始めた鬼。しのぶは一瞬だが自分の調合した毒の効果が出たのかと淡い期待を持ったが、吐き出された蟲達は少しの間蠢いた後に再び鬼の下へと這って行く。

 

 

「ヌウ……はぁ…全く……」

 

 

杉元やしのぶは何が起きたのかはわかってはいなかったものの、鬼は今起きたことが無惨の制裁であった事を理解した。

 

 

「これ以上この場にいても仕方ない。惜しいが、楽しみは後に取っておく性根なのでな。私はどこか遠くからこの戦いを見届けさせてもらうとしよう」

 

 

震えが収まった鬼は、そのまま立ち上がると杉元達に背を向けた。

 

 

「逃がしません――!!」

 

 

その姿を好機と見たしのぶが飛び込む様に踏み込み平突きを繰り出した。しかし、バサリ、と再び突きは襤褸布だけを貫き、手ごたえは感じられなかった。

 

 

 

 

「美人の怒り顔というのも乙なもの。だが…肌が荒れているな。寝ていないのか?」

 

 

 

 

するり、としのぶの頬を変色した指が撫でた。しのぶが腕を切り払おうと刀を振るうも、腕は襤褸布の中に吸い込まれるように消え、地面に落ちた襤褸布はズルズルと茂みの奥へと這って行く。それを追おうとしたしのぶであったが、蟲達がしのぶの目の前に飛び回ったためにその足を止めた。

 

 

「~ッッ!!くそっ!!」

 

 

まるで足止めをするかのように周囲を飛び回る蟲を切り払ったしのぶは、一度歯を食いしばると襤褸布が消えていった茂みを睨みつけた。

 

 

「……しのぶ?」

 

 

しのぶは杉元へと視線を向けた後、深呼吸をして歩み寄った。

 

 

「杉元さん……私はこのまま柱として与えられた任を果たすために十二鬼月を倒しに行きます。貴方はどうしますか?」

 

 

顔をゆがめていたのは一瞬で、しのぶの表情は柱としての真剣な表情に戻っている。

 

 

「俺は一旦この子をこの先にいる生き残った隊士のとこに連れてくよ」

 

 

「わかりました…でしたら――」

 

 

と、しのぶが刀を納めた瞬間、落雷のような轟音が山に響き渡った。

 

 

「うぉっ?何だ?」

 

 

「今のは……」

 

 

音の方向を二人が見るも、音はそれ以降山に響くことは無く再び静かな静寂が訪れた。

 

 

「一度様子を見に行きますので、私はこれで。杉元さんはそのまま隊士の方と合流してください。もう隠がこの山に入山しています、恐らくその生き残りの方も合流していると思いますので、合流次第杉元さんも手当てを受けて下さい」

 

 

「あぁいや、俺はそんなに酷くないからこのままこの人預けたらそのまま奥に行く」

 

 

「そうですか。止めはしません。お気をつけて」

 

 

杉元の言葉に一度しのぶは頷くと深い山の奥へと駆けだし、杉元もまた女性を背負いなおして歩き出した。

 

 

 

*

 

 

 

「(何なのよもう……!)」

 

 

一人の鬼が、女性を背負って歩く杉元を見詰めていた。この鬼はこの山にいる十二鬼月、その下弦の伍である(るい)の家族の一人で累の『姉』を演じていた。

 

 

彼女にとって自分が生きているのは奇跡と言えた。最初は機嫌を損ねた累の言いつけ通りに鬼殺隊士を殺せと命じられ、見つけた杉元の隙を突こうと後をつけた。しかし、彼女が見たことも無い異常な鬼の登場、続く柱の乱入と気づけば自分がどうにかできる状況ではなくなっていた。幸運なことに鬼は姿を消し、柱もそのまま自分には気づかずに山の奥へと向かった。それでも、既にこの鬼は杉元への戦意を無くしていた。

 

 

「(もう終わり…!柱がこの山に来た以上累も殺される!……なんとかしてこの山から逃げなきゃ!)」

 

 

ズズズ、と彼女の顔に浮かんでいた『家族の証』である紋様が消え、肌の色も雪のような白から人間と変わらないものとなった。彼女は杉元に背を向けると必死に木々の隙間を駆け抜けて山を疾走する。

 

