ホグワーツでの生活は刺激に満ち溢れていた。
魔法の授業はハリーが想像していたよりも退屈なものも多くあったが(たとえば魔法史の授業だとか)どれもこれも全く初めての知識ばかり。どんな退屈の中にも確かに楽しさを感じる。
それでもやっぱり座学ばかりの授業はしんどい。延々とノートを取り続けていると、いつも最後は睡魔との戦いとなる。ハリーとしては出来る出来ないはともかく少しでも実践がある授業のほうが楽しい。
ただし魔法薬学だけは本当に苦手だ。なにせとにかくスネイプが苦手なのだ。あのいやらしい物言いときたら。それに、ハリーはおそらくスネイプに嫌われている。
対してジェイラスは座学の方が得意なようだった。
そもそも彼の頭の出来は抜群に良い。記憶力も良ければ発想力も良く、もとから旺盛な知識欲のおかげで眠気とも無縁の様子。いつの間に仕入れたのか、知識面においてはハーマイオニーと並びトップを争う優秀さだ。
ただしその代わりなのか、彼はなぜか呪文の実践が苦手なようだった。
みんながアッという間にマスターしたごく初歩的な呪文の発動に、彼は丸一日かかったのだ。途中、ノイローゼでも起こしたのか突如ハサミを片手に「血抜きをする」などと言い出した時は本当に肝が冷えた。
自分より遥かに優秀だと思ってた友人のまさかの姿にハリーが少しだけ、ほんの少しだけ安堵した事は彼だけの秘密だ。
ホグワーツの刺激は授業だけではない。
あるいはそれ以上に、建物や家具がとんでもなく不思議なのだ。しかも、その不思議は素敵かと言われると回答に困る扱い辛いものばかり。
気難しやな扉や嘘つきな壁、気ままな階段やら、とにかくあらゆるものが好き放題に動くこの世界では動物よりもずっと『物』への気遣いが必要とされた。
今日だって朝っぱらから拗ねて動かない扉に向かってグリフィンドールとバッフルパフの一年生がよって集っておべんちゃらを言い、結局皆して授業に遅れたのだ。(ただし先生も教室へ入れなかったので無事に減点はまぬがれた)
ハリーはこの気まぐれな学園を楽しみながらも少し面倒に思っもいる。
他の新入生だって、とくにマグル生まれの子たちは多少なりとも思うところがあるようだ。皆小言を言ったり言わなかったりしながら学校生活に慣れようと努力をしている。
ただジェイラスはそれらも含めて心底楽しんでいるらしく、日々壁やら扉やらを押したり蹴ったりしては城の構造を把握しきろうと躍起になっている。上手くいっていない事の方が多いようだったが、それはそれで問題ないらしい。
ただしそれは本人だけの話。
寮としての結びつきをそれなりに重視するホグワーツにおいて、彼の奇行は全くもって歓迎されなかった。
しかしジェイラスという男はこれがなかなか厄介な奴で、外野がどれほど注意をしようと全く聞きやしない。彼の精神は実に強固だ。困ったことに。
おかげでハリーは入学早々から友人の奇行を止める最終兵器として送り出される羽目になってしまったのだ。
今日も今日とて元気に壁やら扉やらに暴力を振るっては何やらメモを書く友人に声を掛けることは、とんでもなく勇気が必要だった。ここで逃げ出さなかったのは背後で期待という名の圧を目一杯にかけてくるロンのおかげだろう。または退路が絶たれていた、とも言う。
「ジェイラス、そんなに殴らなくても」
情けないほど声が掠れた。三歩ほど引いた場所から“応援”をしてくれるロンが「もっと強くいけ!」と言っている。おかしい、これは喧嘩では無いはずだ。
対するジェイラスはといえば、くるりとハリーに向かって翻り舞台役者のように両手を広げた。
「この城の構造を把握する事が快適な学園生活へと大きな第一歩となる。プライベートでも、もちろん学徒としても。有意義も有意義さ」
そう語る彼の瞳は爛々と輝いている。
「それはそうだけど、叩く必要は無いんじゃないかな」
「あるとも!精神が宿るからには暴力に反応しないわけにはいかないからね」
「あー、ただの壁か調べてるってこと?でも突然殴るって」
「ある日、不意にぶつかった壁が実は生きていた。そのまま壁は激怒してーーなんて展開よか随分穏やかじゃないか」
言ってるとこは筋が通ってるようにも聞こえるが、多分これは単純に好奇心だけだぞ。とハリーの直感は語っていた。しかしそれでもーー
