義弟は猫耳と共に   作:海月 水母

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10話 猫耳と共に、最後の時間を

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ーーー

 

 

”彼”はその後も、白猫に多くの話をしていた。

陽が沈み、公園を照らす明かりが寂しい街灯のみになる頃まで。

白猫は飽きる素振りも見せず、静かにそれに付き合っていた。言葉が分かる訳ではない。”彼”の姿も以前とは違う。それでも、”彼”が嬉しいと感じていることに、気づいているかのように。

 

……やがてその時間も、終わる時が来た。

 

 

「…じゃあね。あんまり早く、こっち来ちゃダメだよ。」

 

 

()()が過ごす、最後の時間。”彼”は冗談めかしてそう言い、悪戯っぽく笑いかけた。

白猫は一声、真っ直ぐに鳴いた。”彼”に返事をするように、あるいは別れを告げるように。

子どもたちも、親に倣って鳴いた。…それだけで、”彼”は満たされたように目尻を下げた。猫耳も尻尾も、呼応して左右に揺れている。

 

猫たちは列を成して公園を後にし、やがて闇の中へ溶けるようにいなくなった。

それに背を向け、”彼”はベンチに座る僕の前に戻ってくる。夜の闇に、青の猫目が輝いていた。

 

 

「…やりたかったことは、できた?」

 

「うん、おかげさまで。……ねえ、もう少しここに居ていい?」

 

 

後ろで組んでいた手を前に出し、胸の前で指を絡めながら”彼”が聞いてきた。

 

 

「――最後は、この場所がいいんだ。」

 

 

――その目が少しだけ、震えたように見えた。

分かっていても、分かっているからこそ、消えることが怖いのだろう。…僕には、”彼”の胸を侵すその感情を想像することしかできない。でも、だからこそ、その思いを断る理由は一つも無かった。

 

 

「もちろんいいよ。…こっち、座ったら?」

 

 

おいで、と手で招くと、”彼”は素直にベンチに近づき、すとんと腰を下ろした。

……僕の膝の上に。

 

 

「え。」

 

「えっ?……あ、ごめん…つい癖で…。」

 

 

そっか…この子、猫だもんな。

そっと僕の横に座り直した”彼”はちょっと恥ずかしそうで、思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 

「落ち着くなら、膝の上でもいいよ…?」

 

「…いいって。話しづらそうだし。」

 

 

赤らめた顔を背けてそう言いながらも、”彼”はどこかそわそわしている。

…普通に腰かけている状態が、落ち着かないらしい。

 

 

「…じゃあ、こうしよっか。」

 

「えっ……わぁっ!?」

 

 

もじもじと忙しい肩をぐい、と引き寄せ、そのまま太ももの上に頭を乗っけさせる。あっという間に膝枕の体勢に引き込まれ、”彼”の猫耳と尻尾が驚いたようにぴん、となった。

 

 

「これなら、落ち着くんじゃないかな?」

 

「落ち着くって、こんな無理矢理…。いいって言ってるのに……。まあ、暖かいけど…。」

 

 

ぶつぶつ言いながらも、頭の位置や体勢を変えるのに余念がない。

収まる場所を見つければ、気持ち良さそうに喉を鳴らす。…ツンデレというか何というか、仕草が猫らしくて微笑ましかった。

うちにいた猫も、こんな風に膝の上に眠りに来てたっけ…。

懐かしさが胸を包む。一年前、我が家にもう一匹家族がいた頃を思い出しながら、掌は無意識に”彼”の――というか御春くんの――体へ…。伸ばした掌を肋骨から脇腹へ、なぞるように滑らせていた。

 

「ひゃぅっ!?」

 

「あっ…!ご、ごめん、思わず…。」

 

 

膝上にいるのが本物の猫だと錯覚し、手癖のままに撫でてしまっていた。…いやまあ、中身は本物なんだけど。

細い悲鳴で我に返り、申し訳なく思いながら手を引っ込める。

…が、それを不満げに見つめる視線が膝の上にはあった。

 

 

「…なんで止めるの。」

 

「え…嫌だったんじゃないの…?」

 

「いきなりされて、びっくりしただけだよ。…嫌なんて言ってないし。」

 

 

そう言って口を尖らせ、暗にまた撫でろと催促してくる。

…おずおずと、掌で御春くんの体のラインをなぞる。…その度に、跳ねるような声で小さく反応がある。

”彼”は気にしてないだろうけど、一応体も声も、今は『御春くん』なのだ。その姿で甘い声や反応をされると、僕の方は何とも言えないムズムズを胸に感じ、頬も熱くなってしまうのだけど…。

 

と、不意に”彼”が口を開いた。

 

 

「この子はさ…本当にきみのことが好きなんだね。」

 

「この子って……御春くん?」

 

 

膝上の猫耳が、肯定するようにぴこぴこと動く。

 

 

「今、すごく穏やかな気持ちが流れてきてる。こうやってきみの近くで、きみに触れてもらえるときが、この子は一番好きみたい。」

 

 

