上るたびにぎしぎしと軋む階段。何年も放置されたのか手すりを触れば触った部分からぱらぱらと崩れてゆく。今にも床が抜けそうで、そのため私は少し足を浮かせてみる。
そのままスムーズに上を見上げながら階段を上がっていく。錆の臭いもかなりきつかったが、流石にそれはどうしようもないため、我慢しながら上がっていると、屋上への扉が見えた。本来ならこういう仕事は部下に任せるのがいいのだが、今回の仕事は自らが出た方が効率がいい。
屋上の扉に着いた。ドアノブを捻ると、少し重いが回った。かぎは掛かっていないようだ。
「うっ」
扉を開けた瞬間、急な突風がグロウアップを襲う。
強い突風に白衣を押さえながら耐え凌ぐ。魔法少女なので寒くはなかったが、この仕事服だけは手放せない。この状況を、まるで北風と太陽みたいだと思い微笑する。
突風が収まると、乱れた白衣を軽く払って整える。
改めて屋上を見渡す。特段変わったものは無く、鉄柵の前にはもともと緑色のペンキで塗られていたと思われる9割が赤褐色になったベンチに、壁側にはだいぶ昔に廃止された珍しいジュースが買えていたところどころが凹んでいる自動販売機だけがあり、ここだけ時代に取り残されたかのように残っていた。
それらに目もくれず、そのまま真っ直ぐ歩き、自殺防止用の鉄柵に前で止まった。ここの鉄柵は比較的新しくつけられたらしく、触っただけで崩れるようなほど劣化はしていない。
鉄柵に右手の指を絡まらせてそこから町を見渡す。あちこちでは、車の音、機械の音、人のがやがやとした声が嫌でも耳に届いてくる。人工的な光が嫌でも目の届く。自然も根こそぎなくなっていて、見るに堪えない。
「……無事魔力が枯渇していますね。流石の大きさのため、枯らすのに苦労しましたよ」
生命の源である魔力を枯渇すれば自然も弱ってしまうのは分かってたが、目的のため、しょうがないことと片付ける。
グロウアップの魔法は応用すれば、妹の魔法の代わりに土地に依存する魔力を枯らすくらいなら出来る。取り合えず第一段階はクリアした。次は第二段階だ。
グロウアップは、白衣の内ポケットに手を入れると、そこから何かを取り出した。
それは注射器だ。針の部分にはグリップがついてあり、針の先は返しになっていて、医療用ではなく投擲用として使うものだ。これはグロウアップの武器でもあり、仕事道具でもあり、相棒でもある。
手慣れたように片手で注射器のグリップを取る。針が月光によって爛々と煌めく。試しに人差し指で針の先を押し当てると、人差し指からは血が珠になって出てきた。鋭さも抜群だ。
傷ついた指を白衣の裾で拭う。これぐらいなら魔法少女の再生能力で数秒で傷は消え去る。
ピリッとした痛みに顔を歪ませるが、そんな事で構っていられる時間はない。
グロウアップは、何歩か後ろに後退すると、右足を上げて、右足を床にひびが入るほどに踏み抜き、右腕を鞭の様に振るい、注射器をプロ野球選手の如く綺麗なフォームで思い切り投げた。
空気を切る音を出して注射器は鉄柵の間を抜け、そのまま速度を落とすことなく、グロウアップが見ていた点――上空に浮かぶ
注射器は「黒い球体」には刺さったが、注射器は
注射器を投げた時と同じスピードで飛んでくるそれを右手を前に掲げることで、右手の人差し指と中指との間でキャッチする。高速で飛んできたそれの正体は、さっき投げた注射器だった。
「今少しばかり待ちましょう。まだ魔力は回収しきれていません。おそらく……あと何週間程度でしょう」
昔の人間は果報は寝て待てなどと言っていた。ここは素直に待った方がいい。下手に殺してしまえば回収できるものもできなくなってしまう。妖怪のサンプルなんてめったに取れないのだから慎重に越したことは無い。
