recadero de domingo(日曜日よりの使者)   作:Writehouse

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第二話「めぐりあう」

「エゥーゴから来た、ジャンマリー・ロラン准尉だ。宜しく頼む」

 

 振り返れば、アントニオがジャンマリー・ロランという男と出会ったそもそものきっかけとは、わずか数枚の書類によって生み出されたものだった。

 

 わずか数枚。しかしこれはちっぽけな書類などではなかった。安易な複製や流出を避けるために本物の紙が用いられ、必要とされる部分には肉筆による記入がなされていた。いくつか捺印された箇所もあった。

 それはエゥーゴ(A.U.E.G.:反地球連邦政府)が機密保持指定を付与したうえで発行した重要書類であり、その内容が地球圏に勤務していたアントニオをアナハイム・エレクトロニクスのグラナダ月面工廠に召喚し、同様にジャンマリーという軍人を民間人に偽装させ、念には念を入れ、わざわざ中立コロニーのサイド6から一般客に混じって民間シャトルでグラナダ入りするという、面倒な手順を踏ませることになった。

 そしてジャンマリーは件の書類〈次期主力モビルスーツの開発に関する要求仕様書〉を携えて、グラナダ市のはずれにそびえるアナハイム月面工廠の門をくぐり、彼の到着を待ちわびていたアナハイムの社員たちに迎えられたのだった。

 

 社員といっても、みな三つ揃いのスーツに身を包んだ、それ相応の役職に就いている者たちばかりである。長期的視野で見て大きな意義をもたらす可能性が高い今回の商談には、そういった面々が集うだけの価値があった。

 その末席に腰を下ろしていたのが周囲の空気に気圧されつつあったアントニオである。皆が拍手なり賛辞でもってジャンマリーに歓迎の意思を表明する中、彼はこの見慣れない来訪者をひたすら凝視するのみだった。

 

 軍人というものを間近に見るのはこれが初めてのことだったが、その第一印象には奇妙な違和感があった。それは目の前にあらわれたこの男がひどく無愛想な口のきき方をするせいなのかもしれなかった。軍人である以上、あまりざっくばらんなことは口にできないのかもしれないが、とくに愛想笑いをするでもなく淡々と述べられた自己紹介は、どことなく威圧的ですらあるように思われた。

 

 どうなのだろう。軍人というのは、皆こういうものなのだろうか。それとも彼の所属するエゥーゴがきわめて緊張した状況下にあるがため、それが些細な振る舞いにあらわれただけなのだろうか……。

 

 エゥーゴがスペースコロニー〈グリーンノア2〉の地球連邦軍施設を奇襲し、施設内において極秘に評価試験中だった新型MS2機を強奪するという事件が発生してから、十日ほどが経過していた。連邦軍にとって面目丸つぶれとなったこの不祥事はニュースでも報じられ、当時まだ地球で勤務していたアントニオですら知るところである。

 しかもこの騒動はこれで幕を下ろすことを許されず、その数日後に連邦の特殊部隊である〈ティターンズ〉の尉官が、さらに試作MS1機をともなってエゥーゴに投降するというおまけがついた。

 このようにして3機建造された試作MSはすべてエゥーゴが手中に収めるところとなり、その一連の流れは続報として連日ニュースを賑わせ、軍予算のおおもとである納税者、すなわち民衆は、日頃の不満に勢いを乗せて一気に連邦批判へと傾いたのだった。

 

 連邦軍広報部はこれらの報道に対して情報規制をかけたが、これはまずい一手だった。ティターンズが関与していると伝えた一部のメディアは「強硬な手段」をもって沈黙させられたと噂がたったし、それを裏付けるようにTVニュースや大手ニュースサイトは不自然なまでにこの事件を取り扱わなくなった。スタジオのコメンテーターが突然降板したり、アーカイヴに保存された記事が削除されたりした。

 そこまでしておきながら、草の根的なアンダーグラウンドサイト界隈に至ってはどうにもならなかった。ほとんどいたちごっこの様相を呈していた。

 

 結局人の口に戸はたてられなかったし、民衆の不信感は払拭できなかった。連邦軍は決して事実と認めることをしなかったし、とくにティターンズの関与を強く否定したが、否定すればするほど事実と認めているようなものだった。

 こうなった以上、連邦軍は世論へ強くアピールする形でエゥーゴへの対策を打たなくてはならない。その結果導き出されたもっとも明快なパフォーマンスが武力行使であり、今日に至るまでに散発的な戦闘が宇宙のあちこちで繰り広げられていた。

 

