音楽を演奏すること、聞くことは疲れた艦娘の心を豊かにして癒してくれる。

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子犬のワルツ

 春が終わり、初夏へと差し掛かる天気の良い日。

 鎮守府内では朝から軍人たちが鍛錬をし、それを終えたあとは食堂へと向かっていく。

 その光景を艦娘寮の入り口で眺めたあと、俺は寮入り口から入ってすぐに広がっている談話室へと行く。

 

 そこにはソファーがいくつか置いてあり、端のほうには俺が自費で買ったアップライトピアノが置いてある。

 まだ誰もいない場所で、俺はピアノそばにあるソファーへと腰を下ろす。

 座った途端、いつものように疲れた深いため息が出てしまう。その理由は仕事上でのことだ。

 俺は艦娘たちの提督をしているが、この鎮守府では提督と艦娘の地位は他よりも少しばかり低い。

 

 それはここが輸送をする護衛専門の部隊だからだ。艦娘は前線で戦うべきという考えが強く、輸送の護衛では冷たい目で見られている。艦娘ではない通常兵器で充分と思われているからだ。

 だが、それも最近の深海棲艦がこの鎮守府周辺の本土近海まで奥深く侵攻することもあって、そのうち各地にいる護衛する艦娘たちの地位は向上しそうな気配だが。

 だとしても、俺の部隊だけはそうはならないだろう。

 

 なぜなら、ここは前線でいらなくなった艦娘たちを集めた部隊だからだ。それは提督である俺も含めて。

 いらなくなった、というのは能力が低いという意味ではない。それならまだ前線でも使える。ここにいるのはなんらかの理由で精神的問題を持つ子たちばかりだからだ。

 その子たちは扱いが難しく、時々ここの軍人たちともめごとを起こしてしまう。でもそれらはお互いが知らないための小さな問題だ。これからは交流をもう少し持って仲良くやっていきたい。

 

 人とあまりなじめない艦娘たちを俺が率いることになってから半年。

 この部隊には戦えなくなった秘書である戦艦の長門に軽巡と駆逐の子たちだけだ。全員で17人という小規模な部隊。

 

 左遷とも思えるこの部隊だが、一緒に過ごしているうちに段々と愛着を持ってきている。それは俺が今年で41歳となり、出世や結婚をあきらめていることもあるからだろう。

 だが、最大の理由は長門のおかげだ。

 長門がいてくれたからこそ俺は癒しの時間を持てている。その時間とは今から始まる演奏会だ。

 壁にかけられている時計を見ると、時刻は6時半近く。軍人たちからは少し時間をずらし、もうすぐ食堂で艦娘たちが食堂でご飯を食べられる時間だ。

 そこに階段から降りてきた長門の姿が目に入る。

 

 長門は腰まである長さでピアノの黒鍵を思わせるような黒い色の髪を持っていて、薄い赤色の目をしている。以前は付けていた頭の艤装はない。

 服は黒のロングコートを着ている。けれど、その前のボタンは開いていて、ヘソ出しファッションに。両手には長手袋を付け、白のミニスカートを履いている。

 20代のような顔をし、俺が同じ歳ぐらいだったら一目惚れするに違いないくらいの美人だ。一言で美人と言っても色々あるものだが、清楚でありながら男のような力強さと落ち着きを持っている。

 俺と長門はお互いに目が合うと、同時に軽く手をあげて小さな微笑みと共に挨拶をする。

 

「おはよう、提督。今日もいい感じのかっこいいおじさんだな」

「ああ、おはよう。そう思ってくれているなら、心を込めて言って欲しいものだ、長門」

 

 毎朝会うたびのちょっとした会話が俺はとても気に入っている。

 その長門とは部隊ができてからの付き合いで、半年一緒にいただけで昔から一緒にいるような気分にさせてくれる。

 はじめは俺に対してよそよそしく、会話をまともにしてくれないのは秘書としての仕事にも影響が出るほどだった。

 

 執務室では多くの仕事を1人でして長門はぼぅっとしていることが多かった。それでも俺は文句を言わないでいると、2週間ほどたった日に長門が手伝い始めてくれた。

 驚きはしたものの、特に理由も聞かずに俺は受け入れる。提督という役職に恨みを持っているらしい長門が手伝ってくれるのだから、喜びこそすれ文句は言えないだろう。

 長門が前線にいた頃は提督に出撃を強要され続け、ある日に前線の提督を殴って病院送りにしたとのことだ。だからといって、その提督がすごい悪いやつだったとういわけでもない。

 元となった原因は、長門が撤退の判断を誤り、敵艦載機によって指揮する艦娘が4人死んだことだ。

 

 それ以来出撃が嫌になっていた。提督を殴ってしまったのは精神が不安定で抑えられなくなったからだと思う。

 書類にて事前にそのことがわかっていた俺は長門に艤装をつける指示すら出さず、秘書として俺の仕事を手伝わせていた。そのことをキッカケに俺と長門は話をするようになった。

 

 そしてその翌日には俺の自腹でアップライトピアノを買ってきた。なぜなら長門が「趣味はない」と言ったから。それはよくないと思い、音楽鑑賞が趣味である俺にも得があるようにピアノを選んだ。俺はピアノは一切弾けないが。

 特にやることもないからと俺に言われるままピアノを練習した長門が、今はピアノの前にある椅子に座り、フタを開けて鍵盤を押していくつか音を出す。そうしてから長門はクラシックの曲を弾き始める。

