鬼狩りは嗤う   作:夜野 桜

36 / 90
岩の鬼

 

 

 洞窟内は酷く暗い。日の光の差し込むことのない常しえの暗闇は人の存在を許さない、まさしく鬼の世界。奥に進めば進むほど洞窟は光の届かない深海のような暗闇を作り上げる。そんな深い闇の中を、足早に進む影が二つ。

 

 この暗闇であってもまるで視界を確保できているかのように、飛び出る岩や落とし穴のようになった起伏に富んだ道を回避し、進んでいく。

 

雨笠(あまがさ)さん!随分迷いなく進んでいますが、鬼は本当にこっちにいるんですかっ!?」

 

 二つの影の片割れである高野(たかの)(かえで)はそう声高々に前を突き進むもう一つの影へと問い掛ける。

 

「あぁ!こっちで間違いないよ!」

 

 間を開けることなく、瞬時に返答を返したもう一つの影の持ち主、雨笠(あまがさ)信乃逗(しのず)も声を張ってそう答える。

 

 あまりに自信たっぷりな様子に楓は思わず信乃逗に追従しているが、内心は疑問に溢れている。洞窟の中は複雑な構造をしており、しのぶと別れてからここまでいくつもの別れ道があった。にも関わらず信乃逗はそのどれもを迷うことなく選択し、止まることなく進み続けている。楓も通常なら鬼の気配を辿っていくことで同じような動作をすることもできる。だが、この洞窟内はあちこちに配置された土人形のせいか鬼の気配が非常に分かりづらい。この洞窟内に入ってからというもの、どこを見渡しても鬼の気配がするのだ。そんな中でどうして信乃逗は鬼の居場所が分かるのか。楓はそれが疑問で仕方なかった。

 

(雨笠さんは気配じゃない別の何かで、鬼の居場所が特定出来るってこと?)

 

 実のところ楓のこの推測は半分不正解だ。信乃逗は普段気配以外で鬼の居場所を特定出来るような特殊な技能は持ち合わせていない。元水柱の鱗滝(うろこだき)は匂いで鬼の居場所を特定することができたというが、信乃逗にはそこまで優れた嗅覚はない。なら、何故今、信乃逗は楓には分からない鬼の位置を正確に把握することができるのか。それはここまでに配置された土人形の位置にある。信乃逗達が洞窟に入ってすぐ、小出しにするかのように点々と現れた土人形達。信乃逗は当初、波状攻撃による此方の疲労による撤退を狙ったものと思った。洞窟に隠れて人を攫うやり方といい、この鬼は直接戦闘を避けているとそう捉えたのだ。しかし、しのぶを残してきたあの人を元にした土人形の配置の仕方でその見方を大きく変えた。もしも撤退を目論むのであれば入り口を塞ぐようにして強力な土人形を配置する理由がない。あれは完全に此方を逃す気がない駒の置き方。明らかにこの鬼は此方を封殺しにきている。それを念頭に考えなおせば、そもそも最初の土人形の小出しの仕方は洞窟内部へと自分達をおびき寄せる為の罠で、ある程度奥に入ってきたところで入り口を封鎖、奥に進むしかない状況を鬼自らが狙って作り出しているということになる。鬼の狙いは此方の自滅。暗く入り組んだ洞窟の中では並の人間なら、すぐに正常な精神状態を保てなくなる。どんな強者であっても精神状態を保てなくては実力を発揮することはできない。増してこの暗闇では、まともに刀を振るうこともできないだろう。

 

 一見、臆病にも感じるこの鬼の戦い方は実に狡猾で、何よりも好戦的だ。だが、それ故に分かりやすくもある。暗闇の中で自滅を狙うにはある程度時間をかける必要がある。よって自分の居場所をすぐに見つけられるわけには当然いかない。だからこそ、自分の気配を散りばめるように土人形を配置しているのだろうが、今回はそれが仇になった。気配の分散のさせ方に偏りがあるのだ。

 

 嘘をつく時、生き物は得てして他の場所に真を作ろうと、嘘をその場所に集中さえやすい。本当の気配に気づかれないようにそれよりも強い気配を他の場所に作る、それがこの鬼のやり方だと信乃逗は早々に勘付いた。故に信乃逗は気配が他の箇所に比べて薄い道を辿っているだけ。鬼の居場所を正確に特定しているわけではなく、逆算して導き出しただけのただの推理だ。

 

 ドゴォォン!と時折、洞窟の中に響いてくる戦闘音に、楓は心配になって背後を見返す。

 

