野球人生は終わらない 作:中輩
ほんと、難産でした。
六回表
「ストライク!バッターアウト!」
「よしっ!」
八番から上位に繋がる帝王実業の打線を三者凡退に抑え、可愛らしくガッツポーズをする橘。
空振り三振に喫した矢部は「やんす〜」と沈みながらベンチへと戻ってきた。
「可愛さにダマされたでやんす」
「ただの実力だろ……」
「サードゴロの兵藤君に言われたく無いでやんす」
「ぐ……」
痛いところを突かれたと黙り込む要。
左バッターである要には橘のサイドスローは背中からボールが現れるように見える、とても苦手な相手なのだ。
「んん……それより準備はいいか?久遠」
「……ああ」
久遠の表情は要の目から見ても分かるぐらい強張っていた。
かつての久遠も緊張しいでありプレッシャーには弱かった。三年時に要と決別して以降はそのような姿を要に見せることは無かったが、おそらくその弱さを克服する事は出来てはいなかった。
そうした久遠の弱さに要が手を差し伸べなかった結果が、最後の夏に地区敗退に終わった原因なのだ。
「相手の主力も俺らと同じ一年だ。気負わず楽に行こうぜ」
久遠の肩に腕を回し、安心させるような笑みで語る要。
しかし久遠は、要の手を乱雑に払った。
「お前に……僕の何が分かるんだよ」
そう低く呟き、久遠はマウンドへと向かって行った。
キョトンとしながらその光景を見つめていた矢部が口を開く。
「随分と機嫌が悪そうでやんすね。兵藤君、何かやらかしたんじゃないんでやんすか」
「……ああ、そうかもしれない」
要も久遠の背中を見ながら俯いてしまう。
それはかつての姿、友沢の肘を壊してしまった要を拒絶した姿によく似ていたからだ。
彼のあのような表情を見ると、かつての自身の過ちを、消してはいけない記憶を、思い出してしまう。
「今は違う……分かってはいるけど……」
今の彼が何に苛立っているのか、分からない。
分からないからこそ、怖い。
投球練習を終え、マウンドへと立った久遠。
向かい立つようにバッターボックスに立ったのは聖タチバナの二番バッターの原。
(さっきは粘られて四球を選ばれた。無駄球を出したくはないが……)
先程の久遠の様子を思い出す要。
感情的になり冷静さに欠けていた。かつての久遠も立ち上がりには課題があった。
(一球、様子を見るか)
アウトコースに外れるストレートを要求する要。小さく頷いた久遠。その表情は依然として険しいものである。
ワインドアップからのオーソドックスなオーバースロー。そのフォームは友沢のそれによく似ていた。
整ったフォームからボールが投じられる。
「なッ――!」
(逆玉!?)
驚く要を他所にボールはゾーンの真ん中へと向かって行った。
その絶好球に迷いなく反応し、原はバットを振るった。
快音が響く。
♢
一瞬、湧き上がった自陣ベンチであったが、すぐさま静まり返った。
原の捉えたボールは三塁線を突き抜けていくはずだったが、サードの吉田のジャンピングキャッチにより阻まれたのである。
「あかん、やらかしたわ〜」
そう言いながらベンチへと戻ってくる原は、ネクストバッターサークルから歩き出す六道の横で止まる。
「相手ピッチャー調子悪そうや。行けるで、六道さん」
「ああ……分かった」
返事をしバッターボックスへと向かう六道。
チラッとキャッチャーボックスに佇む兵藤へと視線を向けた。
(先程の一球。外すつもりだったであろうボールが真ん中へ行った。私ならタイムを取るか、せめて声はかける。なのになぜ……)
好調だった山口から投手が変わった。それがどのような事情によるものかは聖タチバナベンチには分からない。
しかし、その相手の采配が自分たちへの追い風となっている事を六道は理解した。
(勝負はこの回。必ず、塁に出る)
バットを短く持った六道。
確実にボールを捉える構えであった。
「くっ……!」
初球は山なりの弧を描くカーブ。ストレートを待っていた六道はこれに手が出て振るってしまう。
「ストライクッ!」
遅い球に体勢を崩される六道であるが、冷静に久遠を見つめた。
(今のもコースとしては、決して良くは無かった)
自分がこのピッチャーをリードするならどうするか、どうピッチングを組み立てるか六道は思案する。
二球目、投られたストレートは低めにワンバウンドし外れた。
そして、三球目。
外角の甘いコースの直球だと思いバットを振るった六道。
しかし、空を切った。
「ストライーク!」
ストレートの軌道から大きく外へ逃げるようにスライドしたボール。
(スライダー……なるほど、この投手の決め球か)
誰よりも冷静に、久遠 ヒカルという投手を見定める六道。
一年生でこれほどの変化球を投げれる投手は少ないだろう。