注射器にグリップを再び付け内ポケットにしまうと同時に外ポケットが震えた。次いで外ポケットに手を入れ、ハート形のではなく、ダイヤ型の魔法の端末を取り出した。
この魔法の端末は、「魔法の国」とは別の所でグロウアップが所属している技術部門が作ったものだ。「魔法の国」製作の管理者用魔法の端末をベースにグロウアップが様々な機能を付けたもので、かなりの高性能に出来上がり、これは上位職専用のタイプで、色ごとで役職が分かる。グロウアップが持っている魔法の端末は赤く、技術部門を示す色だ。
魔法の端末を振ると反時計回りに上の部分がスライドする。下画面には非通知と出ていた。
「……もしもし。グロウアップです」
『おうおうおう! やっと出たよ! おいおいどうなってんだよ! どこにもいな「少し黙ってくれませんか。……ゆっくりと要件を言ってください」
聞くだけで麻薬を摂取したかのような甘く、美しく、愛おしいと思わせるような女性の声。それには少し前に聞き覚えがあった。そう、彼女は確か、グロウアップが
「ん? 待ってください。何故あなたが私の電話番号を知ってるのですか?」
『ふっふーん。私ぐらいになれば、電話番号ぐらい容易い容易い』
ちっと心の中で舌打ちをする。
――いつ情報が漏れた。余計なことを。もし彼女があれを知っていたらまた
「……ちなみに、どこでそれを?」
『それは言えないなー。だけど、私が知っているのはそれだけだから安心しな』
「……そうですか。察しが良くて助かります」
尋問とは思えないほどの尋問は、あっさりと幕を閉じてしまった。彼女の声を聞くと、納得してしまうというか、何故か気が狂う。まぁ、知らないなら別によかった。知らない方が幸せなこともあると言う。彼女が
「それで、何の用ですか? 早く言ってください」
『あんたが中断したくせによく言うよ「何か言いましたか?」いや、何でもないさ』
彼女のボソッと言った愚痴については取り合えず不問にする。いちいち反応するのは面倒だ。こういうのは適当にあしらうに限る。
魔法の端末を耳に当てながら右足を少し引くと、視界の端に
『でだな、あんたが渡した写真の魔法少女をこの一週間探してみたんだがよぉ、何処にもいねえよ。どういう事だ?』
「……見つからないはずですよ。片方は認識疎外の魔法を持ってるのですから。姉の方も、
『なんだって! 聞いてねえぞ! おいごらぁ!』
魔法の端末から飛び出る怒号を聞くと、人を魅了する美しい声でもまるで猿のようだと思えてしまう。私の魔法少女像と大きくかけ離れている彼女とはどうも馬が合わない。
――性格と言葉遣いさえよければ、きっと素晴らしい魔法少女になれたのに、残念です。
彼女に対して勝手に心の中で落胆する。別に失礼とは思っていない。心の中で思う分には別にいい。
一旦魔法の端末を耳から離し髪をかき上げて、一度心を落ち着かせる。こういう時こそ落ち着け。落ち着くと
すると、昔の記憶の通り、良いことを一つ思いついた。左足を前に出して、古明地こいしの出した
「そうだ。今こちらに来てもらえませんか? 今私の近くに、
ここで彼女を使おう。彼女なら、大いに役に立ってくれるはずだ。彼女はもともと捨て駒として用意したのだから、これぐらいどうってことない。もちろん、こんな事彼女には話せないが。
良いことを考え気分がいい私の前を風に乗って漂ってくる塩の香りが通り、私の白く柔らかい髪がなびかれ続けた。そういえばN市は、海に近いせいか城南地区という歓楽街にいるはずなのに、ここにまで潮の香りが届いた。こういうのは悪くない。
「ふふっ。あとであの子たちにお土産でも買ってあげましょうか」
