IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

62 / 62
第六十二話 考察

「あつー」

 

 雲一つない青空。太陽光がこれでもかと肌を焼く感覚に、つい顔を顰めてしまう。

 周りを見渡せば一面海に囲まれたベストロケーション。そこに横たわるたくさんの武装と、ISさえ目に入らなければ気分も良かっただろう。

 慌ただしく動き回る教員を横目に、大量に積まれた武装の前で端末を片手に汗を拭う。課せられた仕事は整備士として機体に武装を積み込んでいくというもの。インストール作業自体は大した手間でもないが、如何せんこの暑さのせいで体力の消耗が激しい。

 

 なぜ、自分がこんな所でこんなことをしなければならないのか。今頃はクーラーの効いた部屋で悠々とアイスでも食べていようと思っていたのに、大誤算だ。これも、あの面倒くさい上司が無茶な仕事を押し付けてきた結果に過ぎない。後でしっかりと監査役に報告しておく必要があると、一人頷く。実際に監査役はあの人の下の人間なので、文句を言ってもどうしようもないのだが、この苛立ちは監査役を巻き込んでも許されるだろう。あの上司の部下になった自分達を恨んでほしい。同じ穴の狢というのは今は記憶の片隅に寄せておこう。

 

「おい、小狐」

 

 急に肩に手を置かれ、びくりと身構える。振り向くと、仕事を押し付けた本人である千冬が立っていた。

 

「何をサボっている」

 

「サボってません」

 

 ビシッと姿勢を正し、両腕を後ろで組む。フィオナは千冬の睨みを真っ向から受け入れ、視線を逸らすことはしない。

 そのフィオナの態度に、すこし気を良くしたのか、千冬が珍しく発言の許可を出した。

 

「ほう、それでは何をしていたか、弁明させてやろう」

 

「はい。いかにあの糞上司に天罰を落とすかについて必死に考えてました」

 

「…………よし、わかった」

 

「わかってくれてわたしも嬉しいです」

 

 堂々と、正直に自分の気持ちを吐露すると、千冬も納得してくれたようだ。千冬もカルラとは顔馴染みとの事だ。色々と苦労してきたことだろう。同じ気持ちを共有することが出来て、どこか嬉しい気持ちになる。

 

「頭を差し出せ、馬鹿者が!!」

 

「―――――っつあ!?」

 

 脳がぐらぐらと揺れる。その凶器はどこから取り出したのだろうか。出席簿から薄く煙が出ているように見えるのだが、錯覚だろうか。

 

「反省が足りないようだな、小狐」

 

「いたた……その小狐って言うの止めてください。あの人と一緒にされるのムカつきます」

 

「直属の部下がよく言う」

 

「だから苦労してるんですよ。そういうわけですし、勘弁してくれません?」

 

「それとこれとは話は別だ。本当ならばスパイ行為として査問委員会に引き渡してもいいんだぞ? アイツの部下ということで手心を加えてやっているのだ。これが私じゃなかったら今頃お前は監獄の中だな」

 

「くっ……それに関しては感謝してますが、一般生徒を脅すなど一教員として恥を知るべきだと思います」

 

「お前のような一般生徒がいてたまるか」

 

「奇遇ですね。わたしも常々織斑教諭のような教員が居てたまるものかと思ってましたよ。警備員の間違えじゃないんですか? 気配を消して人の後ろに立つなんてやましいことがある人間にしかできませんよ」

 

 肩を竦めて、人をおちょくるかのような態度を取る。千冬のこめかみがぴくぴくと動いているのが分かる。

 

「小狐、お前は深水が居ないと良い性格だな」

 

「お褒めに預かり光栄です」

 

「褒めとらん」

 

「それではわたしはこれで失礼します」

 

 これで話は終わりと、フィオナは千冬に背を向ける。

 

「待て、何をこれで話は終わりみたいに歩き出している。仕事をしろ馬鹿者。お前の持ち場は此処だろう」

 

「……気付かれてしまいましたか」

 

「よく行けると確信したものだ。お前の度胸には呆れを通り越して尊敬の域に入る」

 

「そんなに褒めないで下さいよ」

 

