胡蝶家の娘達
ある日の夜、日中に世界をぎらぎらと照らし続けた太陽に変わって、今日も月と星々のほのかな光が大地へと注がれる。その静かに世界を色付ける淡い光はある種の優しさすら感じさせてくれる。
だというのに、今日も世界の夜には優しさなどまるで感じることのできない、悲惨で残酷な嗤い声が響渡っている。
「ひゃっはっはっは!!こんなもんかよ!鬼狩り様よ!!」
「あがっ、はぁはぁはぁ」
負けられない、負けらないんだ、僕は必ず鬼を、この世から消すんだ。誓ったのだ。死んだ家族に、殺された妹に、もう2度とこんな悲劇を起こさせないと、なのに、なのに、どうして身体が動かない!
策はあった。油断していた鬼の頭上からの奇襲、それ自体は成功した。鬼は心底驚愕していたし、気づいた時には随分と慌てていたものだ。
だがそこで、この作戦の要である鬼の首を断ち切ることができなかったのだ。振り下ろした刃は鬼の首の半ばで止まりそこから振り抜くことができなかった。
目の前で自身の急所に刃を突き立て、今まさに振り抜こうと力を入れている人間を鬼が黙って見ているわけもない。一瞬で殴られ、蹴られ、裂かれ、内臓に至るほどの深い裂傷を受けて、少年は弾き飛ばされるように地面を転がっていく。そうして今の状況に至るわけだ。
「残念だったなぁ、首を斬れなくて。噂の鬼狩り様とやらも、やっぱり所詮は人間だなぁ。人間が鬼に勝てる訳がないんだよ。無駄な努力を御苦労さんだったなぁ」
にったりと口元を歪めて嗤う鬼が涎を垂らしながら、仰向けに倒れ込んだ鬼狩りの少年へと近づいていく。悔しい、そう思う少年の目元からは涙が溢れた。僕の努力は無駄だったのか?僕の誓いは、想いは果たされないのか?
家族を殺されてからずっと鬼を殺すためだけに刀を振るってきた、なのに届かない。どれだけ努力しようとも結局自分の刃は目の前のただの鬼にすら届くことはなかった。
輝く月と星を見上げるように仰向けに倒れた少年の心に絶望の暗雲が広がっていく。
—
突然空気が震えた。そう錯覚するような振動が倒れた少年へと伝わる。そして、その振動を受けたその時、こちらに歩いてきていた鬼の体にはもう首がなかった。
「どうせ死ぬのに無駄に人間殺してんじゃねぇーよ、鬼っころが」
いつの間に現れたのか、次いで聞こえたその声の主の姿を見て少年は安堵の息を吐いた。白く長い髪を後ろ手に縛った自分とそう歳の変わらない少年が身に纏った黒い服装に滅の1文字、鬼殺隊の隊士だった。
◆
「…喋れるか?名前が言えるか?」
間に合わなかった、眼下で無残にも内臓を引き裂かれ、息も絶え絶えの様子の1人の隊士を見て
「っ…ゴホッ、なり、た、…けい、いち…」
「…けいいち、何か言い遺すことはあるか?」
臓器にも達しているその傷は深く、このような山中ではどうやっても彼を救うことは出来ないだろう。なら、自分にできることは死に行く彼を見守り、その最期の言葉を聞き届けることだけだ。
「はぁはぁっ…お、にを、…ころし、てっ…もう、っだれも、くわ、れないように……どう、か…ど、う、か…」
「…あぁ、鬼は必ず殺す。鬼に人を喰わせたりはしない。お前の想いは消えはしない、必ず俺が持っていく。だから安心して眠れ」
「…けいいちさんの死亡報告を頼みます。俺は、次の任務に向かうので」
月の光に導かれるように、夜の闇の中で長い眠りについた少年から目を離すことなく、
◆
「なるほど、それで連日連夜動きまわって、鬼を倒し続けた訳ですか。…意思は理解出来ますが、それでこのような怪我を負うようでは本末転倒ではないのですか?一体これで何度目ですかね、貴方の治療をするのは?…私も暇じゃないんですよ?分かってるんですか、
そう呆れたような、僅かに怒っているような、そんな表情をして
「いやぁー、分かっていても止まれない時ってあるじゃないですか。怪我をするのは、えっと、そう!しのぶさんに会いたくて!」
「…呆れて物も言えないという言葉がよく分かったわ」
