今まで色んなことをやって来たな、と唐突に思った。
例えば冒険者業。魔物を狩って換金部位を剥ぎ取ったり、はたまた危険地域に繁茂する薬草を取りに行ったり、とにかく命が何個あっても足りない業種だ。仕事柄尊敬できないゴロツキも多かったが、そういう輩は大抵すぐ死ぬ。魔物と日々戦う死と隣合わせの世界では情報が命で、冒険者同士の横の繋がりが無いゴロツキは魔物の繁殖期に生息地に突っ込んで良く命を落とす。剣の腕も大事だが、生き残るなら情報を円滑に得る手段を手に入れる必要がある。
例えば武者修行。金を貯めて一年間魔王領域でスローライフするか〜と旅行気分で行ったら「お前は才能がある」と師匠に攫われて無理矢理魔法を教え込まれた。見た目10代中盤に見えるエルフじゃなかったら絶対抜け出してたぞ、じゃなくても抜け出そうとしたが。一年で物になったから良かったものの、これ俺じゃなかったらどうすんだ? 拉致誘拐だぞアレ。その癖生活費も自分持ちだし。
例えば、例えば───と列挙すれば思い返すことは我ながらそれなりにある。何なら今なんか転じ転じて義賊になっちゃったもんで。随分凸凹と起伏のある人生を送ったもんだ。まあ冒険者業を数年営んで生きてるというだけでも普通なら酒の場で語れるエピソードは常人の倍くらいあるが、しかしだ。しかしである。
「……だれ?」
勇者から盗んで来た聖剣が女の子になった、なんて珍味過ぎるエピソードは流石に経験してねえよ!
俺は眉間を揉み解しながらこの状況に頭を悩ませた。
勇者の聖剣とは何か、と問われれば王立教会の秘剣と答える人が大半だ。勇者自体の選考基準は不明であるが、聖剣は基本教会の秘封倉庫にて保管されてると巷では言われている。勇者が現れると教会は勇者に聖剣を授与して、聖剣は勇者のシンボルとなる。
とは言え王立教会はこの世界有数の対魔王絶対ぶっ殺組織である。俺は良く知らないが聖書に魔王は悪だ討て死ね殺せみたいな事が書いてあるほどらしく、そんな狂気染みた方針から魔王討伐の旗印である勇者は常に一人以上教会から任命される。聖剣は一本では無いらしいので全員に支給されるのだが───。
気を取り直して正面に目を向ける。
少女は目を開けて、まだ眠気を覚えているのかパチクリと瞬きを繰り返している。毛布に包まって、譫言みたいに呟いた一言以来無言だ。
少女の姿は異様なまでに映えていた。金髪にまだあどけないとは言え整った顔立ち、翡翠色の瞳に小柄な身長。牛乳を間違えてバラ撒いたみたいな白い肌は高名な人形師が作ったもののようで、しかし人間だ。人間だよな? お前聖剣だったよな?
少女(聖剣?)は寝た状態のままで手をポンポンと弾ませると、ベッドの上にいることに気付いたのか、眠たげに眼をゴシゴシと擦って起き上がる。少女をマジマジ見ていると、ふと目が合った。
「…………誘拐犯?」
「誘拐じゃねえ! 俺は窃盗犯だ」
手を挙げて無実を主張してみる。因みに王立協会は未成年の人権に厳しいので今この場を衛兵にでも見られたら一発御用だろう。自分で窃盗犯と供述してる時点でアウトな気もするが、そっちに関しては今更なので気にしないことにする。
「窃盗犯……? 私を盗んだのはあなた?」
「私……ってか俺が盗んだのは聖剣だけどな。決して人間じゃねえ。誰なんだよお前。聖剣っていうのはこう、朝になったら足が生えて擬態するもんなのか?」
自分で言ってて頭に蛆でも湧いてるのかと思う。でもどうだ? 現実は「朝起きたら盗んだ聖剣が無くなってて、代わりに床に少女が寝ていた」だ。紳士な俺は無思考でベッドに運んで毛布を被せたが、俺じゃなかったらこうはいかないぞ? 感謝しろ?