「はぁ、お前ぐらいだぞ。私にそういう態度を取れる生徒も」

 

「大して敬意を払っていませんからね」

 

「……取り敢えず、深水にはお前の仕事態度を報告しといてやろう。私に対する態度もしっかりと言い含めてな」

 

「なっ!? あなたは鬼ですか!?」

 

 カルラに報告されるのならまだいい。大して心に響かない説教を受けるだけだ。だが、沙良に報告されるのだけは拙い。今まで積み上げてきた信頼と実績とキャラという物が崩れてしまう。沙良から軽蔑された視線を向けられることを想像しただけで全身から血が引いてしまう。

 

「嫌ならサボらず働んだな」

 

「……わかりました。………………hijo de puta(くそ野郎)」

 

「聞こえているわ!!」

 

 出席簿が頭に叩きつけられると、その勢いのまま砂浜に顔から突っ込んだ。

 視界が真っ黒になり、肌をこする砂の感触が不快感を覚える。

 

「生徒が集まるまでには終わらせておけ。それが終わったら私のところに来い。生徒たちが集まるまで特別に訓練を付けてやろう」

 

 尻を突出し、顔を砂浜に埋め、四肢を痙攣させているフィオナに対して千冬が吐き捨てた言葉は、地獄への切符と同意だった。

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「ふあぁ」

 

 昼の厳しい日差しも、室内の風の当たるところにいれば何と楽なことか。

 旅館の窓からふと外を覗いてみると、海面からの強い照り返しが目に入る。

 今頃、一般生徒は新型武装のテストを行なっているころだろう。

 こんな暑い中ご苦労様と言いたくもなるが、それを口に出すと猛烈な批判を受けることは想像に容易い。

 

「欠伸など……一夏、だらしないぞ?」

 

 欠伸を一つ洩らした一夏を、その横に座っている箒が嗜める。

 視線をそちらに向けると、顰めた顔の箒がこちらを見ていた。

 

「他の生徒は今頃暑い中頑張っているのだ、もう少しシャキッとしないか」

 

「アンタもその白紙のレポートを埋めてから言いなさい」

 

 鈴音は一夏を諌めていた箒のレポートを覗き込むと、それを本人に突きつける。

 そのレポートはまるで新品のように綺麗な状態が保たれていた。

 一文字も書かれていない真っ新なテキストソフト。呆れのため息を洩らしてしまうのも無理は無い

 

「見事に真っ白だな」

 

「し、仕方ないではないか。私はまだ専用機を受領したばかりなのだ……その状態で自機についての考察レポートなど書ける訳が無いではないか……」 

 

「そんなの甘えよ甘え。専用機持ちって言うのはそんなに甘くないんだから。アンタこそシャキッとしなさい」

 

「そういう鈴さんこそ、こっそりお菓子を食べるのはお止しになれば?」

 

 意識が箒に向いていた鈴音の足元に隠してあったお菓子を、セシリアがこっそりと奪う。

 

「あ、ちょっとセシリア!」

 

「コアラのマーチ? 可愛らしいお菓子ですわね」

 

「ふっ、お前ら。私語は私のようにレポートが終わってからするが良い」

 

 ラウラが自分のレポートを見せ付けるように話の輪に入ってくるが、

 

「アンタは始末書を書き終えてからこっちの話に入ってきなさい」

 

 鈴音に窘め、とぼとぼと自分に割り振られた席へと帰っていった。

 

「くそぅ」

 

 涙目でガリガリと始末書を作成しているラウラに、一夏は憐れみの視線を向ける。

 

「軍属って大変なんだな」

 

「まぁそうね。あたしたちみたいな代表候補生と違ってそれが仕事なんだし、ある程度の誓約は仕方ないんじゃない?」

 

「鈴さんもわたくしもそれなりの誓約は受けてますけど、流石に軍属までとは言えませんものね」

 

「へー、色々あるんだな」

 

「アンタ等二人の立ち位置が異常なのよ。普通は軍属か代表候補生にならないと専用機なんて手に入らないんだから」

 

