理系が恋に落ちたけど証明のための時間がありません。 作:狩る雄
キスとは、相手の身体のどこかに唇を接触させ、親愛・友愛・愛情を示す行為のことだ。文化によっては、日常的に行われる。
先輩たち主導の恋の研究は続く。我らが池田先生の許可も出ており、いつしか池田研の共通テーマとなった。もちろん、並行して自分の決めたテーマの研究も続けている。
「氷室、雪村。どっちからやる?」
『相手とキスをしたいか』、それが好きの一般条件である可能性が浮上した。日本人にとっては、キスに特別さを求める場合が多い。
「ふっ、俺なんか、毎朝藍香とキスしてますよ」
抱き枕なのか、フィギュアなのか、それともパソコンの画面なのか、トラスケには深く追及しないでおく。
「だが!キスなんてものは付き合っている者同士がやるのではないか!?」
冷静さを失った雪村先輩が熱弁した。氷室先輩関連になると、急に乙女思考になる。
「女同士ならよくやってるよ。あんたら男子が見てないとこで」
棘田先輩の発言に対して、思わず奏さんを見た。思いっきり両手を振っていることから、彼女には経験がないようだ。
「まっ、私の女子高だけかもね」
「まさかこいつって、女が好きなのか?」
「そこらの男よりは好きよ」
棘田先輩にはそういう浮わついた話が全くない。『壁ドン対照実験』の際に、俺や雪村先輩はともかく、幼なじみのトラスケにすら全く動揺しないからな。
まあ、仲がいいのは確かだけれど。
「雪村が渋るなら、私が氷室としようか?」
「その……らしくないとは思いますが、ファーストキスは取っておきたいというか」
頬を赤くして、人差し指同士をつんつんする氷室先輩も、雪村先輩関連になると乙女思考になる。
「ですよね。初めてはやっぱりムードがある時じゃないと!」
なるほど。奏さん的にはムードがある時ならいいのか。しかし『ときメモ』知識だけでも、候補がいくつも思いつく。
「例えば?」
「うぇっ!?」
思わず、質問してしまった。
「夜景の見えるレストランとか、月夜の浜辺とか………あと夕方の観覧車とか」
負けないくらいロマンチストな乙女のようだ。てか、ちらちらこっちを見ながら答えるものだから、たぶん棘田先輩には気づかれた。
「確かに。観覧車なら、良かったかも」
氷室先輩の呟きに対して、雪村先輩は顎に手を当てながら、惜しいことをした的な顔である。再び観覧車に乗ったとしても、そのムードになるとは限らない。
「しかし、ムード値か」
「ムード値の定義式が必要ね」
((毎度のことながら、理系すぎないですかね!?))
予想通り、ホワイトボードに本日の議題が書き込まれていく。ここからまずはブレインストーミング式に、意見を出すことになるだろう。
「ムードが高いと思われる候補、いくつか並べてみます?」
「ああ。そうしよう」
ムード値が多項式になることは明白である。
「ほれ。愛に生きるトラスケ、出番」
「任せな。藍香とデートした場所は完璧に把握しているぜ」
先ほど奏さんが言った内容の他にも、プラネタリウムや夜景などが列挙された。季節イベントなら、花火やクリスマス、海もある。
「まっ、こんなところっすよ」
気づきづらいところで、家か。それって『藍香』をお持ち帰りしてそうだ。
「見事にばらばらだな」
「似ているところで、例えば2人きりとかですかね?」
奏さんって、デートもそうだったけど、2人きりになれる瞬間が好きなのか。ちゃんと頭の中にメモっておきます。
「プラネタリウムや映画館もあるし、完全に2人とは限らないわね」
棘田先輩がトラスケからマーカーを受け取り、ムード値を定義した。『注目している人数に反比例する』ということに誰もが納得する。
少ないほどいいということだ。
理想は2人きり。
「俺の場合、静かなところで藍香とキスするのが好きっす。おはようのキスなんか最高ですね」
「騒音に影響するということか。この値は後で決めるとして……」
dBの単位が出るってことは、まさかキスする前に測定しろということか。ガチ理系以外はムード下がりそうである。
「人の声も影響しそうじゃない。キスする2人も一定時間、沈黙してからとかね」
「はっ、チビ女なのにロマンチストなんだな」
棘田先輩が一度、咳払いした。
「トラスケの背が高すぎるのよ!」
「ははっ、そのうち伸びるさ………おまっ、急に藍香になんなよ!?」
棘田先輩の物真似が上手いのか、それとも『藍香』が棘田先輩に似ているところが多いのか。また幼なじみで言い争いが始まる。
この研究室、基本的に騒がしいよな。
「ほかにはどうだ?」
「夕方や夜の方がムードあるかなって思います」
「なるほど。照度の計測も行わないといけないわね」
((聞き慣れない数値きた!?))