 

「(お願いだから鬼殺隊士とか出ないでよ!!)」

 

 

柱であるしのぶの向かった方向とは逆方向に鬼は走り続ける。仏に祈るほど信仰深いわけではないが、祈らずにはいられない。人間では不可能な速度で山を疾走した鬼は運の良いことに鬼殺隊士に出会うことなく那田蜘蛛山を下り切った。

 

 

 

 

「ハァ…ハァ…」

 

 

 

 

確かに彼女は()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

()()を奪って生きて来たからか。随分と()というものが淡くなってしまった」

 

 

 

 

ざらざらと、不快な音が彼女の耳元で響いた。

 

 

「ッッ!!」

 

 

彼女は咄嗟に立っていた場所を飛び退き振り返ったが、背後には木々が見えるばかりで何も見えない。

 

 

 

「それでも、私の中で確かに()()()()()()がある」

 

 

 

すると今度は足元からざらざらとした声が聞こえた。彼女が再びその場を飛び退くも、やはり足元には何もない。

 

 

 

 

「あの十二鬼月のままごとは興味を引くでもないものだったが、それ以上に、お前が気に食わないのだ」

 

 

 

 

常に自分の傍で聞こえ続けるざらざらとした音に、カチカチと何かを打ち鳴らす音が混じりはじめる。得体のしれないその音を聞く彼女の中で危機感が警鐘を鳴らしつづけた。

 

 

 

 

()()()だとしても、家族なのだろう?何故見捨てた?何故だ?仮にも『姉』を演じていたのだろう」

 

 

 

 

背後で聞こえた声に、彼女は早くなった鼓動を聞きながらゆっくりと振り返る。

 

 

 

 

「私の中の、薄れて消えかかった記憶の残渣が、確かにお前を嫌悪している」

 

 

 

 

目の前に女が立っていた。

 

 

 

女は襤褸布を纏っているだけで、その下は全裸であった。だが、それが人間の女などではないことを彼女は知っている。ところどころ変色した皮膚、そしてその顔は確かに先ほど柱の攻撃を受けても尚死ななかった鬼の物だった。

 

 

「何で…ここに……!」

 

 

「答えろ。何故家族を見捨てた?」

 

 

女性の細い首からは想像できない程低く唸るような声が響いた。

 

 

「たっ…戦えるわけないでしょ!!柱が来てるのよ!!」

 

 

 

「……」

 

 

 

震える声で彼女が反論をすると、暫し動きを止めた女の顎がカチ!カチ!と強く噛み合わせられ、その音が周囲に響く。

 

 

「それが、どれだけ、恐ろしくとも、()()()()()、見捨てるのは、許されない」

 

 

ガチン!ガチン!と音が強くなっていく。それと同じように、彼女の心音も早く強く脈を打った。

 

 

「何故、()()()()()()()()()、何故、何故、()()()()()、何故、何故、何故」

 

 

ガチン、ガチン、と顎が強く鳴る間隔が短くなり、ついにベキッ!と女の歯が砕けて欠片がボロリとこぼれた。明後日を向いた眼球、時折小刻みに震える手足、異常な鬼の様相に彼女の心中が恐怖心で支配された。

 

 

「ヒッ――」

 

 

ブツリ、ブツリ、と女の皮膚が裂け、幾匹もの蟲が湧きだし腐った肌の上を這いずっている。そしてぺたり、ぺたりと一歩ずつ彼女へと近づく女。女の口から無数の蟲がざわざわと飛び出し周囲を飛び回った。

 

 

 

「い、嫌――!」

 

 

彼女が咄嗟に糸を女に向けて出すも、周囲を飛び回っていた蟲達が意志を持った濁流のように糸ごと彼女を飲み込みその声を羽音で掻き消した。

 

 

「――ッ、――ァ!!――!!!!」

 

 

まるで黒い繭のように彼女を包む無数の蟲。暴れているであろう彼女の手足が一瞬だけ繭から飛び出して覗くものの、直ぐに黒い繭に覆われた。

 

 

 

「……」

 

 

 

ざわざわと蠢き続ける黒い繭に向けて女は歩み寄ると、その身をぞぶりと投げ込んだ。

 

 

 

*

 

 

 

「お前が生き残りってのか?」

 

 