ともかく謎の少女は起き上がって毛布を退かし、ベッドに座ると、スンと寒そうに鼻を鳴らした。
「……お腹空いた」
「は?」
「お腹空いた」
あの、聞こえなかった訳じゃないんですが……。
ジッと上目遣いでコチラを見てくる少女はさながら愛玩用ペットみたいだった。どうやら起床即朝食を要求しているらしい。この少女、見た目に反して豪胆過ぎる。お前一応攫われてるんだからな? そんな事をするつもりはホント無かったが。
別に袖に振ってもいいが、しかし良く分からないとは言え結果的には少女を拉致してしまったという負い目は腐っても善人とは言えない俺の心にもある。
俺は「わーったよ」と粗雑に返すと、宿屋の一階で朝飯を取ってくることにした。
「さっきの話。半分合ってる、でも聖剣は人間」
「……は?」
パンをハグハグと食べ終え、ゴクリと飲み込むと少女は訳を分からないことを言った。さっきの話……多分聖剣が足を生やして云々の下らない話の事なんだろうが、いやホントにさっぱり分からない。
聖剣が人間? 何かの比喩なら分かるが物と生命体は違うだろ。
少女は俺の訝しげな表情を見て、更に口を開く。
「正確に、私は勇者。それで聖剣」
「………………はあ。つまり、なんだ? お前は元は聖剣で、人にもなれて、かつ職業は勇者ってか? それ、キメラか何かか?」
「ちょっと違う。私は人間。聖剣になったのは後」
無表情にそう告げる。
情報が多い。多過ぎる上に突拍子も無い。勇者で聖剣で人間……?
どれなんだ畜生。こんがらがって来たぞ全く、俺の情報処理能力を考慮しろよ? さっきから何回訳分からないと心中で呟いてると思ってるんだ。
しかし、こんな与太話にも程がある内容にも関わらず嘘をついてるようにも思えない。今まで冒険者をやってたからある程度は本当のことを言っているかそうじゃないか目や表情や言葉を材料に判断できるのだが、全くその様子は無い。まあ少女相手に測ってもって感じはあったが。本当、変な職業に就いちゃうと悪意に敏感になっちゃって仕方がない。
それにしても。
「聖剣になったって何だ? おい、いつから人は鉄の塊に合成される時代になったんだ?」
「覚えてない」
「はあ?」
「私は記憶喪失。勇者になる前のことなんて何一つ覚えてない」
相変わらず感情の読めない言葉を受け止めつつ、徐々に背筋から冷や汗が浮かぶ。
……もしかして、俺、爆弾拾っちゃったか?
勇者は王立教会でも最大戦力の、ある種大規模殲滅兵器みたいなものだ。伝聞でしか知らないが、曰く「勇者が聖剣を振るえば山は平地になり、海は割れ、湖は蒸発する」とか吟遊詩人が詠っちゃうくらい化け物だ。
それが、記憶喪失? それも都合良く聖剣になる前の全てを? 有り得ねえ、有り得るかそんなの。きな臭い。どうせ教会が何かしたに違いない。
全てを加味して考えてみよう。
……うん、もうこの少女、折角盗んだけれども帰した方が良くないか? どうせ今回の窃盗で得られた収益はゼロだし、この少女(聖剣)を持ってるだけでも馬鹿みたいに教会に目を付けられるのは間違いない。何せ教会にとって勇者は最大戦力だ。居なくなったとしたら血眼になって探すはず。たくっ、聖剣を盗んでさっさと闇市場に流して大金片手に雲隠れするつもりだったのが何でこんなことに……。
俺は息をつくと、表情を伺いながら静かに言う。
「………はぁ。なあ、スマンが帰ってもらっていいか? 盗んどいてアレだが流石にお宝が人間になるなんて計画外だ。金にもならんし、厄介事しかなさそうだしな。教会ならこの宿屋に面した通りを右に曲がって歩いていけば時間は掛かるが見えるはずだ、そこまで行けばもう大丈夫だろ」
「ヤダ」
「だからスマンがそこまで送ると普通に捕まるだろうから俺はこのまま逃げるが、お前は一人で………………は? 何だって?」
「ヤダ」
聞き間違いかな〜、と思って無視して話そうとしたが聞き間違いじゃなかった。
ヤダって何? そんな子供みたいな。いや、見た目だけなら子供だが。
「あのな? 俺は窃盗犯、悪い人なの。聖剣なんて闇市に売っぱらって豪遊しようとしてたわけ。だからな? 分かるだろ?」
「分かる。着いてく」
分かってないじゃねえか!
