【完結】我が名はヴォルデモート卿   作:冬月之雪猫

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第一話『魔王再臨』

 あまりにも滑稽な光景だ。英雄と讃えられるべき少年が愚劣なマグルに虐げられている。

 彼が物心ついた瞬間、聞かせられた言葉は『質問をしてはいけない』だった。

 両親はまともな人間ではなく、少年自身もいかれていると毎日のように吹き込まれ続けた。

 殴られ、蹴られ、ボロ布を着せられ、手足を満足に伸ばす事も出来ない物置に閉じ込められる日々。

 家畜の方が余程上等な扱いを受けている。

 

「……アルバス・ダンブルドアよ。貴様の思惑は悪くない。だが、幼子の心は存外脆いものよ」

 

 ある日、少年の心は限界を迎えた。

 息はしている。心臓も動いている。けれど、それだけだ。

 丁寧に砕かれた心はもう戻らない。

 

「ハリー・ポッター。偉大なる帝王を打倒した少年よ。俺様は貴様の絶望を決して忘れない」

 

 ハリー・ポッターという少年だった肉体は新たなる主の意思で立ち上がる。

 いつも何かに怯えていた卑屈な表情は鳴りを潜め、彼は邪悪に嗤う。

 

我が名はヴォルデモート卿(I am lord voldemort.)。世界を今一度我が手に」

 

 第一話『魔王再臨』

 

 酷いものだ。全身にくまなく激痛が走っている。

 五日も物置に閉じ込められていた為に喉も胃袋もカラカラだ。

 成熟した大人の精神でも耐え難い苦痛だ。

 

「……さて」

 

 瞼を閉じる。肉体の状態は最悪だが、魔力は満ち足りている。

 魔法学校に通う前の幼児が魔力を暴走させてしまうのはよくある事だ。

 実際、ハリ―も幾度か魔力を暴走させていた。その度に折檻を受けて泣いていた。

 

「しかし、乱用は避けるべきだな。監視者はスクイブのようだが他に網を張っている可能性もある」

 

 いずれにしても、食料と飲料の調達が急務だ。

 今のままでは何も出来ない。

 

「まずは環境を整えるとするか」

 

 ハリーの年齢は九歳だ。二年後にはホグワーツ魔法魔術学校からの迎えが来る。

 それまでに力を蓄えて置かなければならない。

 今の俺様は魔王(ヴォルデモート卿)であると同時に英雄(ハリー・ポッター)でもある。

 この状況を利用しない手はない。

 魔力を()り、手元に呼び寄せたリンゴと水を口に入れた。

 

 ◆

 

「……帰って来たな」

 

 玄関の扉が開く音が聞こえた。家の者達が帰って来たのだ。

 五日もハリーを物置に閉じ込めたまま、彼らは旅行に出掛けていた。

 ヴォルデモート卿はゆっくりと立ち上がり、鍵が閉まっている筈の物置の扉を押し開いた。

 出て来た彼に家主であるバーノン・ダーズリーは腹を立て、顔を真っ赤に染め上げた。

 

「ハリー! 誰が出て来ていいと言った!? どうやら反省が足りておらんようだな!! 物置に戻れ!!」

 

 五日も飲まず食わずの状況にいたハリーを心配する素振りは一欠片もない。

 だからこそ、彼の心は砕けたのだ。

 

「愚かな」

 

 一欠片でも良かった。ほんの一欠片でも、彼らがハリーを気にかけていれば彼は生きていた。

 彼が生きていれば、これから起こる悲劇も起こらなかった。

 

「な、なんだ、その目は!!」

 

 嘲笑するヴォルデモート卿を見て、バーノンは反抗的だと更に立腹している。

 そんな彼の体は僅かに浮かび上がっていた。

 

「バ、バーノン!?」

 

 バーノンの妻であるペチュニアが悲鳴をあげる。

 

「き、貴様! こ、ここ、こんな真似をして、ただで済むと思っているのか!?」

「バーノン・ダーズリー」

 

 暴れるバーノンの名を冷たい声が呼ぶ。

 

「君は俺様の奴隷となるのだ」

 

 ヴォルデモート卿の瞳が真紅に輝いた。

 すると、バーノンは暴れるのをやめた。

 両腕をダランと伸ばし、虚空を浮かべている。

 