しかし、先程の山口に比べればスケールに欠ける。
「ふぅぅ」
息を吐く六道。
先程、山口のフォークにバットを当てた時と同じ境地。
超集中モードへと至る。
オーバースローから投じられた直球。
高めに外すつもりだったであろうボールはまたしても真ん中よりへ。
キィンという音ともに、白球は右中間へと抜けていった。
フェンスまで転がっていくボール。必死で走りボールを拾い上げるセンターの矢部。
「矢部ッ!」
中継に来たセカンドの玉木へとボールを投げるものの、打った六道はゆうゆうと二塁まで辿り着いていた。
状況は1アウト、ランナー2塁。
またしてもチャンスで回ってきた四番の大京。
点差は僅か2点、もう何が起きてもおかしくはない。
♢
中学二年の夏。
全国大会の初戦に、久遠 ヒカルは友沢 亮と対戦した。
結果は、3―2で久遠の所属する赤とんぼシニアの勝利。
投打で孤軍奮闘した友沢のいた帝王シニアに、上級生に先鋭の揃った赤とんぼシニアが地力で勝った形となった。
先発で登板した久遠は、決め球の
一度目は自身でも甘く入ったという自覚があった。しかし、二度目のボールには少なくない自信があった。
しかし、その儚い自信ごと打ち砕かれたのである。
試合には勝ったが、勝負には負けた。
悔しさは当然ある。
しかし、久遠の感じたのはもっと純粋な感情であった。
(あの人みたいに、僕も……)
その強い背中に憧れた。
惹かれたのは彼の才能では無い。彼の心。
どんな局面でも冷静であり、決して試合を諦めない。
その強さに、憧れたのだ。
その強さは、自分には持ち合わせていないものだから。
彼のようになれば、いずれ。
彼の背を追い続ければ、いずれ。
彼と共に立てば、いずれ。
そう思っていた。
『と、友沢さん!お久しぶりです!』
『久遠?』
友沢とは試合を通して何度か関わる機会があった久遠は、彼が帝王実業高校に入学すると知った。
そのため、他の高校からの推薦もあったがそれを蹴って帝王実業に一般入試で受けたのだ。
実際に、憧れる友沢と同じグラウンドに立った時の緊張とワクワクは忘れられない。
『フッ、お前がいれば頼りになるな』
『は……はいっ!頑張ります!』
彼にかけられた言葉が嬉しかった。
弱い自分でも、友沢の力になれる、役に立てるのだ、と。
いずれ、きっと。
そう思えるだけで十分だったのだ。
なのに。
『言っておくが、あれだけ言ったんだ。生半可なプレーじゃお前を認めない。絶対にだ』
『ああ、そうだろうな』
適正試験でバッテリーを組んだ二人の後ろ姿は妙に様になっていた。
自身は友沢の背を追いかけるだけで精一杯なのだ。いつか追いついて横に並べれば充分。そう考えていた。
それなのに、兵藤 要は当たり前のように友沢 亮の横に立って見せた。
『先、行くぞ』
友沢が一軍に上がる際、兵藤へと呟いた言葉。
その言葉を兵藤だけに掛けて意味をなんとなく久遠は理解してしまった。
友沢が自身に追いつけると期待しているのは、自分ではなく兵藤なのだ、と。
(僕は、お前が嫌いだ。兵藤 要)
自分は憧れていたのだ。
彼のようになりたいと、そう思っていたのだ。
なのに、ヘラヘラと自分の才能をひけらかす兵藤が気に入らない。
カキィンという甲高い金属音を聞き、目を見開く久遠。
その視線の先にはマスクを脱ぎ驚きながら遥か後方へと視線を向ける兵藤の姿が。
(あれ……僕は今、何を投げた?)
恐る恐る久遠は後ろを振り返った。
視線の先、外野の更に先。
レフトのネットフェンスの上方へと突き刺さる白球の姿が目に映った。
またしても甘く入った直球を大京が完璧に捉えた。
ツーランホームラン。
ゆっくりとベースを駆け抜けてゆく大京。聖タチバナベンチはこの一打にお祭り騒ぎである。
帝王実業高校 4―4 聖タチバナ学園高校
試合は、振り出しへと戻った。
♢
その後は相手の打ち損じにより二つのアウトをなんとか取り、攻撃へと移行することができた。
しかし、その帝王実業ナインの雰囲気はこの試合の中で最も悪いものであった。
「んだよ……簡単に二点も取られやがって、謝罪の一つもねぇ」
「やめろ河村!」
ベンチで俯いたままの久遠へと詰め寄ろうとする河村、それを吉田が制した。しかし、それでもなお河村は苛立ちを抑えられない様子である。
「おい!せめてこっちに顔向けたらどうだ!あぁ!?」
呆然とし、素知らぬ様子の久遠にますますヒートアップする河村。その前に要が立ち。
「スミマセン!アレは俺の判断ミスです!」
思いっきり頭を下げた。
その姿に、河村や吉田、そして下を向いていた久遠も驚く。
「久遠の状態を見誤りました!声を掛けるべき場面で声を掛けなかった俺のミスです!すみませんでした!」
捲し立てるように謝り、再び頭を下げる要。