「シャルロットさんが専用機を持ち続けるためにスペインの代表候補生になったように、例えコネが有るとしましても、ある程度の立場が無ければ世界がそれを持つことを許しませんわ。お二人とも、今の特殊な立場は常に危うい立ち位置だということ、お忘れないように」

 

「わかってるさ」

 

「あ、あぁ」

 

 セシリアの忠告に素直に頷く一夏。箒も戸惑いながらも真剣に頷いている。

 

「その噂のシャルロットは今頃は沙良とイチャイチャしてるんでしょうね」

 

「おいおい、シャルロットも怪我人なんだし、その言い方はないだろ」

 

 唇にペンを乗せて両手で頭を支える鈴音の発言に、一夏は強く言い聞かせるように注意する。

 

「馬鹿ね、あの娘がただ寝込んでるだけの女なわけないでしょ。さっき様子を見に行ったけど、怪我を良いことに沙良にべったりと甘えまくってたわよ。沙良もそれで世話を焼いちゃうからダメなのよ」

 

 一夏の注意を大して気にも留めていない鈴音は、足元に抱え込んでいるお菓子を口に放り投げる。

 その行儀の悪さに、一夏は鈴音の胡坐を組んでいる足をペシンと叩き、窘める。ついでにコアラの絵が描かれているお菓子を一つ拝借することも忘れない。

 

「あの怪我だ、暫らくは動けないのではないか?」

 

 箒の疑問も当然だ。ここにいる全員がシャルロットの怪我の酷さを目の当たりにしている。鈴音とラウラを除く、治療後のシャルロットの姿を見ていない者たちは、焼き爛れた両足を思い出したのだろうか、同じタイミングで身震いをした。

 

「あたしもお見舞いに行くまではそう思ってたんだけどね」

 

「様子を見たところ外傷はほぼ七割方治っているようだったな」

 

 ラウラが鈴音と顔を見合わせて言う。その言葉が正しければ、再起不能と思われた大怪我が二日で治りかけているということになる。

 

「七割……ってそんなことが出来るのかよ!?」

 

「……それは不思議な手品ですわね。如何なるトリックで?」

 

 顎に指を添えたセシリアはちらりと箒に視線を向けた。それは暗に、束が関わっているのかという意図だろう。視線を向けられた箒本人は、その意図に気づいていないようだが。

 

「ええ、アンタの考えている内容で合っているわ」

 

「あの人が沙良のお願いを聞かないわけがないしな」

 

 昔から沙良には甘かった束の事だ。少し上目づかいでお願いされたら内容を聞く前に首を縦に振るだろう。

 

「心配して損をするとは正しくあのような状況を指すのだろうな」

 

「あたしとラウラが様子を見に行っても、沙良にべったりしちゃってさ。図々しくも『リンゴ、食べたいなぁ』と沙良にリンゴ剥かせた挙句に、『あーん、して?』ですって!? あたし達も居るっての!! 少しは気を遣えっての!!」

 

 話を聞く限り、治療の進行は芳しいようだ。そもそも束が全精力を挙げて治療しているのだ。最初から何も心配することないと一夏は思っている。

 

「まぁまぁ落ち着けよ、鈴。シャルロットも沙良に甘えれて浮かれてるんだろ? こんな独占できるチャンスは滅多にないだろうしな」

 

「え?」

 

「ん? シャルロットは沙良が好きなんだろ?」

 

「――っ!?」

「――っ!?」

「――っ!?」

「――っ!?」

 

 四人が一斉にこちらを向き、目を見開き、絶句した。

 

「一夏……アンタ、今……?」

 

「あ、もしかして言っちゃいけなかったのか!? 悪い、聞かなかったことにしてくれ!!」

 

「い、いや、そうじゃなくて、アンタ気付いてたの!?」

 

 鈴音の小さな手が一夏の両肩を握り潰すかのように掴む。その表情は、カナヅチの人間が五十メートルを潜水で泳ぎ切った時のような表情をしていた。正直、一夏自身何と表現したらいいかわかってはいないが、それほどに驚きに満ちた表情をしているのだ。ちなみに、その他の三人はこそこそと何か話し合っているようだ。ここからでは何を話しているのかはわからない。

 

「お、おう、鈴、取り敢えず肩つかむのは止めろ」

 