「高野。今は自分のことに集中しろよ」

 

 そんな楓に信乃逗は振り返ることなく忠告してくる。

 

「分かっていますけど、……でも心配じゃないですか。雨笠さんはしのぶ様が心配ではないんですか?」

 

「心配ねぇ?柱でもあるしのぶさんが心配とは、中々余裕だな高野も」

 

「うっ、確かには私如きが柱の一画を担うしのぶ様の心配なんておこがましいかもしれませんけど……」

 

 しのぶの実力には遠く及ばない楓が、そのしのぶの心配というのは、聞くものが聞けば傲と捉えられてもおかしくないものだ。それを信乃逗に指摘され、楓も思わず俯いてしまう。

 

 そんな楓を尻目に言い過ぎたかと、信乃逗は反省気味に楓に声をかける。

 

「まぁ、高野の感覚も間違いじゃないけどな」

 

「へ?」

 

 先ほどまで自分の間違いを指摘していた人物からとは思えない言葉に、楓は思わず間の抜けた声を出してしまう。

 

「鬼だろうが人だろうが、それが命のやり取りである以上、絶対なんてもんはない。どんな実力者も死ぬ時は呆気なく死ぬ。柱だから大丈夫なんてそんな道理は当然ない」

 

 信乃逗の脳裏に嘗て花柱と言われた1人の女性の姿が一瞬過ぎる。柱であろうとも戦えば死ぬことだってもちろんある。命のやり取りをしているのだ、それはある意味当然の事。どんな実力者でも死は必ず隣にいるのだと、彼女はそう教えてくれる。強かろうが弱かろうが死ぬことを遮る理由にはなり得ない。どんな大切なものでも終わりはあまりに簡単で呆気なく、それまでの日常という時間を嘲笑うかのように一瞬で訪れる。腕の中で失われていく温もりを思い出して信乃逗の身体に知らず知らずのうちに力がはいる。

 

「雨笠さん?」

 

 急に雰囲気の変わった信乃逗に楓はそう戸惑いがちに声をかける。

 

「そろそろ鬼がいる場所だ、死ぬなよ高野」

 

「誰に言ってるんですかっ!私は蟲柱、胡蝶しのぶ様の継ぐ子ですよ!こんなところでは絶対に死にません!」

 

「……お前、俺の話聞いてた?」

 

 先ほど戦いには絶対なんてないと言ったばかりにも関わらず返された言葉に信乃逗は呆れたようにそう呟く。

 

「意気込みの問題です。雨笠さんこそヘマしない様に気をつけてくださいね」

 

「……一応言っとくけど俺お前より先輩だからな?階級上だからな?」

 

 普段散々目上に対する態度がなってないと自らにいってくる人物と同一人物とは思えない言葉遣いに信乃逗は頬を引きつらせて、そういうが楓はまるで聴こえていませんとでも言うようにけろっとしている。

 

「年は一緒じゃないですか?ちょっと鬼狩りになる時期が違っただけですよ」

 

「人はそれを経験の差というんだけど……っと、おいでなすったな」

 

 暗闇の奥、明らかにそれまでの気配とは違った、はっきりとした鬼の気配を感じて信乃逗は静かに意識を切り替える。僅かに遅れて楓も鬼の気配に感づく。

 

「合わせろ」

 

 信乃逗は一言、そう呟くと、次の瞬間には岩に覆われた地面を踏み砕くほどの勢いで踏み込んで一気に鬼に向かって加速する。

 

— 空の呼吸 弐ノ型 一迅千葬 —

 

 鬼まで目算で20mほど、その距離を瞬きの間で詰め、その勢いを一切殺すことなく、抜刀。鬼の首目掛けて、居合い切りの様に横薙ぎに一閃する。キィンッ!と鋭い音が洞窟内に響き渡り、その音と手に伝わる感触から奇襲による首の切断が失敗したことを悟った信乃逗は瞬時にその場から飛び跳ねるようにして後方へと下がる。

 

「あーあ、見つかっちゃったなぁ〜」

 

 ボソリと暗闇で佇む黒い影はそう呟く。

 

(失敗か、随分と硬いなぁ)

 

 首筋目掛けた一閃は間違いなく鬼の首を捉えていた。にも関わらず鬼の首を斬り落とすことは叶わなかった。その事実に信乃逗は舌を巻く。今のを防ぐというのは中々に厄介だと信乃逗は鬼に対する警戒度を一段引き上げて、背後から駆け寄ってくる後輩に文句を付ける。

 