身動ぎ一つしない少女に頭をガシガシとつい強く掻いてしまう。悪者ぶってみたものの何の反応もしないしどうしたものか。と言うかこの少女、天然記念物並みにハッピーな脳みそをしているのか、それとも何が起きても対処できる自信あるのか、起きてから一切動揺を顕わにしていない。そのタフな精神だけ見れば尊敬してしまいそうだ。
「問題ない。同行する」
「問題なのは俺なの! 勇者なんか来られても俺は魔王も討伐する気微塵も無いし、何より教会に目ェ付けられたくないの!」
「そう。……で?」
え、何でちょっと強気なの。ちょっと怖い。拉致されたのに誘拐犯に付いて行こうとする精神、イカれてるだろ。拉致&リリースしようとしている俺も大概かもしれないが。
「……お前、勇者なんだろ? 何が不満なんだ? 前線に立たされるのを除けば待遇も悪くないだろ」
しきりに着いて行きたがる少女に不意に口が衝いた。
前線に立たされるとは言っても、一度聖剣を抜いてしまえば大抵の魔物は灰塵に帰すはずだ。危険性が無いとまでは言わんが立場やら金やらは余るほど手に入るのに、なぜそこまで……?
少し間をあけて少女は答えた。
「束縛、嫌い。自由に生きたい」
「……ほう」
小さな身体ながら、羽化したばかりの小鳥のようにどこまでも広がる大きな空に羽ばたきたいとその瞳は語っていた。
何となく、似た奴に出会ったことを思い出す。もう何年も前の話だ。
当時一端の冒険者だった俺は新人のクエスト指導を担当していた時期があって、その時に出会った少女───てかそいつも子供も子供だったのだが───も同じことを口走っていた。「村社会で終わりたくない、もっと自由に世界を巡ってみたい」と。勿論それは目の前にいる少女じゃない。髪色は黒かったし、瞳も宝石みたいな紫色だった。何より六年だ。六年。俺は22歳で、彼女もまだ元気に冒険しているのなら18歳。こんな小さいわけがない。性格だってもっと明るくて垣根も無く人と仲良くなれる奴で、まあ頑固なとこは共通している気もするがそれだけだ。
俺は頭を振って、そんな思考を頭から追い出す。
「……自由に生きたい、ね。良いんじゃないか? 俺もこんな身だ、共感を覚えなくもない。……突然で悪いがトイレ行っていいか? ちょっと催してきた」
少女はコクリと頷いた。悪いな、と言いつつ俺は財布の入ったポッケを叩いて扉を出る。
そのまま宿屋にある共用トイレに───行くわけも無くフロントでチェックアウトの手続きを始める。
そっりゃそうだろ! 勇者? 聖剣? 記憶喪失? 自由になりたい? 絶対に絶対厄ネタじゃねえかそんなの!!