「あ、ごめん」

 

「で、気付いていたって何がだよ」

 

「だから、その、あれよ」

 

「どれだよ」

 

「だから、その」

 

「ん?」

 

「シャルロットが沙良の事を」

 

「あぁ、だって見てたらわかるだろ? 表情にモロに出てると思うぜ?」

 

 シャルロットはあんなにも分かりやすいのに、沙良はよく気づかないものだと、呆れを通り越して感嘆してしまう。鈍いというか、わざと気付かないようにしているといった方が正しいのか、沙良は恋愛事は避けるような節がある。立場的には仕方ないのかもしれないが、一夏的には好きな娘でも作って普通の学生生活を送ってほしいと思っている。これも、沙良からすればお節介なのだろうけど。

 

「まぁ、沙良も恋愛事には鈍いよな」

 

「それをお前が言う――もが、何をするセシリア!?」

 

「箒さん、気持ちはわかりますけど、ここは一つ堪えてくださいまし」

 

「嫁……それは私でも流石にフォローできん」

 

「な、なんだ?」

 

 こそこそしていた三人娘が急に一夏に向かって騒ぎ出したので、一夏はビクッと身構えてしまう。

 

「……OK。ちょっとアンタはレポートやってなさい。あたし達はちょっと重大な話し合いがあるから」

 

「あ、あぁ」

 

――意味が分からん。

 

 一人ぽつんと残された一夏は、小首を傾げながら書きかけのレポートに向かいなおす。

 

「考察レポートか、確かに二次移行したばっかりだし、自分の機体を把握するという意味では手を抜くわけにはいかないか」

 

 四人集まって深刻な顔をしている女子たちは今は頭の隅に追いやる。自分でも女子の心の機微には鈍いと自覚があるのだ。変に藪をつついて蛇を出すのも馬鹿らしい。今するべきはレポートである。

 機体のデータを、各自専用機持ちに支給されているタブレットにデータ開示出来るよう、情報の共有化の設定を行う。

 

「白式も変わったなぁ。いや、今は『白蛍(しらぼたる)』か」

 

 純白のガントレットだった待機状態は、今はアイボリーのブレスレットへと形を落ち着けている。

 ガントレットよりも扱いが楽で、見た目にも一般的アクセサリーの部類になったことに素直に喜びを示す。

 

「ガントレットは重かったしなぁ」

 

 いくら武道を嗜んでいたといっても、誰が好き好んでガントレット、所謂小手を着けるのか。そんなの、少し常識のない馬鹿か日本を勘違いした外人だけだ。

 

「お、共有化は出来たようだな」

 

 さっそく、画面をスクロールし、開示された情報をレポート用紙に書き込んでいく。

 

「えっと、白式第二形態『白蛍』っと……武装はどこのページだ?」

 

 専用のブラウザを適当に探り、あらゆる情報に目を通す。もちろん全部の情報を理解できるわけもなく、わからないところは飛ばし飛ばしで読んでいく。

 

「あった、これか」

 

 見つけた項目には確かに天ッ蛍の文字が。

 

「天ッ蛍の考察って言われても難しいんだよなぁ。エネルギー纏える刀って感じなんだけど、それだけなんだよなぁ。えっと、『エネルギーを纏うことが出来、またエネルギーを核に斬撃を飛ばすことが出来る』これでいいか」

 

 取り敢えず思いついたことを文章にしていく。だが、満足のいく内容かと言われると、決して頷くことはできない。この機体のメインとなるのはこの武装たちだと思うが、そのキーポイントとなるのは、

 

唯一仕様の特殊能力(ワンオフ・アビリティー)『栄達極夜』、自らのエネルギーに、他のエネルギーと反発拡散し相殺する特性を持たせる……。『零落白夜』とはどう違うんだ?」

 

「イチカさんは馬鹿ですか?『零落白夜』はエネルギーを無効化、消滅させる。それは消しゴムで字を消すようなものですよね?」

 

「あ、フィオナ」

 

 一夏の端末を覗き込むように身を乗り出してきたのは、茶色の髪を結い上げた一人の女生徒だった。

 