その姿に、ため息をつきながら視線を逸らす河村。
「はぁ……悪かったよ。一年をそこまで責めるつもりはねぇ」
バッテリーは入学したての一年生なのだ。4点しか取れていない自分達が責める道理は無い。
そう考えた河村は、一瞬だけ久遠へ視線を向け、上位から始まる打席に備えて準備を始めた。
その様子に安堵する要。
一瞬躊躇うものの、キャッチャーとしての責務を果たすために久遠の横へと座った。
「なんだ……同情のつもりか……?」
項垂れる久遠は、視線だけを要に向けて呟く。その声は酷く暗いものであった。
「違う。言ったろ、お前を一人で戦わせた俺の責任だ」
要の言葉に久遠は顔を上げる。
その表情は険しく、要を睨みつけるようなものであった。
「ふざけるな……!僕が一人で戦えないとでも言うつもりか!?どこまで僕をコケにすれば――」
ガタンという音にベンチの皆が驚き、二人へと振り向く。
要が久遠の胸ぐらを掴み、壁へと押しつけたのだ。
「おい、落ち着け二人とも!」
「止めるでやんす!兵藤君!」
二人を止めに入るだけで猛田と矢部。そして二、三年生も二人の元へと集まる。
それでも要は止まらない。
今、言わなければ絶対に届かない。
かつてのようになってしまう。
怖いが、踏み込むと決めたのだ。
「お前はキャッチャーをなんだと思ってる!?ただの的か?」
「……ッ!お前に……お前なんかに!何がわかるんだよ!?」
「いい加減にしろ!お前たち!」
そして、要の胸ぐらを掴み返す久遠。
このままでは試合にならないと判断し、ネクストバッターボックスにいた吉田も止めに入る。
「僕は友沢さんみたいに強いピッチャーになりたい!なのになんで……お前ばっかりッ……!!」
「友沢なんか関係ねぇだろうがッ!!」
要の叫びに、審判たちも聖タチバナのメンバーも帝王実業のベンチの異変に気づく。
「すみません、少しだけ待っていてもらっても構いませんか。これ以上熱くなるようであれば止めますので」
駆け付ける審判達のもとへ制止をかけたのは、アイシングを終え戻ってきた山口。
その鋭い眼差しにたじろぐ審判達。
「お前はお前だろうがッ!!友沢も、山口さんも、久遠も俺にとってはバッテリーを組んだ瞬間から相棒なんだよ!!」
その要の言葉に戸惑う久遠。
「俺はお前達の役に立ちたい!お前達を助けたい!俺にできるのは、それだけなんだよ……!!」
そう言い涙を溢す要。
かつては、そうできなかった。
ただの的でしか無かった自分を変えたい。
それが、兵藤 要の願い。
「なんで……お前が、泣いてるんだよ」
要の姿にそれだけ呟く久遠。
「いい加減騒ぐのは止めろ。それ以上続けたいのならば、この場から去れ」
低く凍てつくような声の主は、帝王実業の監督の守木である。事態を理解した彼はすぐさまベンチへと現れたのだ。
(やらかした)
その声に一気に冷静になった要は、顔を青ざめる。
非常に不味い事態である。
かつて素行不良で退部になった選手を何何も見てきた要。下手したら自分と久遠、二人共退部すらあり得る。
「すみません。非は全て自分にあります。彼だけは試合を続行させてください」
すぐさま立ち上がり久遠が監督へ向け謝罪をした。
その様子に守木も「ほう」とだけ述べる。
「て、手を出したのは自分です!自分にも責任にはあります!すみませんでした!」
要もまた謝罪する。
二人の姿を見た守木は静かに背を向ける。
「向こうのベンチへ謝罪をしてこい。それで許されるならば試合を続けろ」
「「はい!!」」
自陣の先輩たちにも謝りを入れ、駆け足で聖タチバナのメンバーの元へ向かう二人。
結局、聖タチバナとしてもこれ以上の問題が無ければという事で了承を得たのであった。
♢
「ふぅぅ」
プレーが再開されたものの、帝王の攻撃は橘のピッチングの前にあっけなく終わった。
マウンドへと立ち、深く息を吐く久遠。
先程、兵藤と交わした言葉を思い出す。
『お前と友沢のスライダーは別物だ』
開口一番にそう述べた兵藤の言葉に、悔しさを隠せない久遠は歯を食いしばる。
『どっちが劣ってるとか、そういう事じゃない。要は使い方の問題だ』
先程よりもずっと兵藤の言葉がスッと入ってくる。
彼のキャッチャーとしての気持ちが少しだけ理解できたからかもしれない。
『お前は自分が思っているより、ずっといいピッチャーだ』
目を閉じて右手に拳を作り自身の胸に当てる。
少しでも荒立つ心を落ち着かせようとした。
(僕は、君が嫌いだ)
すぐにその気持ちを変えることはできない。
やはり、彼を羨ましいと思う気持ち、妬みの気持ちは変わらないのだから。
だがしかし。
(けどそれ以上に、弱い自分が大っ嫌いだ)
変えてみせる。
“彼等”と同じ場所に立つ為に。
難しいよ久遠君。