関わるだけ損するのは目に見えてる。そもそも俺は窃盗犯は窃盗犯でもない、義賊だ。私腹を肥やす腹の黒い貴族やら豪商から少しお高い物を拝借し、闇の付く市場で捌き、金は全て孤児院やギルドに還元する。
つまり勇者とは相容れない立場で、俺という人間は本来勇者に御用される立場の人間なのだ。プラス、教会とも敵対しているからして一緒にいるとか冗談じゃない。まだ魔王と卓を囲って茶でも飲んでいる方がマシだ。マシ。は〜帰るか。
宿屋の主人に金を払って外に出る。いや〜こういう時に自分の旅支度の少なさに感謝してしまう。着の身着のまま、あと財布と幾ばくかのポッケに入る荷物だけで異国だろうと何だろうと旅が出来る。遠出する気力はないけれども。
外に出ると朝の日差しは眩く地面を照らしていた。天気は良好、少し買い物した後に手仕舞いして帰れば是非は無し。
歩き始めようとして、背中をツンツンと突かれる。
「置いてかないで」
「……………………なんでいるの?」
「……? 外に行こうとしたことなら、気で分かる」
いざ行かんと一歩踏み出すところで少女はぬるりと背後から現れた。いや、気って何? お前は暗殺者か何かか? 本当に勇者なんだよな?
「無言で出立なんて、卑怯」
「いや察せよ! 俺はお前を連れてきたくないの!」
「ダメ」
ダメってのは俺のセリフな!
このまま居ても仕方ないので歩き始めてみる。当然少女も着いてきて、自然と溜息は溢れる。
「あのなぁ、お前は教会帰れよ。それで全てが丸く収まるんだよ」
「ヤダ」
「勇者だろ? 魔王倒せば自由とか簡単に手に入るだろうしホラ、希望が見えたし帰りたくなったろ?」
「ヤダ」
駄目だコイツ。てこでも動こうとしやがらねえ。受け答えとか完全に子供のそれだ。いや、子供だけどさぁ……なんか納得いかねえんだよな。
てか、何でそこまで俺に拘るんだ?
「じゃあ勝手に逃げればいいだろ? あんま知らんが勇者ってくらいならかなりヤれる口だろ?」
「……ヤれるなんて卑猥」
「そういう意味は孕んでねえよ!」
「孕む……!?」
「いや、ああ、もう面倒くせえ!! もう自分の家帰れ!」
「ヤダ」
「そこだけ即答すんな頼むから!」
分かりました帰ります、とだけ言ってクルリと反転してくれればどれだけ俺の心が楽になるか。
当然俺の願望が少女に届くはずもなく、何が不思議なのかコクリと首を傾げた。
「もしかして……窃盗犯さん、幼女趣味?」
「違ぇよ!」
一体、どういう教育受けたら齢15も行ってなさそうな少女がそんなこと口走るようになるんだ。恐らく見た目的にこの少女だって神父かシスターと一緒に暮らしているはずだが……王立教会も思っているより多様性に富んでいるということなのか。性癖の多様性とかあるようなら俺も教会に対する認識を少し、360度くらい変えなくちゃならないだろう。
「その話は一切違うから一旦捨てろ。じゃなくてだな、お前結構強いだろ? なら教会何かに頼らなくとも生き行けるだろ?」
と、まだ社会も知らなそうな少女には少し過酷かもしれないが冒険者ギルドとかで日々魔物相手に小銭稼ぎしていれば生活には少なくとも困らないだろう。なんせ勇者ならネームド、一攫千金級の魔物だって倒せるはずで。いやでもこの少女、勇者なのに聖剣になれるとかいう意味分からない能力あるからなー。今は少女の形をしているけど聖剣は自分で扱えるのだろうか?