「止めるのやめちゃったの?!」
「いやだって、悪いことしてる訳でもないし・・・」
彼の楽しそうな様子を見ると、止める気はすっかり失せてしまうのだ。
それに確かに、この学校の摩訶不思議な構造を解き明かす事は実に面白そうな試みに思える。実際に困っているし、便利なことに間違いはない。
「期待したまえよ。この城はそれなりに面白いぞ」
「え、何か見つけたの?」
「ふふ、これがなかなか刺激的でなーーおいロン、何だその苦そうな顔は」
「ああもういいから、ほら急がないと授業が始まるって!次はスネイプだぞ!」
結局思いっきり顔を歪ませたロンに二人が押される事でこの話は終わりとなった。あの意地汚いスネイプだ、もし遅刻などしようものなら減点に加えて腹立たしい嫌味をこれでもかと聞かされることだろう。
ちなみにロンがジェイラスの見つけたものへそれほど関心を示さなかったのは、彼がかぶっていた『預言者新聞を折って作られたとんがり帽子』があんまりにも馬鹿馬鹿しくてまともに聞く気が起きなかったためである。
そんなわけで誰も止めることの無くなったジェイラスの奇行は瞬く間に他学年や他寮生にも知れ渡ることとなった。
マグルの学校で押されたものと寸分違わぬ「変わり者」の烙印を、ジェイラスは以前と同じく無抵抗に受け入れた。どうでもいいのだろう。
当事者が放置を決めた噂はどんどんと肥大化する。ただでさえ“あの”ハリー・ポッターと友人であるという目立つ特性をもっていたことも手伝い、ジェイラスはまたたく間に生徒たちの恰好の観察対象となった。
「あれが噂の」「私見たわ、昨日北の廊下でね」「ほら、あの変な杖」「頭のやつ何だろう」「あいつと目があうと何だか怖いんだよね」
コソコソと、しかし隠す気はあまり感じられないような噂話が飛び交う変身術の教室を足早に抜け出したハリーは明らかに苛立っていた。このところ友人への不躾な噂話があとを絶たない。
普段ならば当の本人のあまりの無関心さに毒気を抜かれ怒ることもないのだが、あいにく本日は授業が終わると同時にマクゴナガル先生に連れて行かれしまった。耳障りな言葉に耐えかねて、ハリーは苛立ちを隠しもせずに飛び出したのだ。
「まってよハリー!」
人混みをかき分けてロンが追いかけてきた。出入り口の渋滞に苦戦したのだろう、なんだか服も髪もくったりとしている。
ロンはハリーを伺うように見をかがめた。
「気にするなよ。いつものことだ」
「でも言っていいことと悪いことがある」
「まあね。確かにちょっと。でもあのファッションは僕も正直どうかと思うかな」
「あれはまあ・・・いや、それじゃなくって」
「そうよ、気にすることないわ」
どう慰めようかと考えあぐねるロンに救いの手を差し伸べたのは、あのヤな感じな優等生のハーマイオニーだった。彼女はいかにも優等生らしいシャキシャキとした足取りで二人に近づいてきた。
「だって彼、とっても優秀だわ。薬への理解は完璧だし、魔法史も正確に覚えている。天文学なんて私、彼に教えてもらっちゃったもの」
実に真っ直ぐな視線が、彼女の言葉が本心であることを物語っている。ハリーはふと、そういえば彼女がジェイラスのバカな噂を楽しそうに話す様子は見たことがない事を思い出した。
「私、彼のこと尊敬しているのよ。勉強に対してとっても真面目だし、授業中に船を漕いだりもしない。呪文は苦手みたいだけど誰よりも努力している。みんなが騒いでることだって、別に規則違反をしているわけじゃないわ」
みんなお子様なのよ!とハキハキと口にした彼女は言いたいことは言い切ったとばかりに次の教室へ向かってあるき出した。
残された二人はポカンと口をバカみたいに開けたまま、去ってゆく後ろ姿を見つめていた。同級生たちもさっさと次の授業に移動したのだろう。気づけば周りはすっかり静かだ。
「なんだあれ」
ロンの気の抜けた声がやたらと廊下に響いていた。
その頃、ジェイラスはマクゴナガル先生に連れられ校長室に訪れていた。
室内には二人の他に、この部屋の主であるダンブルドア、それに管理人であるフィルチが待ち構えていた。