 練習して半年ながらも中々に上手なピアノ演奏を聴き、リズミカルで生き生きとしている曲をいい気分で聴いていく。

 

 長門が弾いている間、制服に着替えた艦娘たちが1度は足を止めて曲を聞いてから、1曲が終わったタイミングで皆が俺や長門に笑顔で挨拶をしてくる。中には元気に手を振ってる子がいるぐらいに。

 この朝の演奏を始めてから一週間が経つが、朝の演奏を聴くと多くの子の気分がよくなっているのが分かる。朝の音楽は艦娘たちの共通の話題となり、お互いに話すキッカケにもなる。

 艦娘たちが食堂へ行くのを見送っているとき、暗い顔をした初月が俺の座っているソファーまでやってきては、俺からちょっと距離を開けて身を投げ出すかのような強い勢いで座る。

 

 俺は初月は何かに怯えているような表情を見て、声をかけるのをやめ、一緒に演奏を聴く。そして長門の演奏は終わって別な曲をやろうとしたが、初月は「もう1度お願いできないかな」と長門に言った。

 今、長門が弾いていた曲は子犬のワルツと呼ばれるショパンの曲。その曲がどうやら気に入ったらしい。

 長門は俺に目を向け、弾いてもいいか、と目で訴えてくる。

 

「俺は構わないぞ。長門の演奏が聴けるなら、それでいい」

「感謝する」

 

 俺がそう言うと、長門は今終わったばかりの曲をもう一度弾いていく。

 子犬のワルツ。さっきはただ聴いていただけだが、もう1度と言うことで今度はしっかりと聴いていく。

 演奏されていく曲を聴いていくうちに、頭の中はジャーマン・シェパードの子犬の姿をイメージしてしまう。そのイメージは長門を犬にしたらこんな感じだろうかというものだ。

 

 そんなイメージ浮かべていると、演奏をしている長門は微笑みを浮かべながら楽しんで曲を弾いているのがわかる。

 頭の中でイメージされた子犬は元気に芝生の庭を駆け巡り、自分の尻尾を追って回り続けて遊んでいる姿だ。そんなイメージを持ちながら隣にいる初月を見ると、初月は柔らかな笑みを浮かべていた。

 

 初月の楽しげに聴いている姿は、長門であるシェパードと初月である黒柴の犬が楽しくじゃれあっているような印象を感じる。

 短い曲である、子犬のワルツが終わる頃には、2匹の子犬は満足そうにして同時に芝生へと倒れて寝る姿が見える。

 

 初月は来た時と違い、晴れやかな顔になっていて、俺と長門に朝の挨拶をすると食堂へと行った。

 初月を最後に、寮に暮らしている長門以外の全員がいなくなると、長門はピアノのフタを閉じて大きな息をつく。

 

「おつかれさま。今日もいい演奏だった」

「楽しんでもらえたのならよかった。ペダルを強く踏みすぎたり、音を飛ばしてしまった」

「なに、ちょっとしたミスでも弾いた長門が楽しければいいさ。……もしかして楽しくなかったのか?」

「そんなことはない。私がこんなにも熱中できるのは嬉しいし、自分の心をピアノで表現できるのはとても楽しい。……私とピアノをめぐり合わせてくれた提督に感謝だな」

 

 長門は椅子から立ち上がると俺のすぐ隣にやってきて、ソファーの背へと体重を預けていく。

 

「今まで私は深海棲艦を殺すことでしか喜びを感じなかった。……提督には何度感謝を伝えても伝えきれないな」

「俺よりも音楽に感謝しろ、音楽に」

 

 天井を見上げ、小さな声で俺への言葉をしみじみという長門に軽い口調で言う。

 朝から良い演奏を聴き、素晴らしい美女と隣あって一緒の時間を過ごす。

 あぁ、なんという贅沢なことだろうか。前線にいたときはもっと多くの艦娘と過ごしていたが、その時とは時間の密度が違う。

 前線は敵のことと、うまい食事と寝床についてしか考えることができなかった。

 それと比べれば、ここは幸せな場所だ。本土であるここは艦娘を軽視するが、安定した補給と安心して寝られる場所がある。それとピアノを弾いてくれる長門がいることに。

 

「さて、そろそろ俺たちも飯を食いに行くとしようか」

 

 腹が減ったのを感じてきたところで立ち上がると、長門はさっきまでとは違って俺の目を寂しげな目で見つめてくる。

 

「私はここで役立てているだろうか……?」

「もちろんだとも。たとえ砲を撃てなくても役に立っている。お前も見ただろう? さっきの初月の顔を。最初に会ったときは暗かったが、お前の演奏を聴いたあとは晴れやかだったぞ?」

「そうだな。まさしく、提督がいつも言っていることを実践できて私は嬉しいよ」

 

 長門は小さな笑みを俺へと向け、手を差し出してくる。

 俺はその手を掴むと、普段から長門へよく言っていることを言う。

 

「「1日の気分を変える音楽は、人生を変える音楽に!」」

 

 合言葉のようになっているのをふたり同時に言い、お互いににやりと笑みを浮かべたあとに俺は長門をソファーから引っ張り上げると手を離して歩き出す。

 

「今日もいい朝だな、長門」

「ああ。実に気分がいい朝だ、提督」

 

 隣へと並んできた長門と一緒に寮を出る。

 今日も1日、すっきりとした気分になって。



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