まあ今はどうでも良い疑問か。
「私、この世界を知らない。生きていく方法も、何も。記憶が無いから」
何一つ気負った感じも無く、少女は言った。それが良いことなのか悪いことなのかは分からない。ただ確かなのは、王立教会がクソだと歴然とした事実だけだ。
「何も知らないのに自由を望むってか? 自由ってものも思ってるより良いもんじゃねえ。自由には常に責任が伴うぞ」
「ある日突然記憶喪失になって、勇者になって魔族を殺せと言われるよりはマシ。それしか生きる術を知らないからずっとそうしてただけ、抜け出す機会はいつも狙ってた」
「とんでもねえ少女だ」
つまりずっと機会を伺い続けて、偶然やってきた好機に乗じてしまいたいと。本当に勇者かお前? という疑問も依然あるが、それ以上にこんな形で勇者を酷使する王立教会に反吐が出る。こんなのほとんど奴隷じゃねえか。何が神の思し召しだよクソが、胸糞悪ぃ。
……はぁ。
無駄な感情と割り切っていても、割り切った分だけ同情心は膨れ上がる。同情心だけじゃなく"何とかしなきゃいけない"という使命感付きだ。俺の中の俺はどうやら少女を助けようとしているらしい……馬鹿か? 助けるって言ってもコイツは別に貧困に喘いでいる訳でもなければ理不尽な運命に晒されている訳でもない。勇者という重荷はあれど、死の危険はあれど、基本的に生活的な不自由はしてないはずだ。
なのに俺は決意してしまっていた。
「……そうだな、そうか、クソ。分かった。俺と来るか?」
「最初からそう言ってる」
「お前はもうちょい遠慮しろ」
少女は当然とばかりに言った。
全く感情が表に出ないのもきっとこれまでの生活のせいだろう。だからと言って俺と一緒に来て治るかは分からんが……まあ、意外と図々しいから治らなくとも生きてけるだろう。
「いえ、勇者さんには帰って来てもらいますよ」
───何かが飛んでくる!
反射的に身を屈ませると頭上をヒュンと銀に煌めかけて通り過ぎる。ナイフだ、投擲用の。
投げられた方向を確認すればすぐにその異様な出で立ちに目を捕らわれる。
青い髪の少女だった、年は17とか18とか。少なくとも20は超えてなさそうな顔立ち。黒と白のコントラストが印象的なシスター服を着用していて、首元で黒のリボンが結ばれている。胸元には金の刺繍で何か、華のような絵柄が入っていてそれがシスターの異様さを更に引き立たせている。
だが一番はアレだ、シスター服なのにスカートが矢鱈と短い。膝上まで伸びた生地は柔らかそうな太ももを隠すに至っていない。腰元に無骨な長剣を一つ携えて、右手を柄に当てながらこちらを睨み付けている。
「こんにちわ、拉致誘拐犯さん。今朝もお天気ですね」
「よお、シスターさん。ただ今日は晴れときどきナイフらしいから気を付けな、俺はさっきくたばりそうになっちまったぜ」
「そうですか。死ねば良かったのに」
「そりゃ随分なご挨拶だな。……んで勇者、アイツは?」
少女は変わらない仏頂面で静かに頷いた。
「私のパーティーの一人。ミルナ、剣士」
「ってことは仲間だろ。ほら、帰れる最後の機会だぞ」
「ただの剣士じゃない。ミルナは私の首輪」
首輪……。要するに、勇者の監視役ってとこか。
まあこんだけ自由になりたいとか思ってたんだ、それを他に言い振らしててもおかしくねえわな。当然それを良く思わない教会はどうにか手元に残しておける手段を講じると。
ミルナは剣を鞘から抜くと、右手で持って構えた。……片手? 小盾を使うならまだしも、空手?
「おい勇者、逃げるぞ。逃げて良いよな? 俺切った張ったの一対一とか嫌なんだよ、本当にアレ恐怖しかねえ。やってられるか」
「……私が戦う?」
「戦わせられるかボケ!」
ああ、ったく!
悪態を吐いても仕方がないが、いやでもこれに関しては巻き込まれ損だろ! 聖剣盗もうとしたのは謝るが勇者は本当に知らなかったって!