「おーい、合わせろって言ったのになんで来ないの?」

 

「無茶言わないでください!あんないきなり、あんな速度で突っ込まれて合わせられるわけないじゃないですか!」

 

 さも、当たり前のように信乃逗は楓を非難する声を上げるが楓としては堪ったものではない。たいしてろくに一緒に鍛錬もしたことがない相手とあんな一瞬で合わせられるなら、そもそも連携の鍛錬なんて必要ない。

 

「え?出来ないの?それはそれは高野さん、ちょっと鍛錬が足りてませんなぁ〜」

 

「はぁ!?出来ますし!余裕ですし!さっきのはたまたまいきなりだったからできなかっただけですから!」

 

「ほぉ〜〜。じゃぁ次からは余裕だな?」

 

「当たり前じゃないですかっ!!いつでもかかってこいって感じですけどっ!」

 

 ちょろい、と信乃逗は内心でほくそ笑む。今までの会話から楓が割と負けず嫌いであることはわかっていたので、こう言う言い方をすればのってくるであろうことは予想の範囲内だ。まぁ、それにしてもあまりにも簡単に挑発に乗りすぎではあるが……

 

「おいおい、僕を前にして随分と余裕ぶってくれるじゃないか」

 

 一撃を防がれたはずなのにまるで動揺することなく、眼中にないとでも言う様に振る舞う信乃逗と楓の態度に鬼は若干の苛立ちを込めてそういう。

 

「あぁ、悪いな。また木偶の坊が出たかと思ったんだけど。なんだ、喋れるんだ?」

 

 鬼の口調からそのことを察した信乃逗は好機とばかりに挑発の色をのせて嘲笑うかのように言葉を重ねる。

 

「……この僕を木偶の坊呼ばわりか〜。お前、よっぽど死にたいらしいね」

 

 瞬間、信乃逗は半歩後ろにいる楓の襟元を掴んで大きく後ろに跳躍する。次の瞬間にはゴォォーン!!という大きな地鳴りが入り組んだ洞窟内に響き渡る。

 

「なぁっ!?」

 

 唐突に信乃逗に首元を掴まれて勢いよく引っ張りまわされた楓はその光景に思わず目を疑った。先ほどまで自分達が立っていた地面から先の尖った岩が乱立しており、それはさながら幾本もの槍が地面から生えた様相を程していたからだ。もしも、あそこに自分が立っていたら、そう想像して楓は思わず身震いする。一瞬の油断が命取りの世界だと楓もそのことはよく知っている。今の自分は油断しているつもりはなかった。意識を張り巡らせいつ飛びかかられても対処できる様に構えていたつもりだった。にも関わらず、自分はこの攻撃の予兆を感知出来なかった。信乃逗に引っ張られていなければ確実に今自分は死んでいたのだとそう突きつけられて楓は血の気が引いたように顔を青く染める。

 

 鬼と距離をとって着地した信乃逗は「悪い」と言って楓の襟元から手を離す。

 

「いえ、その、助かりました。今の、よく気づけましたね」

 

「あぁ。あの攻撃の直前に足元からかすかに振動を感じたからな。ヤバイ気がして跳んだ」

 

 鬼から目を逸らすことなく、信乃逗は自らが気づいた鬼の攻撃の予兆を伝える。

 足元の振動と聞いて楓も先ほどの一瞬、妙な振動を感じたことを思い出した。あれがそうかと、楓は得心しながらもあの一瞬で、背後に跳躍する判断をした信乃逗を素直に尊敬した。自分ではあぁも素早く危険を察知することはできなかった。これが経験の差なのか、あるいは才能なのかと、楓は内心で自身の至らなさに歯噛みをする。

 

「それより、あの鬼の首を刎ねるのは結構面倒だぞ」

 

 信乃逗の心底面倒臭いと言わんばかりの声色に楓は先ほどの信乃逗が鬼首を斬りそこねた時の光景を思い出す。

 

「あの鬼の首、雨笠さんでも斬れないなんて、相当強力な鬼ですね」

 

 見た目は子供のような身長の鬼だが、随分と肥えて太っているし、長い年月を生きているのだろう。先ほどの攻撃から考えても非常に戦闘力の高い使い勝手の言い血鬼術を持っているようだし、自分よりも遥かに力のある信乃逗ですら首を斬れないともなるともしかすると相手は十二鬼月なのやもしれない。

 

「いや、別に首が硬い訳じゃないぞ、あいつ」

 

「え?でもさっき雨笠さんの刀で……」

 

「俺が刀を弾かれたのはあいつの首じゃない。岩だ」

 

「い、岩?」

 

「そう。よく見てみろよ。あいつの体、おかしいだろう」

 

 信乃逗に促されて、視線を鬼の方へと向けその姿形をもう一度よく見てみる。洞窟の暗闇ではっきりとその相貌を拝むことは出来ないが、暗闇に浮かびあがっている影で鬼の姿形はよくわかる。身長は幼少期の子供のように低いが体はブクブクと横に肥えて太っているように見える。特に首周りなどははっきり言って胴体と区別がつかない程太くゴテゴテしているように見える。

 

(あれ?ゴテゴテ?)

