鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

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あの日の約束

 

 

 ボロボロと脆い炭のように崩れていくその異形の前で信乃逗(しのず)はただ1人ポツンと佇んでいた。

 

 ……今日は暗いな。

 

 分厚い雲が目に映る空一杯に広がり、月や星の美しい輝きを覆い隠してしまっている。

 目を瞑って空を見あげればポタポタと顔に大きな雨粒が当たってくる。

 ザァーザァーと雨足が強くなって大きな雨粒が勢いよく地面を穿ち続ける。

 鼻腔いっぱいに広がる雨の匂い、泥の匂い、そして血の匂い。

 

 匂いの元を辿るかのように信乃逗(しのず)が振り変えるとそこには3つの大きな塊りが地に伏せっている。

 家族だろうか、2つの大きな人影は1つの小さな人影を守かのように覆いかぶさってその生涯を終えている。

 しかし、そこまでしても小さな人影を守りきることは残念ながらできなかったようだ。齢は6歳か7歳かそれくらいの小さな子供の命も既に此処にはない。

 

 ……また、間に合わなかった。

 強くなったと思っていた。沢山努力して沢山稽古を付けてもらって強くなったとそう思っていた。

 それでも、時間には勝てない。

 どれだけ強くなってもどれだけ速くなってももっと早く来ていればとそう思う光景を何度となく見せつけられる。

 眼前に広がる目を覆いたくなるようなその光景を信乃逗はじっと見つめ続ける。

 この光景を忘れない様に、消えてしまわない様に脳裏に焼き付ける。

 

 忘れたくない、消したくない。

 どれだけそう思って、願っても一度始まってしまった崩壊は止められない。

 身の丈に合わない力は自らを滅ぼすと先人達は言ったそうだが、まさにその通りだろう。

 俺の身体はあの時の代償というように確実に滅びへと進み続けている。

 

 最初に味が分からなくなった。いつからか細かい色の判別が難しくなっていた。

 真菰(まこも)と会うまで俺の全てだった家族の顔が思い出せない、どんな風に笑っていたのか、どんな話を家族としたのそれを思い出すことすら出来なくなっている。

 こうやって少しづつ、しかし確実に自分の中の大切な何かが欠けていく。

 押し寄せてくるその感覚がとてつもなく怖かった。

 

 

 それでもどれだけ恐怖に陥ろうとも俺は止まるわけにはいかない。

 約束したから、誓ったから此処で逃げ出すわけにはいかない。

 

 信乃逗の脳裏にあの日のあの人との会話が蘇る。

 

 

 

 

「よく来てくれたな」

 

 嗄れた声、どこか疲れたような声色で彼、鱗滝(うろこだき)左近次(さこんじ)は俺を出迎えた。

 

 

 どんよりとした雲に覆われた空模様もあって室内は薄暗く空気も何処かどんよりと重い。

 そんな重苦しい空気の中俺と鱗滝さんは互いに向かい合うようにして座っていた。

 こう言ってはなんだが俺が案内された室内は元柱が暮らしているとは到底思えないほど質素で狭い造りだ。

 多くの鬼を狩り、多くの人々の命を救ってきた柱が何故このような山小屋で暮らしているのか単純に疑問に思ったし、それより尚疑問なのはなぜそんなお面を顔につけているのかということだ。

 

 このように聞きたいことは沢山あるのだが今日はそれよりもしなければいけない話がある。

 

「半年も意識がなかったと聞いたが身体に支障はないのか」

 

「はい、蝶屋敷で十分な休養を頂きましたので、今はこの通り健康そのものです」

 

「……そうか、ならいい」

 

 ふと会話が途切れて室内は静寂な空気に包まれる。

 会話もなく2人はただ座って口を開くこともなく互いの眼から視線を逸らすことなく見つめ続ける。

 やがて頃合いよしとでもいうかのように鱗滝は口を開いた。

 

「お前はあの子の最期を看取ったときいている」

 

「はい、俺は真菰(まこも)の……貴方の娘さんの最期の言葉を聴きました」

 

「……そうか。なぁ信乃逗(しのず)、あの子はお前から見てどんな子だった?」

 

 耳が痛むような静寂を破って紡がれたその言葉はとても重々しくて、決して軽い気持ちでの質問ではないということを伺わせるのには十分だった。

 