…………まあ、慌てる必要も無いか。俺を誰だと思ってるんだこいつらは、義賊だぞ義賊。言わば盗賊の仲間だ、信条も行動原理も全く違うがやってることはまあ似たもんだ。だからこういう時のための逃亡手段くらい常に2つ以上は持ってる。
俺は腰から短剣を抜刀して構えると、勇者に目で訴える。それを察した勇者は途端に背後へと走り始める。
「勇者さん? 全く、逃しませんからね? 貴方にはやってもらう事が沢山あるのですから」
「余裕そうだな、余裕ついでに俺と一太刀交わそうや」
「……まあ拉致誘拐犯さんは弱そうですからね、良いですよ。一太刀で沈めて差し上げましょう」
なあ、その拉致誘拐犯さんって呼び方止めない? 敵とはいえちょっと気になる。
「ま、見縊られたってなら痛い目に遭うだけだから良いがな!」
そう言って俺は地を蹴った。足元の土が舞い上がり、指数的にミルナの姿が巨大化する。
先行する影と影が交錯し、剣を振ろうと……いやダメだ! これだと消される!
瞬時の判断で無様に横に見を投げ出し地を転がると、一寸後に凄まじい風圧が肌を撫でる。
すぐに理解する。
ただの横切り。それだけだ。
なのに見えなかった。前兆動作も、剣の軌跡も。
追撃を逃れる為にバク転で立ち上って、バックステップで距離を取る。幸いな事に肉薄しようと接近してくることはなく、ミルナは余裕気に佇んでいた。
「良い直感ですね、一点差し上げましょう」
「一点ねぇ? 貯めると何があるんだ?」
「点数の高い神への供物になります」
「何だそれ。意味分かんねえ」
「そうですか。……なら、理解するまで斬るまでです!」
冷淡な表情でミルナはコチラへ駆け出した。
マトモにやったら勝てないだろう。このシスター、異常な強さだ。あの長剣の一振りは短剣じゃ受け切れない。軌跡を反らすのも多分無理だ、そこまで短剣に習熟してる訳でもないし失敗したら両腕持ってかれる。
だから、踏み込みから予測する。縦の一閃。ならまた横に転がるまで。
ゴロゴロと避けて、更に振り向きながらの鈍角の逆袈裟に跳ね起きながら後ろへ下がって回避。ついでに持っていた短剣をミルナの右目に投擲するがキィンと弾かれ───。
「危っねぇ!?」
弾くどころかこっちに打ち返してきやがった!!
反射的に身体を捻って致命傷を避け、れずに右腕に深々と刺さる。マジで痛ぇ。お陰でこの戦闘はもう左腕で戦わなきゃいけない。いや無理だろこんなの、何でシスターさんこんな強いの? もっと清楚に祈祷しててくれよ。
瞬間、俺の頭に衝撃が走る。
「降参してくれたら殺しはしませんよ? 勇者さんも追いかけなきゃなりませんし」
「……へへ」
「遂に頭が狂いましたか? それなら結構、気兼ねなく脳味噌を剣で貫いてブチ殺せます」
段々本性なのか粗雑な言動が目立ってきたミルナに、俺はようやくかと足を止めた。
「どうやら思ってた以上にアンタは強いらしいな。勝てねぇよ今の俺じゃ」
「当然です。勇者さんに寄生した愚昧なるゴミ如きが私に死を齎す? 思い上がりも甚だしいですね」
「ひでぇ評価だ。ま、もういいがな」
「もう良い?」
ああ、と心の中で返事する。
目的は達した。もう俺がこうして戦う必要も無い。
「帰るんだよ、帰宅だ帰宅。もう戦わねえからこの善良な市民を家に帰させろ」
「無理です。では、さようなら」
ミルナの鋭い突きが迫る。まあ、流石俺。手際の良さだけは自己評価しなきゃならないな。
俺はそのまま神速にも思える突きを食らい、水蒸気となって霧散する。
「……! 消えたのですか。面妙な」
残されたのはシスター姿の少女一人。奥歯をギリッと噛み締め納刀すると、すぐさま勇者が逃げ去った方向へと走り去る。
