recadero de domingo(日曜日よりの使者) 作:Writehouse
本来ならここで待つべきだということくらい、わかっている。
エアロックの向こうの格納庫が、宇宙とひとつながりの真空だという事実。
自分がこのプロジェクトの現場責任者だという事実。
あるいは、これから眼前に展開するであろう光景が、油断ならない危険をはらんでいるのだという事実。
それでもノーマルスーツを装着したアントニオはエアロックの中にいて、排気完了の青ランプが灯るのを辛抱強く待っていた。小型のエレベータ程度の箱の中でかたく拳を握りしめ、じっと立ちつくす。排気装置の駆動音が一定の律動で脅迫めいた音をたてる。脇の下がじっとりと汗ばんでいるのを感じる。
「早くしろ……ああ、早くしてくれ……」
ヘルメットの遮光バイザーの向こうには、重たげなエアロックのドア。その上部に横長の長方形に窓が切られていて、さらに向こうの格納庫には酸素がなく、物々しい空気だけが充満している。
消火剤を積載した作業用エレカが、ここから見えるだけでも3輌。それらの間を忙しげに走り回る、黄色いノーマルスーツたちは様々な機器類の起動準備に余念がない。マスタースレイヴ式の作業用パワーアーム……懸架用のクレーンアーム……大型レーザーカッター…… 有線式レーザートーチガン……あるいはもっと単純に、スパナやレンチを手にしながらその瞬間を待ちかまえる者たちの姿もある。
「ジャンマリーなら無事に決まってる……」
アントニオがヘルメットの内にそうつぶやいた時、格納庫内の天井に設置された巨大な黄色い回転灯が、警告のための光を放ちながら回転しはじめた。彼はもちろんのこと、その場にいる全員の視線が弾かれたように防火シャッターへと注がれる。もったいつけた動作でシャッターが解放されていく。七割方シャッターが開いたところで、ランチと呼ばれる小型艇が文字どおり滑り込むように庫内に進入してきた。それは格納庫内に駐機しているランチと同じ型式のもので、コックピットハッチとボディ側面には〈ドナのD〉を示す英文が書かれてあった。
軍隊のコールサインを真似て、一機々々のランチにはそのようにニックネームがつけられていた。クリスティーナのC。ジャネットのJ。アジア系、
そしてたったいま帰還を果たしたばかりの〈ドナのD〉は、整列する姉妹たち同様に酷使され薄汚れていたが、それが彼女だと識別するために書き込まれたせっかくの名前、その下のスペースだけがぽっかりと白く、ハッチも横っ腹もまるで新品のようにわざとらしい色味をさらしていた。
数時間前までそのスペースには、彼女の姉妹たち同様、アナハイム・エレクトロニクスのロゴマークが自慢気に描かれてあった。それを白い塗料で塗り込めてしまった〈ドナのD〉は、外見だけを見るなら何処に籍を置くランチなのか判然としないものに変わり果てていた。
所詮子供騙しにすぎない。だが気休めにも似たそんなカモフラージュを施してまで、彼女は出かけなくてはならなかったのだ。そうして腹にコンテナを抱え、荷物を満載して帰ってきた。
係留作業を終えた〈ドナのD〉からコンテナが分離され、天井に消火剤噴射口が設置されている真下、防火フェンスで仕切られた一角へと移動させる作業が始まった。ちょうど窓越しに様子をうかがうアントニオの方に迫ってくる恰好である。
コンテナを吊り下げたクレーンが所定の位置にたどりつくと、床に下ろされたコンテナの壁面が、まるで素敵な贈り物のように四方にむかって展開しはじめた。アントニオは憂鬱な面持ちでその様子を眺めながら、同時に視界の隅に青い光をとらえた。弾かれるように目をやれば、コンソールパネルに排気完了の青ランプが灯っている。逸る気持ちを押さえてエアロックのドアが開くのを見届けると、彼は三段跳びに飛び跳ねながら、六分の一の重力の世界へと文字通り飛び出していった。
* * *
『そこのあなた……ここは危険です……引き返して下さい』
青色のノーマルスーツ――肩と胸のワッペンが保安要員であることを示している――のひとりが、現場に飛び込んできたアントニオに気づいて、そう手信号を送ってよこした。頭に血がのぼった状態のアントニオはヘルメットの通信スイッチを切ったままだったのだ。
それを見透かしたようにヘルメットのこめかみあたりをコツコツ叩きながら、保安要員は『通信がオンになっていないんじゃないか?』というジェスチャーをしてみせた。
アントニオは舌打ちとともに手近な足がかりを蹴ると、青いノーマルスーツのほうへと跳んだ。保安要員に手を伸ばしてこちらに引き寄せ、頭を打ち付けるような激しさで互いのヘルメットを接触させる。相手はバイザーの向こうで目を白黒させているに違いない。だがいちいち気にかけてやれるような余裕はない。
「状況はどうなっている? パイロットは!?」
「カナーレス課長! ここは危険です、下手を打てば爆発の危険があるんですから……その、申し訳ありませんが、退出していただかなくては」
「状況はどうなっていると聞いている!」