 

 自分でそう思って楓はようやくその異変に気付いた。この鬼の姿形は全体的に肥えて太っているように見えるが、ブクブクとしているのは胴回りだけで、首元だけがなんだか所々微妙に尖っているような硬い印象を受ける。あれではまるで……

 

「石みたい?」

 

「そういうこと」

 

 楓の口から思わず溢れでたその言葉に信乃逗はやっと分かったかと、うんうんと首を大きく縦に振って答える。

 

「正確には石じゃなくて岩石なんだろうけど。あいつは首元を硬度の高い岩石で覆って防御しているだけ。言ってしまえば人間が鎧をきているようなもんだな」

 

「なぁっ!?そんな姑息な……」

 

「まぁ、首元はあいつらの唯一の急所だからな。そこを守る為に策を講じるってのはある意味じゃ当たり前だけど、あんな守り方するやつはなかなか見ないな。多分あれもあいつの血鬼術なんだろうけどさ」

 

 やっていること自体は実に単純だが、それ故に効果は高い。あの見た目でこの暗さ、普通であれば、首元を岩石で覆っているなどと検討もつかないだろう。単純に首が硬くて斬れないというのは鬼狩りにとって致命的な敗北要因だ。鬼を狩るには首を刈りとる以外には太陽にあてるしかない。しかし、こんな洞窟内で太陽の光に鬼をあてるというのはほぼ間違いなく不可能だ。首も刈れず太陽の光にも当てられないとなれば、並の隊士であればすぐに撤退を考える。そうやって弱腰になったところをこの鬼は土人形や先程の岩の槍のような攻撃で仕留めてきたのだろう。実に厄介。が、それは岩を斬れなければの話だ。単純に膂力があれば正直あの鬼の首はその岩ごと綺麗に刈れる。柱であれば問答無用で防御など無いも同然に切り裂くだろうし、信乃逗でも力を込めた連撃を与えれば首を刎ね飛ばす自信はある。

 

(まぁ、それよりも単純に方をつけることもできるんだけどな)

 

 あの鬼は、首を斬られることを恐れて、ああいう対策をしているのだろう。自分達に見つかっても逃げることなく堂々と佇むその姿から自分の防御に絶対の自信を持っていることは明白だ。首さえ斬られなければ大丈夫、鬼狩りは自分には勝てない。そう思っているからこそあれほどまでに鈍重な身体で堂々と立っているのだろう。そしてその自信を裏付けるだけの経験もあの鬼は持っている。何度となく首を斬れずに絶望した隊士達の顔を愉悦に染まった顔で見ていたことは信乃逗が首を斬り損ねた時の声色から分かる。腹立たしいと、信乃逗は内心に怒りの感情を溜め続ける。この鬼の性格の悪さがこの短いやり取りの中でもよくわかるからだ。人間を盾にするような土人形の使い方、戦いに選んでいるこの場所、そして鬼本体の戦い方、全てが人を絶望させ、戸惑わせ、苦しめるやり方だ。この鬼は人を苦しめ、絶望に満ちる姿をさながら玩具を扱う子供のように楽しんでいる。

 

「高野、お前の出番だ。俺があいつの攻撃を引きつけるからお前が止めをさせ」

 

 あの鬼は思ってもみないだろう。鬼を殺す方法はなにも首を斬り落とすことだけでは無いのだということを。

 なら、その身をもって教えてあげるべきだ。これまで自らの悦楽の為に人を苦しみ続けたその罪と共に。

 

「分かりました。私がしのぶ様の継ぐ子である所以をしっかりとお見せいたしましょう」

 

 信乃逗からの言葉で、自らの役割を理解した楓は了承の為に大きく首を縦に振って、暗闇の奥にいる影に鋭い視線を向けた。

 




御一読いただきましてありがとうございました!
ご意見•御感想等頂けますと幸いでございます!


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。