黙示録   作:冠龍

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逃亡

 焦燥が彼の声を否が応でも荒げさせる。怒りの矛先は、厄災を招いた真の首謀者へと向けられた。

 

「全部オマエのせいだヘレン!こうなるのが狙いだったんだろう!!そのために私やスティーブンを利用した、そうだな!!」

 

容赦のない怒号を受けても、対する首謀者ことヘレン・カッターの返答は、あくまでも冷ややかだった。

 

「だから言ったでしょうニック。これは“実験”よ。過去が変われば未来も変わる。互いがどのように影響し合っているのか確かめる最高にして、唯一無二の機会なのよ。それを……。…貴方も魔がなりにも科学者なら、他にもっと考えるべきことがあるんじゃないの?」

 

憎らしいほどの身勝手な言い分にカッターが激情で返す

 

「今はそんな悠長なことを言ってられる状況じゃない。人類が滅ぶかどうかの瀬戸際なんだ!君は奴らの恐ろしさを世界の誰よりも知っているはずだ。たった1頭でも歴史の崩壊を招きかねない生物が、しかも今じゃ群れだ!!」

 

これにヘレンは、『人類は滅びたりしない。仮に滅んでも私達が蘇らせれば良いのよ。』と悪びれる様子もなく答える。

 

そこへ仲裁も兼ねて電話を切り上げたスティーブンが加わった。

 

「悪いが話を聞いてくれ。さっきコナー達と連絡が繋がった。みんな無事らしい。何でも今は、レックスを取り戻した後に本部へと向かっているんだと。もちろん車でだ。だけど銃火器の類いの持ち合わせが少ないらしいから、時間との勝負になりそうだ。もし万が一にでも、あの薄気味悪いコウモリ共に捕捉されれば―」

 

これにはカッターも顔色を悪くせざるをえない。しかし流石に亀裂調査メンバーの主任だけあって、その頭の回転は早かった。

 

「とりあえず我々も本部へ急ごう。今は一刻を争う。こうなった以上は君にも協力してもらうぞ、ヘレン。」

 

ヘレンはまたしても薄黒い微笑を浮かべ、白とも黒ともつかない台詞を吐く。

 

「…イヤだ。と言ったら?」

 

『有無は言わせない。』愚問に構っている時間などなく、カッターはかつての婚約者を冷たくあしらう。

 

「…君の身柄はレスターへと引き渡す。その後についても、私は一切の弁明をしないし、もちろん処遇のレスター達に任せる。」

 

『何か言ってよ』と言わんばかりの目で見つめられたスティーブンだが、流石に今度ばかりは異論の挟みようがない。小さく、それでいて確かな相槌を送る。

 

「愛想尽かされた、って訳ね。どのみちこの怪我じゃ逃げるに逃げられないわ。行きましょ。」

 

見ればヘレンの肩には真っ赤に染まった包帯が巻かれている。簡易的な手当てだが、この怪我では周囲の狩人を引き寄せるのは時間の問題だろう。例えこの二人を振り切れても、半日と経たず冷たくなっている。いかに彼女が優れたタイムトラベラーだとしても、無茶が過ぎる。車が走り出し、発車の衝撃で外れかけのサイドミラーが道路へ転がり落ちる。

 

カッターらに知る由もないが、そこには不吉な“追跡者”が映り込んでいた。

 

 

 * * *

 

 

背後から延々と届く悲鳴をBGMに、数頭のコウモリが丘向かいの宿舎へと向かう。未だ狂乱冷めやらぬ楽園を後にた彼らの歯爪は、姿なき楽園の主へと向けられていた。目には見えずとも、心臓の鼓動が嫌でも脳髄まで届く。これでは自分から『殺してくれ』と言っているようなものだ。おまけに前方からは騒々しい機械音や従者の咆哮も木霊している。どうやら従者と思しき獣は、中の主人へ必死に危険を知らせようとしているらしい。悲しいかな。それに対する答えは沈黙だけ。手練の殺人鬼がこの好機を逃すはずがない。背骨と前腕を屈伸させて力を蓄え、それを一気に開放することで時速125kmもの超スピードを実現した。現代において地上最速の肉食獣であるチーターでさえ、最大でも時速110kmしか出せず、それさえも約10秒しか持続できない。ところが、この未来の生物兵器に人類の常識は通用しないのだ。この矛盾を紐解く鍵は、捕食者の細く引き締まった身体に秘められていた。

コウモリの体重は平均500kgに達する。だが見かけでは到底それほどの体重があるようには思えない。真の秘密は筋肉と骨格に隠されていた。彼らの全身を包む筋肉は通常の哺乳類と異なり、その密度が ―とある大学生によって推定された値― 他種4〜5倍となっている。文字通り引き締められているのだ。それに支えとなる骨にも細工が施してある。通常のコウモリでは飛行に適応するため骨の内部が空洞化し、これによって体重の大幅な削減が可能となっている。これは進化した未来のスーパーコウモリでも同じだが、重要なのは空洞化された箇所。移動や攻撃に使われる四脚の骨には空洞化が施されており、これによって少ない力でも楽々と脚を自由自在に振り回るのだ。それに対して胴体、とりわけ背骨と胸骨の体密度は非常に高い。これは重心の位置を身体の一点へ集中させるための秘策だ。要は振り子と同じ仕組みである。纏まった重量を起点とすることで、残る手足を最大限活用した振り子運動を実現するのである。別に鉄棒よろしく吊り下がって遊ぶのではない。彼らは、まず周囲の立体物へ硬質な爪を引っ掛け、そ掌の微細なシワを壁面の凹凸に密着させる。こうすると圧力の関係で手が外れない。手が一瞬だけ固定されたタイミングで、後脚をバネ仕掛けのように動かす。同時に固定していた手の力を緩め、さらに相反する動きで肘と肩の筋肉を開放する。するとコウモリの身体は弾丸を思わせるスピードで射出され、十数m離れた標的まで軽々手が届くのだ。

