鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

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お久しぶりでございます!


戻らない日々

 

 

 

 陽が昇り始めた早朝、今日も当たり前のように差し込む朝陽が世界を色鮮やかに飾り付ける。

 

 

 窓辺から差し込む明るい陽の光に照らされながら今日も彼は深い眠りから醒めることなく眠り続ける。

 

 

 そんな彼の様子をしのぶは今日もゆっくりと診ていく。ここ最近は指令がある時や急患以外では殆ど日課のように彼の様子を診ている。ともすれば死んでしまっているのではないかと疑うほどに安らかに眠り付いている彼の静かな呼吸を聞いてほんの少し安堵する自分がいる。

 

 

 彼がこの長い眠りについてから既に2ヶ月が経とうとしている。

 

 

 

(怪我は随分とよくなってきている。なのに……どうして意識が戻らないのよ)

 

 

 

 あの時と変わらず、安心したように微笑んだまま眠り続ける信乃逗(しのず)の様子をしのぶは悲しい表情を浮かべてみつめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2ヶ月前、近くの街に十二鬼月が現れたという連絡と応援の要請を受けてしのぶもすぐにその場に向かった。あいにくと別の指令を受けて蝶屋敷を離れていた自分には随分と遠い場所だったが、半日以上走ってなんとか件の街に着いたのだ。

 

 

 だが、ついた時には全てが終わった後だった。岩柱の悲鳴嶼(ひめじま)、姉としのぶにとって命の恩人でもあるその人が十二鬼月を狩ってくれていたのだそうだ。

 

 

 事が既に終わっているとはいえ、それでもしのぶに要請があった以上この場には怪我人がいるはずだ。まして相手は十二鬼月、それも下弦とはいえ弐。

 

 

 簡単に言えば十二鬼月という鬼舞辻配下の強力な鬼の中でも8番目に強い鬼ということになる。悲鳴嶼(ひめじま)は応援の要請を受けてきたと言っていた。ならばそれまで十二鬼月と戦っていたもの達がいる筈だ。最悪の場合、被害は鬼殺隊だけではなくこの街に住む住人にも及んでいる可能性がある。

 

 

 そうして事後処理に当たっていた隠の者に話を聞けば非常に重篤な隊士が1人いるのだという。

 

 

(それを先に伝えなさいよっ!)

 

 

 怪我人がいるのであれば最も優先するのは事後処理ではなく救命活動だ。蝶屋敷でしのぶが治療を初めてからというもの強く訴え続けてはいるが、どうもそのあたりの考えが未だに鬼殺隊内には浸透していない。

 

 

 若干の苛立ちを覚えながらも他の怪我人の情報を聞いていくと、その被害はしのぶの想像していたものより随分と少なかった。死者4名、重傷者2名、これらの被害は全て鬼殺の剣士が受けたもので、この街の一般人への被害は全くなかったそうだ。

 

 

 

(……頑張ったのね)

 

 

 

 十二鬼月が現れたとは思えない程の犠牲者の少なさにしのぶは驚愕する。なにより、一般人に被害が及んでいないという事実が悲鳴嶼(ひめじま)が来るまで戦い続けたというその隊士達の努力を物語っていた。

 

 

 隠の者に案内されて怪我を負った隊士の元へと向かったしのぶはこの時抱いた思いを一生後悔することになる。

 

 

 

 目に映ったその光景に時が止まってしまったかのようにしのぶの動きも表情も固まった。

 

 

 なぜなら視界に入った一列に並べられた横たわる隊士達の姿の中にいたのはしのぶのよく知る人物だったからだ。

 

 

 だが、そんな筈はない、ある訳がないのだ。視界にはっきりと映るその光景を理解することをしのぶは拒絶した。何故なら彼等は他ならぬ自分の(すま)う屋敷でまだ療養中の筈なのだから。

 

 

 

 彼の肋骨は治ってもまだ傷んだ臓器は完治していない筈だ。

 

 

 彼女の身体は毒で弱っていた。

 

 

 以前と同じように動けるようになるまで、どれだけ早くても2人ともまだ一週間は休んでいなければならない筈なのだ。雨笠(あまがさ)信乃逗も鱗滝(うろこだき)真菰(まこも)もこんな場所にいる筈はない、ここにいていい筈がないのだ。

 

 

 治療用の道具が入った包みが呆然と佇むしのぶの手からするりと地面へと抜け落ちる。ドサッとそれが地面に落ちた音でしのぶはようやく我に返った。

 

 

 現実から目を背けている場合ではない。

 

 

 目の前にいるのは間違いなく自分のよく知る人物だ。しかし医師でもある自分が知人であるかどうかで手を止めるなどあってはならないことだ。いま目の前でまさに失われていこうとしている命を止めなければ……。