「千冬姉に仕事を手伝わされてたんだろ? お疲れさま」

 

「ええ、お疲れ様です。本当にあの教師は人としての感性を失ってますよ。鬼です、鬼。わたしだって好きで盗聴したわけじゃないんですよ」

 

「お、おう」

 

 盗聴という発言に、何を言えばいいのか戸惑うが、先ほどの言葉に引っ掛かりがあり、すぐさま意味を聞き返す。

 

「零落白夜がどうだって?」

 

「ええ、新しい唯一仕様の特殊能力(ワンオフ・アビリティー)『栄達極夜』でしたっけ?」

 

「あぁ」

 

「それは、簡単に言えば、銃弾で銃弾を打ち落とす現象を机に置いた状態の銃弾同士で行うことです。意味、わかります?」

 

「……」

 

「その顔は分かってない顔ですね。わかりました。それではイチカさんに問題です。ここに消しゴムが二つあるます。これを二つ並べます。さぁどうなりますか?」

 

「どうもしないだろう。何も起こらないさ」

 

「そう。何も起こらない。これが机に置いた銃弾と同じ状態」

 

「あぁ」

 

「では、次の問題。もし、この消しゴムが磁石と同じ性質を持っていたら?」

 

「ん?」

 

「この消しゴムがS極、こっちもS極の時、この状態ではどうなると思います?」

 

「お互いに接触できなくなる」

 

「まぁ正解です。じゃあ、片方が固定されてたら?」

 

「固定されていないほうが弾かれる」

 

「そういうことですよ」

 

「つまり、普段は何の反応も起こさないエネルギー同士を無理やり反応させるということか?」

 

「それがエネルギーの反発です」

 

「じゃあ、拡散は?」

 

「コップの水を高層ビルの屋上から落としてください。地面に届きますか?」

 

「届かない」

 

「つまり消滅したと言い換えても問題ありませんよね?」

 

「あぁ、なるほど。エネルギーを反発させ拡散することで自然に消滅させたのか」

 

「おそらく」

 

「じゃあ相殺は?」

 

「銃弾を銃弾で打ち落としてみてください。どちらも運動エネルギーが打ち消しあって、互いに差し引きして、威力が帳消しになると思いません?」

 

「そっか」

 

「それで相手の口径が大きければ、数発当てないと威力を相殺できないですよね?」

 

「銃弾で銃弾を撃ち落す現象が相殺、机に置いた状態の銃弾同士で行うことっていうのが反発と拡散を意味するってわけか」

 

「例えがややこし過ぎましたね。簡単にすると、油を水に変換するという考え方もできますよ」

 

「なるほど、そっちのがわかりやすいな」

 

 油同士では混ざり合ってただの油のままだが、そこに水を注いだらどうだろう。水は急激に膨張して油をはじき飛ばす。これをエネルギーに置き換えたらいいのだ。油であるエネルギーを、水のエネルギーに変える。簡単に言えばそういうことだ。

 

「油を加えても何も起こらないが、水を加えれば爆発する」

 

「大まかにはそういうことです。納得いかないのは、零落白夜のような使い方が出来るところです。シールドエネルギーを弾き飛ばしたところでエネルギー自体はすぐに展開されるわけですから、ただ相殺する分のエネルギーを減らすことが精一杯なはずなんですけど」

 

「つまり、零落白夜みたいにシールドを無視して攻撃できるわけじゃないと?」

 

「そういうことですね」

 

「たぶんそれならこれが影響していると思う」

 

 一夏は自分の端末をフィオナに差し出す。

 それを受け取ったフィオナは、タブレットをスクロールし、閲覧できる情報に目を通す。その眼はいつものようにおっとりとしたような目ではなく、どこか真剣味を帯びていた。

 

「どれどれ、『また、任意発動により自らのエネルギーを相手のエネルギーに侵食させる。浸食時間、相殺抵抗はその際利用するエネルギーの質量に比例する』……。相殺したエネルギーの箇所にそのまま虫食いのように穴を開けるってことですね」

 

「これがどういう作用をするんだ?」

 

「これは相殺したエネルギーの箇所を修復しようと新たに供給されるエネルギーを消し続けることによって起こると仮定されます。これにより、そこを通過する攻撃は必ず絶対防御が作動するようになるってわけですね。…………本当にえげつない」