「ハ、ハリー!! パパに何をしたんだ!?」

 

 それまで呆然としていたバーノンの息子であるダドリーが叫んだ。

 ペチュニアはそんな彼を咄嗟に庇い、自分の背中で守っている。

 美しい光景だ。同じものを九年前にも見たことがある。

 姉妹というものは似るものらしい。

 

「ヴォルデモート卿は同じ愚を繰り返さない」

 

 一度は失敗した。赤子を守る母の愛が(いにしえ)の防護呪文を発動させ、死の呪文を跳ね返した。

 今回は精神を操るだけだが慎重に息子の方から自我を壊していく。

 息子が壊れていく様にペチュニアが悲鳴をあげた。彼女の順番が巡ってくると、怯えながらも怒りの篭もった眼差しを向けて来た。

 

「安心するがいい。これは死ではない」

 

 虚ろな表情を浮かべる一家。彼らに術を施していく。

 

「……哀れな者達よ」

 

 彼らは常に憎悪と共にいた。

 ハリー・ポッターはヴォルデモート卿の分霊箱であり、分霊箱はヴォルデモート卿の憎悪を伝播させる。母親の守護によって、ハリー自身の精神は守られていた。けれど、彼の周りまでは守ってくれなかった。ハリーに対する過剰なまでの虐待行為は増幅された憎悪によるものだ。

 ハリーがこの家に来なければ、あるいはハリーが分霊箱でなければ、彼らは今よりも健やかな日々を送れていた事だろう。息子を思うように、甥を思う事も出来たかも知れない。

  

「さて、君の名は?」

「……バーノン・ダーズリー」

「君の名は?」

「……ペチュニア・ダーズリー」

「君の名は?」

「……ダドリー・ダーズリー」

「素晴らしい」

 

 彼らは日常に戻って行く。バーノンは新聞を開き、ペチュニアは夕食の支度を始め、ダドリーはテレビに齧りつく。目にも生気が戻っている。

 ヴォルデモート卿は微笑みながら外に出る。そして、周囲に張り巡らされている魔法を確認していく。

 

「……思ったよりも少ない。なるほど、母親の守護を活かす形で陣を築いているわけだな。監視の目は……、なるほど」

 

 ヴォルデモートの視線はアラベラ・フィッグというスクイブの女性が住んでいる家に向けられた。

 

「まさか、スクイブ如きに一任するとは……」

 

 一応、ダンブルドアが組織した不死鳥の騎士団の残党らしき者達が本人に気づかれない範囲で顔を見せていたが、腰を据えているのは彼女一人のようだ。

 恐らく、ハリーの現状をダンブルドアの息のかかっていない者に見られたら保護しようと動く者が現れる事を懸念したのだろう。

 

「ハリーが分霊箱になっている可能性に気づいたのだろうな」

 

 ヴォルデモート卿は額の傷に触れながら呟いた。

 ダンブルドアならば気づいてもおかしくはない。そして、ヴォルデモート卿は分霊箱をすべて破壊しない限り不滅だという事にも感づいている筈だ。

 ダンブルドアは母親の守護を継続させる為の他にハリーの自尊心をダーズリー家が徹底的に破壊してくれる事も期待しているのだろう。彼は分霊箱となったハリーを復活するであろうヴォルデモート卿と争わせ、最後には自ら死を選ばせる腹づもりだ。自己犠牲の為には自分という存在を他者よりも下に見る精神性が必要となる。

 

「好都合だ」

 

 スクイブが相手ならばいくらでも誤魔化せる。

 ヴォルデモート卿はダーズリー邸へ戻って行った。

 兎にも角にも、まずは少し歩いただけでヘバリそうになっている肉体をどうにかしなければならない。

 二階に上がり、ダドリーが二十秒で飽きて放り出したダンベルをガラクタの山から発掘した。

 

「……ッフ、持ち上がらん」

 

 まさか、3kgのダンベルすら持ち上がらないとは思わなかった。

 ヴォルデモート卿は筋肉を作るより、まずは脂肪を作る必要があると判断した。

 

「……しかし、最初はスープからだな」

 

 先は遠そうだ。ヴォルデモート卿は少し深めの息を吐いた。


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