 

 

 地に落ちた治療具の包みを拾い上げ、彼等の元に駆け寄る。

 

 

 重篤と言われた信乃逗の傷はあまりにも酷かった。いま生きているのが不思議な程、身体中に切り傷や刺し傷がある。酷いものに至っては身体に風穴が空いてしまっている。応急的な止血はしてあるが、既に流れている血の量はあまりにも多い。顔色などはもはや死人のそれだ。輸血もしなければならないが、ひとまずは多過ぎる傷口を塞いでいかなければ輸血の意味がない。

 

 

 だが、無意識なのか信乃逗も呼吸で止血を試みているようで応急的な止血とも相まって今の出血量はそれほど多くはない。予断を許さないがこれならば、まだ助かるかもしれない。

 

 

 必死の形相で信乃逗(しのず)の治療をするしのぶの視界の隅に信乃逗(しのず)の隣で横たわる真菰(まこも)の姿が映る。信乃逗(しのず)同様に血塗れで手酷い傷を負っている彼女の胸が呼吸に動く様子はみられない、医療に従事するしのぶには彼女が既に亡くなっていることがそれだけで理解できた。

 

 

 ポタリと信乃逗(しのず)の身体に雫が落ちる。

 

 

 しのぶの両眼が滲んでいく、眼に溜め切れなかった涙が雫となって信乃逗の身体に落ちていく。

 

 

(……どうして……)

 

 

 泣いている暇などない、手を休める訳にはいかない。

 隊士が死んでいく。これは鬼殺隊ではよくあることだ。

 

 

 今まで何人もの仲間が目の前で死んで逝った。こんな光景をしのぶは何度となく見てきた。彼等が鬼殺の剣士である限り、いつ訪れてもおかしくはないことが今訪れてしまった。それだけのことだ。

 

 

(……いつか来るかもしれない、そう覚悟していたはず)

 

 

 絶対なんて言葉はこの世にはない、必ずなんてそんな言葉の如何に無責任なことか。死はいつだって生きる者の隣にいるのだ。鬼殺に文字通り命をかけて戦うのが剣士達の役目であり、その為に日々刀を振るい続けている。

 

 

 

 だからこの結果もまた、何も不思議なことではない。

 

 

 

 だが、慣れとは恐ろしいもので、幾度も彼等を治療して行く内に怪我を負っても彼等が生きて帰ってくることにある種の確信のようなものを抱いていた。心のどこかで彼等なら大丈夫だという思い込みがしのぶの中に生まれてしまっていた。

 

 

 しかしこの光景を前に、それが自身の単なる願望であったことを理解せざるを得なかった。昨日笑っていた人が今日もまた同じように隣で笑っていてくれている、人はそんな思い込みをいつの間にか抱いてしまっている。それがどれほどの奇跡によって成り立つことなのか多くの人はきっと知らない。多くの仲間を喪っていく中でしのぶはそれを理解しているつもりだった。

 

 

 だけど今日この光景を前にそんな自信はなくなった。

 

 

 信乃逗(しのず)真菰(まこも)と交わす何気ない日常の会話や馬鹿なことを言い合って、また笑い合っている姿を見ることがしのぶの中で当たり前にある日常の一つになってしまっていた。

 

 

 これからも当然に続いていくある種の楽しみにもなっていた。

 

 

 この2人がお互いに想い合っていたことを知っているからこそ、こんな状況がしのぶの中に遣るせない想いを抱かせる。そしてその想いを彼等の表情が一層強めるのだ。

 

 

(……なんでっ…笑ってるのよっ…)

 

 

 信乃逗(しのず)真菰(まこも)もお互いに何故か笑っているのだ。ボロボロの血塗れになりながら、まるで何かをやり切ったかのように安心したように信乃逗(しのず)真菰(まこも)もその口元に微笑みを浮かべている。

 

 

 彼等のその表情がしのぶに涙を流させて止めさせてくれないのだ。何より先程自らが抱いた思いがしのぶには悔やまれて仕方がない。

 

 

 被害が少ない?