 

「それでも使った感じ、本当に僅かな時間だったけどな。刀がすり抜けれるかどうかってラインだった」

 

「それで充分なんですよ。なんて言ったって当たればそれで終わりなんですから。より効率的になったということでしょうね」

 

「ほうほうなるほど。……効率的になったと」

 

「イチカさん、自分のレポートなんですから私の考察を書いてどうするんですか」

 

「参考意見だよ。問題ないさ。つまり、纏めに入ると『零落白夜』はエネルギーという消しゴムで相手のエネルギーという字を消すのに対し、『栄達極夜』は」

 

「エネルギーという油を弾き飛ばすために、自分のエネルギーを水に変換する。そういう考え方でいいかと。……あ、はい、これ端末です」

 

「おう」

 

 一夏はフィオナから端末を受け取ると、武装の欄をもう一度閲覧する。

 

「この武装は、この『栄達極夜』を前提にしている。そう考えるのが普通だよな」

 

 エネルギーを纏うことが出来る天ッ蛍。「蛍」というナノマシンにエネルギーを纏わせ、空中へと放出する雨ッ蛍。そのどちらとも、栄達極夜のエネルギーを利用して初めて価値が出る。

 両腕の展開装甲による篭手となった海ッ蛍も、あまり利用する機会はないが蛍を纏うことが出来る。主な使い方は、展開装甲の出力に頼った徒手空拳での殴り合いになるだろうが、この栄達極夜というブラフが存在することに大きな意味があるのだ。

 

「助かったよフィオナ。おかげでレポートが進みそうだ」

 

「いえいえ、こちらこそ。おかげで貴重なデータが手に入りましたので」

 

「ははは、こんなの、レポート読めばすぐに分かることだけどな」

 

「ふふふ、そうですね。でも、イチカさん。おいそれと端末をほかの人に見せちゃ駄目ですよ?」

 

 口元に人差し指を添えて、「約束ですよ?」とほほ笑むフィオナ。

 

「ん? あぁ、わかった」

 

 その動作にドキッとしながらも曖昧に頷く一夏を余所に、フィオナは一夏に背を向けた。

 

「それでは、わたしはシャルさんの着替えを持って行かないといけないので」

 

「あぁ、引き留めて悪かったな」

 

「いえいえ、こちらにも利があったので気にしないでください。それでは」

 

 フィオナがシャルロットのものと思われるスポーツバックを担いでいく姿を見送る。

 

「さて、続きをやりますかな」

 

 先ほどの会話の内容を忘れないうちにキーボードへと向かい合うのだった。

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「シャルさん、入りますよ?」

 

 扉をノックし、返事を待たず室内に足を踏み入れる。どうせ在室なことは分かっているし、急に入って困るようなことはしていないだろう。というより出来ないだろう。

 

「お仕事ご苦労様」

 

 フィオナが帰ってきたことに気づいたのか、沙良がキッチンから顔を出した。

 

「あ、沙良さん居たんですね。暑い中駆り出されてクタクタです」

 

「千冬姉に発信器付けたんだって?」

 

「秘書長の命令ですよ。わたしのせいじゃないのに」

 

 わたし怒っていますと、頬を膨らませて不満を訴えてみると、沙良はくすくすと笑ってくれる。

 

「フィーナも見つからないように付けないと」

 

「それが、通信目的も兼ねていたようで、バレるのは必然だったようで……。あの糞上司には一回痛い目見せてやらないと気が済まないです!!」

 

「まぁまぁ落ち着いて。カルラには僕から言っておくよ」

 

「それならいいですが……ブラック企業にも程がありますよ」

 

「それでも毎年入社したい会社ベスト10に入るぐらいは人気があるんだよね」

 

「それは営業とか総務とか人事とか開発とかですよ」

 

「大半じゃん」

 

「うちの部署は超絶ブラックですけどね」

 

「それを言うなら僕の部署だってブラックだもん」

 

「開発部はそれが好きな人たちが集まってるじゃないですか」

 

「それもそっか。フィーナ、そっち持って」

 