「えっと……貴方は?」

 

 

杉元が村田の下に辿り着いた時、村田は合流した隠達と共に斃れた隊士達の身元の確認をとっている最中であった。

 

 

「伊之助……猪の頭被った奴の仲間なんだが、この人を保護して貰いたくてな」

 

 

「あぁ、あのクソ猪の――って、尾崎ッ!!」

 

 

杉元が女性を隠に預けて寝かせると、女性隊士――尾崎の知り合いであろう村田が駆け寄った。

 

 

「お前…無事だったのか……!」

 

 

尾崎と呼ばれた女性隊士の折れ曲がった手足を見て村田は息を呑んだ。杉元は肩を一度回して歩兵銃を担ぎなおす。

 

 

「彼女以外は駄目だった。俺達が着いた時点で致命傷を負ってて助けられなかった。あとこの子はもう戦えない。仲間を殺し過ぎたみたいだ。起きた時死のうとするかもしれないから彼女の傍に刃物は置くなよ」

 

 

杉元の言葉を聞きながら、村田は目を伏せた。

 

 

「……わかりました……ありがとうございます。隊士の確認がありますので僕は作業に戻ります」

 

 

「じゃぁ俺はこのまま奥に行く。鬼が出ないとも限らないから気を付けろよ」

 

 

「はい、貴方もどうか気を付けて」

 

 

「おう」

 

 

村田は杉元に頭を下げると、再び隠と共に斃れた隊士の身元確認を始めた。その村田と尾崎を一瞥した後に背を向けて再び茂みを掻き分けて進む杉元。

 

 

「(さっきの音も気になる。だがそっちはしのぶが行くって言ってたし…。はぁ…一人でも多く救うなんて意気込んでおいて、助けられたのは一人だけ。殺すことよりも生かすことの方がずっとずっと難しいんだよなぁ…)」

 

 

 

杉元が落ち込みながらも数分と歩いたところで微かにバキバキと木を折る様な音と、衝撃が地面を伝わって来た。

 

 

「……」

 

 

杉元は目を凝らしながら歩兵銃を下ろして構えた。地面に何かを叩き付けるような音、枝葉が折られる音が段々と杉元の下へと近づいてくる。ゆっくりと音のする方向を確認しながら意識を集中して照準を合わせた瞬間――

 

 

「ブハッ!!」

 

 

バサッ!と茂みを突き破って伊之助が飛び出し、何かに弾き飛ばされたように地面へ身体を打ち付けながら木の幹に叩き付けられた。

 

 

「ガフッ……んのぉ……野郎……っ!!」

 

 

ポタポタと猪の被り物から血が滴りながらも身体を起こした伊之助と、杉元の目が合う。

 

 

「あ゛ぁ?おっさん?」

 

 

「大丈夫かお前――」

 

 

杉元が小銃を下ろそうとした瞬間、再びバキバキッ!と木をなぎ倒しながら巨大な影が飛び出して来た。杉元が影に視線を向けると、飛び出してきたのはまるで羆の様に巨大な大男。だが大男は人間のそれとは違い、顔面が蜘蛛のような複眼や牙をもっていることから鬼であることは明白だった。

 

 

「――!!」

 

 

鬼は杉元へとその複眼を向けて一瞬だけ驚いた様に口を大きく開けたが、意識を伊之助から杉元へと向け拳を杉元へと振り下ろした。

 

 

「あっぶねっ!!」

 

 

杉元がゴロゴロとその場を転がって拳を避けると、拳はドズン!という音を立てて地面を抉った。杉元が体勢を崩しながらもすぐさま小銃を構えて引き金を引くと、撃ち出された弾丸は鬼の顔面の一部をバチン!と吹き飛ばし木の幹へ食い込んだ。驚きと弾丸の衝撃でたたらを踏んだ鬼。杉元は体勢を立て直し歩兵銃に銃剣を取り付けると、地面を強く蹴った。

 

 

「むん!!」

 

 

杉元が強く握り込んだ歩兵銃を突き出すのを見て鬼は咄嗟に手を突きだした。ザグン!と鬼の手のひらを銃剣が貫通する。しかし鬼はそのまま銃剣ごと歩兵銃の銃口を握り込んだ。だがそれを見た杉元もまた即座に槓桿を操作した後引き金を引いた。