 そんな騒動はアントニオにしてみれば対岸の火事、いわば別世界の出来事なのかといえば、実際のところこれがあながちそうともいえない。アナハイム・エレクトロニクスという企業はいまや世界でも有数のコングロマリットであり、そして彼が籍を置くジェネレーター部門は兵器と密接な関係にあることを否定できないのだ。

 

 そもそも、そのジェネレーターのために月まで呼ばれたのである。第一、エゥーゴがグリーンノア2に奇襲を行った際に使用したMS〈RMS-099:リックディアス〉からして、非公式ながらアナハイムの製品であったし、身も蓋もなく言ってしまえば、アナハイムはエゥーゴの活動資金の大半以上を担っている筆頭出資者なのである。

 

 そのアナハイムにエゥーゴから打診されたのが、主力となりうる新型MSの開発であった。

 もともと地球連邦軍から分裂した組織であるエゥーゴには、連邦でも運用されている〈RGM-179:ジムⅡ〉があったが、もう7年も前になる一年戦争のロートル機、そのマイナーチェンジに過ぎないこの機体はあまりにも脆弱すぎた。

 では新型のリックディアスはどうなのかといえば、重MSに分類されるこの機体は汎用機とは言い難く、また何よりもまず高価すぎるのであった。

 

 このような流れを経て、グラナダ月面工廠において新型MSのための開発チームが編成されることになり、アントニオには新型MSに搭載するジェネレーターを設計するという職務が与えられた。電力供給の要であるジェネレーターは、機体の心臓部ともいえるエンジンとともに非常に重要な要素であり、それだけに花形の部門であるということができる。

 

 実際アントニオは、ついに大きなチャンスが巡ってきたと思っていた。この大宇宙時代に地球にしがみついて働くというのは何ともやるせない。アナハイムにしてもそんな彼の思いを裏付けるように活動の場を宇宙に求めている。ならばこれを機に継続的な宇宙勤務への足がかりを作りたいと考えるのは、決して絶えることのない上昇志向に身を焦がすサラリーマンであれば、むしろ当然の欲求であるといえた。

 いまアントニオは、そのための最初のチケットを手にいれたところであった。期待と興奮、緊張といったものがないまぜになり、武者震いするかのように彼の身体を小さく揺らした。

 平気な顔をよそおって顔を上げると、今回のプロジェクトの責任者であるマクローリン設計局長が形式ばった挨拶を終えたところだった。つづけて彼はアントニオを紹介するべくこちらに向かって片手をひるがえし、それに応えるようにアントニオは立ち上がった。

 

「彼が今回のプロジェクトの陣頭指揮を執るアントニオ・カナーレス設計課長です。また彼自身にはジェネレーター班における設計・建造を兼任してもらうことになっておりまして……そうですな、この男がプロジェクトの成否を握っていると言っても、決して言い過ぎにはならないでしょうな。まあ、カナーレス君はカナーレス君で今後の進退にかかわる大仕事になるわけですから、尻を叩かずとも死にものぐるいの働きぶりを見せてくれること間違いなし、そこは私が保証いたしましょう」

 

「アントニオ・カナーレスです。今後ともよろしくお願いします、准尉」

 

 手を差し出すと、ジャンマリーが立ち上がりその手を握った。

 立ち上がったジャンマリーは座っている時よりも小柄な印象を周囲に与えた。かつての戦闘航空機パイロットや競馬の騎手の第一条件が「小柄」であったように、MSパイロットもまた小柄な人間が歓迎されるのだろうか。全周マルチスクリーンの球形コックピットにはなんだか広々としたイメージがあるが、考えてみたらアントニオには32年のこれまでの人生の中でMSのコックピットに座った経験など一度もないのだった。

 

 だが、いくら小柄であろうとも、ジャンマリーが放つ違和感めいたものは幾分も薄れることがなかった。握手のできる距離まで近づいてみれば、瞼まで垂れ下がった黒髪の奧から、一対の碧眼がまるで値踏みするかのような眼差しでこちらを凝視していた。

 

 この若い准尉は明らかに殺気立っていた。長雨で何日も狩猟の興奮を味わえないでいる猟犬のようなおもむき――いうなれば匂いのようなものを、眼のみならず身体中から立ちのぼらせているのだった。そんな考えに思い至ったアントニオは、なかばふりほどくようにして握られっぱなしだった手をひいた。

 

「こちらこそ宜しく頼む――思っていたより若いのは意外だったが、死にものぐるいで働いてくれるのなら、こちらとしては大いに結構だ」

 

 席につきながらジャンマリーがそう返し、居並ぶ面々は微笑とも苦笑ともつかない、さざ波のような声をたてた。アントニオは急速に頬が紅潮するのを禁じ得なかった。

 

 この軍人は一体何だというのだろう――礼を失するにも程があるのではないか?