思わず声を荒げたアントニオだが、プロジェクトの現場責任者である自分がこんな鉄火場に割り込んでくれば、何をしたところで邪魔になってしまうであろうことを承知してはいた。
しかしオフィスのモニター越しに作業の進捗を眺めたり、そこで指をくわえて報告を待つような気には到底なれなかったのである。なんとなれば〈ドナのD〉が回収してきたモビルスーツ〈ドミンゴ〉が残された最後の試作機であり、そのコックピットに座っていたパイロットが唯一無二のテストパイロットであり――そしてかげかえのない友人であることを認めざるをえない人物だったからである。
「状況は……」
多少うろたえた口調で保安要員は質問に答えようとしていた。その視線はコンテナから姿をあらわしたモビルスーツへと釘付けになっている。
正確には、モビルスーツだったものだ。
いまやドミンゴは残骸以外の何ものでもなかった。濃紺と赤に塗り分けられ、その内に数々の新機軸を搭載したMSの姿は、もはやどこにも見当たらなかったのである。
「……状況はご覧のとおりです」
保安要員がそう言っても、アントニオは返事をしなかった。ただ眼前の残骸を呆然と見つめ続けている。
「機体特定を避けるために装甲外殻のたぐいはすべて回収したはずです……それから、新型ジェネレーターまわりを最優先に、持ってこられる物は全部持って帰ってきたはずですよ。ああ、見て下さい、いまプロペラントが外されましたよ……この分だと二次爆発は避けられそうですね」
かつて人型だったその機体は、ビームライフルの直撃を受けて爆発四散したのだった。アントニオがその報告を受け取ったのはおよそ2時間前のことである。即座に彼を行かせたことを後悔したが、プロジェクトを管理する者の列に名を連ねるアントニオにはしばしの感傷に浸る猶予は与えられなかった。
そもそも彼にとって、すべてが未確認情報に過ぎないのだ。本当に戦闘はあったのか。本当にドミンゴは撃墜されたのか。彼は――ジャンマリー・ロランは本当に死んでしまったのか。
瓦礫の山と化したドミンゴを作業員たちがどんどん解体してゆく。ビームライフルを握ったままの腕がクレーンにつられてゆく。優美なフレアを描いていた脚部のスカートがレーザーカッターで切断されてゆく。そこに内蔵されていたプロペラントタンクが慎重な動作で取り出されてゆく。
真実が明らかになるのは、何もかも終わってしまった後だ。いつもそうだ。今になってその顛末が無言の圧力をもって眼前に突き付けられる。
クレーンが胴体に相当する部分をつり上げ始めた。そこにあるべき頭部は失われ、背部プロペラントの爆発によって何もかもが歪み、黒く焼け焦げている。クレーンのワイヤーがぴんと張りつめ、瓦礫の山から胴体を引きずり出していく。衆人環視の前に胸部があらわれ、ならば次に腹部があらわれるはずだった。
だが、やがてあらわれるべき腹部――すなわちコックピットブロックはそこに存在していなかった。胸の下には巨大な穴が穿たれており、まさに皮一枚で腰部ブロックとつながっている有様だった。
すかさずレーザーカッターがその皮にあたる装甲材を切断し、胸だけになったパーツがクレーンで運ばれていった。
アントニオはパイロットの安否を確認しようと思ってこの場に来たのだったが、さらなる質問を浴びせる代わりに、彼に腕をつかまれっぱなしだった保安要員を解放してやった。青いノーマルスーツは軽く会釈をすると足場を蹴り、いまだ作業が続くドミンゴの方に跳んでいった。
それらに背を向けたアントニオもまた足場を蹴った。再びエアロックの扉をくぐり、コンソールの吸気メニューに指を触れた。
ノーマルスーツから背広に着替えたアントニオがエアロックを出ると、アナハイム・エレクトロニクスの水色の制服に身を包んだ〈ドナのD〉ことドナ・ロペス・ガルシアが、両手の指を所在なげに絡めたり解いたりしながら立っていた。アーモンド型の大きな瞳でアントニオを上目遣いに見た彼女は、栗色の髪を指先でもてあそびながら口を開いた。
「ジャンマリー准尉は……?」
アントニオは彼女の方を見なかった。うつむいた彼の視界には自分の靴の爪先しか映っていなかった。
「直撃だったらしい……脱出カプセルも何も、残っていなかった」
「そんな……」
歩み寄ったドナが、アントニオの肩にそっと手を置いた。
「嫌ね、戦争なんて。早く終わってしまえばいいのに」
彼女がその言葉を言い終えない内に、アントニオは乱暴な仕草で彼女の手を振りほどいた。
「君が痛ましいと思っているのは一体どっちのことだ? パイロットか、それともドミンゴのことを言っているのか!?」
一瞥をくれることもなく吐き捨てると、アントニオはそのままオフィスへ向かって足早に歩き出した。
すげなくほどかれた白い手をもう一方の手のひらで包みながら、ドナは憂鬱な表情で彼の背中を見送った。
この数ヶ月でアントニオという人間が劇的に変化していったことは、傍で見ていたドナにもわかっていたはずだった。変わってしまった彼に届くような言葉を、いまのドナは持ち合わせていなかった。
どこにいけばそれが見つかるのだろうと彼女は思った。どうすれば彼に届く言葉を見つけられるだろう。