 

 

「かっ――」

 

 

バシュ!と弾丸が鬼の手のひらを貫き、そのまま鬼の顔面を貫いた。山に銃声が響くのと同時に、ぐらり、と鬼の身体が傾き仰向けに倒れた。

 

 

 

「伊之助!大丈夫か!」

 

 

杉元が小銃を鬼に向け続けながらも伊之助を呼ぶ。

 

 

「あったりまえだ…!!」

 

 

伊之助の声を聞き安堵した杉元だったが、バリ、という音が鬼から聞こえた為に再び歩兵銃の槓桿を操作した。しかし杉元が照準を合わせて引き金を引くよりも早く、鬼が起き上がり小銃を弾き飛ばした。

 

 

「おっさん!!」

 

 

無手になった杉元を前にバリバリと身体の皮膚を掻きむしって剥いでいく鬼。バラバラと古い皮膚が落ち、新しい皮膚が顔を覗かせる。鬼の大きさが威圧感などという比喩ではなく、文字通り更に一回り大きくなったのがはっきりと見て取れた。杉元は歩兵銃を目で探しながらも、姿勢を低くして構える。

 

 

 

「俺ノ家族ニィ…手ヲ出スナァ!!」

 

 

 

先程よりも素早く杉元へ向けて飛び込んできた鬼。当たれば一撃で頭蓋を破壊されそうな拳を躱し、杉元は鬼の手首を掴むと――

 

 

 

「ぬぅああああ!!」

 

 

 

「――!?」

 

 

素早く鬼の懐に潜り込み、鬼の勢いを利用して背負い投げた。杉元よりもずっと巨大な鬼の身体が浮かび上がり、ドズンッ!と茂みの枝を折りながら地面へと打ち付けられる。

 

 

「す――すげぇ!!」

 

 

「伊之助!!刀貸せ!!」

 

 

伊之助が驚くのも束の間、杉元は伊之助へと手を伸ばした。

 

 

 

「壊すなよ!!」

 

 

 

「応!!」

 

 

 

伊之助が持っていた二本の刀の内の片方を杉元に投げると、杉元は器用にそれを掴み取って身体を起こそうとしていた鬼の頸目掛けて振り下ろした。だが、刀はパキン!という音を立てて折れた。

 

 

 

 

「あぁっ…折れちゃった…」

 

 

 

「ふっざけんなっ!!」

 

 

 

 

 

伊之助が怒りながら鬼に向かって走り出すのと同時に横薙ぎに振られた拳を避けた杉元はそのまま伊之助と代わるように歩兵銃を探す為に茂みに飛び込んだ。立ち上がって杉元を追おうとした鬼だったが、伊之助が鬼に刀を振り上げたのを見て腕を交差させ防御の姿勢を取った。

 

 

「しゃらくせぇ!!」

 

 

伊之助は交差された腕ごと切り捨てようと刀を振り下ろしたが、刀は鬼の皮膚を傷つけることも無くパキリと折れた。

 

 

「だぁぁぁ!!くっそ!!」

 

 

鬼が伊之助に向けて拳を横薙ぎに振るう。

 

 

「ッ――ガッ!?」

 

 

咄嗟に後方へと飛び退いた伊之助だったが、避け切れずに拳は脇腹へと叩きこまれた。ボキ、ベキ、と肋骨が折れる音を体内で聞きながら伊之助は殴り飛ばされて地面を転がった。

 

 

「コフッ……ァッ…!!」

 

 

 

脇腹を押さえて蹲る伊之助の頭を殴り潰そうと、鬼が伊之助に向けて走り出す。それと同時に歩兵銃を拾い上げた杉元が鬼の頸に狙いを付けて引き金を引いた。しかし発射された弾丸はバキン!という音と共に鬼の皮膚に弾かれ木の幹を抉った。

 

 

「硬っ!」

 

 

鬼は一度だけ杉元に撃たれた首を鳴らした後、伊之助に向けて再び走り出した。

 

 

「伊之助!!」

 

 

伊之助は怪我の影響で避ける事も動くことも出来ない。弾丸も弾かれ、銃剣も刺さるかわからない。このままでは伊之助は殺されるだろう。

 

 

「俺は不死身の杉元だ!!」

 