「真菰は……真菰は、とても、とても明るくて、いつも笑顔で……俺を救ってくれた恩人です」

 

 鱗滝さんの質問に答えるために、思い出せば思い出すほど言葉が紡げなくなっていく。

 

 俺にとって真菰がどんなやつだったかと聞かれれば勿論恩人だとそう答える。

 彼女があの時、あの美しい月の夜に紡いでくれた言葉で俺の心は救われた。

 そして、其処から始まったんだ。

 今も尚、俺の中にあり続けるこの想いはあの時から俺の中でずっと成長し続けている。

 

「鱗滝さん、今日は貴方に真菰の最期の言葉を伝える為に参りました」

 

「……なるほど、あの子はなんと?」

 

 手紙は渡せなかった。あいつとの最期の約束を俺は果たすことができなかった。

 あの手紙は既にこの御仁の手の中にある。果たすべき約束はもう終わっている。

 それでも俺が此処にきたのはこの言葉を伝える為だ。

 

『…わたし…しあ…わせ…だったなぁ…』

 

 穏やかに本当に幸せそうに微笑みながら彼女はそう言った。

 あの言葉はきっとこれ迄の彼女人生の全てが込められていた。

 俺が真菰と過ごした時間は決して長くはない。

 目の前に座る彼と比べればその差は歴然だ。

 彼女を幸せにしたのは俺ではない。

 目の前にいる彼女の育ての親、鱗滝(うろこだき)左近次(さこんじ)だ。

 なら、この言葉は彼にこそ伝えられるべき言葉であるはずだ。

 

 

 手紙ではない、正真正銘彼女の最期の言葉を。

 

 

「幸せだったと、真菰はそう口にしました」

 

「っ……そう、か……あの子は幸せだったか」

 

 意を決して放った先には言葉にし難い想いが溢れていた。

 ポタポタと彼の面の下を流れるそれは間違いなく娘を愛する親のみせる涙だ。

 

 ……あぁ、やっぱり貴方は真菰の父親だ。

 例え血が繋がっていないのだとしてもこの人は間違いなく真菰の父親だ。

 真菰が不安に思うことなど何一つとしてなかった。彼は真菰の父親だ。

 

「鱗滝さん、申し訳ありませんでした」

 

 だから、俺は謝罪しなければいけない。

 涙を流す目の前の1人の父親に向かって俺は頭を下げた。

 

「……信乃逗、なぜお前が謝る?」

 

 唐突に謝り出した俺に鱗滝さんは怪訝そうな声色で問いかけてくる。

 

「俺が……弱かったから、真菰を守れませんでした。

 ……俺が強くなかったから真菰を、貴方の娘を死なせてしまった」

 

 彼は、鱗滝さんは真菰の父親だ。ならば彼には俺を責める資格がある。

 俺の独白を鱗滝さんは口を開くことなく静かに聞き続けてくれる。

 

「彼女が死んだのは俺の弱さ故です。

 俺があの時、もっと早く撤退を決めていれば彼女は死ななかった。

 俺が躊躇わずに力を振るえていたならきっと彼女は生きていた。

 真菰ではなく俺が死んでいれば「其処までにしておけ」っ……はい」

 

 今まで誰にも口にすることが許されなかった俺の懺悔は半ばで他の誰でもない鱗滝の強い口調で止められた。

 

「それ以上は口にするな、すれば儂はお前を斬る」

 

「……すいません」

 

 鱗滝の顔に被されたお面のせいで彼がどんな表情をしているのかは分からない。

 だがその語気からして彼が怒りに満ちた表情をしていることは間違い無いだろう。

 

「今お前が口にしようとしたことはあの子に対する裏切りに等しい言葉だ。

 それを許すことはできん。お前も分かっているはずだ」

 

 鱗滝さんのいう通り本来これが許されない言葉だということは俺も分かっていた。

 それでもどうしてかこの時は口にせずにはいられなかった。

 

 今思えば俺は誰かに責めて欲しかったのかもしれない。

 お前が悪いのだとそう言って欲しかったのかもしれない。

 彼女を守れなかった俺の弱さを裁いて欲しかったのかもしれない。

 

