鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

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宝石の森

 

「なら、俺はその土人形どもの相手をすればいい、そういうことですか?」

 

「そうですね、私の毒も土人形相手では効果がありません。洞窟内で鬼を見つけるまで、向かってくる土人形の相手を雨笠君と楓にお任せしたいとは思っています」

 

 案山子同然とまで言われている土人形なら、50だろうが100だろうが粉砕できるだろう。鬼の本体はしのぶに任せられるのなら、思いの外楽に終わるかもしれないと、信乃逗(しのず)は安堵に頬を緩めるがそれは早計というもの。

 

「そういえば、雨笠(あまがさ)君と指令を受けるのも久しぶりですし、折角ですから、少し試験でもしましょうか」

 

「へ?試験?」

 

「えぇ。暫く稽古も見てあげれていませんし、折角の一緒の指令ですから、実戦修練といきましょう」

 

 にっこりと満面の笑みを浮かべて、そう言うしのぶに嫌な予感を覚えた信乃逗は一歩、後ろへと足を引く。

 

「あぁ、でもただ修練というのもつまらないですし、もしも一撃でもあの土人形に攻撃を受けたなら……」

 

「そこで溜めないで下さいよ!?受けたのなら、な、なにをさせようというんですかっ!?」

 

「……ふふっ、そうですね。私の新しい薬の研究にでも付き合ってもらいましょうか」

 

 新しい薬の研究、その言葉に信乃逗は全身の血が引いていくようなすぅとした冷たい感覚に襲われる。

 

 味覚はとうの昔に失ったはずなのに、嘗て体験した記憶があの劇マズの薬を信乃逗の舌の上に再現してくる。

 

「おぇぇ……絶対、絶対攻撃なんて受けないぞ!!!」

 

 あまりに懐かしい嘗ての地獄の記憶に、信乃逗は思わず地面に膝を付くも、次の瞬間には嘗てないほど、やる気を張りめぐらせて、盛大に叫ぶ。

 

「あらあら、相変わらず失礼ですね」

 

「薬の研究を手伝うくらいで何をそんなに嫌がっているのですかっ?もっと光栄に思うべきでしょうに!」

 

 薬も過ぎれば毒となるというが、完成されていないしのぶの薬は正に毒だ。口に苦いとかそう言う次元の話ですらない。彼女の薬は完成していれば怪我や毒に対して信じられないほど劇的な効果をもたらすが、研究段階にあるそれは、人を死の淵に追いやる正に凶器。嘗て療養中に散々実験に付き合わされ、療養中に効果があるかわからないが試してみてと言われたあの薬で、一体何度意識を飛ばしたことか。

 

 そこのところを(かえで)は理解できていない。信乃逗(しのず)は嘗ての記憶を思い出して顔色を真っ青に変えている。

 

(だが待てよ。今の俺には味覚がない。つまり、あの劇マズな薬でもそれを感じることはないということ!ならばまだ俺にも生存への道が!)

 

 自らの状況に、勝機を見いだしたと言わんばかりに、信乃逗は突然顔色を輝かせて、立ち上がる。

 

「さぁ、行きましょう!鬼でも土人形でもドンとこいですよ!」

 

 と、先程までの絶望に染まった姿は何だったのかというくらい、意気揚々と1人ではしゃぎ始めた信乃逗の様子に、しのぶも楓も互いに顔を見合わせて、キョトンと首を捻る。

 

 信乃逗としてはもはや死角はないと思っているのだろうが、しかし、それは大きな勘違いである。しのぶの研究は薬に関すること。薬とは体に影響を与えるものだ。味覚がなくなったからと言って、薬の効果に耐性がついた訳でも、体への影響がなくなる訳でもない。今まで信乃逗が意識を失ってきたのは、何もその味のせいだけではないのだ。が、勿論そんなことを、気絶していた信乃逗が気付くわけもない。信乃逗のこの思い込みが凶と出るか吉と出るか、それは今の段階では誰にも分からない。

 

 

 

 

 

 

 風に揺られるこの葉の隙間から差し込む陽光の光が、キラキラとまるで装飾品のような美しい輝き見せる。宝石の森と、そう表現できる程の美しい山の中で、心地の良い風が運んでくる緑の香りに、信乃逗(しのず)はほっと息をつく。

 

「いい天気ですね、しのぶさん」

 

 陽の光を眩しそうに見上げる信乃逗の表情は、穏やかで、とてもこれから戦いに赴くようには見えない。

 

 

「そうですね。まあ貴方は今からその光の届かない洞窟に飛び込むわけですが」

 

 信乃逗の横に立って、目の前に広がる巨大な暗闇を見つめながらしのぶはそっと呟く。

 

「……人が折角現実から逃避してるんですから、このまま逃してくれてもいいじゃないですか」

 

「雨笠さん、鬼殺隊隊士が鬼狩りの指令から逃げれるわけないじゃないですか」

 

 しのぶと楓の言葉に空へと追いやった視線を正面へと戻した信乃逗は、はぁっと溜息をつく。

 

 緑に覆われた一面の中で、ポッカリと穴でも空いてしまったかのようなその光景はさながら落とし穴のようだ。穴の入り口には刺々しい岩がいくつも乱立していて、その様子は見るものが見れば地獄への入り口のようにも見えることだろう。

 

「ここまで来て何を嫌がっているのですか、貴方は」

 

「ここまで来たから余計に嫌になったんですよ。なんですか、このあからさまにやばそうな洞窟は……羅生門だってもう少し穏やかな入り口してますよ」

 

 入り口からしてこうもあからさまに禍々しい雰囲気を醸し出しているような洞窟に、誰が好き好んで突っ込みたいものか。可能な限り回避したいと思うのも至極当然の事だろう。いっそ大人しく向こうの方から出てきてくれないだろうか。