心底、呆れたと言った様子で、しのぶはそう呟いた。だいたい、この男は何かと慌てると言い訳にこういうことを言うが、意味がわかっているのだろうか。好いている相手がいながら女性を拐かすような発言をするという部分が非常に釈に触るのだが、彼がまた生きて戻ったことに安堵もしている。
自分がこうして同じ人に何度も傷の治療ができるということは彼がそれだけ鬼との戦いで生き残っているということでもある。大抵の隊士達はそもそも助からない。仮に一度治療できたとしても再起不能となるか、回復したとしても次には生きて戻っては来ない。それを考えれば自分の発言が如何に贅沢なものであるかということも分かる。
仕方ないと言った風に
「こ、困ります!しのぶ様はまだ診察中でして…あっ!?」
「しのぶさん、怪我したから見て欲し、あ、信乃逗だ。久しぶりだね」
入室を止める声にも関わらず急に扉を開けて入ってきた人物はしのぶもそして
「
彼女もまたしのぶが何度も診察してきた数少ない人間の1人、いわばこの蝶屋敷の常連だ。しのぶは溜息をついて、真菰の入室を必死に止めていたまだ幼い少女であるきよに大丈夫だという旨を伝える。
「…あぁ、久しぶりだな、
「そうだね、前にあったのは合同任務の時だから、それくらい前だね」
その間にも
「それで、貴方は今度はどこを怪我されたんですか?」
一通り再開の挨拶を交わした様子の2人を見て、しのぶは
「大したことない擦り傷なんだけど、…ちょっと毒を貰ったみたいで、口から血が止まらなくて」
「はぁー!?」
「なんで平気な顔して歩いてくるんですか!?大したことでしょうが!!すぐにそこに横になってください!!全くもう!!毎度毎度、貴方達2人はもう少し身体を大事にしてください!」
一瞬で、感じた嬉しさを吹き飛ばしてくれる驚愕の発言に、しのぶは怒鳴り散らして
「えー、俺もですか?
「あばらが三本も折れて内臓に刺さってるのに、平然と歩いてここまで来た人が何を仰ってるんですか?馬鹿なんですか?死ぬんですか?いっそ死にます?」
「なんのおすすめ!?怖いわ!!途中からただの罵倒でしかないじゃん!?」
「ああ、もういいですから、これから
しのぶの大きな呼び声に遠くから、とてとてと小さな足音が2組ほど廊下を走ってくる音が聞こえてくる。
「失礼します!しのぶ様、お呼びでしょうか」
そう言って部屋の扉を開けたのは小さな女の子が2人。言葉遣いはともかく、まだ、幼いその容姿はとても侍女のようには思えない。そういえば先程
「あのー、しのぶさん?この子達は一体?」
「あぁ、そういえば
「すみといいます。宜しくお願いします!」
「なほといいます。宜しくお願いします!」
ひと月前と言うと、ちょうど俺が怪我が治って任務に出た時だろうか。となると、この少女達とはちょうど入れ替わりのようになったということだろうか。
しかし、蝶屋敷に引き取られるということは、それはおそらく普通の慈善活動とは異なる。幼いと言っていたからには見た目通りの年齢などなのだろう。歳の割には丁寧な口調で、尚且つ仕草も普通の村娘とは違って随分と綺麗だ。それはつまりお金をかけて教育を受けているということになる。そんな子供達を蝶屋敷で引き取るということは、おそらくこの子達にも鬼関連で何かあったということだろう。
さりげなくしのぶに視線を向けると、彼女もこちらの意図に気づいたのか、僅かに目を伏せる。
ならば彼女達もまた想いを背負う自分の仲間だ。
「なほ、すみ、その人を空いている寝台に寝かせて、起き上がれないように縛りつけておいてください」
「分かりました!」
「はい!固定します!」
(……はい?)
1つだけ言えることはこの子達に悪気はなかった。ただ幼い子供とは素直なのだ。
御一読頂きましてありがとうございました!
御意見・御感想頂けますと幸いで御座います。
少々作中の時間を開けました!
次回も読んで頂けますと幸いです!
真菰ちゃんは神ですので!