 指さす方には、ストローが突き刺さったタンブラーが置いてあった。大方自由に体が動かせないシャルロット用に用意されたものだろう。

 

「シャル、フィーナが来たよ」

 

 お盆にお菓子を盛った沙良の後に続いてずかずかと歩いていくと、ベッドに寝かされたシャルロットの姿が見える。パッと見たところ外傷は治癒したようだ。だが、ベッドから全く動いていないところから、未だ麻痺は続いているのだろう。ナノマシンの活動が停止している時だけ、シャルロットは自由の時間を取り戻す。だが、その自由も、体の麻痺により不自由なものとなるのだ。早く治ってほしいものだが、治療を開始して二日目。折り返し地点といったところか。あと三時間もすればシャルロットはまた痛みに耐えるだけの時間が訪れるだろう。願わくば、一秒でも早い回復を。

 

「顔色は良くなったようですね。これ、着替えのカバンです。一応言われた通りの物を持って来たつもりですけど」

 

 つい二時間前まで痛みに暴れていたらしいシャルロットは、汗で不快感を覚えているだろう。シャルロットに着替えを要求されていなければ、千冬との虐めの如き訓練ももう少し長引いていたと思われる。

 鞄を受け取ったシャルロットは、さっそく鞄を開けて中身を物色している。

 

「うん、大丈夫。ありがとう、助かるよ」

 

「いえいえ」

 

 フィオナはベッド横の小机にドリンクを置くと、沙良からお菓子を受け取った。

 

「じゃあ、早速着替えようかな、沙良手伝ってくれる?」

 

 シャルロットが手を伸ばすが、その指先が沙良の柔肌に触れる前に、その腕をしっかりと掴む

 

「シャルさん、いくらなんでもそれは常識がなさすぎです。わたしが手伝います」

 

「ちぇー」

 

「ちぇー、じゃないですよ全く。沙良さんはイチカさんのところに戻っておいてください」

 

「わかった」

 

 シャルロットの不満そうな表情に、額を指で押すことで応える。沙良は素直に部屋に戻ったようだ。空気を読んで、時間を掛けてくれるだろう。

 フィオナはベッドの端に腰を掛けると、鞄の中から衣類を取り出した。

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「シャルさん、告白したからってはっちゃけすぎですよ」

 

 ベッドに腰を下ろしたフィオナが、シャルロットにジトっとした目を向けてくる。だが、テンションが上がるのは仕方ないだろう。ようやく気持ちを伝えることが出来たのだ。少しぐらいはっちゃけても見逃して欲しい。

 

「えへへ、だってー」

 

「だってじゃありませんよ。シャルさんOK貰ってないじゃないですか」

 

「うっ、それを言われると辛い……」

 

 そう、想いを伝えることには成功したのだが、その結果が伴ったのかと言われると、首を横に振るしかない。

 

「恋人同士なら文句言いませんけど、振られた身なら振られた身らしくしてくださいよ。はい、体拭きますから腕上げてください」

 

「な、何言ってんのさ! まだ振られてないよ!? 保留って言われたもん!」

 

 首を大きく振って否定の意を示す。しかし、ぺしりと腕を叩かれるとしぶしぶと両腕を上げて、パジャマを脱がしてもらう。

 

「はいはい」

 

「む、何さ」

 

 体をなぞる温めた濡れタオルが気持ちが良い。背中をタオルが通るたびに声が漏れる。

 

「保留って、振られたも同然じゃないですか」

 

「だって、沙良の立場的に恋人を作ることは難しいって……」

 

「はい、下着替えますよ」

 

 フィオナの手が布団の下に潜り込み、シャルロットのズボンをずりずりと脱がしていく。下半身は完全に麻痺している状態なので、大人しくされるがままで羞恥に顔を染める。

 

「まぁ有名人ですし、社交界にも出てますからね。縁談の話もよく持ち上がっているみたいですし、おいそれと自由に恋愛できる立場じゃないでしょうから」

 