 

 なんて馬鹿なことを思ってしまったのだろうか。4人の死者と2人の重傷者、なるほど確かに被害の数で見ればこれは格段に少ない。

 

 

 

 しのぶもそう思った。

 

 

 

 ……そう思ってしまった。

 

 

 数だけを聴いて、まるで他人事のように安堵してしまっていた。だがその少ない犠牲者の中にこうして知人がいただけで、しのぶにはもう、先程のように犠牲が少なかったなどと安堵することは出来なくなってしまった。

 

 

 彼等が一体どれほど頑張ったのかなど、この傷を見れば明らかだ。何より今この場にある結果が全てを物語っている。夜分に差し掛かった時間で一般人には全く被害が出ていない。悲鳴嶼(ひめじま)がくるまで柱の誰かがくるまで十二鬼月を逃さずその場に押し留め続けた。

 

 

 この街に住む人々を彼等は文字通り命を懸けて守った。力を持つ者として鬼殺の剣士としてのその責務を彼等は見事に果たして見せた。

 

 

 なら、しのぶには泣いている暇などない。涙を拭う暇などない。

 

 

 後輩である彼らがやり遂げた結果に先達として報いなければいけない。だからしのぶはしのぶに今できる精一杯の責務を果たす。助ける手立てがあるのなら死なせなどしない。

 

 

 この少年を死なせたくない。その一心でしのぶは手を動かし続けた。

 

 

 

 だが結局、しのぶの瞳から溢れる涙が止まることはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の出血箇所の縫合が終わるか彼の命が尽きるのが先か、五分五分だった。

 

 

 いつ死んでもおかしくない傷だったというのに、それでも彼は耐えた。意識もない彼から諦めてなるものかという意志が伝わってきたようで、しのぶも必死になって治療の手を動かした。その甲斐があったのかどうかは分からないが事実として彼の命は持ち堪えて、今はもう目を覚ますのを待つだけだとなる程度に傷は回復している。だが問題はその意識が未だに戻らないことにある。

 

 

 

 この2ヶ月の間に真菰(まこも)さんの葬儀も既に終わっている。彼女の育てでもあり父親でもあった元水柱の鱗滝(うろこだき)という御仁が天狗の面の下で涙を流していた様子をしのぶは今でも鮮明に覚えている。鬼殺隊を率いるお館様を始め、隠の者達や他の鬼殺の剣士達も真菰(まこも)の葬儀に参加したものは想像以上に多かった。皆、指令もあるので終始参加出来ていた訳ではない。だが今でも彼女の墓に訪れるものは決して少なくない。

 

 

 

 雨笠(あまがさ)君の部屋にも多くの見舞い品が置かれている。食べ物などは腐ってしまう前に此方で処理しなければいけないが、それ以外の物は全て彼の眠るこの病室に置かれている。

 

 

 

 彼の病室に飾られている花瓶の花は毎日のように種類が変わっている。

 

 

 きっといつものようにきよが取り替えているのだろう。彼等がこの蝶屋敷から赴く時、その後ろ姿を見送ったという彼女は一際大きな声で泣いていたものだ。

 

 

 

 見舞いに部屋を訪れる人も多い、姉さんは勿論、岩柱の悲鳴嶼(ひめじま)さんやお身体の悪いお館様まで、希に彼の様子を見に来られる。

 

 

 

 雨笠(あまがさ)君も真菰(まこも)さんも鬼殺隊に入隊して未だ2年と経たないというのに、これ程多くの者達に慕われている。彼等の普段の明るいやり取りはいつの間にか鬼殺に明け暮れ、傷を負ってこの蝶屋敷を訪れる者達にとってとても心安らぐ光景になっていたのだ。

 

 

 

 なにより十二鬼月を前に一歩も引くことなく戦い続けた彼等の在り方は多くの隊士の士気を上げた。

 

 

 

 これほど多くの者達が雨笠(あまがさ)信乃逗(しのず)という人間の目覚めを待ち望み、願っている。

 

 

 

「……早く目を覚ましてくださいよ……私も忙しいのですよ…」

 

 

 しのぶもその内の1人だ。

 

 この言葉は彼がこの蝶屋敷に来るともはや毎回のようにいうお決まりの台詞だ。いつも彼には苦労させられた、怪我をしているのに寝台を抜け出して鍛錬を始めるし、薬は駄々をこねる子供のように飲もうとしないし。しょっちゅう怪我をしてくるので治療する時間を確保するのも大変だ。

 

 

 だけどそんな日常が掛け替えのない宝だったのだと今回しのぶは痛感させられた。

 

 

 

 眠りに着く信乃逗(しのず)を優しげな、少し寂しそうな表情でしばらく見つめるとしのぶは静かに部屋を出ていく。

 

 

 

 果たすべく役割が彼女にはたくさんあるのだ。責務を果たした後輩に先輩として顔向けできるように、いつか彼が目を覚ましたその時にいつものようにまた目一杯叱れるようにしのぶは今日も己が務めを果たし続ける。

 

 

 

 




御一読頂きましてありがとうございました!
御意見・御感想頂けますと幸いでございます。

今回はしのぶさん視点でした!
真菰様ー_:(´ཀ`」 ∠):

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