『なんか言ったか?』
「いえ。別に」
♰♰♰♰
暗い。寒い。寂しい。頭に浮かんだのは、そんなマイナスな感情ばかり。
浮いているのか沈んでいるのか分からない。ぷかぷかと感情の海に漂い続ける。
暗闇が目を支配する。次に冷たさが体を支配する。最後に寂しさが頭を支配する。
出して。ここから私を出して。しかし、誰も助けてくれなかった。
ずっと一人ぼっちの私。いつまでもいつまでも、私もこの世界も変化しない。
だけど、そんなのは昔のこと。ここは、前までは私がずっと一人で漂っていた世界。今も
体を器用にくねらせて百八十度回転させると、視界に移るものが、私から白い水着の少女へと変わる。少女は、あちこちから飛んでくる茨の蔦を体を曲げ、折り、時には広げながら避けていた。
こんなに心が躍るのは久しぶりかもしれない。これが弾幕ごっこというものだろうか。あのこいしが楽しそうにするのも納得だ。
もっともっと、もっと早く。濃密に。曲げて、捻じ曲げて、徐々に追い詰めて、最後には死んでいるスイムスイムを想像し、胸を弾ませた。
「くっ!」
四方から飛んでくる蔦を足を広げることで避け、上から飛んでくる蔦は腰を後ろに思いっきり曲げることで首すれすれに蔦を避ける。しかし、まだあちこちから流れ飛んでくる蔦は多くあり、全てが今にも飛び掛かってきそうなほど威圧感が出ていた。
メリーが何か言った後に飛ばされたこの空間で、スイムスイムは驚きの連続だった。
急に足場がおぼつかないと思ったら、そこは光をも包み込むような黒一色で、足場も存在しない事にも関わらず、まるで水中にでもいるように体がふよふよと浮いていた事が一つ。
今の状況に混乱しているスイムスイムに語り掛けてくるメリーの声。あちこちに首を回してみるがメリーの姿は見つからず、その声もまるで頭の中から響いているような不気味な現象にもう一つ。
そして、最後は今飛んで来ている――おそらくメリーの攻撃だと思わしき蔦に一番驚いた。
突如として襲ってきた蔦に、反射的に魔法を発動して回避を試みるが、蔦は体を通り抜けることもなく、そのままぐるぐると左腕に巻き付いた。
締め付けるたびに蔦に着いた棘が皮を破り、肉に食い込み、骨にまで到達しているかのような激痛に思わず泣いてしまいそうになる。
瞬時に片方の手で持っている
もうルーラに握ってもらえない。もうルーラの役に立てない。そんな考えが次から次へと頭に浮かんでは消えていった。
そんな悲しみに暮れる暇もなく、また次の蔦が飛んできた。
小学校でやった身体能力テストで、かなりの好成績を残した。正直言って、体が柔らかいと何かいいことがあるのかなと思いながらやったのだが、まさかここで役に立つとは夢にも思わなかった。
右足を上げることで一本の蔦を避け、次に前から来る蔦を体を前に垂直に折る事で事なきを得て、瞬間に右手で持った武器を器用に指でペン回しのように回して蔦を切り裂いた。この武器は壊れることもなければ、とても鋭くて、家にある包丁でさえここまで綺麗に切れない。だから、力を入れずに振るだけで切れてしまう。非常に便利だ。
次いで武器を後ろに構えると、飛んできた蔦は体ではなく武器に巻き付いた。武器を力強く引っ張ると、蔦は一気に伸びて武器の刃が届く位置までに伸びた。すかさず振り下ろす。すぱっと綺麗に輪にように切れて、光となって霧散した。
安堵していると、右足から強烈な痛みを感じた。そちらを向くと、足がパンパンに張れ、蔦が絡みついていた。急いで蔦を切るが、傷つけられた足は当然元には戻らず、どくどくと赤い血が流れていた。とても痛い。泣きたくなるほどだ。だけど、泣いてはいられない。私の中で、痛み、悲しみは、生きる活力となって、ルーラに会いたいと願う力になって、スイムスイムを動かしていた。