 沙良には業界の中でトップクラスのネームバリューがあるだけではなく、ISが使える男子としても有名になった。その沙良がおいそれと恋人なんか作ってみたらどうなるかなど簡単に想像できる。元々ハニートラップの類も多く仕掛けられていたと聞く。シャルロットには大人の考えていることなどこれっぽっちもわからないのだが、ここで恋人という前例を作ることは良くないとカルラも言っていたらしい。自分が恋人になった方が変な虫も寄ってこないと思うのだが、社交界というのはそう甘いものではないらしい。

 

「せっかく勇気出して好きって言ったのに」

 

 理由があるものは仕方ない。実際、断るための体の良い言い訳なのだろうが、シャルロットが一時間かけて粘った結果、保留という形になっている。実際にそういう事にしておくというのが、シャルロットの精神衛生上一番ダメージが少ない。それに沙良も言っていたのだ。『僕が付き合ってもいいと思えるように、振り向かせてよ』と。そこまで言われて黙っているほど女は廃れていない。すごい大きなため息という前置きさえなかったらパーフェクトだったのだが。

 

「現実はそう甘くないってわけ、か」

 

 むしろ甘い妄想しかしてこなかっただけだと言われると、否定しきれない。実際に振られることを全く考えていなかったのだから、御目出度い頭だとリナに指さされて笑われても仕方ない。

 シャルロットは沙良が用意してくれたドリンクに口をつける。中身はスポーツドリンクのようだ。薄めに作られたそれは今のシャルロットの体を考慮した物だろう。その優しさに頬が緩む。

 

「そういえば、シャルさん。好きって言う前にキスしてましたね」

 

「ぶっ!」

 

「うわ、汚っ」

 

 口から綺麗な放物線を描くように液体が噴き出る。

 

「み、み、み、見てたの!?」

 

「そりゃあ見てましたよ。沙良さん、何か言いたそうな顔してましたし。まさかの無理やりキスするなんて思ってもみなかったですけど」

 

「うぅ……あの時は色々あって状況判断が……」

 

「責めているわけではないですよ」

 

「良かった。ていうか、今の流れ、何かデジャヴ感じる」

 

「まぁわたしは責めてませんけど、ソフィアさんに連絡したらカンカンに怒ってましたよ。あと秘書長に言ったら社内に一瞬で噂が広がったようです」

 

「oh……」

 

「どうしました? そんなに真っ青な顔して」

 

「終わった……」

 

「ははは、大丈夫ですって。ちょっと痛い目見るだけですよ」

 

「痛い目見ることは前提なんだね……」

 

「まぁ、脈無しじゃなかったのなら良いじゃないですか」

 

「そうだね、これからは遠慮無しにガンガンアタックかけていかないと! ソフィア先輩も保留って言ってたし、ここは攻めどころに違いない!!」

 

 振り向かせてとまで言わせたのだ。これはドンドンアタックかけていけということに間違いない。

 

「まぁ、ソフィアさんの時は一日中考え込んで、なおかつ社内の人間に相談してそれでも答えが出なくてアントーニョさんの家でまた二日間ぐらい悩んだ結果の保留ですけどね。シャルさんの無理やり勝ち取った保留とは訳が違いますけど」

 

「う、……でも最終的に付き合った方が勝ちだもん!!」

 

 そう、始まりがどうであれ、過程がどうであれ、付き合った者こそが勝者を名乗れるのだ。極論を言ってしまえば、最終的に既成事実させ作ってしまえばいいのだ。そう、既成事実。なんて甘美な響き。

 

「今、既成事実とか考えてたら軽蔑しますよ」

 

「あ、あはは、そんなこと、考えるわけ、ないじゃ、ないか」

 

「もう、そんなあからさまに動揺しないでください。リアルで軽蔑しそうです」

 

「やっぱり、駄目かな?」

 

「正直ドン引きレベルです」

 

 瞳の光をスッと消したフィオナのジト目が刺さる。

 

「……だよね」

 

 このどうしようもない雰囲気にシャルロットはズルズルと布団に潜って視線を遮断した。

 




長いことお待たせしてすみません。

未だ内定を頂いておらず、毎日お腹痛いです。内定を貰い次第すぐに帰ってきますのでもうしばらくお待ちいただけたらと思います。


臨海学校篇は多分次で区切りをつけます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。