 

 視界にジャンマリーを入れないように俯いたアントニオは、顔のほてりが収まるのを待ちながら、あれこれと考えをめぐらせた。たとえば彼は、自分のような若いスタッフが現場を取り仕切ることが気に入らないのだろうか。だとしたら冗談ではない。吟味もしない内から無能扱いされるのであれば、それはエンジニアにとって最大級の侮辱である。

 

 たしかにノーネクタイであったり、薄汚れた作業着のままでオフィスをぶらぶらする連中もいるにはいる。そういった手合いは決して多くはないが、それだけに目につくのもまた事実だ。だがそういった服装で勤務する特権がエンジニアに許されているのは、彼らが訪問販売のセールスをやっているのではないからだ。

 彼らの商売道具はその頭に詰まった脳味噌であり、指先がつむぐ神業なのだ。髭をいつもきれいに剃っておく潔癖さや、毎日糊の利いたシャツを着てくるかいがいしさというものは、彼らの仕事ではないのである。

 たとえ寝癖のついた頭であろうが、昨日と同じシャツを来ていようが、知ったことではない。他の誰にもできなかった、あるいは時期尚早とされていた技術的難問をクリアすることこそが彼らの役割であるからだ。エンジニアとはそういうものだ。

 

 アントニオに限っては、身なりもきちんとしている自覚があった。高級ブランドとはいかないが、今日来ているスーツだってシワひとつないはずだし、腕時計だって会社員相応のものを選んでいるはずである。

 

 それにもかかわらず、なぜあのような目つきで睨みつけられなくてはならないのか。

 若いのか若くないのかという話でいえば、アントニオの目にはジャンマリーの方が自分よりずっと若く見えた。つやのある黒髪といい、しわの刻まれる気配もない張りのある顔、その色つやといい、前髪を透かして見える猛禽めいた大きな目といい、古びた気配はどこにも見当たらない。

 その立ち振る舞いが陰を落とすせいもあって、さすがに十代に見えはしないものの二十代半ば、あるいは後半といったところだろう。少なくとも自分よりも年下だと思っておいて間違いはあるまい。

 

 秘書課の女性たちがお茶を乗せたワゴンを押しながら入室してきた。奇麗どころばかりの彼女たちがそれぞれの席に飲み物を配って歩く間に、あらかじめ要求仕様書にもとづいて作成された資料が配布されると、室内はにわかに高級幹部会議の様相を呈しはじめた。

 

 あいかわらず気後れする感があるものの、先々のことを考えればこんな空気にも馴染んでおかなくてはならないだろう。そう自分に言い聞かせて、アントニオはエゥーゴとアナハイムのロゴが並んで印刷されている表紙をめくった。

 ちらりと盗み見れば、ジャンマリーもまた真剣な目つきで資料に目を落としている。だがパイロットであるのならそれも当然かもしれない。ゆくゆくは彼自身もまた、この機体を駆って戦場を駆けめぐるのかもしれないのだ。愛想のひとつも見せなかったが、最高の機体を作り上げたいという熱意なら、きっと彼とて誰にも負けないものを持っているのだろう。そして、その熱意こそテストパイロットにもっとも求められるべき資質である。

 

 幸い、アントニオが担当する新型ジェネレーターの基本設計は地球にいる間に済ませてあった。ひとまず試作機の建造が大詰めを迎えるまでは現場管理の業務に重点を置くことができる。

 その期間内に彼との間にしっかりとした信頼関係を築いておかなくてはなるまい。こちらに最高の機体を作る自信がある以上、そのシートに座るパイロットには最高の能力を発揮してもらわなければならないのだから。

 

 そんなことを考えているとジャンマリーがふと視線を上げ、例の射すくめるような目でこちらを見た。そして、まるで視界には何も映らなかったとでもいうふうに、再び視線を落とした。たったそれだけのことなのにアントニオは手のひらに滲んだ汗がすっと冷たくなっていくのを感じずにはいられなかった。

 

 こんな男を寄越すなんて――エゥーゴには、他にもっとましな人材はいなかったのか。底抜けの社交家ではないにせよ、たとえば目が合えば何らかのリアクションを返してくれるような人間味のある人材は。

 

 順風満帆、快走のままゴールまでたどり着ける仕事だと高を括っていたアントニオは、その前途に暗雲の立ちこめるのを見た。ちょうど船に乗り込んだばかりだというのに、この先どうなるのか、とてもじゃないが知れたものではない。

 アントニオは所在なげにスーツの膝で手の汗を拭いた。


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