 

迷っている暇はない。小銃を両手で握り込み、鬼目掛けて疾走する杉元。

 

 

 

 

 

「ヒュゥゥゥ…!!」

 

 

木々の間を風が通るような音を立て、空気が杉元の肺を満たしていく。心臓が拍動と共に血を全身に送りだす音が鼓の様に体内に響く。その音に逆らわず、杉元は一際力強く打った拍動に合わせて地を蹴った。

 

 

「――」

 

 

ドバンッ!と地面を抉った感覚に驚きながら、杉元は地を駆ける。元々の杉元であれば、鬼と伊之助までの距離は八歩ほどの距離。だがこの時の杉元はその距離を二歩で詰めた。

 

 

「――!?」

 

 

突然横合いに現れた杉元に鬼は驚きつつも咄嗟に拳を振るう。

 

 

「ぬん!!」

 

 

その拳に向けて歩兵銃を突き出す杉元。拳と銃剣がバチンと言う音と共に接触し、拳を銃剣が裂いた。ボトリと鬼の指が地面に落ちるよりも早く、杉元は一度歩兵銃を引き鬼の頸へと向けて再び突いた。

 

 

「ガアァアアァ!!」

 

 

だが、鬼は咄嗟に首を引き、大きく口を開けて刺し込まれた銃剣を歯で噛んで受け止めた。

 

 

「ギッ――ヴゥゥゥ!!!!」

 

 

パタパタと口から血を滴らせながら、鬼は銃剣を離すまいと顎に力を込めたまま拳を振り上げ、杉元の肩に向けて拳を振り下ろす。

 

 

「――ぐッ!!」

 

 

ドズン!という音と共に、ビキビキと体内で嫌な音が響く。だが、杉元は歩兵銃を突く力を緩めず、槓桿を操作した。

 

 

「いいぜ……!!根競べと行こうじゃねぇか…!!」

 

 

カキィン、と空の薬莢が石に当たって音を鳴らすのと同時に、引き金が引かれて銃口が火を噴いた。バキィン!と弾丸が鬼の前歯に撃ち込まれ、弾丸のみが砕け散った。

 

 

「ム゛ッ!!ゥゥゥゥゥ!!!」

 

 

これを続けられたら堪らないと、再び鬼は杉元に向けて拳を振り下ろす。叩き付けられた拳の衝撃。この一撃でゴキッ!と今度は完璧に左の鎖骨が折れたのがはっきりと聞こえた。だが、杉元もまた槓桿を操作して引き金を引く。再び銃口から撃ち出された弾丸が鬼の前歯に当たり、今度は鬼の歯と共に砕けた。

 

 

「ゥガッ!?」

 

 

銃剣を押さえていた歯が砕けた瞬間、銃剣が喉奥へと突き込まれる。ズグリ、と奥深くに刺さった銃剣。咄嗟に鬼は歩兵銃を掴み、これ以上銃剣が突き進むのを止めようとする。

 

 

「ヒュゥゥ――ッ!!」

 

 

しかし、再び息を吸い込んだ杉元が歩兵銃を更に押し込むと、鬼の頸を貫通した銃剣が皮膚を突き破った。

 

 

「カッ……」

 

 

「終わりだ…ッ!!」

 

 

鬼の力が緩んだ瞬間、杉元はそのまま小銃を水平に薙ぎ、鬼の頸の半分、頬、掴んでいた腕を一気に斬り払い、そして――。

 

 

「シッ!!」

 

 

小銃を左右で持ち替えて刃を返した。ヒュパッ!と中ほどから斬られ落ちかけていた鬼の頸を銃剣が切り裂き、首が宙を舞う。

 

 

「カッ……」

 

 

バタバタと腕や首が落ち、ドズン!と倒れた鬼の身体がブスブスと崩れていくのを見届けた杉元はそのまま小銃を下ろすと伊之助の下へと駆け寄った。

 

 

「伊之助!おい!生きてるか!?」

 

 

杉元が伊之助の傍にしゃがみ込むと、伊之助は咳き込みながら杉元を見上げた。

 

 

「ゲホッ……あぁ……勝ったのかよ?」

 

 

伊之助が生きていることに杉元は安心したように息を吐いた。

 

 