――絶対に、生きて帰る。
そう自分で思い続けるだけでも少し痛みが和らいだような気がした。病は気からって先生が言っていたが、たぶんこの事だろう。
♰♰♰♰
白い廊下がそんなに明るくもない照明によって暗い色に変わる。病院特有の消毒液に臭いが鼻に届く。
右隣には中学生の自分とは違う、整った顔、すらっとした長い脚、香水と思われる香りを漂わせる女性――ユナエルが足を組みながら時々溜息を吐いていた。
「……ねぇ、いつになったら帰れるの?」
その言葉は自分に向かって言われたのではなかった。たまを挟み込む位置で座り、ユナエルと同じ風に足を組んでいる大人の女性――ミナエルに話しかけたと思う。
ミナエルは、魔法の端末に向けていた顔を上げて、ユナエルの方に向けた。たまが一番背が低いため、見上げる形で顔を覗き込んだ。
くりっとした可愛い目。白い肌にしわなんて一つもない。魔法少女は変身してから可愛くなるはずが、ユナエルとミナエルの場合は、変身する前からとても美形だった。
「しょうがないじゃん。勝手に帰ったら絶対ルーラに何か言われるし」
「つーか、そもそも意識不明なんでしょ? だったら私らに出来る事なんもなくね?」
「でもさぁ、スイムちゃん病院に来るんだよ。その時私らいなかったらヤバいって」
「そもそもスイムちゃん何やってんの?」
「それがさぁ、さっきからメールやら電話やらしてんだけど、全然反応なし。メールも読んでないみたいだし」
「何それ? 音信不通ってやつ? ……たくっ。なにやってんだか」
さっきから聞こえる声も、とても綺麗で、でも何故か好きにはなれなかった。
――ルーラの事、心配じゃないの。
そう聞いてしまえばよかったのだが、言えない。
いつもそうだ。小さいころから何をやっても駄目で、長所という長所は全く無く、根が真っ直ぐだとか特別に優しいとかそんなこともなく、いまだってそう。ちょっと言葉を挟んで言い返せば、もう少しルーラの事を心配してくれると思うのに、相手が大人だからか、ただただ空回りするばかり。さっきから黙ってばっかだ。
別にユナエルとミナエルが優しくないわけではなく、本当は心の中でルーラを心配しているって、そう思いたかった。
――もう、やだよ。
全て投げ出したかった。何がいけなかった。何が悪かった。誰が悪かった。ルーラの事よりそういうネガティブなことばかりを考える自分がまた嫌になる。
「そういえば、あいつはどしたの?」
「あいつって?」
「マジカロイドだよ」
「あぁ、忘れてた。ついでに電話……いいや、メールで」
「まぁ、あんな奴がいたところでなんにもなんないよね」
「でも肉壁、じゃなくて鉄壁にはなるんじゃない? ロボットだし」
「お姉ちゃんマジクリエイティブ……どうしたのたま?」
たまが気付いた時には既に椅子から立ち上がっていた。何をするわけでもなく、いつの間にか立っていたのだ。
「……ちょっと、外の空気、吸ってくるね」
「あっうん。分かった」
「早めに戻れよ」
「……うん」
二人の言葉に適当に反応した後は、その場からを逃げるように入口へと早歩きで進んでいった。
「はぁ、はぁ、はぁ」
病院入り口の自動ドアを潜り抜け、たまは乱れた呼吸を整えようと膝の上に手を置き、支える形で深呼吸をした。
思わず飛び出してしまったが、特に外ですることもなかった。それでも、また病院の中に入ることも嫌だった。
取り合えず、少し歩こうか。そんな軽い気持ちで病院から離れようとすると、上空で何か音がした。こんな夜更けに鳥かなと不思議に思い、上を見上げると。