御春くんが、そんな風に…。

正直に嬉しい反面、御春くんの預かり知らない所でその気持ちを聞くことに若干罪悪感も感じてしまう。

 

 

「二人は兄弟なんだっけ。…だからなのかな。」

 

「兄弟って言っても、血は繋がってないんだけどね。義兄弟ってやつだよ。」

 

「ぎきょうだい……ふうん…。」

 

 

分かっているのかいないのか、曖昧な返事が返ってくる。

と、横を向いていた”彼”がごろん、と頭を上にした。必然、見下ろす僕はぱっちりと澄んだ猫目にみつめられる形になる。

どうしたんだろうと思い、”彼”の言葉を待つ。…やがて口を開いた”彼”は、至極純粋な疑問を口にした。

 

 

「人間のことは、よく分からないけどさ…。それって大変じゃない?他人だった人と兄弟になる、なんて。」

 

 

…その言葉はまるで、御春くんに出会う前の僕が喋っているみたいだった。

 

 

「そうだね…。僕も同じこと考えて最初は不安になった。…でも、今はもう大丈夫。」

 

 

御春くんと過ごした時間が、僕に教えてくれた。

出会う前の不安なんて吹き飛ばすくらいの自信と確信を。

 

 

「どんな始まり方でも、人と人は繋がれる。出会いが偶然でも、相手を想う心があれば繋がりは強くなる。…それで――」

 

 

言葉を切って、視線を前に投げる。

きょとんとしていた”彼”も僕の視線を追い、その先にあるものに気づいたらしかった。

…それは、御春くんが”彼”に送った短いメッセージ。刻まれた地面はとうに暗くなって見えないが、”彼”は容易くその言葉を諳んじてみせた。

 

 

「――つながりは、ずっと続いてく。か…」

 

 

僕の言葉を引き継ぎ、でしょ?と言うように首を傾げてみせる。

思えば”彼”と御春くんが交わした言葉は、あの一度きりだった。

…それでも御春くんの言葉は、ちゃんと”彼”の心に刻まれた。

ならきっと、もう大丈夫だ。

 

 

 

 

 

突然、僕の膝がふっと軽くなった。立ち上がり、夜空を見上げる”彼”の佇まいで、言葉が無くとも()()が来たのだと察せられる。

 

 

 

「よかったよ…………出会えたのが君たちで。…本当によかった。」

 

 

目だけが猫目のその表情は、憑き物が落ちたように穏やかだった。

()()()()()()()、なんて表現をこの子に使っていいのか分からないけど。この子自身、憑き物な訳だし。

それでも、いつかのような虚ろな目じゃない。真っ直ぐに澄んだ瞳は、もう震えてもいない。

涙の跡のはっきりと残るその顔で、それでも”彼”の表情は晴れやかだった。

 

 

 

「―――――。」

 

 

 

…最後の一言が、風に乗って耳に届く。

その言葉を告げ、彼は心から、笑った。

 

 

「うん。…御春くんにも、伝えておくよ。」

 

 

僕も笑顔で頷き、そう返した。

誰より頑張ったのは、誰より()に寄り添ったのは、間違いなく御春くんだから。

 

 

 

僕の言葉を聞いて"彼"は頷く。

目を細くして笑うその笑顔は、御春くんのものとは違う。だけどそれを浮かべているのは御春くんで……不思議なギャップにどきりとしながら、ゆっくり目を閉じる”彼”を見守った。

 

 

 

 

 

ふっと糸が切れたように、瞳を閉じた御春くんの身体が傾いた。慌てて手を伸ばし、その身体を抱き止める。

顔を近づければ、すうすうと規則的な寝息が聞こえてくる。…御春くんの魂はちゃんと無事で、そして"彼"の魂も、しっかり()()()()()()のだろう。

 

まだ小さなその身体に自分ではない者の魂を宿して。

不安に押し潰されそうになりながら、自分に憑いた霊を案じ続けて。

この不思議な事件の中で、御春くんはどれだけ頑張っただろう。

…そして、それは”彼”も同じ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――お疲れさま。」

 

 

安らかな寝顔に、星が煌めく空に、静かにそう声をかけた。

 

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

 

 

 

 

 

肩に寄りかかっていた温もりがもぞもぞと動くのを感じ、微睡みかけていた僕の意識もはっと覚醒する。

 

 

「おはよう、御春くん。」

 

 

呼びかけられ、御春くんは瞼を手で擦りながらとろんとした目で僕を見た。

ぱちぱちとしばたたかれる瞳は白と黒の二色のみ。…青い猫目の面影は無い。

 

 

「…お兄…さん……。ここは……?」

 

 

ゆっくりと首を回して周囲を確認する御春くん。

少しずつ開かれてゆくその目に写るのは、ゴトゴトと揺れる電車内の、他に乗客もいないがらんとした景色。

僕たちは今、僕たちの家を目指して帰っているところ。それに気づいた御春くんの目が大きく見開かれ、慌てたように僕の方へ向き直る。

 

 

「あの子は…?どうなったんですか!」

 

 