 

「安心してください。骨は拾いますから」

 

「死ぬ前提で話を進めないでくれます?」

 

「海に流すのと川に流すの、どちらが良いかは選んでおいてください」

 

「……土に埋める選択肢はないんですか?っていうかそれ、選べるように見せかけてますけど、結局両方海じゃないですか」

 

「西洋では、あらゆる生物は海から生まれたと言われているそうです。ならば終わりの時もまた、海に帰るというのが自然の摂理というものではないでしょうか?」

 

「うちの国の埋葬方式を全否定するのは辞めてもらえますか?」

 

「否定はしませんよ、ですが一つの選択肢としてはありなのではないかと思っているだけです」

 

 急に始まった訳の分からない論争に終止符をうったのは、この会話を唯一外野から見守っていた楓だった。

 

「あのお二方とも、そろそろ本題に……」

 

 下らない問いかけから、何故か論争に発展を遂げていく2人の会話の様子に、楓は若干引き気味になりながら2人にそう声を掛ける。

 

「ごめんなさいね、楓。雨笠君があまりにもしつこく食い下がってくるものですから、つい……」

 

「えぇ〜、俺が悪いんですかね」

 

 鬼の本拠地を前にしても全く、動じた様子のない2人に、(かえで)の無意識に強張った体が少しずつ解れていく。

 

 そう。2人の一見、全く意味のなさそうに見えたこのやり取りは、楓の緊張を解く為のもの。楓は鬼殺隊入隊後、僅か一年で乙の位まで昇り詰めた優秀な剣士ではあるが、それ故に経験値が圧倒的に足りていない。鬼の本拠地を前に、楓は無意識のうちに酷く緊張し体を強張らせていたのだ。まぁ、このような威圧的な雰囲気をした洞窟を前にしてしまえば、それも仕方のないことではある。

 

 だが、自分達が生きるこの場所は、僅かな動きの遅れが一瞬で死に繋がる世界。刹那の瞬間に判断し、行動しなければ、生き残ることさえできないのが鬼狩りという生き物だ。

 

 特に、今回のような多数を相手にする場合は、僅かにでも判断を誤ればその一つで命を落とす危険がある。

 

「楓、眼が慣れるまでは私か雨笠君の何方から、下手に離れないように注意してください」

 

「はい!必ずやしのぶ様のお役に立って見せます!」

 

 聞いているのか聞いていないのか、よく分からない返答だが、妙な硬さは取れたようだと、信乃逗は少しほっとして後輩である楓を見る。

 

 この洞窟の前に立ってから、妙に緊張した様子を見せていたので、信乃逗も心配していたのだ。普段やたらと口うるさい後輩ではあるが、それでも大事な仲間だ。こんなところで死んで欲しくはない。それに、もしもそうなれば、彼女の様子もまた心配だ。信乃逗は視界の端で自らの継ぐ子に優しく微笑み、注意点を教え続けるしのぶの姿をそっと捉える。

 

「それでは先頭は俺が担当で、中衛が高野、後衛がしのぶさんって感じでいいですかね?」

 

「そうですね、それで問題ないでしょう。楓、宜しく頼みますよ」

 

「はい!お任せ下さい、しのぶ様!」

 

「雨笠君も、洞窟内では恐らくかなりの数の土人形がいる筈です。十分に注意して進んでください」

 

「了解です。なんならしのぶさんの手を煩わせることはないかもしれませんけどね」

 

「雨笠さん!しのぶ様に対する口の聞き方がなっていないと何度言えばわかっていただけるんですかっ!」

 

 いつものように信乃逗へと声高々に突っかかっていく楓の様子を、しのぶは柔らかい微笑みを浮かべてみつめる。

 

 普段どれだけ実力のある者であっても、環境のまるで違う場所での戦闘となると、極端に実力が下がることがある。緊張が視野を狭くし、筋肉を硬直させるからだ。今回のような洞窟での戦闘はしのぶの知る限り、楓にとって初めての環境での戦いとなる筈。

 

 月夜とはまた違った暗闇での戦い。楓にとってこれは一つの試練ともなる。あるいは命を落としてしまうかもしれない自らの継ぐ子を、しのぶもまた心配しているのだ。柱である自分がついているからといって、楓を守り切れると言える程、しのぶは自分の力に酔ってはいない。しのぶは柱の誰よりも、自らの弱さを自覚している。

 

 自覚しているからこそ、信乃逗をこの場に呼んだ。

 

 しのぶは弱い。毒を使わねば雑魚鬼ですら狩れないほどに。才能がないと断言できる程、決定的なまでに筋力が足りない。だからこそしのぶは入念な準備によってその弱さを補う。2手3手先を常に読み、思考し、対応策を練ってことに当たる。常に最悪の状況を考えて動くその思考力こそがしのぶの強みであり、今、鬼殺隊最強の一角を担うに相応しい人物へと引き上げている。そんなしのぶが自信を持って選んだ増援が信乃逗だ。

 

 鬼殺隊の隊士の中で最も強い者というのであれば、しのぶは勿論他の柱の者達を思い浮かべる。彼らの強さは柱に到達した自分からしても異次元の強さだからだ。しかし、鬼殺隊の隊士の中で、最も信頼できる者と言われれば、目の前にいる、おちゃらけた少年、雨笠(あまがさ)信乃逗(しのず)を思い浮かべるだろう。彼の強さは確かに他の柱には一歩及ばないかもしれない。それでもその戦闘能力は、既に他の一般隊士の追随を許さないものとなっているし、稽古をつけたせいか、自らの動きに瞬時に合わせて、最適な行動をとってくれる。

 

 奥深い洞窟内で多数を相手にした戦闘という、不確定要素の多い状況ではこれがしのぶの持つ最適解だった。

 




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