「あぁ。勝ったよ。隠と合流しよう。俺もお前も一旦離脱だ」

 

 

「ちく、しょぉ……十二鬼月は、俺が倒すはずだったのによぉ…ゲホッ!」

 

 

「しゃべんな。怪我に響くぞ」

 

 

悔しがる伊之助の肩を叩いた後、よっこいせ、と杉元は伊之助を抱き上げた。

 

 

「おい……なんでこの持ち方なんだ…!!」

 

 

「あ?…当たり前だろ、担いだり背負ったりは脇腹に負担がかかる」

 

 

杉元は伊之助の膝裏、そして肩甲骨の辺りへ腕を回して伊之助を持ち上げていた。『抱っこ』や『横抱き』と呼ばれる抱え方だった。

 

 

「ざっけんな…!!今すぐ下ろせ…!!」

 

 

「あんま喋んなって。落ちんぞ」

 

 

ジタバタと腕の中で暴れる伊之助を器用に抱き上げながら杉元は茂みを掻き分けて来た道を戻っていった。

 

 

*

 

 

「ぶあはっはははは!!どうしたんだ猪!!赤ん坊みたいだな!?」

 

 

戻って来た杉元と伊之助を見るや、村田は伊之助を指差して大笑いした。

 

 

「テメェ…!!本当にぶっ殺すぞ弱味噌ォ!!」

 

 

時々痛みに呻きながらも杉元に抱えられたまま村田に向かい拳を振る伊之助。だが村田はそんな伊之助の腕の届かないぎりぎりの距離でおどけてみせる。

 

 

「ぎゃははは!!今のお前がそんなに脅しつけようと何も怖くないね!!」

 

 

「アァアァァァ!!さっさと下ろせやおっさん!!」

 

 

バタバタと腕の中で暴れる伊之助を下ろす前に、杉元は視線で隠を呼んだ。

 

 

「はいはい、暴れんなよ。悪いけどコイツ肋骨折ってるから気を付けてくれ」

 

 

「今殺してやるから待ってろ弱味噌――って何だお前ら!離せこの!!」

 

 

杉元が伊之助を下ろすのを見計らって、隠の数人が伊之助を取り押さえる。

 

 

「暴れんなこの!」

 

 

「離せテメェら!!ぶっ飛ばすぞ!!」

 

 

「痛っ――!!おいコイツ本当に怪我人か!?」

 

 

「縄もってこい縄!!」

 

 

「だはははは!!」

 

 

バタバタと暴れる伊之助と、それを取り押さえようとする隠。そしてその光景を見て笑う村田。杉元もまた鎖骨が折れたために治療を受ける。そんな時であった。

 

 

 

『伝令!伝令!炭治郎!禰豆子!両名ヲ拘束!!本部ヘ連レ帰ルベシ!!炭治郎及ビ鬼ノ禰豆子!拘束シ本部ヘ連レ帰ルベシ!!』

 

 

 

鎹烏の声が那田蜘蛛山に響いた。

 

 

「炭治郎?……あいつ何やらかしたんだ?それに…鬼?」

 

 

治療を受けながら、首を傾げた杉元。すると、杉元の肩に鎹烏が舞い降りた。

 

 

「そっち怪我してんだから逆に止まれよ。ったく…」

 

 

杉元は鎹烏の足に括りつけられていた手紙を取り、広げた。

 

 

「……」

 

 

差出人、そして手紙の内容を読んだ杉元の目が文を追うごとに細められる。杉元は手紙を読み終えると乱雑に畳んで懐にしまい込んだ。

 

 

「ったく……。どうなんだこれ?……まぁ、行くしかねぇか」

 

 

バサバサと飛び立った鎹烏。あの烏は以前耀哉が飛ばした烏だ。これから起こる事を考えてため息を吐いた杉元は木の幹に頭を預け、隠の治療を受けながら目を閉じた。

 

 




お待たせしました。


意外!杉元!累、義勇共に接触せず!


祝!尾崎ちゃん生還!


次回柱合会議。早く無限列車が書きたいです。


感想、評価、誤字報告等とてもありがたいです。感謝します。

杉元の鎹烏?の名前について、何がいいでしょうか。

  • フリ
  • オチウ
  • シライシ
  • ウコチャヌプコロ
  • トカプ

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