…やっぱり、目覚めた御春くんが真っ先に心配したのは、あの霊のことだった。

身を乗り出す御春くんを窘め、僕は指で窓を指した。

つられて窓に視線を投げた御春くんが、小さく息を飲む。

写り込んだ御春くんには、()()()()()()()()()()()()

 

 

「…………っ!」

 

 

…御春くんから、続く言葉は出なかった。

窓から目を離したとき、その口元は堪えるように硬く結ばれていたから。

その口元が、僅かに震える。瞼も何かを堪えるようにぎゅっと閉じ、俯いてしまう。

 

上手く言葉の出せない御春くんに僕は、御春くんが見ていない間のことを話し出す。

黙って耳を傾ける御春くんに、”彼”の行動、”彼”の言葉、一つも取りこぼさず伝えてゆく。

 

 

「……御春くんの言葉、ちゃんと届いてたよ。だから最後も、あの子は笑顔だった。」

 

 

…そして、”彼”が僕らに残した言葉も。

 

 

 

 

『ありがとう。』

 

 

 

 

ーー全てを伝え終えたと同時、御春くんは飛び込むように僕の胸に顔を埋めてきた。

胸の中で、御春くんは声を上げて泣いていた。沢山の、本当にたくさんの感情が形を変えた涙が、僕の胸を濡らす。

御春くんの背に手を回して抱きしめる。溢れ出したその涙を、全部受け止める。

 

 

「お兄さんっ……最後まで、ありがとう…っ…ございましたっ……」

 

「どういたしまして。…でも、最後じゃないよ。これから先、御春くんに何があっても、僕は御春くんの傍にいる。」

 

 

嗚咽混じりの声に、優しく言葉を返し、ぽんぽん、と落ち着かせるために背中をさする。

ーー不意に、その手が止まった。

 

 

「…頭、撫でてもいい…?」

 

 

ーーそれは、僕が兄として一番してあげたかったこと。

 

僕の質問に、御春くんははっと泣きはらした顔を上げた。

ーーゆっくりと、その首が縦に振られるのを待って、右手をそっと御春くんに乗せる。

ふわりとした柔らかな髪触り、掌を通じて感じるほのかな御春くんの温もり。

繊細な髪を梳くように、その流れに手を沿わせる。

 

 

 

「よく頑張ったね。」

 

 

御春くんにしたかったこと。

御春くんに伝えたかった言葉。

時間はかかっちゃったけど…ようやく、全部できたかな。

 

 

ーーーーー

ーーー

 

 

 

 

「御春くんは、何かしてほしいことある?」

 

 

不意にそう聞いたとき、御春くんはふにゃっと呆けた表情で僕の肩に寄りかかっていた。

頭には、まだ僕の手が乗ったまま。時折優しく撫でてあげると、表情がさらにふにゃふにゃになって可愛い。

その顔をぱっ、とこちらに向け、少し困ったように眉根を下げる。

 

 

「してほしいこと、ですか…?でも…なでなでしてもらったし、他にもお兄さんにはいっぱいしてもらってきたのに………」

 

「ご褒美、って言い方は変かもだけど…僕が何かしてあげたいんだ。だから遠慮せず、なんでも言って?」

 

 

…顎に手をあて、しばらくうんうんと考える御春くん。

やがて何かを思いついたようにあっ、と声を出すと、なぜかみるみる頬を赤くしながら伝えてきた。

 

 

「あの…ひ、一つだけ…あります。…ちょっと恥ずかしいけど…。」

 

「ん、なになに、何でもいいよ。」

 

 

僕が顔を傾けると、耳元に御春くんの真っ赤な顔が近づく。

他に乗客もいないのに何故か耳元で、ごにょごにょという御春くんの声が耳をくすぐった。

…………………

…………

……

…聞き終わって、思わず僕は笑ってしまう。

あまりに微笑ましいお願いで、あまりに嬉しいお願いだったから。

 

 

 

「ふふっ、分かった。…でもそれ…僕何もしてないよ?ただ御春くんに()()()()()()だけだし…。」

 

 

だから少しだけ、いいのかな、と思ってしまう。

 

 

「本当は、ずっとこうやって呼んでみたかったんです…でも勇気が出なくて…。全部解決したら、こんな風に甘えられたらなって……だから、お願いしますっ!」

 

 

けれど、顔を真っ赤に染めながらも真剣な目で頼み込む御春くんは本気そのものだったので、こちらも受け入れることにした。…僕にとっても、楽しみではあるし。

 

…本当は、その()()()()は初めてじゃない。

本人は覚えてないようだけど、御春くんは寝言で何度か僕をそう呼んでいたから。

それでもちゃんとした形で()()()()()()のは初めてで、嬉しさとこそばゆい感覚に胸の辺りがそわそわしてしまう。

 

 

「い、いきますね…」

 

 

御春くんは、緊張を解すようにすーはーと呼吸を何度か、胸元に手を当てながら繰り返す。

そしてーーー

満面の笑顔、僕を押し倒す勢いの抱擁とともに、

 

 

 

 

「大好きです、()()()()()!」

 

 

 

 

 

 

 


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