――……何、あれ……。
明らかに鳥とは違っていた。
とても大きな翼をはためかせるたびに大きな風を切る音がここにまで聞こえてくる。それの周りには小さな小動物のような生き物が一緒に飛んでいた。
目を離さなかった。いや、目が離せなかったのかもしれない。
月光によってシルエットにも関わらず、見る者に美しいと思わせるほどの肉付きの体と美貌。自分が魔法少女でなく、遠すぎてよく見えなかったとしても釘付けにさせるだろう。
そうして、飛び続ける魔法少女らしき人を見ていると、飛んでいた魔法少女の目が、たまの目と合った。
「……ぁっ」
目を合わせただけだ。それだけだ。なのに、何かが胸の奥から湧き上がってきた。
その何かが湧き上がってくるたびに、背中に悪寒が走る。
そうして、蹲って震えあがっていると――意思とは関係なしに体が動いた。
♰♰♰♰
外ポケットからキャンディーの包み紙を取り出し、中に入っていた桃味の飴を口に入れる。
ころころと転がるキャンディーを舌で包み、撫で、なぞり、また転がし、そうしているうちにぴちゃぴちゃと音がしたため、普通に右頬に入れることにした。
レディーバットから電話が来てから十五分が経過した。いまだにレディーバットが来ることもなく、連絡もなく、空にはまだ黒い球体が浮かび続けていた。
「……いったいいつになったら来るのでしょう」
そう誰に伝えるわけでもない声が虚空に消える。
すると、遠くから何かが聞こえてきた。
魔法少女の身体能力は、一般人をはるかに凌駕する力を持ち、それは視力聴力などの五感も例外ではない。
魔法少女の強化された聴力で右耳から次に左耳に聞こえてくる音は、風を切る音だ。
座っていたベンチからひょいと降りると、そこから左へ一二歩移動すると、右から大きな衝撃波と共に瓦礫の雨が降り注いだ。その降り注ぐ瓦礫を丁寧に一つ二つと両手で受け止めて足元へ落とす。やがて、衝撃波によって生まれた土煙は薄れ、一つのシルエットが浮かび上がった。
「よお。久しぶりだな」
「……久しぶりって、まだ一週間しか経っていないじゃないですか」
「あれ? そうか? まぁいいや」
シルエットが持つ片翼を再び広げ、それを思い切りはためかせることで一気に土煙が払われた。
黒い蝙蝠を彷彿とさせるしなやかで美しい片翼。すらっと伸びた闇よりも黒いロングの髪型。そして何よりも目立つのは、月の光によって爛々と光り輝き続けている八重歯。間違いない。彼女だ。
急の土煙によって汚された白衣をパンパンと叩き落し、あれでも力加減をしていたらしくいつ崩壊寸前のビルの屋上から浮き上がる。
案の定ビルはがらがらと崩れ、隣のビルにぶつかるという二次被害を生み出した。幸い、ここら一体は人払いしていたため、ビル倒壊に真実を知るものは、グロウアップと張本人しか知らないという点だろうか。
けほけほと数回咳をした後、ビルの倒壊で再び出現した土煙に向かってわざとらしく怒鳴ろうとするが、突如として目前に迫ってくる拳を反射的に右腕で受け流し、次いで来るハイを屈むことで避け、それによって生み出された風圧を白衣で防ぎ、また上から来る踵落としを両手でつかむと、それを思いっきり引いた。
攻撃の張本人の顔が見えた。すかさず腹に膝蹴りを加える。げほっと聞こえるが無視。それから後ろに回り込み、思い切り回し蹴りを食らわせる。彼女は、蹴りの勢いのまま別のビルの屋上に飛ばされる。
彼女を中心に放射線状のひびが入る。そこに追い打ちをかけるように、亜空間を使い瞬時に移動。彼女に馬乗りをして、首を絞めて引き上げる。
「ちょ! ちょちょ! タンマタンマ!」
「先に仕掛けてきたのはそちらでしょう! いったい何の真似ですか!」