「確かに真菰が死んだのはお前の短慮、精神的な未熟さ、そして伴っていない実力、それらが一因としてあるのやもしれん。だがそれは一因でしかない、それが全てではないのだ。

 失敗を後から考えれば、あげればあげるだけ問題ばかりある、原因など山のように出てくるのだろう。それを考えること自体は決して過ちではない。

 ……だが、生き残ったお前が死んだあの子の代わりであったらなどと考えることにはなんの意味もありはしない」

 

 

 鱗滝の言葉を俺はじっと聞き続ける。

 彼の言うことは分かる。

 そんなことを考えても何も変わらないこともそれを考えることがどうしようもない過ちであることも理解はしている。

 

 それでも考えてしまう。もしもそうだったらと考えずにはいられなかった。

 

「信乃逗、お前の悔いる気持ちはあの子を育てた儂としては嬉しい。それだけあの子をお前が想ってくれているのだと儂も理解できた。

 ……だが、だからこそお前は今一度思い出すべきだ」

 

 ……思い出す?

 

 一体何を思い出せと彼は言っているのだろうか。

 静かに諭すような鱗滝さんの言葉に俺は内心で首を傾ける。

 忘れていることなどないはずだ。

 あの日のことは今でも数瞬前のことのように思い出すことができる。

 

「お前の想いは今曇っている。

自分を責める気持ちだけが先行し、あの子とお前が示した覚悟を忘れてしまっているように儂には見える」

 

「忘れてなどいません!!」

 

 あの時の俺たちの覚悟を貶めるかのようなその言葉を俺は思わず語気を強めて否定する。

 

「では答えてみせろ、信乃逗。お前と真菰は何のために十二鬼月に立ち向かった?」

 

「それはっ……それはあの街の人たちを……守ために……」

 

 其処でようやく俺は鱗滝さんの言わんとすることに気付いた。

 

「気付いたか?

 お前と真菰は自らの意思で街の人々を守る為に敵わぬと分かっている強大な敵に立ち向った筈だ。

 結果はどうだ?確かにあの子は死んだが、無垢な命を守ろうと立ち上がったあの子の想いは見事に果たされたはずだ。

 ……そしてそれを成したのは他でもない信乃逗、お前だ」

 

「……でもっ、俺はっ……」

 

「信乃逗、下を向くな、前を見ろ。お前は誇れ。

 あの子の決意を、あの子の想いを、それを成し得た己を誇れ。

 お前が本当にあの子を愛しているのならあの子の示した最期の想いを後悔するな」

 

 

「っ……はいっ」

 

 

「あの子からお前のことを初めて聞いた時は何処の馬の骨かと思ったものだが、こうして会ってみればなかなか気骨のある子供で安心した」

 

「っ……」

 

 彼の言葉に心がじんわりと暖かくなっていくのを感じる。

 本当は此処には2人で来るはずだった。あの街に行く道すがらに『もし機会があったら一緒に行こうね』とそう約束した。真菰と俺と鱗滝さんの3人で此処にいるはずだった。楽しく談笑しているはずだったのだ。

 

「信乃逗、強くなれ。そして生きろ。お前があの子の想いを持っていくのだ。

 当たり前の日常を過ごす人々を護りたいとあの子はいつも言っていた。

 その想いを持ってどうか生きてくれ」

 

「……はい、俺はっ、この命尽きるその時まで想いを繋ぎ続けますっ。

 真菰の想いも、他の仲間達の想いも、預かった全ての想いを必ず次に繋げます」

 

 此処で終わらせたりはしない。

 

『幸せに暮らす誰かの当たり前の日常を守る』

 

 真菰のこの想いは俺と共に生きている。

 俺がどれだけ壊れてしまってもこの想いを俺だけで途切れさせたりしない。

 

 誰かを護りたいという彼女の優しい願いは、人を守りたいという想いは不滅なのだから——

 

 

 

 

 

 あの時、俺は鱗滝さんに約束した。

 必ずあの想いを繋ぎ続けると。

 

 鱗滝さんとしたあの日の誓いは俺の中で生き続けている。

 あの日の約束が俺を支える柱になってくれている。

 

 それでもどれだけ固く誓おうとも俺に残された時間は着実に少なくなっていく。

 崩壊は確実にゆっくりと迫ってきていた。

 

 

 

 

 

 




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