 

疾風が木柵をぶち破り、レンガ塀を苦もなく飛び越える。先程から超音波を捉えていた牧羊犬は、いよいよ迫り来る死神を前に竦んでしまった。気丈にも一匹が空元気の咆哮で威嚇するも、耳障りとばかりに一蹴されてしまう。運悪く宿舎の方へ逃れていた家畜は再び異能の力に晒される。今度はすんなりと逃げられそうにない。先程は群れの仲間が生贄となってくれたので、歩みの遅い彼らでも逃れる隙が生まれた。しかし今や仲間も少なく、おまけに隠れ家を求めて不慣れな人宅に入り込んでしまっている。そして庭には忠実な番犬。ここに進退窮まった。まさに『前門の虎後門の狼』と言ったところだろう。しかも前に立ちはだかっているのは、虎ですら10秒と持たずに惨殺される程の化け物である。

 

そのころ牧場主は、依然として敷地内が地獄絵図となっている事に気付いていなかった。呑気にもリビングのソファーに腰掛けながらのドラマ観賞。どうやら長編スリラー(クワイエット・プレイス)に浸っているらしい。よほどのお気に入りらしく、食い入るように観ているが、よもやこれから彼自身が、全く同じ目に遭うとは夢にも思っていないらしい。無理もない。何せ死因は、この現実世界に存在しえないはずの鉤爪なのだから。

それでも普段なら外の絶叫なり倒壊音に気付けたはずである。それで只事ではない事を早急に察知し、狐狩り用の猟銃を片手に外のバンに乗り込んでエンジンを掛けていれば…。 一縷の望みくらいはあったのかもしれない。

 

ところが近頃の彼は少々浮かれていた。というのも、ここ最近家畜の注文が激増した事で大儲けしていたのだ。最初は例の取り引き先の要望によって肉牛を買い揃えていたものの、金に余裕が出来れば他の家畜にも手を出し、今や大小10種以上の動物が敷地で自由気ままな日々を送っている。なんでも買い手は相当の大金持ちらしく、その後もありとあらゆる牛、馬、羊、山羊、鳥類を買い漁っていた。それに頻度も尋常ではなく、多いときには数日に一回のペースで家畜を買いに来た。少し変わっていたのは取引の存在を隠す事。その詳しい理由は教えてくれなかったが、この際どうでもよかった。前々から纏まった金が欲しかった牧場主にとって、新たなお得意様(リーク)は格好の金蔓となっていたのである。

 

本人は知ってか知らずか、世界を揺るがす陰謀に加担していたのである。そして『因果応報』は、英国でも通じる。ようやく迎えた映画のクライマックスシーンへ横槍を入れられた。せっかく恐ろしい怪物が知恵と火薬により撃ち倒されるというのに、一体誰が邪魔をしたのか?イライラを募らせた彼が立ち上がると、目線は無理もなく窓際へ走った。

そこあったのは画面越しにしか存在しないはずの血溜まり。まさか映画の見過ぎで幻覚でも見たのかと思うも、さすがに考えすぎだと理性が告げる。恐怖のあまり食べ欠けのスコーンを落とした彼は、急いでリビングを後にした。急いで玄関へ向かい、ロッカーを叩き開けて中の猟銃を取り出す。これは最終手段だが、命には換えがないのだ。迷いはない。装填と身支度を整え、玄関へ向う。今や残虐な何者かが家の敷地、いや間違いなく屋内に潜んでいるのだ。しかも血溜まりを一目見れば分かるとおり、餌食となればフィクションさながらの惨たらしい末路を辿るのは間違いない。『殺るか殺られるか。』熊どころか狼すら絶滅させてしまった英国では、久しく使われることのなかった狩りの代名詞である。こちらは銃火器、相手は異能の力。どちらが勝つのかは分からない。おそらく逃げようとしても背後から襲われてBADENDまっしぐらだ。戦うより他に道はない。

 

牧場主は銃弾を装填し終え、いざ決闘の幕を開かんとリビングのドアを蹴破ろうとした…。その時だった。彼は致命的な事に気が付いたのである。にわかに鳥肌が立ち、冷や汗がシャツをぐっしょりと濡らす。

 

“リビングのドアが開いている”

 

閉め忘れたわけではない。この非常事態に身の安全を疎かにするほど彼の頭は鈍くない。彼はたしかにリビングのドアを閉めたのだ。なにせ相手はリビングの窓ガラスを割って侵入している。ならば当然リビングに潜んでいるはずだ。具体的な場所こそ分からないが、それでも部屋ごと隔離してしまえば問題ない ―もっともガラスを一撃で破壊するような化け物なのだから気休め程度にもならないだろうが。

 

そのドアが開いているのだ。これ以上の恐怖はない。玄関の広さなどたかが知れている。これらが意味するところはただ一つ。

 

そして牧場主は死んだ。銃声どころか叫び声も残せずに。きっとコウモリ達にとっては退屈も良いところだったに違いない。それはさながら世界の未来を暗示する様相だった。薄気味悪いせせり笑い。それすら破滅への前奏でしかなかったのである。

 

 

 

《状況》

 

・収容施設が陥落

・大半の生物が脱走

・近隣の牧場が壊滅

・複数の家畜が脱走

 

《死亡》

 

・リークの部下5人

・水棲霊長類(メス)

・家畜(約25頭)

・牧場主←NEW

 


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