骨の折れる鈍い音が下で聞こえる。おそらく肋骨が折れたのだろう。もちろん、この怪我は私に非はない。
流石に追い詰めすぎたか、かひゅうと口から音が聞こえた。すぐさま解放してやると、彼女はごほごほっと咳き込んだ後に何回か深呼吸をした。
「はぁ、はぁ……こりゃ……まずいな」
「でしょうね。本気とはいかずとも私にケンカを吹っかけたんですから、ただでは返しませんよ」
「そっか。そりゃそうか。ははっ」
彼女――レディーバットは壊れかけた床に手をついて立ち上がると、無事だったベンチに座り込んだ。かなり痛めつけたはずだが痛くはないのだろうか。
「それで、何故襲い掛かってきたんですか?」
「いやぁ、ちょっとね。久しぶりに勢いつけすぎたんで、昔の事思い出しちゃってね、途端に戦いたくなったんだよ」
「……まさか、それだけだとでもいうのですか?」
「あぁそうだよ。それだけの理由さ」
頭を痛くなってきた。
そうだ。確か彼女は元魔王塾生だと思い出した。別に依頼するには問題ないとスルーしていたが、もしかしなくても大きなミスだ。
鉄柵に背中を預けて、思い切り溜息を吐き出す。その後にいつの間にかレディーバットがグロウアップの水筒を勝手に飲んでいるもんだから本当に頭が痛くなってきた。
「……それ、私の水筒ですよね。何で勝手に飲んでるんですか?」
「まぁまぁいいじゃん。あんたと私の仲だろ」
ただの依頼人と仕事人の仲じゃないですかと反論したかったが、そんな気力はもう無い。
「なんだなんだぁ? 元気ねぇじゃねえか。そんなあんたに良い手土産を持ってきたんたが、どうする? 欲しいか?」
「……で、どんな土産ですか」
「これだよこれ。ほらよ」
レディーバットの翼が190度広がると同時に、
しなやかな腕が二本。肉付きのいい足が二本。豪華とも言えないが貧乏ともいえない服を着た胴体が一個。そして最後に落ちたのは、赤黒い血に染まったニット帽と、子供の頭だった。
「準目標のマジカロイド44の死体さ。あんま順調じゃないこの作戦が一歩前進したという証拠が、あんたにとってのご褒美じゃない?」
「……そうですね」
取り合えずこのバラバラ死体を見て思うことは、特になかった。
「これでも見て、ちょっとクールダウンでも……ん?」
ベンチに座っていたレディーバットが急に立ち上がると、道路側の鉄柵の方に向かって歩き出した。何だろうと思っていると、どうやら下を見下ろしているようだった。
「何かあったんですか?」
「ふふっ。いやなに。これから面白い事になりそうだなって」
下から目を離しこちらに向けるレディーバットの顔があまりに子供っぽく、明らかに嫌な予感しかしない。グロウアップも鉄柵に背中を預けるのを止め、下を見ると、どっからどうみても見た事のある犬が見えた。
「……ちょっとすみません。……えっ。何で彼女らが来てるのですか?」
「さぁ。何故だろうね」
明らかにこの
――……しょうがない。ここで一気に仕留めますか。
口の中で舐めていた飴を奥歯で嚙み砕く。がりがりと噛み砕いて、磨り潰して、それを一気に嚥下する。よし、もう吹っ切れた。
「ミス・レディーバット! 今すぐに魔法を使い、彼女らをこちらに引っ張り出しなさい!」
「え、いいの? こっちに来させて?」
「口答えをする暇があるなら早くする!」
「はいはいっと」
レディーバットが両手を真横に広げると、彼女が出した死体から出た血が天高く上がり、レディーバットの頭上で球体となって収まった。
もうやけくそだ。順番がなんだ。こういう作戦は作戦通りに進まないことがほとんどなんだから問題ない。グロウアップはそう考えることにした。