次の段階として、ムード値を求めるために、各要素について立式されていく。中学数学で出るような文章題とは違って、その定数は適当に決めていく。
理系的な、適当である。
ここからが長い。
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キスについても、対照実験を行う。
恋の研究のために、行うことになってしまった。さて、この研究室のメンバーは男子3人、女子3人である。組み合わせ次第では、ちょっとまずいことになる。
ガールズラブとボーイズラブのタグが必要になる可能性がある。まあ、キスをする部位は指定されなかったことが幸いだ。
「トラスケ、いくぞ」
「ああ」
夕日の屋上Aは、俺たちの決闘場である。30秒間、ファイティングポーズで待機していた。
「俺のこの手が光って唸る!」
「お前を倒せと輝き叫ぶ!」
「「シャイニングフィンガー!!」」
お互いの拳が唇に軽く触れる程度、殴るまではしない約束だ。てか、お互いに古いネタをよく知っているなと、誉め称える。
その後、俺たちは拳を打ち合わせた。
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少しずつ日が落ちてきている。屋上Bに移動して待っていたのは、氷室先輩である。どっちかと言えば俺は雪村先輩に教えてもらうことが多い。
「月村君と2人で話すこと、あまりなかったわね」
「ええ、まあ」
てか、すごい美人だよな。海外の人の血が入っているのか、かなり色白だ。
「後輩が3人もできて、結構嬉しいのよ。今まではそういうこと、なかったから」
雪村先輩とイチャイチャしてないときは、氷室先輩はクールな場合が多い。その成績からも、高嶺の花として扱われていたのだろう。
「先輩たちのことは、兄や姉のように慕ってますよ」
「ふふっ、ありがとう」
雪村先輩は、イレギュラーなムード値低下によって髪の毛にキスをしたらしい。そういうわけで、俺も髪の毛にキスしてほしいらしい。
はっっっず!
「……これでいいっすか?」
「ええ。ばっちり」
髪の毛にキスするとか、雪村先輩はどこのサイトで学んだんだ。
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また屋上Aまで戻った。
次は雪村先輩だ。
「お前も一瞬で終わらせるぞ」
男連続ということか。
「歯を食いしばれえ!」
兄のように慕っている人に、思いっきり頭突きをされた。
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屋上Aで待機していると、絶世の美少女が現れた。
「月村。私のファーストキス、もらって?」
沈黙時間及び心の準備なんてない。
いきなり抱きついて誘惑された。
「ごめんなさい好きな人がいるので」
「優良物件だったのに、ざーんねん」
わかっててやってるのだから、質が悪い。まあ、こうやって、いじられるのも信頼されているからなのだろう。ソースはトラスケとの言い争い。
「月村って結構タイプなの」
動揺している間に、頬に柔らかな感触がした。
「……ども」
「ふふっ、それじゃあトラスケで遊んでくるわ」
俺とトラスケの共通項ってなんだろうな。手のかかるところとか、ゲームが好きなところとか。まあ、大きく違うところは幼なじみという点である。
裏切らないと確信を持てる人、そんな気がしてならない。
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夕日はもうすぐ沈みそうで、やがて夜がくる。これから会う女性のことを考えると、遊園地からの帰り道を思いだしてしまう。
和風の家の前で、パーカーの袖を握られた。でも、俺はまだ決心できなかった。いつだって迷い続け、いつしか中途半端に終わって、俺は逃げるのだろう。
「お待たせ」
頬を指でかきながら、こちらへやってきた。俺たちの白衣が風に揺れる。
「もう4年になるんだなぁ」
手すりで両手を支えて、2人きりで遠くを見つめる。屋上に来ることはあまりなかったが、ここにいると展望台にいる気分だ。
「俺はようやく慣れてきた頃だ。ここは都会だよ、ほんと」
雰囲気がまるで違う。まだ日本から出たこともないのに、世界の広さを感じるのだ。井の中の蛙だったんだなって自覚させられる。
「私さ、やっぱりこの街が好き」
棘田先輩や奏さんは宅通であり、他のメンバーも実家は近い。俺だけが遠くから来て、いつしか会わなくなる可能性が高い。
「遠くに住むってことはまだわからないけど、やっぱり近くにいてほしいんだろうね」
彩玉大に来てよかったと思っているのは確かだ。みんなと出会えたこともあるし、視野を広げることができた。
タイムリミットは刻一刻と近づいている。
「どこにする?」
「研究のためだし……」
尻すぼみになって、軽く首を振った。
そして、まっすぐ見つめてくる。
「……いいのか?」
俺なんかより、その価値はずっと高い。
「うん。後悔しない」
一時の気の迷いでもない。俺に誰かを重ねていることもない。先日の罪悪感からでもない。
好きかどうかを確かめたい焦りと、確かめてほしいという優しさ。
「言葉」
ことのは、という珍しい名前だ。
「俺とキスしてくれませんか?」
「ファーストキス、あげます」
心臓の鼓動が速まることを自覚しつつ、唇に触れた。
「なんだかよくわからないね」
「まったくだ」
感情がぐちゃぐちゃになって、頭の中を整理できそうにない。理系失格かな。
「ちょっと熱冷まさないと。私たち、たぶん顔真っ赤だと思う」
「ああ。まだ極秘で実験していたいからな」
次はまた、ムード値が良い値になったらだ。