ついにバレたか。内心舌打ちをするジェイラスを知ってか知らずか、「もっと奥へ」と入室を促すわりに自分は扉にぴったりと張り付くマクゴナガルの様子はまるで彼の退路を絶とうとしているようだ。
円形の室内のちょうど真ん中、校長のために設えられたテーブルから一メートルほどの位置に踏み入れた時だ。
「コイツです!」
フィルチが鋭くジェイラスを指さす。それにジェイラスは隠しもせずに眉をひそめた。
「無礼な男だ」
「確かにみたぞ!あの妙な杖、見間違いじゃない。不気味な人形もだ」
仕置の機会を今か今かと待ちわびるフィルチの口角がヒクリと釣り上がった。額縁に住まう歴代校長達の視線が一斉に彼へと突き刺さる。
「何ともしょうもない話です。何故わざわざ校長室に?」
「慈悲ですティレット。入学早々、平気で危険を冒す要注意人物としてあなたが除け者にされないための」
マクゴナガルの声は彼女の美しい背骨を表すかのようにピンと張っていた。雑談に興じる気は無いらしい。
ダンブルドアの半月型眼鏡の奥に鎮座する瞳がジェイラスの言葉を待っている。
ジェイラスは肩をすくめ、ご期待に答えることとした。
「ただの散歩です。不眠症は罪ではない」
「規則もまともに解らんのか?!」
フィルチが今にも口汚く罵ろうとするのを、ダンブルドアは片手で制した。
「ジェイラスよ、何も深夜の徘徊のためにわざわざ呼び出したわけでは無い事くらい解っておるじゃろう」
「いえさっぱり」
「森に四階右側の廊下。誤魔化せないぞ」
フィルチがギロリと睨みつけたことでようやくジェイラスが白旗を上げた。両手を顔まで上げ「はい、行きましたね」と心底勿体なさそうに答える。
それが余程愉快だったのか、フィルチがそれみたことかとばかりに破顔した。
反対にマクゴナガルの声はまるで氷漬けされていたかのように冷え切っている。
「ティレット。これは重大な規則違反です。深夜の徘徊どころか禁止された場所へ立ち入るなど!」
「ホグワーツ城のあまりの素晴らしさに、つい出来心で」
「つい?!ついなどでは済まされません。グリフィンドールに二十点減点。しっかりと反省するように」
肩をすくめ「心得ました」と答えるジェイラスを見てマクゴナガルは大きなため息をついた。怒りは治まらないようだが、一応反省を示した生徒を無闇に叱り続ける事は流儀でないらしい。
その呆気ない幕引きにフィルチは不満たらたらだ。これでは管理人ではなく処刑人ではないか、など勿論ジェイラスには口が裂けても言えない。一応余計な口出しをしないだけの理性はあるようだが。
二人が今回のお説教にひとまずの区切りを付けた事を確認すると、ジェイラスは待ってましたとばかりにダンブルドアへ語りかけた。
「なに、言いふらしたりはしませんよ」
「それはありがたいもんじゃ」
「もしあの獣の腹の中まで教えてくれるなら、お力添えも出来ますけれど」
「ふむ、魅力的じゃが遠慮しておこう」
その回答はジェイラスをガッカリさせるのに十分なものだった。
理由は想像以上に必死でなさそうなところ。これじゃ願いは聞いてやれない。もっと遮二無二になっていただかなくては。
それに、あの老人は自分の何かを知っている。一体何を?どうやら自分は彼にあまり信用されていないようだ。私には慣れ親しんだものだが、しかしならば何故私を入学させたのだろうか。
今の私は知らないことが多すぎる。少々のうのうと暮らしすぎた。
老人と少年の無言の攻防に終止符を打ったのは、マクゴナガルの発した咳払いであった。どうやら次の授業の開始時間が迫っているらしい。
すっかり好々爺の笑みに戻ってしまった校長殿のなんとまあ肝の太いのこと。最早ジェイラスは称賛の声すら上げたい気分だ。もっと素直な人間の方が好ましい。例えば、あの学徒たちのような。
マクゴナガルが扉を開き「急ぎなさい」と促す。その声に逆らうこと無く、ジェイラスはダンブルドアへ一礼をするとスルリと校長室から抜け出した。
次はなんの授業だっただろうか。脳内で未完成の校内見取り図を広げながらジェイラスは走り出した。しばらく走ると十字路が見えてくる。その角を右に曲がり、すぐの階段を三度ほど殴り飛ばしてやれば目的の廊下はすぐのはずだ。
感想および誤字報告ありがとうございます
誤字…気をつけているんですけどね…
本当に助かっております。ありがとうございます。