───な〜んて事になってるだろうな、向こうは」
適当な飲食店に入ってジュースを飲みながら微睡んでいると、魔法で生み出した影がカッ消えて俺の中へと戻ってくるのを体感する。おうおうお帰り、時間稼ぎ中々良かったぞ? とか言ってても聞こえねえし興味ねえか。
「……窃盗犯さん、何者?」
「あのな、ずっと気になってたんだが俺にはライセって名前があるんだ。そっちで呼べ」
「ライセ? それが名前?」
「ああ。そしてお前の名前もさっさと教えろ。もうここまで来ちまった以上呼び方に困ってても馬鹿らしいだろうが」
少女はジュースを一口ゴクンと飲むと、小さな声で言う。
「リュナ。それが記憶を失ってからの名前」
「そうか、リュナな」
「それでさっきの、説明して。何でミルナは私もライも無視したの」
「ライじゃねえよ、ライセだ。さっきの……っても言葉にすりゃ簡単だぞ。魔法を使って夢幻を見させただけだ」
本当はそれだけじゃないのだが、ややこしいので今は黙っておく。
俺は宿屋を出たその瞬間に魔法を発動させた。東の魔法と呼ばれる種類の魔法で、まあ細かいことを除けば水を操作する事ができるってだけの魔法だ。
空中に霧散している水蒸気で像を作り上げ、魔法で実態を持たせる。そうすれば簡易的な目眩ませの出来上がりだ。後は空中の密度を弄って蜃気楼のような形で姿を消せば仕込みは終わり。宿の外でリュナに話しかけられたのはビビったが、ともかく襲撃された俺とか一直線に逃げたように見えるリュナは有り体に言って
「あと、髪の毛とか顔とか。何で変えたの」
「変えたんじゃねえ、戻したんだ。それに金髪のまま歩いてみろ、すぐにまた強襲される。顔立ちだってそうだ。そりゃ聖剣なんて盗むんだから用心してこの街に来る前からメイクくらいやるに決まってるだろ」
純粋に理解出来ないのか、小首を傾けるリュナに溜息をつく。
宿を後にした後のこと。俺は人気皆無な路地裏に行くと、すぐさま金色に染めた髪や化粧で中途半端に濃くした口と顎の髭、色の薄くした顔を元に戻した。更にリュナの服の上から灰色の外套を頭からすっぽりと被せたり、まあ3分くらい掛けて素の状態に戻ったりリュナを目立たなくさせた訳で。
「窃盗って大変」
「なんかその同意のされ方もおかしい気がするが……」
俺が言うのも大概かもしれないが、やっぱり教会の幼児教育頭おかしいんじゃないか?
少し間を置いて、リュナは口を開いた
「……何で窃盗なんてやってるの?」
「窃盗……って言うとホントは違うんだがな。義賊って分かるか?」
「義賊?」
「悪い奴から高いもん分捕って、それで得た金を民衆に還元する。富の再分配ってやつだ」
と、自己正当化したがこの行為はどこまでいっても独りよがりな偽善に過ぎない。結局は犯罪だ。見つかれば俺は万に1もなく死刑だろう。それでも、この国の在り方は民衆にとってはそれだけ歪なのだ。
「私、別に悪いことした記憶無い」
「勇者個人にはなんの恨みも無かったが、王立教会自体はどうもな。教会は汚職まみれで、非人道的な事もやりやがる。何より魔王領域に侵略してるのが気に食わねえ」
国政干渉なんて序の口で、異教徒差別や無宗派への圧力は当然。更に神敵として魔王領域にいる魔族まで殲滅しようと目論んでいるとあっちゃ、支持する理由など一つもない。魔王領域は俺の師匠もいるし、友達もいる。根絶やしにさせるわけには行かない───まあそもそもの話素直に死ぬような弱い奴は魔王領域だとそう多くはないが。
「まあ、んなことは良いんだ。どうせ暫くは義賊は休業だしな。とにかく帰るぞ。この街に長く滞在しても良いことなんて1つもねえ」
「ん。着いてく」
金をテーブルに置いて立ち上がった。